ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

江上剛『ザ・ブラックカンパニー』感想

江上剛『ザ・ブラックカンパニー』(光文社文庫)を読みました。

 

単行本は2015年に出ているのですね。文庫化したということで、この機会に読ませてもらいました。文庫版は労働NPOの代表である今野晴貴氏の解説がついています。

 

タイトルの通り、本書はブラック企業をテーマにしています。

舞台はハンバーガーチェーン店。そこで働く人たちが、自分たちの職場を改善していこうとする物語です。

 

細かくマニュアルに従って働く様子や、生活を会社に捧げる様はリアルに感じます。会社との「闘い」方も、労働運動や労働組合のようなガチガチな感じじゃない。葛藤、板挟みというか、自分を納得させようという心理がすごく見えて、普通の人の悩みという気がします。

そういう箇所が共感して読みやすくなっているのかなと思います。

 

家電が便利になっても、家事が楽になるとは限らない

 予備校講師としてテレビでも有名な林修さんが「『家事はきちんと』なんて無視していい」という主旨の問題提起をして、共感の声が多くあったそうです。

 

news.careerconnection.jp

 

番組自体は拝見していないのですが、求められる水準が高くなってしまうせいで楽になれないという現象は、実際あるように思います。

 

家電製品などがどんどん進歩しているのに、どうして家事が楽にならないのか、ということを歴史的に考察している本に『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』があります。

 

家事労働も労働のひとつですので、ここでは技術革新と労働の関係について一般的に言われていることをまとめておきましょう。

 

工場などの生産現場で、新しく便利な機械が導入されたとしても、労働が楽になるとは限りません。その理由としては以下のようなものが挙げられると思います。

①生産性は向上したが、その分人員が削減されて、残った人に仕事が集中した

②仕事に必要だった熟練した技術や専門性が、それ以前と比べて要らなくなった。そのかわり、1人で多くの種類の仕事をこなさなければならなくなった(多能工化)

③機械の自動化が進んだ分、自律的なペースではなく、機械のペースに合わせて仕事をしなければならなくなった。

④作業が容易になった分、求められる仕事の成果・水準が高くなった

 

以上は労働と技術革新の関係について指摘されることですが、家事労働の場合にも妥当する点がいくつかあります。

家事自体は楽にできるようになった代わりに、夫や子どもがあまり家事を手伝わなくなり、妻に分担が集中してしまう、というようなことは①に当てはまりますね。前述の本でも、それまで男性が家で担っていた力仕事等が市場サービスに置き換わる一方で、妻の仕事はなかなかそれが進まない例が出てきます。

 

テレビ番組で話題に上ったのは④だと思います。

『お母さんは忙しくなるばかり』でも、電気洗濯機の例が語られます。そもそも洗濯が重労働だった時代なら、頻繁に洗濯する自体ができません。しかし洗濯機の登場でそれが容易になると、衛生・清潔さが求められるようになった結果、洗濯回数が増えることになりました。そのため、洗濯にかける時間そのものは、それほど減少しなかったと言います。

 

技術革新の成果をどのように取り入れるかについては、社会や個人の選択によるところもあります。

家事労働ひとつとっても、技術革新さえ進めば楽になるとは必ずしも言えないのだと思います。

 

過労死と「起因物なし」の死亡

 厚生労働省のHPに「職場のあんぜんサイト」というものがあります。

そのページ内に「死亡災害データベース」なるものがありました。その説明を読むと、

平成3年から平成26年までに発生した死亡災害の個別事例全数について、発生状況の概要を紹介します。

となっています。

 

おそらく「労働者死傷病報告」から作成したものだと思うのですが、死亡災害についてはすべての事例を網羅しているということですね。年次ごとにエクセルファイルになっており、各事例の概要を読むことができます。

 

職場のあんぜんサイト:死亡災害データベース

 

データベースには業種や事業場規模、起因物による分類などの情報が掲載されています。一件一件の内容は概要にとどまりますが、ざっと目を通していくだけでも、多様な事故類型があることがイメージできます。

