ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

CLANNADは人生というか、宗教だなと思った話。

テレビアニメ「CLANNAD」の一挙放送がニコ生でありました。ニコ生一挙は初だそうですね。かくいう自分も初めて視聴しました。

 

live.nicovideo.jp

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CLANNADは人生」という文句も誕生するのも頷けるくらい。単なる学園ハーレムものの域を遥かに凌駕している。

 

ただ個人的には「人生」というよりも、「宗教」のような部分を感じました。(決してネガティブな意味ではありません)

熱心なファンのことを「信者」と喩えることがありますが、この作品はそれが余計当てはまるように思える。

アニメのストーリーとしては21話の時点で終わっていてもおかしくないわけです。むしろそのほうが、ある種の完成度は高いと言えるかもしれません。(もちろん、それでは光の玉の伏線とかが回収されませんが)

ただ、最終話に当たる22話で「救済」「奇跡」が描かれるわけです。この「奇跡」は見ている人にとっては「?」で、不要・余分な部分かもしれません。そういう世界観を受け入れにくい人もいると思います。ですがこういう世界観を受け入れられる人、信じたい人にとってはまさしく「救済」でしょう。

それは視聴者が(あるいは制作者も)見たかった、信じたかった世界。「CLANNADは人生」と言う人は、やはりこの部分も含めてこそ「人生」なのでしょう。

 

もうひとつ宗教っぽいと感じたのは、この作品が人間の可塑性を描いているように思ったからです。

私は、宗教というのは人間の可塑性を信じる世界だと思ってます。悪人正機説なんて凄い考え方ですよね。悪人こそが救済されるべきなんていう……

話を戻すと、この作品の主人公・朋也は不良的なポジションとして描かれていたわけです。それがヒロイン・渚と出会うことで変わっていく。その後も挫折に直面しますが、周りの助け、人の絆によって乗り越えていきます。最初はクソオヤジにしか見えなかった父親の存在すら、見方が変わるのです。

 

これはボーイ・ミーツ・ガールの定型かもしれませんが、そういう部分を丁寧に描いている。ダメな人間が色々な人間と交わり、生きがいを得て、立派な人間になっていく。周囲との関係性が大事で、決して努力して困難を乗り越えるみたいな話ではない。でもだからこそ、最後の「救い」を期待してしまうし、心地よく受け入れられる。

 

この作品が多くの「信者」を生み出してしまうのも、分かる気がします。