ぽんの日記

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労働基準監督官の人数を巡る混乱

労働基準監督官は何人いるのか

労働基準監督制度について調べていると、ほぼ必ずと言ってよいほど、監督官の人手不足の話が出てくる。国際的に見て、あるいは全国の事業場数と比べて、監督官の数が足りていないという。

では、どれくらい人が足りていないのか。その話をするには監督官の人数が現在何人なのかを知るのが前提となる。しかし人数を巡る言説を見ていくと、意外とこの点が混乱しているようなので(私が混乱しているだけかもしれないが)、以下整理しておきたい。

 

4千人か3千人か

労働基準監督官は全国で4千人弱である。これは厚生労働省が毎年出している『労働基準監督年報』(以下『監督年報』と表記する)に記載されている数字で、2015年度は3,969人となっている。

ところが新聞報道などでは監督官は3千人と報じられることが多い。

 

先ごろ、監督官OBを雇用して監督体制を強化するとの報道が日経新聞朝日新聞でなされた。記事内で監督官について説明しているが、労働基準監督官の数は両記事とも「約3千人」としている。

 

日経新聞(2018年1月10日)*1

 ▼労働基準監督官 「司法警察官」として強制捜査権を持つ厚生労働省の専門職員。労働基準法などが定める基準を事業主に守らせるのが役目で、残業代の未払いや工場・建設現場の安全対策など扱う労働問題は多岐にわたる。2017年度の定員は約3000人で、各都道府県の労働局や労働基準監督署などに勤務している。

 朝日新聞(2018年1月11日)*2

監督官は厚労省の専門職員で、全国の労働基準監督署などに約3千人いる。

 

4千人弱と約3千人とでは大きく違う。どちらかが誤りなのだろうか。

 

どこまでを「監督官」としてカウントするか

結論を先取りする形で述べると、「監督官」の範囲をどのように設定するかで人数が変わってくる。このあたりの前提が実はあまり共有されていないのではないかと思われる。

 

監督官の数に相違があるのは、監督官全体の人数と、そのうち実際に監督業務に従事する人数が異なるためである。

 

まず組織面から見よう。

監督制度は、中央の厚生労働省都道府県ごとの労働局、そしてその下に設置されている労働基準監督署という3層の組織からなる。このうち第一線機関として現場に最も近いのが労働基準監督署で、全国で321署(プラス4支署)ある。

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もちろん労働基準行政を担うのは監督官のみではない。監督業務に従事するのは監督官だが、そのほかにも労働安全衛生業務に従事する技官、労災補償業務に従事する事務官などの職員がいる。

傾向としては、全体の職員数が減らされている一方で、監督官については増員が続いている。とくに近年は「新人事制度」が始まったことにより、技官・事務官の採用をやめ、その仕事に監督官を登用するようになった。したがって監督官の数は増えていても、労働行政全体としては拡充されているとは言えず、その点が批判されている。

 

閑話休題

監督官は中央レベルの厚生労働省都道府県レベルの労働局にも勤務している。だが職場に立ち入って監督指導を行うのは、基本的に監督署である。したがって「監督官」の人数としては、監督署に勤務している監督官の数が、より実態に近いと言えるだろう。

2015年の『監督年報』によれば、監督官の定員は本省勤務が40人、都道府県労働局が710人、労働基準監督署勤務が3,219人となっている。新聞報道等で報じられる数字は、「監督署に勤務する監督官」の数を基にしているのだろう。

この点から言うと新聞の表現はやや誤解を招く。「2017年度の定員は約3000人で、各都道府県の労働局や労働基準監督署などに勤務(日経新聞)」という表現は、前半と後半で意味が食い違っている。監督官が労働局にも勤務しているのは間違っていないが、約3千人の定員というのは労働局の定員を除いた数である。これはミスリーディングな書き方と言えるだろう。

 

より狭義の「監督官」

話がこれで済めば良いのだが、監督官の数について述べる言説の中には、さらに狭義の監督官が登場する。すなわち「監督署に勤務している監督官」のうち、「日常的に監督業務に従事している監督官」の数はもっと少ないというわけである。

たとえば、監督署の署長は監督官が就くことになっているし、安全衛生や労災補償の業務に就く監督官も存在する。こういった監督官は監督業務以外の仕事をこなすことが多く、「日常的に監督業務に従事している監督官」からは除かれる。

 