 

労働災害は「転倒」や「墜落・転落」、「はさまれ・巻き込まれ」などの事故が多いですが、データベースには自殺や過労死も含まれているようです。

 

試みに過労死等の推移をこのデータベースで追ってみることを考えます。過労死等については労災補償状況については公表されていますが、労災認定されないものも多いので、比較してみれば違いがあるかもしれません。

 

今回は事故の起因物の分類が「起因物なし」「その他の起因物」「分類不能」となっているものを抽出してみました。

 

起因物とは、災害をもたらす元となった機械や装置等のことを言います。「過労死等」(脳・心臓疾患や自殺)の場合「起因物なし」と分類されることが多いようです。

しかしながら事件の概要を見ている限り「空調機点検中、くも膜下出血により死亡した」を「分類不能」としている例もあれば、「施工管理業務中、くも膜下出血により死亡した」を「起因物なし」としている例もあります。

それ以上詳しい情報については記載されていないので、単に分類上の揺れなのかそうでないのかは分かりません。

 

事例によっては「被災者が、自宅トイレで倒れているのが、発見され、病院へ搬送されたが、心筋梗塞により死亡した。尚、発症前6ヶ月間の平均の時間外労働は約95時間45分であった」や「自宅アパートにて、過重な業務が原因で、死亡している被災者が発見された」という風に過労死を覗わせる記載がなされているものもあります。しかしこうした記述がないからといって、過労死でないとは限りません。

 

そこで今回は大雑把ではありますが、起因物の分類が「起因物なし」「その他の起因物」「分類不能」をすべてカウントしました。

それが以下のグラフになります。「0~9」とか「10~29」となっているのは、事業場の規模です。過労死の規模別の情報ってあまり公開されていないと思うので、区分してみました。

 

f:id:knarikazu:20180310152539p:plain

 

時系列変化としては2001年から04年くらいにかけて、件数が大きく伸びている気がします。2001年に労災の認定基準が改訂された影響などで、捕捉されやすくなったのかもしれません。

 

ただし件数としては2014年でも66件となっています。「過労死等の労災補償状況」によれば、2014年度の「脳・心臓疾患に係る支給決定件数(死亡)」は121件、「精神障害に係る支給決定件数(自殺(未遂を含む))」は99件です。合わせると220件となりますから、66件という数字は大分少ないですね。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/karoushi/17/dl/17-2-1.pdf

死亡災害の全数を網羅しているとは言っても、漏れはやはりあるのかなと思います。

 

 

『さよならの朝に約束の花をかざろう』感想

岡田麿里監督・脚本の『さよならの朝に約束の花をかざろう』(『さよ朝』)を鑑賞。

『あの花』『ここさけ』で有名な方で、前にも少しだけ触れた。

 

kynari.hatenablog.com

 

 

 

 

今回の新作映画は、ちょっと前に見に行ったのだけど、すぐにそのことを書かなかったのは、ハインラインの『メトセラの子ら』を思い出したから。

 

ハインラインはアメリカSF界の巨匠作家。ちなみにメトセラというのは旧約聖書に出てくる人物で、969年間生きたということになっている。

メトセラの子ら』も長命の寿命をもつ「ハワード・ファミリー」の物語。ファミリーと言っても10万人くらいの規模だけど。

SFとファンタジーの相違はあるけれど、メインの設定は『さよ朝』と似ている。

 

もうひとつ『メトセラの子ら』を思い出した理由がある。それは小説の中心人物の名前がラザルス・ロングであるということ。

そして『さよ朝』にもラングという人物が……。

ラザルス・ロングとラング。・・・・・・似てる。

 

 

再び『メトセラの子ら』を読み返してみて、『さよ朝』と単純な比較はできないけれど、改めて気づける点はあったと思う。

 

『さよ朝』について一言で説明しづらいのは、何を描きたいのか、テーマやメッセージはなにかということが、ちょっと分かりづらいから。

岡田監督が今描きたいものを全て込めたと、そんな主旨のことを言っていた。それは贅沢ではあるけれど、分かりにくい部分も生んでいる。たぶん、ストーリーや登場人物をもっとシンプルにすることもできたんだろうけど、そんなことはしなかったんだと思う。

