労働法が守られていないという話はよく聞かれるところです。
与野党問わず、あるいは労働法学者にしても、労基法改正については比較的話題に上りやすい一方で、そもそも既存の労働法の実効性をどう高めるか、どう遵守させていくかというのは、あまり関心を集めません。
ブラック企業等の課題が認識され、安倍政権が打ち出していることもあって、労働基準監督官による取り締まりや指導が注目されていること自体は良い傾向だと思います。これまではこうした現場の行政が注目されることは多くはありませんでしたから。
さて、労働法を遵守状況をどう改善していくかという点に関して、政策手段としては大きく2つに分かれます。
1つは伝統的、古典的な手段。行政による指導や取り締まりです。前述したような監督官による指導を増やすというのがこれに当たります。なんども指導を受けても法が守られないなどの悪質な場合は送検・起訴され、使用者には刑事罰が科せられます。
もう一つの手段は市場による規制を利用するなど、よりソフト、柔軟な手法を取るものです。前述した伝統的な手段の場合、最終的には刑事罰を科すことになりますので、どうしても硬直的、厳格な運用にならざるを得ません。しかしそれでは柔軟性や迅速性を欠くことになりますので、近年ではよりソフトな手段が注目されています。
実効性確保手段の話は鎌田[2017]「労働法の実効性確保」(日本労働法学会編『労働法の基礎理論』所収)などでまとめられているので、ご参照ください。
講座 労働法の再生 第1巻 労働法の基礎理論 [ 日本労働法学会 ]
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 社会 > 労働
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 3,780円
こういった伝統的な手段・ソフトな手段というのは他の行政分野にも当てはまるもので、具体的には、企業名の公表制度、サービスや入札の利用資格停止、ディスクロージャーなどが挙げられます。
労働法の分野でいうと、たとえばセクハラは男女雇用機会均等法に基づいて企業名を公表する仕組みがあります。セクハラは労基法に罰則規定がないので、最終的な制裁手段はこのような形になります。*1
労基法違反に関しても、違反を繰り返す企業に対して、ハローワークでの求人不受理や公共工事の入札排除などの措置があります。
求人不受理の話は別のエントリーで書いたので、ここでは企業名公表制度についてまとめておきます。
現在、労基法等の違反について公表する制度は2つあります。
ひとつは送検された企業を対象とするもの。もうひとつは是正指導の段階で公表するものです。
どこで公表されているのかちょっと分かりにくいですが、厚労省の「長時間労働削減に向けた取組」というページにある「労働基準法関係法令違反に係る公表事案」というのがそれです。
リストの公表は2017年5月に始まっています。掲載期間は概ね1年とされていますが、改善して掲載の必要がなくなった場合は削除されます。たとえば電通の場合、送検されたのが2016年12月28日(起訴は2017年7月5日、有罪確定は同年10月21日)でしたが、今年1月以降のリストには掲載されていません。*2
是正指導の段階で企業名を公表する仕組み自体は2015年5月に始まりました。
こちらは送検企業名の公表と違って「社会的に影響力の大きい企業(中小企業は除外)」が対象です。当初の公表基準は、1年以内に3ヶ所以上の事業場で違法な長時間労働が認められた場合となっていました。*3
その後2017年1月に公表基準が緩和され、2ヶ所で違反の事実が確認された場合に、監督署長・局長によって全社的な監督指導が行われて、企業名が公表される仕組みとなりました。(平成29年1月20日付け基発0120第1号「違法な長時間労働や過労死等が複数の事業場で認められた企業の経営トップに対する都道府県労働局長等による指導の実施及び企業名の公表について」)。
以上のように、是正指導段階での企業名公表も、決してハードルが低いとは言えません。最初の公表事例は2016年5月に棚卸代行業のエイジス(千葉市)なので、制度ができてから1年が経過してからのことでした。
なお、以上に記したのは、あくまで制度として企業名公表の仕組みができたという話です。前史を語れば、それ以前にも企業名公表が図られたことはありました。
