ぽんの日記

京都に住む大学院生です。研究とは関係ないことも気ままに書いていきます。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

労基署は「中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施する」ことになるのか――是正基準方式

実態を考慮?

いわゆる「働き方改革」法案について、厚労省が法案を一部修正する方針が報じられました。

mainichi.jp

また、残業時間の上限規制について、労働基準監督署が中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施するという内容を盛り込む。法案では残業時間の上限は繁忙期でも月100時間未満で、違反すると企業に罰則が科せられるため、従業員が少ない中小企業では仕事が回らなくなるという懸念が出ていた。
残業時間の上限規制について、労働基準監督署が中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施するという内容を盛り込む。法案では残業時間の上限は繁忙期でも月100時間未満で、違反すると企業に罰則が科せられるため、従業員が少ない中小企業では仕事が回らなくなるという懸念が出ていた。

 上記記事の中で

残業時間の上限規制について、労働基準監督署が中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施するという内容を盛り込む。法案では残業時間の上限は繁忙期でも月100時間未満で、違反すると企業に罰則が科せられるため、従業員が少ない中小企業では仕事が回らなくなるという懸念が出ていた。

残業時間の上限規制について、労働基準監督署が中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施するという内容を盛り込む。
残業時間の上限規制について、労働基準監督署が中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施するという内容を盛り込む。

 という部分は少し気になるところです。この記述の仕方だと、法律のなかに「盛り込む」ということですよね? いやさすがにそれは……

 

ツイッターでも早速ツッコまれています。

 

https://twitter.com/zenrododaiki/status/975157995821613056

 「中小企業の実態を考慮する」というのはかつての「是正基準方式」を思い起こさせます。この当時も労働法学者らによって批判されていたはずです。

 

是正基準方式

是正基準方式とは何か。

「監督行政から指導行政の転換」などとも呼ばれました。1956年の方針転換によって、行政運用のレベルで労働基準法が事実上規制緩和されたのです。

 

まず1956年度の労働基準行政運営方針において「監督の効果が忍耐と手数の上に築き上げられることを認識して、具体的妥当性ある法の運用により、違反の実態と原因を把握して、労使の納得と協力を得る指導的監督を実施する」(太字は引用者、以下同様)ことが強調されました。

その翌年の臨時労働基準法調査会でも、一律に違反を取り締まるのではなく「事の軽重緩急に従い、重点的段階的に是正せしめるよう措置する必要がある」と答申を出しています。これは当時労基法の緩和を求める声が強かった使用者サイドに対し、規制緩和を否定する一方で、運用においてその柔軟化を図る意図があったと思われます。

 

このとき業種や規模に応じて設定されたのが「是正基準」です。法定基準とは別の基準を作ったというのがポイントです。*1

 

当時を知る監督官の証言を見ると、こんな例がありました。

かつて労基法には女子保護規定というのありましたが、そのひとつに女子の深夜業の禁止というのがありました。深夜業というのは午後10時から翌朝5時のことです。女性についてはこの時間に就業することが法律で禁止されていました。

ところが「是正基準」方式では、たとえば「午後11時から翌朝4時まで」などと独自に基準を設定していたと言います。*2

 

是正基準方式の影響は、司法処分の件数にはっきり表れました。元監督官の井上[1979]は、是正基準方式によって監督官による送検件数が減少し、警察による労基法の送検件数を下回る事態が生じたことを指摘しています。*3

f:id:knarikazu:20180318161809p:plain

井上[1979]82頁より作成

 

司法処分は法違反の企業に罰則を科すための処分ですから、この件数が減るということは罰則による違反の取り締まりが行われにくくなったという事態を示しています。

 

この是正基準方式が方針転換し、監督強化に転じるのは1964年です。悪質な法違反については司法処分、使用停止処分を積極的に行うこととされました。その背景には「納得と協力のもとに実施されてきた段階的監督指導行政が、その後の社会情勢の進展と積み重ねた行政努力に伴い、法定労働条件の確保は、もはや『企業経営の当然の前提』として受け入れられるべきであるとの認識に至った*4との判断があったとされます。*5

 

折角なので、それ以降司法処分件数がどうなっているかの推移も見ておきましょう。下のグラフがそれです。

f:id:knarikazu:20180318162805p:plain

 

これは『労働基準監督年報』から作成したもので、主要条文別の送検件数の推移です。*6

条文数が多いので、大きく「賃金」「労働時間」「割増賃金」「その他一般労働条件」「安衛」とくくりました。割増賃金(37条)は賃金と労働時間どちらとも捉えられると思って別にしたのですが、件数は安全衛生(かつての労基法42条~55条やじん肺法、災防法を含む)や賃金(主に24条)が圧倒的に多くなっています。

 

是正基準方式を廃した後は、賃金も労働時間も安全衛生もすべての件数が急増しています。是正基準方式時代(1956~1963)は悪質な法違反が少なかったなどということではなく、単に強い取り締まりがなされない時代だったということです。

※その後の司法処分の動向を細かく分析することは、ブログの一記事でできる範囲を超えるので今回は書きません。

 

不作為の責任は

さて、是正基準はあくまでも行政側の基準です。法律が変わったわけではありません。この点不作為は問われないのでしょうか。

不作為の責任を問うた例は寡聞にして知らないのですが、是正基準が設定されても違法の基準が変わるわけではないことは裁判で確かめられています。

阪本紡績深夜業違反事件(昭和34年7月6日大阪高裁判決)です。(被告人の阪本紡績側の控訴を棄却)