 

『心が叫びたがってるんだ』の場合は、ストレートな感じ。タイトルがそのまま主題を表している。

『さよ朝』はタイトルを聞いても、いまいちピンとこない。素直に解釈すれば「別れ」と「約束」がテーマなのだろう。

 

『さよ朝』も『メトセラの子ら』も、長命人種が短命人種とうまく行かないのは共通している。『メトセラの子ら』の舞台は(近)未来だけど、不老長寿の秘密を求める人たちにとの間で争いになる。

情報社会だと、個人情報を登録しないと行政サービスから排除されてしまう。長寿であることを隠してひっそり暮らしていくのは、中世の世界よりも難しいかもしれない。

とはいえ、『さよ朝』の世界でだって、やはり身元を知られないように流浪の生き方をせざるを得なかった。生きにくい世というのは同じかもしれない。

 

「別れ」というテーマは、この辺りと密接に関係しているのだろう。

長寿の一族は、短命の人間たちとは必然的に異なる人生を歩まざるを得ない。それどころか争いごとのタネにさえなってしまう。

 

『さよ朝』の話の筋を素直に受け取るなら、「別れはつらいものだけれど、つらいばかりじゃない別れもある」なのだと思う。たしかそんなセリフが出てきたはずだ。

ただ、すっきり理解できないところがあったのも事実。

それはまさに長命人種と短命人種という、大本の部分に関することだろう。

 

たしかに主人公マキアとその「子ども」であるエリアルの個人的な関係にだけ目を向ければ、そう言えるのかもしれない。

でも、長命人種と短命人種という関係で見ると、あまり気持ちよく解決したとは言いにくい。結局、マキアたち「別れの一族」は、普通の人間たちとは距離を取り、人里離れて暮らすというもの。長命人種と短命人種が共に暮らす、共存・共生関係を築くという形では解決していない。

もののけ姫』が「人間は好きになれない」「それでもいい。ともに暮らそう」となっているのとは異なっている。もちろん、『もののけ姫』も単純なめでたしめでたしではなく、これから多くの困難が待ち受けていると思われるが、それでも共生関係を目指すという終わり方をしている。

 

『さよ朝』はそこにもやもや感が残る。結局、マイノリティはうまく社会に溶け込めないのかと。

イオルフの民(別れの一族)は直接的に戦争の口実にもなっているし、エリアルはマキアたちの一族を略取・離散させた国の兵士として戦っている。

 

国と国、あるいは種族間の違いを乗り越えた愛(マキアとエリアル)というところに、確かにこの物語の美しさがある。ひょっとしたらそれを強調したかったのかもしれない。

でも国家間や人種間の紛争のほうに目が行ってしまう人にとっては、違和感を残すことになってしまうだろう。

 

ちなみに、長命人種と短命人種の関係性については『メトセラの子ら』でも描き方は似ている。こちらのほうが幾分SF的と言えるかもしれないが、ハワード・ファミリーの一族は宇宙船に乗って地球から脱出することに追い込まれる。

そして別の星々を訪問するが、それぞれの星の「人類」とは共生できず、結局地球に戻ってくるのだ。宇宙人との接触もあるという意味では、『さよ朝』以上に人種間の相違を、そして人が種の違いになにを感じるかを描いていると言えるかもしれない。

なお、地球に帰ってきたハワード・ファミリーの一族は、平穏に迎え入れられる形で物語が終わっている。というのも、彼らが宇宙の旅をしている間に地球では科学が発達し、長寿を実現することに成功していたからだ。

これはしかし、SF的解決かも知れない。長命人種と短命人種がどのように関係を築いていくか、という問いへの答えにはなっていない。科学の力で短命人種が長命人種に「進化」することで解決したに過ぎない。

 

 

もう一つのテーマである「約束」は綺麗であると思う。

ただ、これも一面的に「約束」を描いているわけではないところがキモと感じる。

 