具体的に発言を見てみよう。

労働省労働組合中央執行委員長である森崎[2015]は次のように述べている*3

監督官の数は、平成21年度の数字ですが2941人です。内訳は本省に23人、労働局に444人、監督署に2474人。/本省と労働局の監督官は基本的に臨検監督に従事していない。さらに監督署の2474人の中には管理職員のほか、安全衛生、労災補償の業務に専ら従事していたり、新任研修中の職員も含まれるので日常的に臨検監督に従事している職員は、私の推計では全国で1500人くらいではないかと思います。

 

雑誌『POSSE』での座談会においても、現役の監督官が匿名で次のように述べる*4

組織としては47の都道府県労働局と325の監督署を持ち、監督官の人数は3千人ほどです。ただし、その中でも労災補償、安全衛生、適用徴収や総務等の部門に就いている監督官も相当数いますので、実際に日常的に監督業務を行っているのはそのうちの半分程度、1500人ほどになります。

 

以上の発言を参照すれば、日常的に監督業務を担っているのは1,500人ほどということらしい。管理職やその他の業務に就く監督官の数は正確には分からないようで、概算の数字となっている。

 

数字の出所はどこか

さて、重要なのは数字の出所である。

森崎は全体の監督官の人数を2,941人としており、うち監督署所属は2,474人である。『監督年報』では全体で4千人弱、監督署の監督官は約3千人だった。平成21(2009)年の監督署の監督官数は3,104人である。2,474人と3,104人では2割以上数字が違う。これはどのように解したらよいだろうか。

 

森崎[2015]の示す数字は、省内事業仕分けで提出された資料と同じものだ*5。労働基準監督業務は2010年に省内事業仕分けの対象として議論されており、監督業務の説明資料のなかで「監督業務人員」の数が示されている*6。「監督業務人員」が監督官とどう異なるのかは具体的には説明されていない。この省内事業仕分けの資料を作成する際の元となったデータがあるはずだが詳しくは分からない。厚生労働省に問い合わせたところ、原資料は残っていないとのことだった。

 

2通りの解釈

森崎あるいは省内事業仕分けの数字と、『監督年報』の数字はどうして異なっているのか。

 

さしあたり2つの可能性がある。ひとつは『監督年報』の数字は定員であり、省内事業仕分けの資料は現員を示しているということ。もうひとつは、省内事業仕分けの数字はすでに安全衛生や労災補償業務に就く監督官の数を除いた数字なのではないかということだ*7

 

前者の解釈も十分ありうるが、本当にそんな現状なのだろうか。その場合、定員の2割が未充足ということになってしまう。しかしそのような定員割れが生じているのであれば、もっと問題化しているはずだ。監督官の人手不足を嘆く声は多々あるのに、監督官が定員に達していないという話は聞かない。もし監督官を増員したいのであれば、まず「定員を充足しろ」と訴えたほうが訴求力がありそうなものだ。そうなると前者の解釈はちょっと不自然だ。

 

ならば後者の解釈を採るべきか。しかし数字の出所がはっきりしないとやはり断定はしがたい。

 

規制改革会議での議論

ヒントとなるのは規制改革推進会議での議論だ。昨年(2017年)、監督官の人手不足を背景に、労働基準監督業務の民間活用タスクフォースが設置された。その議論の場で労働基準監督官の人数についても取り上げられている。

 

2010年の省内事業仕分けでの資料と違い、この議論では『監督年報』の数字を監督官の数として引用している。興味深いのはその説明である。

委員の一人である八代氏が、引用されている数字は安全衛生等の業務に就く監督官の数を含んでいて、実際に臨検監督に赴く監督官の数はもっと少ないのではないか、と質問しているのだ。

 

以下はその質問に対する回答である。

○土屋大臣官房審議官

これは労災業務とか安全衛生の業務にはかかわらない、監督業務そのものにかかわっている監督官の数でございます。労災とか安全衛生については、そういう意味では3,241人[引用者注―2016年度の人数]とは別の定員の中で対応している状況でございます。

ただ、今、状況としてあるのは、・・・(略)・・・労働基準行政全体としての質の向上を図るという観点も含めて、・・・(略)・・・監督官という試験で合格をして、その立場を持っている方が労災保険の業務をやるし、安全衛生の業務をやるということでやってきているところがございますので、八代主査がおっしゃられたことは、そのことのお話ではないかと思いますが、ただ、先ほど来申し上げておりますように、3,241という数字は監督業務に専念をしている監督官の方の数でございます。