 

この事件は大阪労働基準局の次長*7が岸和田労働基準監署管内の綿スフ紡績業者らに対し、女子労働者の就業禁止時間を当分の間午前0時から午前4時までとする旨の監督方針を示したことに端を発します。

 

判決文を一部引用しておきます。(漢数字は算用数字に改めたところがあります)

或る行為が労働基準法違反を構成する以上、仮に労働基準局又は労働基準監督署当局がその取締をしない旨の方針を事前に行為者に発表したとしても、それがためにその犯罪の成立を阻却するものではないと解すべきところ、(大審院昭和14年12月15日判決参考)原審証人松井亀、同加藤淳の各供述によると、当時岸和田労働基準監督署長であった松井証人が主催者となって、昭和32年3月14日岸和田市労働セットルメントにおいて、管内綿スフ紡績業者に対する労働基準法の説明会を開催し、その席上大阪労働基準局次長大谷高士は女子及び年少者に対する深夜業の違反が多いから取締をするが、当分の間取締、検挙の重点を午前0時から午前4時までの女子及び年少者に対する深夜業違反に置く旨労働基準局の監督方針を示したことが認められる。

まず女子年少者の深夜業について、法定より取締の監督方針が緩和されていることは事実として認められています。

そのうえで

そして、右監督方針の表示が、反面午後10時30分から午後12時まで及び午前4時から午前5時までの女子及び年少者に対する深夜業の違反はこれを大目に見て検挙しない方針の暗示であると解し得ることは所論指摘のとおりであるが、更に進んで右時間内の深夜業が法規上も許され違反にならないという意味までも示したものであると解される可能性は全くないばかりでなく、被告人らは監督官庁が取締の重点から除外した午後10時30分から午後12時まで及び午前4時から午前5時までの間の成年女子の深夜業のみをしたのではなく、監督官庁が取締の重点とした午前0時から午前4時までの間の深夜業違反をなすとともに、これに接続して重点外の深夜業違反をも併せ犯したのであるから、被告人らに対する原判示事実中、午前0時から午前4時までの間以外の深夜就労の部分については違法性がないとか、被告人らに違反しないことを期待し得ないとかの理由によって犯罪が成立しないとなす所論は採用することができない。記録を精査しても原判決には事実誤認又は理由不備の違法はなく、論旨は理由がない。

 

 阪本紡績側は監督方針には従っていれば「形式的に法令に違反しても、実質的には違法性を阻却するものであるというべき」と主張していたのですが、その主張は完全に退けられています。・・・・・・というかそもそも重点監督方針が示されている部分についてすら違反してるのに何言ってんだっていう。

 

当然と言えば当然ですが、是正基準方式の時代であっても、法律自体が規制緩和されたわけではありません。出るとこ出れば上記判決のような結果になるのでしょう。

 

しかし前述したように、この時期は司法処分件数の水準が史上最低レベルにありました。ですから実際には見過ごされた法違反も多かったのだろうと想像します。

 

そもそも現在の水準でも十分な刑事罰が科されているのかは疑問ですが、もし「働き方改革」法案に「中小企業の実態を考慮」というのが盛り込まれれば、かつての是正基準方式の時代の再来ということになるのではないかと危惧します。

 

*1:上記の運営方針と併せて1956年には重要な3つの通達が発出されている。①「法施行上問題の多い業種、規模のものにつき……別途指示するところに従って段階的な是正基準を設定できる」とした「労働基準行政運営方針について」(基発241号,1956・4・23),②是正基準設定を「労働者に与える実害の程度,その是正についての段取り等を検討の上決定すべき」とし、「監督の具体的な進め方」について「比較的法が遵守しやすい時期に監督を集中し遵法の態勢を予め確立せしめておくことも効果的」と示した「今後の監督方針について」(基発31号、1956・5・19)、③「労働基準監督官執務規範の臨時取扱例について」(基発310号、1956・5・18)では,法令の末節にとらわれがちであった点を改め、監督の実施に当たっては経済的社会的諸条件を顧慮することとされた。

*2:大谷[1973]は「要するに、長年手こずってきた中小企業の女子労働者の労働条件、なかんずく深夜業の絶滅を期するため法定の午後10時から翌朝5時までを行政的に、たとえば午後11時から翌朝4時までとし、段階的に長期計画で法定まで是正させる。ただし、その行政指導になお違反するものはドシドシ送検するというものであった」と回想している。大谷高士[1973]「在郷監督官あれこれ」労働省労働基準局編『労働基準行政25年の歩み』225-233頁

*3:井上浩[1979]『労働基準監督官日記』日本評論社

*4:労働省労働基準局編[1997]『労働基準行政五〇年の回顧』日本労務研究会、190頁

*5:以上の監督行政の変遷に関しては、松林和夫[1977]「戦後労働基準監督行政の歴史と問題点」『日本労働法学会誌』50号、5-34頁)などを参照

*6:複数の条文で送検された場合、主要な条文について件数を計上していると思われる

*7:次長の名前をどこかで見た覚えがあるなと思ったら、先ほど引用した大谷[1973]の名前でした