『さよ朝』の物語は、主人公のマキアが受動的な存在として描かれているように思える。『ここさけ』の主人公は喋ることもできない少女だったが、劇中ではそれを変えたいという意志に焦点が当てられていたと思う。

それに対してマキアは、主体的な選択をほとんどしていない。イオルフの地を離れたのは襲撃があったからで、自らの意思ではない。流離の生活を送ったのも、そうせざるをえなかったり、他人に迷惑をかけたくなかったという側面が強かった。概して受動的・消極的な選択で、ラングとの再会も偶然に過ぎなかった。

そして『ここさけ』と違って、そうした自分を変えようというところには、特に主眼を置いていないように感じられる。

 

そのことが逆に、マキアが自分の意志を強く表明した数少ないシーンを、際立たせる結果となっている。

バロウという旅の商人には「よしとけ」と言われたにもかかわらず、エリアルを育てようと決意したシーン。

泣きながら、「母親だから泣かない」と約束するシーン。

エリアルから「行かないで」と懇願されたのに、立ち去るシーン。

 

マキアの主体的な意志や決断が見えるのは上記のシーンくらいなもので、だからこそこれらの場面が強い印象を残す。

 

「約束」のテーマからしても、「母親だから・・・」と約束を決意する場面が重要なのは分かる。

でも、この約束、守られない。物語のラストでもマキアは泣いている。

 

『さよ朝』に出てくる約束は、ここ以外にもいくつかある。しかし大体破られている。

「人と深く交わらない」という長老からの掟も、広く約束といえるだろう。でもこの約束は(自分の意志ではなかったかもしれないが)守られなかった。

エリアスの「お母さんを守る」もそうだろう。途中でマキアのもとを離れ独り立ちする。そして先にも書いたように、イオルフの民を襲ったメザーテの国の兵士となっている。守るどころか、裏切りと言えなくもない。

物語の最終盤。老齢のエリアスをマキアが見舞う。ここも印象的で、「夕飯までには帰ってくるんだよ」という言葉を別れの言葉として告げている。当然ながらこの「約束」も守ることはできない。

 

だからこの作品に出てくる「約束」は、実はほとんど破られている。

けれど、じゃあ約束は意味がなかったのかというと、そうではない。たしかに約束は守られなかったけれど、だからといって約束した自体にはきっと意味があったはずだ。

 

約束は、破られてしまったからといって、無意味になるのではない。破られた約束にだって意味はある。守られた約束だけが尊いのではない。

結果的に約束を守る形にはならなかったけど、あの2人にとっては、守れなかった約束も、とても大切なものなのだ。

この映画は、そう訴えかけているのではないだろうか。

 

 

「約束」というテーマについては、『メトセラの子ら』とは比べようがない。そもそもこちらの主題に関しては普遍的なテーマなのだ。長命人種という設定は関係ない。

 

個人的な好みで言うと、CGを使ったり、音響効果がついた迫力あるシーンよりも、普段の生活描写が映像描写として良い。子を思う気持ちとか、母親としての葛藤とか、息子の作ったものをいつまでも大事にしているとか、親離れとか。

そうしたシーンの一つひとつは、別に長寿の一族であることとは関係ない。普通の人間でも経験することだろう。

設定が先走って、こういう描写がおざなりになるなんてことがなかったのが嬉しい。

 

 

だらだらと書いてしまった部分もあるけれど、一言でここが良いとまとめるのは難しい。映画を観終わった直後、「良い映画だった気がする」と浮かんだのが最初の感想だった。その気持ちは間違っていないと思う。

 

 

AIの思考プロセスは分からないのか/王銘琬『棋士とAI』

AIは結論だけ提示して、思考プロセスが判らないというようなことを聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。あるいは「黒魔術」なんて言葉が使われたりもします。

 

専門家がそう言っているとなんとなくそういうものなのかなと思ってしまいがちですが、本書はそれに「ちょっと待って」と表明しているようです。

 

