ぽんの日記

京都に住む大学院生です。研究とは関係ないことも気ままに書いていきます。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

フェイクニュースと取引費用の経済学

フェイクニュース問題について感じたことを書いておく。

 

それは、フェイクやデマは作るコストはほとんどかからず済むのに、それを検証したり食い止める側は手間暇がかかってしまうということ。

 

「取引費用の経済学」と呼ばれる分野がある。

伝統的な経済学は取引費用を考慮しない。学校で習う物理の授業とか思い浮かべてみると想像しやすいと思うが、最初にモデルを組み立てるときは摩擦とか空気抵抗のない世界を想定するのだ。そういう理想的な仮定を元にモデルを作る。もちろん現実には摩擦も空気抵抗も存在する。だから今度はそのモデルに摩擦とかの概念を組み入れる。

 

経済学も同じこと。人間は合理的で、しかもあらゆる情報を知っている前提で理論を作る。けど現実には人間の合理性は限定的だし、知りうる情報にも限度がある。

取引コストも情報の探索や商品の輸送費用、モラルハザードが起きないように監視する費用などが現実の世界では当然に生じる。

 

取引費用が少ないほうが、経済学の想定する「理想の世界」に近づくわけだから、そのほうが良いのだろう。取引費用がなくなることによって、新たなビジネス機会が生じるのは想像しやすい。

 

一方でフェイクやデマの類も氾濫しやすくなったことはその弊害と言える。

これまでだったらクチコミはともかく、広く情報を流通させようと思ったらコストがかかった。編集し印刷・出版を経て、そしてその紙媒体の資料を輸送せねばならなかった。

インターネットはそういう面での費用を格安にした。SNSのような個人で発信できるツールならなおさらだ。

 

ネットがなかったならデマを大量に流通させようとしても、それはコストのかかる行為だったはずだ。そうなるとクチコミや噂話、あるいは不幸の手紙のような形をとることになろう。

トンデモ本の類は昔からあったろうが、出版費用を考えたら「ほんの出来心で」とか「そんな気はなかった」みたいな言い訳はふつう考えられない。

 

しかしSNSはどうだろう。いいねやリツイートでデマを拡散に寄与した人たちの多くは、そんなに深刻なことだと捉えていないのではなかろうか。

フェイクニュース産業なるものが成立してしまうのは、そんな特性に立脚していると言えないか。

 

加えてデマや排外主義、国粋主義の多くは作成コストまで安価であるからたちが悪い。

取材して裏付けとって発信された情報と、真偽も確かめずに発信される情報と、どちらが安上がりに作れるかは想像するまでもない。

排外主義だって、国粋主義だって、何も考えずに発信することができる(少なくとも質の低いそれらに関しては)。とりあえず外国人を叩いておけばよいし、とりあえず国益を主張しておけばよい。

 

多様な人間が住んでいる社会においては、本来なら人々の間の権利や利害関係をいかに調整するかということに知恵を絞らなければならない。しかし国益が何でも一番だと言って済むのであれば、そのような難しいことは考えなくていい。

 

よく練り上げて作られた意見や取材を基づく情報と比べて、トンデモ言説は生産費用がほとんどかからない。流通費用がかからなくなったSNS社会では、量的に後者が優勢になってしまう。

こんな現状に憂いを覚える人たちはファクトチェックや監視の努力をするかもしれない。しかしそれにも費用がかかる。圧倒的な情報量の前には追いつかない。

そもそも下らないデマや暴走を食い止めるために労力を払っても、悪化を食い止められるだけで、なにか前進をしているわけではない。これはインテリや知識人の浪費だろう。

 

もちろん、SNS等でだれもが情報を発信できるようになったのは良いことであるはずだ。たとえデメリットや弊害があったとしても、総体として見ればメリットがデメリットを上回るだろう。

問題はそうしたメリットを必ずしも均等に享受できているわけではないということ。少なくとも現状は、SNS社会はフェイクやトンデモ言説の類に大きな「益」をもたらしている。他方で良質な記事は相対的に小さな益を享受しているに過ぎない。

そういうことになるのではないか。