2013年9月の「過重労働重点監督月間」では若者の「使い捨て」が疑われる企業等への重点監督が実施されていますが、「重大・悪質な違反が確認された企業等については,送検し,公表」という方針を採っています(プレスリリース資料、および監督結果)。
あるいはもっと遡れば、1975年の一斉監督の際にもやはり「新聞発表等一般広報に関して問題ある個別事業場名等の公表を求められた場合には、監督指導結果等の客観的判断資料に基づき、不良と認められるものについては公表してさしつかえないこと。この場合、関係行政機関との連係にも配慮すること」とされています。*4
このように早くから企業名を公表する試みは模索されていた部分がありますが、それが企業に対する制裁手段として捉えられていたかは疑問なところがあります。
現に、いまの企業名公表制度でも「当該公表は、その事実を広く社会に情報提供することにより、他の企業における遵法意識を啓発し、法令違反の防止の徹底や自主的な改善を促進させ、もって、同種事案の防止を図るという公益性を確保することを目的とし、対象とする企業に対する制裁として行うものではないこと」とわざわざ記されています。*5
それが象徴的に表れているのが、大阪で行われた過労死企業名の公表裁判の結果です。
この中で高裁は「会社に過失や違法行為がない事案でも、一般には否定的に受け止められ、ブラック企業との評価を受けて信用が低下することもある」という理由で不開示の判決を出しました。
判決は2012年のものなので、再び訴訟を起こしたら判断は変わるかもしれませんが、少なくとも当時は、過労死を出した企業の名前を公表することも及び腰だったわけです。
先般の報道で、裁量労働制を違法に適用したとして特別指導を受けていた野村不動産について、監督の端緒になったのは従業員の過労自死だったことが明らかになりました。
なぜ特別指導が報じられた段階で過労自死についても公表されなかったのかという声もありますが、少なくとも前述した公表基準には該当していないのでしょう。
違法が発覚したとはいえ、送検されたわけではないですし、過労死が出たこと自体は公表基準ではありません。ということは制度上は、野村不動産に特別指導を行ったこと自体、公表されないということさえあり得たわけで。
(追記)
野村不動産を「特別指導」で公表した経緯は不透明だったわけですが、その事後的な制度化というのか、裁量労働制に限った企業名公表制度として「裁量労働制の不適正な運用が認められた企業への指導及び公表について」が発表されました。
もともとあった3OUTないし2OUTルールと似てるようで違うのがややこしいですね。
裁量労働制のほうは全社的監督指導は、1事業場でもあれば行なわれると。
でも、逆にいうと厳しくなったのはそれくらいだよね。なんで80時間じゃなく100時間なんでしょう。
裁量労働制の公表制度でいう「不適切な運用実態」は、3分の2が対象業務外で、労働時間関係の違反があり、1か月100時間以上の残業(時間外・休日)が条件。
けど、すでにある公表スキームだと1か月80時間超で、労働時間関係違反がある場合。
あ、人数が違うのか。
1か月80時間超は10人or4分の1以上。一方で、裁量労働の1か月100時間以上は1人でもいればアウト。
つまり、1か月100時間以上の残業の人が9人以下かつ4分の1未満だった場合は、これまでだと公表されなかったけれども、それが裁量労働の不適切な適用によるものだった場合には公表されるようになる。ただし裁量労働制を「相当数」適用している場合……的な?
80時間と100時間で基準が違うのも分かりにくいし、1人でもいれば過労死ライン以上がいたらアウトにするというなら、事業場外みなしだって管理監督者だってありうるのに、なぜ裁量労働制に限るのか。
*1:事業主が厚労大臣の行政指導に従わない場合、均等法30条に基づいて企業名が公表される。なお、この制度による公表が初めて行われたのは、2015年の医療法人「医心会」でのマタハラ事件(朝日新聞9月5日付朝刊「『妊娠で解雇』医院名初公表」
*2:2017年4月に起訴された支社の分はまだ掲載されています
*3:平成27年5月18日付け基発0518第1号「違法な長時間労働を繰り返し行う企業の経営トップに対する都道府県労働局長による是正指導の実施及び企業名の公表について」
*4:昭和50年8月22日付け基発489号「有害物質等を取り扱う事業場に対する一せい監督指導の実施について」
*5:平成29年1月20日付け基発0120第1号 「違法な長時間労働や過労死等が複数の事業場で認められた企業の経営トップに対する都道府県労働局長等による指導の実施及び企業名の公表について」