囲碁のプロ棋士であり、自身も囲碁ソフトの開発に携わった王銘琬先生の著書『棋士とAI』(岩波新書)です。

 

 

話の中心は例のアルファ碁にはなっていますが、「専門家」でありながら、慎重に自身の見解を述べているその態度がとても好感を覚えます。専門知はどうあるべきかについても考えさせられます。

 

本書から一部引用します。

専門家だからといって、その分野のすべてが分かっているわけではありません。私は囲碁の専門家と思われていますが、詳しく言いますと「賞金のかかった試合で生活している人」、トーナメントプロとも呼ばれます。どうすれば試合に勝てるかについては詳しいですが、囲碁全般についてそれほど知っているわけではありません。

どんなジャンルでもプロと比べますと、入門者や初心者、または愛好者が圧倒的に多いでしょう。全体的に見れば、その分野の本体をなすのはその人たちですが、私はその方たちのことに詳しいわけではありません。初心者の気持ちや入門者への教え方でしたら、囲碁教室の先生の方がよく知っているし、囲碁大会を開催する時は、私は会場に行く以外なにもできません。囲碁ファンの皆さんは新聞、雑誌などの読み物を通じて、私たちの碁を見ることが多いですが、その原稿を書いて下さるのは囲碁記者です。

 自分が何を知っていて、何を知らないのか。専門家としての立場に謙虚に向き合っている姿勢が垣間見えます。

 

「専門知」ということを考えなければならないのは、AIの専門家についても同じです。

もちろん、あまりに厳密に語りすぎたら伝わるものも伝わりません。それに専門的な知識や用語を一般の方に伝えるのは、必ずしも容易なことではないでしょう。しかし「専門家」として周りから見られる以上、情報発信の仕方には十分留意しなければなりません。

 

「AIはなにを考えているか分からない」という言説にしてもそうです。本書が警鐘を鳴らしていることのひとつですが、そこには「本質的に分からない」ことと「情報が公開されていないから分からない」ことの混同が見られます。

 

そのうえで本書では、囲碁に関しては、むしろAIのほうが思考プロセスがよく分かる、と言います。

どういうことかというと、人間のほうが何を考えているか分からないからです。

 

ソフトであればその思考プロセスがログに残されているので、一手一手辿っていくことができます。しかもそれぞれの候補手について評価値を参照できるので、どの手を良い悪いと考えていたかは容易にわかります。

それに比べると、人間の局後検討は不正確極まります。井山棋聖や羽生竜王の頭の中を除くことはできません。形勢判断は感覚的な部分も多いですし、一手ごとにどういう候補手を考えていたかなんて、正確には記憶していません。

 

AIには分からないところもまだまだ沢山あります。しかし人間の頭の中はそれ以上によく分からないのです。

 

一方、上記のような「本質的に分からない」こととは違い、情報がオープンにされていないから分からないことも多々あります。

 

たとえば「囲碁未来サミット」の閉会後に、アルファ碁の自己対局の棋譜が50局公表されました。ところが、その自己対局の棋譜で白の勝率が76%もあったことから、白番がこんなに有利だったのかと棋界を驚かしたのです。

後になって、自己対局は何局も行われており、そのなかから面白そうな50局をチョイスしただけだということが判明しました。初めからこうした情報が明かされていないと、それに踊らされてしまうことになるわけです。

 

アルファ碁ゼロにもこうした謎がいくつもありました。

①「囲碁未来サミット」の時点で「マスター」バージョンより強い「ゼロ」バージョンがあったのに、サミットでは一言も触れられなかった。

②「ゼロ」はイ・セドルと対局したバージョンに100勝無敗、「マスター」バージョンに89勝11敗と報道。しかし両対局の「ゼロ」のニューラルネットワークの層数は違っており、異なる条件で比較している

③教師あり学習より、教師なし学習のほうが優れているかのようなグラフがあるが、「ゼロ」は教師なし学習にしたこと以外に、大きくシステムを変更した点があった

④「ゼロ」はTPU4個で動いているとされたが、学習時のスペックはTPUを2000個使用していたことがあとで明らかにされた。

 