 

引用中の3,241人という数字は、監督署に所属する監督官の数である。そしてこの数字は確かに管理職の数字を含んではいる。しかしそれは「プレイングマネージャー」であって、監督業務を行っているし、安全衛生や労災補償業務の従事するのは別にいるとはっきり明言している。

国側の説明なので留保は必要かもしれないが、この説明に従えば『監督年報』に記載されている監督官の数は、「監督業務に専念している監督官」の数である。

 

資格と業務の混同か

では前述の森崎[2015]の意味はなんだったのだろう。

それは、監督業務以外の業務についている職員についても監督官とカウントできるために生ずる誤解ではないだろうか。

 

監督官は労働基準監督官試験を経て採用される。しかし「新人事制度」などに見られるように、監督官試験によって採用されても実際には労災補償などの業務に就く職員も存在する。この職員は監督官試験に合格しているのだから、監督官になれる資格を有していると言える。ただし従事している仕事は監督業務ではない。

「資格の意味での監督官」「業務の意味での監督官」では前者のほうが人数が多くなる。後者になるためには前者であることが必要条件だからだ。

規制改革会議での説明によれば『監督年報』の数字は後者を指す。一方で「実際に日常的に監督業務を行っているのはそのうちの半分程度」と言うときの監督官とは前者を念頭に置いているのではないだろうか。

以上は筆者の憶測に過ぎない。政府側が誤認識をしている可能性もある。

 

既往研究では

とはいえ、ひとまず『監督年報』の数字は「監督業務に専念している監督官」の数だと想定しよう。

 

では『監督年報』と省内事業仕分けの資料の数字の差はなにを表しているのか。

 

直接の手掛かりがないので、類推して迫ってみよう。

これまでにも既往の研究において、実際に現場で監督にあたる監督官の数は公表されている数字よりも少ないのではないかとの指摘は、たびたびなされてきた。

それは特別会計による定員の分を除いたり、役付の監督官を除外したりといったものだった。古い研究になるが、紹介しておこう。

小椋[1967]は、

実際に監督業務にたずさわる労働基準監督署所属の監督官は定員の半数以下(昭和40年は1,178人)で、その全員が監督業務を行なっているものではないというから、実情のほどがうかがわれよう。

と述べている*8この「1,178人」は監督署に所属する監督官のうち、一般会計予算による定員である(特別会計は578人)。定員の半数以下と書いているのは、本省や労働基準局も合わせた定員が一般会計・特別会計合計で2,598人であるからである。

 

また春山[1979]では次のように記している*9

本年4月現在では、地方局署の一般会計所属(労災保険特別会計所属をべつにして)監督官で、地方労基局所属と署長を除いたいわゆる第一線監督官1226名が、一人当たり2539事業場、約3万人の労働者の最低労働条件確保監視の任務をもたされている(特別会計所属監督官も一部監督にあたるが、一般会計監督官の非監督業務と相殺)。

署長の数を除いているので、春山の言う「第一線監督官」は小椋の数字よりさらに限定された定義である。

『監督年報』によれば、当時の一般会計所属の監督署監督官の定員は1574人となっている。春山の挙げる1,226人というのは、それより348人少ない。348という数字は当時の労働基準監督署の数である。

 

署長を除くのは、管理業務等が含まれるので監督に専念しないからであろう。

元監督官の井上[1979]も「役付きの洪水」に苦言を呈している*10

某大都市の某署の1951年5月16日現在の職員巣は36名であったが、その中の役付きは署長1のほかは課長4の合計5名であった。すなわち身軽な平職員は31名であり、そのなかには監督官11名が含まれていた。ところが本年4月1日現在の同署の状況をみると、職員総数が40名のうち署長1、次長1、課長同格の方面主任監督官4、課長3、係長5、係長同格の専門官など9の合計23名の役付き職員がいることになっている。平職員は半分以下のわずか17名である。もっとも自由に活動できるはずの平監督官は51年当時の11名からわずか4名に激減している。つまり役付きの洪水である。

平職員が31名(うち監督官11名)だったのが、1979年には平職員が17名(うち監督官4名)になってしまったという。

 

