ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

家電が便利になっても、家事が楽になるとは限らない

 予備校講師としてテレビでも有名な林修さんが「『家事はきちんと』なんて無視していい」という主旨の問題提起をして、共感の声が多くあったそうです。

 

news.careerconnection.jp

 

番組自体は拝見していないのですが、求められる水準が高くなってしまうせいで楽になれないという現象は、実際あるように思います。

 

家電製品などがどんどん進歩しているのに、どうして家事が楽にならないのか、ということを歴史的に考察している本に『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』があります。

 

家事労働も労働のひとつですので、ここでは技術革新と労働の関係について一般的に言われていることをまとめておきましょう。

 

工場などの生産現場で、新しく便利な機械が導入されたとしても、労働が楽になるとは限りません。その理由としては以下のようなものが挙げられると思います。

①生産性は向上したが、その分人員が削減されて、残った人に仕事が集中した

②仕事に必要だった熟練した技術や専門性が、それ以前と比べて要らなくなった。そのかわり、1人で多くの種類の仕事をこなさなければならなくなった(多能工化)

③機械の自動化が進んだ分、自律的なペースではなく、機械のペースに合わせて仕事をしなければならなくなった。

④作業が容易になった分、求められる仕事の成果・水準が高くなった

 

以上は労働と技術革新の関係について指摘されることですが、家事労働の場合にも妥当する点がいくつかあります。

家事自体は楽にできるようになった代わりに、夫や子どもがあまり家事を手伝わなくなり、妻に分担が集中してしまう、というようなことは①に当てはまりますね。前述の本でも、それまで男性が家で担っていた力仕事等が市場サービスに置き換わる一方で、妻の仕事はなかなかそれが進まない例が出てきます。

 

テレビ番組で話題に上ったのは④だと思います。

『お母さんは忙しくなるばかり』でも、電気洗濯機の例が語られます。そもそも洗濯が重労働だった時代なら、頻繁に洗濯する自体ができません。しかし洗濯機の登場でそれが容易になると、衛生・清潔さが求められるようになった結果、洗濯回数が増えることになりました。そのため、洗濯にかける時間そのものは、それほど減少しなかったと言います。

 

技術革新の成果をどのように取り入れるかについては、社会や個人の選択によるところもあります。

家事労働ひとつとっても、技術革新さえ進めば楽になるとは必ずしも言えないのだと思います。