アルファ碁ゼロの論文の著者は17名に及ぶそうですが、中心となったハサビスさんもAIのすべてを把握しているわけではないそうです。

ディープマインド社はイ・セドル戦の前に論文を公開しましたが、メンバーの中には「手の内をさらすべきではない」と公開に反対する人もいました。

 

こうして見ると「本質的に分からない」ことと「情報が公開されていない」ことは、別の問題であるということが見えてきます。

 

――――――

アルファ碁については、『日経サイエンス』の2018年2月号に加藤秀樹氏の解説が掲載されています。

 

アルファ碁ゼロは自己対戦だけで驚異的な強さに到達しましたが、その学習環境は「個人のソフトウェア環境では700年」「大学の研究室なら数十年必要」というほどのものでした。ディープラーニングを取り入れたら簡単に実現できるというものではありません。

 

また「ゼロ」バージョンには1号と2号があり、1号は「マスター」バージョンのアルファ碁(教師あり学習)の強さには届かなかったそうです。マスターを超えたのは、ディープラーニングの層数を2倍にした2号です。

たしかに「教師なし学習」でも圧倒的な強さに至ったのは衝撃的ですが、そのほうが学習効率が良いなんてわけではないようです。

 

この辺の情報、決して一般向けに知られているとは思えないのですが、そうしたことを抜きにAIのイメージが膨らんでいる気がします。

 

AIという語だけで、よく分からないまま騒ぎ立てるのは、どうなんでしょうか。

この点は、報道の役割も大きいと思います。

 

・・・・・・ねえ、NHKさん?

 

 

ブラック企業の企業名公表制度について

労働法が守られていないという話はよく聞かれるところです。

与野党問わず、あるいは労働法学者にしても、労基法改正については比較的話題に上りやすい一方で、そもそも既存の労働法の実効性をどう高めるか、どう遵守させていくかというのは、あまり関心を集めません。

 

ブラック企業等の課題が認識され、安倍政権が打ち出していることもあって、労働基準監督官による取り締まりや指導が注目されていること自体は良い傾向だと思います。これまではこうした現場の行政が注目されることは多くはありませんでしたから。

 

 

さて、労働法を遵守状況をどう改善していくかという点に関して、政策手段としては大きく2つに分かれます。

1つは伝統的、古典的な手段。行政による指導や取り締まりです。前述したような監督官による指導を増やすというのがこれに当たります。なんども指導を受けても法が守られないなどの悪質な場合は送検・起訴され、使用者には刑事罰が科せられます。

 

もう一つの手段は市場による規制を利用するなど、よりソフト、柔軟な手法を取るものです。前述した伝統的な手段の場合、最終的には刑事罰を科すことになりますので、どうしても硬直的、厳格な運用にならざるを得ません。しかしそれでは柔軟性や迅速性を欠くことになりますので、近年ではよりソフトな手段が注目されています。

 

実効性確保手段の話は鎌田[2017]「労働法の実効性確保」(日本労働法学会編『労働法の基礎理論』所収)などでまとめられているので、ご参照ください。

 

こういった伝統的な手段・ソフトな手段というのは他の行政分野にも当てはまるもので、具体的には、企業名の公表制度、サービスや入札の利用資格停止、ディスクロージャーなどが挙げられます。

 

労働法の分野でいうと、たとえばセクハラは男女雇用機会均等法に基づいて企業名を公表する仕組みがあります。セクハラは労基法に罰則規定がないので、最終的な制裁手段はこのような形になります。*1

労基法違反に関しても、違反を繰り返す企業に対して、ハローワークでの求人不受理や公共工事の入札排除などの措置があります。

 

 求人不受理の話は別のエントリーで書いたので、ここでは企業名公表制度についてまとめておきます。

 

kynari.hatenablog.com

 

 

現在、労基法等の違反について公表する制度は2つあります。

ひとつは送検された企業を対象とするもの。もうひとつは是正指導の段階で公表するものです。

 