『監督年報』には職階ごとの職員数は記載されていないが、『所管業務概況』という資料からそれを拾うことができる*11。1982年度の職名別の定員を見ると、監督官は全3,202人、うち一般会計は2065人、監督署に勤務する一般会計監督官は1597人である。署長、課長、係長、専門官などを除き、「労働基準監督官」としてだけ示されている一般会計監督官の数字を見ると、894人である。これが一般会計の監督署所属の平の監督官の数ということになる。全体の監督官定員の3割に満たない。

 

監督実施監督官数

さらに資料を遡ると、1955年までの『監督年報』では「監督官現員数」「監督実施監督官数」のデータを拾うことができる。

現員数は定員数に及ばないがその差は数%である。

一方で、監督実施監督官数は現員数の半分程度である。これは「特別会計所属の監督官(労災保険業務を担当する)担当業務の性質上一般会計所属の監督官なみの監督実施が困難であり、また一般に役付の監督官も一般監督官なみに監督を行うことが若干制限をうけること等の事情による」と説明されている*12。また「特別会計の監督官及び休職中の監督官を除いた一般会計所属の監督官現員についてみると、約85%が毎月監督を実施している」とある*13

 

残念ながら現員数や監督実施監督官数はその後掲載されなくなった。会計別の監督官の定員についても『監督年報』で公表されているのは1990年までである。1990年は監督署勤務の監督官は一般会計1,524人、特別会計935人であり、4割弱が特別会計所属となっている。

 

まとめ

結論らしい結論が出ていないがまとめる。

 

現在の労働基準監督官の数について、2系統のデータが存在している。ひとつは『監督年報』、もうひとつは省内事業仕分けの資料(の原資料)である。前者は定員数であり、後者は「監督業務人員」と表記されている。数字は後者のほうが2~3割少ない。

昨年の規制改革会議では前者に依拠する資料が用いられた。その際、安全衛生等の業務を含まず、「監督業務に専念している」監督官の数だと説明された。

後者の数字は、前掲の森崎が引用しており、全労働省労働組合の『労働行政の現状』も同一ソースを元にしていると考えられる。『監督年報』の数字より少ない理由はいずれも説明していない。むしろ日常的に監督業務に従事している人員はさらにその半数程度だと説明している。

 

従来であれば会計別に人数が公表されていたので、それに基づいて議論がなされていたが、現在では公表されていないので推測の程度が強くなっている。1955年までのように「監督実施監督官数」が明らかにされていれば、もっと事態は明瞭であろう。

政府側の説明も、現場の監督官側の説明も、誤解を含んでいるか、正確な説明をしていないように思われる。

 

なお、監督官数の推移についても取り上げる予定だったが、長くなったのでそれについては別稿に譲りたい。

 

参考

井上浩[1979]「労働基準監督官と労基行政」『月刊労働問題』268号、pp.37-44

小椋利夫[1967]「監督行政」日本労働法学会編『新労働法講座』第8巻,pp.279-295

春山明[1979]「労働基準行政の役割と問題点」『月刊労働問題』268号、pp.30-36

森崎巌[2015]「労働基準行政の現状と課題」『月刊労働組合』2015年6月号

 

監督官および弁護士との対談記事

労基法はなぜ守られないか」『POSSE』vol.25、2014年、pp.27-42

 

労働省『労働基準監督年報』(最近5年分はHPに掲載

同『所管業務概況』 

 

省内事業仕分け

  http://www.mhlw.go.jp/jigyo_shiwake/past_index.html

規制改革推進会議「労働基準監督業務の民間活用タスクフォース」

  http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/meeting.html

*1:日本経済新聞2018年1月10日付朝刊 34面「労基監督官、OBを雇用、不足に対応、違法残業の監視強化、18年度から最大50人。」

*2:朝日新聞2018年1月11日付朝刊5面「OBを非常勤雇用 労働基準監督官、人手不足 厚労省

*3:『月刊労働組合』2015年6月号p.39

*4:POSSE』vol.25、2014年、p.28

*5:ただし平成21年度ではなく、22年度のものだが。これは森崎の引用ミスと考えられる

*6:第15回省内事業仕分けを参照

*7:この場合、前掲の森崎や監督官の発言は誤解を含んでいることになる

*8:日本労働法学会編『新労働法講座』第8巻、p.289

*9:『月刊労働問題』268号、p.32

*10:『月刊労働問題』268号、pp.42-3

*11:国立国会図書館に1973、75、76、79、80、81年発行の分が所蔵されている。

*12:『監督年報』1955年p.62

*13:同前