本書の著者は近代文学の研究者。執筆時の肩書は京都橘大学教授となっている。
冒頭の記述に気を引かれたので引用しておく。
・・・(略)・・・三〇年前、(差別的な意味での)「マンガ」と馬鹿にされていた村上春樹は今や日本を代表する「純文学」作家になってしまい、ノーベル文学賞候補の常連と目されるようになった。・・・・・・/それはともかく、このような村上春樹の「大化け」は私たちを一つの仮説へと導くことになる。それは「今はマンガのように見えている物語もひょっとしたら三〇年後、大化けとまではいかないにしても小化けくらいはするのではないか」という仮説だ。
通俗小説とバカにされていた村上春樹が純文学の旗手とみなされるようになったように、アニメやラノベ、BLも劇的に社会的地位が高くなるかもしれない。
現に本書では、日本近代文学を専門とする大学教授の著者が京アニ作品を読み解いている。アニメもいずれ「文学」研究の対象となるのだろうか。
本書の目次は以下の通り。
Ⅰ 思春期のゆくえ『涼宮ハルヒの憂鬱』
涼宮ハルヒはなぜ憂鬱なのか
セカイ系との距離
キョンの語り――個性と没個性の転倒
日常の発見
Ⅱ 「居場所」と「承認」の物語『CLANNAD―クラナドー』『けいおん!』『Free!』
「居場所」という救済への道筋
部活という絆
競わないスイマーたち
「さとり」たちのゲマイン・シャフト
「居場所」のゆくえ
Ⅲ 中二病という名の孤独『中二病でも恋がしたい』
優しさの構造
孤独をめぐる病
中二病という共同体
Ⅳ いまどきの教養小説(ビルディング・ロマンス)『響け! ユーフォニアム』
自由と責任というリスク
他人にはない「特別」な価値を実現する生き方
教養小説としての「脱さとり」
あとがき
近代文学の研究者だからか、読解はシンプルで分かりやすい。評論家のようなものとはちょっと違って、裏の意味を捉えるとか、ひねった見方をしているという風ではない。良い意味で、国語の教科書で教えてもらったような気分になれる。
本書は2016年11月発行なので当然だが、放送中の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』などはどのように読み解かれるだろうかとかは少し気になる。
上の4つの分類でいうとⅡの「居場所」「承認」の物語が比較的近いだろうか。
しかしヴァイオレットの物語はクラナドやけいおん、Freeで描かれたような家族愛や友情、絆、「優しい関係」のテーマとは異なるものだ。クラナドは家族の愛を知らなかった主人公がその居場所を見つける。けいおんは「優しい関係」の幸福感。*1
ヴァイオレットは愛や美しいという言葉さえ知らなかった彼女が、そうした感情を学んでいくストーリー。愛の意味を知りたいというのが主題にあり、自動手記人形という他人とのコミュニケーションが肝になる仕事をしている点では、居場所や関係性の物語とも言える。だが描かれ方はもっと内面的な部分に重きがあるように思える。
これは「特別」になりたいという熱病に侵されたユーフォの話とも違う。ヴァイオレットは「特別」になりたいわけではなく、人間ならごく普通に知っている感情を知りたいだけなのだ。
自動手記人形はもともとは代筆を行ってくれる機械仕掛けの人形を指す言葉だった。それが代筆業の人間を指す言葉としても使われるようになった。同時に、人が行う代筆の仕事は、単に代筆をこなせばよいのではなく、感情の機微を読み取ったり気を利かせたりする能力が必要とされるものとなった。
ヴァイオレットは道具と呼ばれていたことからも分かるように、最初は「人形」に近かった。それが自動手記人形の仕事を通じて「人間」らしくなっていく。
大事なことは「愛を知る」という行為が代償を伴って描かれている点だろう。
ヴァイオレットは元軍人である。「人形」であれば罪の意識に苛まれることはなかった。しかし「人間」っぽくなるにつれて、自分が過去犯してきた行為を自覚していくようになる。
単に「愛の意味を知る」というのを描いているのではない。愛を知るというのは、同時にその苦しみを知るということでもある。愛や居場所を得ることを手放しで称賛はしていないのだ。
それでもこの物語は愛を肯定する。「愛を知る」ことで罪の意識や苦しみを背負うことになったとしても、それでも愛を希求するというのがこの話の主軸にある。*2
これはヴァイオレットという「特別」な話ではない。たしかにヴァイオレットの境遇は「特別」かもしれない。しかし感情の深い意味を知っていくことで傷ついてしまうということ自体は、だれにでもあることだ。この作品はヴァイオレットにスポットライトを当てることで、その側面によりクローズアップしていると言える。