どこで公表されているのかちょっと分かりにくいですが、厚労省の「長時間労働削減に向けた取組」というページにある「労働基準法関係法令違反に係る公表事案」というのがそれです。

 

リストの公表は2017年5月に始まっています。掲載期間は概ね1年とされていますが、改善して掲載の必要がなくなった場合は削除されます。たとえば電通の場合、送検されたのが2016年12月28日(起訴は2017年7月5日、有罪確定は同年10月21日)でしたが、今年1月以降のリストには掲載されていません。*2

 

是正指導の段階で企業名を公表する仕組み自体は2015年5月に始まりました。

こちらは送検企業名の公表と違って「社会的に影響力の大きい企業(中小企業は除外)」が対象です。当初の公表基準は、1年以内に3ヶ所以上の事業場で違法な長時間労働が認められた場合となっていました。*3

その後2017年1月に公表基準が緩和され、2ヶ所で違反の事実が確認された場合に、監督署長・局長によって全社的な監督指導が行われて、企業名が公表される仕組みとなりました。(平成29年1月20日付け基発0120第1号「違法な長時間労働や過労死等が複数の事業場で認められた企業の経営トップに対する都道府県労働局長等による指導の実施及び企業名の公表について」)。

以上のように、是正指導段階での企業名公表も、決してハードルが低いとは言えません。最初の公表事例は2016年5月に棚卸代行業のエイジス(千葉市)なので、制度ができてから1年が経過してからのことでした。

 

なお、以上に記したのは、あくまで制度として企業名公表の仕組みができたという話です。前史を語れば、それ以前にも企業名公表が図られたことはありました。

2013年9月の「過重労働重点監督月間」では若者の「使い捨て」が疑われる企業等への重点監督が実施されていますが、「重大・悪質な違反が確認された企業等については,送検し,公表」という方針を採っています(プレスリリース資料、および監督結果)。

 

あるいはもっと遡れば、1975年の一斉監督の際にもやはり「新聞発表等一般広報に関して問題ある個別事業場名等の公表を求められた場合には、監督指導結果等の客観的判断資料に基づき、不良と認められるものについては公表してさしつかえないこと。この場合、関係行政機関との連係にも配慮すること」とされています。*4

  

 

このように早くから企業名を公表する試みは模索されていた部分がありますが、それが企業に対する制裁手段として捉えられていたかは疑問なところがあります。

現に、いまの企業名公表制度でも「当該公表は、その事実を広く社会に情報提供することにより、他の企業における遵法意識を啓発し、法令違反の防止の徹底や自主的な改善を促進させ、もって、同種事案の防止を図るという公益性を確保することを目的とし、対象とする企業に対する制裁として行うものではないこと」とわざわざ記されています。*5

 

それが象徴的に表れているのが、大阪で行われた過労死企業名の公表裁判の結果です。

www.sankei.com

 

 この中で高裁は「会社に過失や違法行為がない事案でも、一般には否定的に受け止められ、ブラック企業との評価を受けて信用が低下することもある」という理由で不開示の判決を出しました。

判決は2012年のものなので、再び訴訟を起こしたら判断は変わるかもしれませんが、少なくとも当時は、過労死を出した企業の名前を公表することも及び腰だったわけです。

 

先般の報道で、裁量労働制を違法に適用したとして特別指導を受けていた野村不動産について、監督の端緒になったのは従業員の過労自死だったことが明らかになりました。

なぜ特別指導が報じられた段階で過労自死についても公表されなかったのかという声もありますが、少なくとも前述した公表基準には該当していないのでしょう。

違法が発覚したとはいえ、送検されたわけではないですし、過労死が出たこと自体は公表基準ではありません。ということは制度上は、野村不動産に特別指導を行ったこと自体、公表されないということさえあり得たわけで。

 

 

(追記)

野村不動産を「特別指導」で公表した経緯は不透明だったわけですが、その事後的な制度化というのか、裁量労働制に限った企業名公表制度として「裁量労働制の不適正な運用が認められた企業への指導及び公表について」が発表されました。

 

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もともとあった3OUTないし2OUTルールと似てるようで違うのがややこしいですね。

f:id:knarikazu:20190207200205p:plain

 

裁量労働制のほうは全社的監督指導は、1事業場でもあれば行なわれると。

でも、逆にいうと厳しくなったのはそれくらいだよね。なんで80時間じゃなく100時間なんでしょう。

 

裁量労働制の公表制度でいう「不適切な運用実態」は、3分の2が対象業務外で、労働時間関係の違反があり、1か月100時間以上の残業(時間外・休日)が条件。

けど、すでにある公表スキームだと1か月80時間超で、労働時間関係違反がある場合。

 

あ、人数が違うのか。

1か月80時間超は10人or4分の1以上。一方で、裁量労働の1か月100時間以上は1人でもいればアウト。

つまり、1か月100時間以上の残業の人が9人以下かつ4分の1未満だった場合は、これまでだと公表されなかったけれども、それが裁量労働の不適切な適用によるものだった場合には公表されるようになる。ただし裁量労働制を「相当数」適用している場合……的な?

 

80時間と100時間で基準が違うのも分かりにくいし、1人でもいれば過労死ライン以上がいたらアウトにするというなら、事業場外みなしだって管理監督者だってありうるのに、なぜ裁量労働制に限るのか。

 

 

 

*1:事業主が厚労大臣の行政指導に従わない場合、均等法30条に基づいて企業名が公表される。なお、この制度による公表が初めて行われたのは、2015年の医療法人「医心会」でのマタハラ事件(朝日新聞9月5日付朝刊「『妊娠で解雇』医院名初公表

*2:2017年4月に起訴された支社の分はまだ掲載されています

*3:平成27年5月18日付け基発0518第1号「違法な長時間労働を繰り返し行う企業の経営トップに対する都道府県労働局長による是正指導の実施及び企業名の公表について」

*4:昭和50年8月22日付け基発489号「有害物質等を取り扱う事業場に対する一せい監督指導の実施について」

*5:平成29年1月20日付け基発0120第1号 「違法な長時間労働や過労死等が複数の事業場で認められた企業の経営トップに対する都道府県労働局長等による指導の実施及び企業名の公表について」

裁量労働制で働く労働者数が分からないのって、集計してないだけでは?

今しがたの国会で、裁量労働制を適用されている労働者数は何人いるかという質問がされました。

それに対する答弁は、企画業務型裁量労働制については定期的な報告*1があるから把握しているけれど、専門業務型についてはそのような報告がないから分からない、というようなものでした。*2

 

でもこの答弁、おかしいと思うんですよね。裁量労働制が適用されている労働者数が分からないのって、集計してないだけなんじゃないかと。

だって専門業務型裁量労働制の協定届の様式には、「該当労働者」を記載する欄がありますから。届出は労働基準監督署に提出が義務付けられていますから、集計しようと思えば可能です。*3

 

専門業務型裁量労働制に関する協定届|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ

http://shinsei.e-gov.go.jp/search/servlet/FileDownload?seqNo=0000421156

 

 

以前書いたエントリーでも紹介しましたが、東京労働局が過去に裁量労働制の導入状況を集計しています。その時はちゃんと対象労働者の数を集計しています。

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ちなみに以前まとめた記事は↓

kynari.hatenablog.com  

kynari.hatenablog.com

 そもそも裁量労働制の拡大をこれまで議論してきたのですから、裁量労働制をどれくらいの事業場が導入していて、昔と比べてどの程度増えているのかというような基礎的なデータは、当然把握しているだろうと考えるのが一般的な感覚だと思いますが。

実際のところ、基本的事項もちゃんと議論されているのでしょうか。

 

 

 

*1:専門業務型裁量労働制は決議をしてから6か月以内ごとに労基署に運用状況を報告することが義務付けられている

*2:企画業務型は7万4千人?と答えていました。ちゃんとメモしていないので正確な数字は聞き漏らしましたが

*3:ちなみに労使協定の有効期限は3年以内が望ましいとされています