ぽんの日記

京都に住む大学院生です。研究とは関係ないことも気ままに書いていきます。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

求人詐欺・求人トラブルの今昔――労働条件明示義務違反

固定残業代などによって求人票の待遇を見かけ上で良く見せようとする行為が広がりました。このような行為を「求人詐欺」として問題視する向きも強まっています。このような背景のもと職業安定法が改正されたことは以前にも書きました。(京アニの求人情報が大幅に詳しくなった件

 

求人詐欺という言葉自体は最近のものですが、「求人票の表現が曖昧」「雇用契約書を渡らされおらず労働条件が不明確」というトラブルは昔から多くありました。

こうした問題に行政がどのように取り組んできたかを、労基署のデータから把握してみます。データは以前の記事(労働時間の違反率の推移 )と同じく『労働基準監督年報』の情報を用います。

  

違反率の推移

「労働条件の明示義務」は労基法15条に定められています。ついでに「形式違反」と括られることもある「就業規則の作成・届出(89条)」「労働者名簿の作成(107条)」「賃金台帳の作成(108条)」も一緒に取り上げます。

 

以下のグラフはそれぞれの定期監督の違反率の推移です。

違反率ではありますが、法改正や監督行政の方針によって違反率が変動しうることに注意してください。

 

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就業規則、労働者名簿、賃金台帳は50年~60年代ごろ比較的高い水準にあったものが、その後低下していることが分かります。労務管理の意識がまだまだ甘かった時代でしょうか。

 

少なからぬ驚きだったのは15条の労働条件明示義務違反です。1966年から1980年の年報には15条違反の件数が掲載されていません。集計の都合で主要な法違反のみ計上していたのだと思いますが、15条は主要条文ではなかったということでしょう。

 

その後の変化として注目されるのは1980年代末頃と90年代末頃です。

まず80年代末に89条違反(就業規則)が急増します。遅れて90年代末に15条(労働条件明示)と108条(賃金台帳)の違反率が上昇します。107条と108条の違反率は類似した水準で推移していたのに、その後乖離するのも興味深く思います。

 

パートタイマーのモデル雇入れ通知書

このような変化が生じた背景を行政の取り組みの面から追ってみます。

「労働条件の明示」というのが問題となったのはまず第3次産業やパートタイム労働者でした。これが1980年初頭ごろです。

 

そもそも当時の労基法では雇用契約書を書面で渡す義務がありませんでした。1976年の改正で賃金に関する事項については書面の提示が義務になったのみです。それ以外の労働条件については口頭で示せば良かったのです。

正社員については就業規則で定められているので、それを確認する手もありますが、パートタイム労働者については正社員とは別の雇用管理を取るところが普通です。そのためパートの労働条件は一層不明確になりがちです。そのため雇用契約書の通知を適正化すべきという試みがパートタイム労働者について先行しました。

 

1980年の『労働基準監督年報』の第1章第2節「監督行政の推進」のなかで「一般労働条件の確保対策」について触れられていますが、そのひとつとして「商業、サービス業等の第3次産業における労働条件の明確化を重点とした労働契約の適正化、労働時間管理の適正化、就業規則の作成等の推進(太字は引用者、以下同じ)」が記載されています。

さらに1982年には「モデル雇入通知書の普及及び就業規則の整備等の促進によるパートタイマーの労働条件の明確化指導の推進」が加わりました。

 

あるいは1982年に出された東京労働基準局・第三次産業監督指導検討委員会「第三次産業労働条件実態報告書」*1があります。

この報告書では「我々が現場で申告事案を処理する過程に於いてその発端が入職の際の労働条件が不明確であったと考えられる事案が多い事は経験的に周知のことであるが、この面でも就職情報媒体が果たしている機能と問題点を把握しておくことの重要性が認められる」とされ、新聞や情報誌の求人広告の審査基準や民営職業紹介所の実態調査が実施されています。

 

先に見たように、1980年までは15条違反の件数が集計報告すらされていなかったのですが、このころから問題意識が高くなっていったと言えます。

なお、1990年の年報から「就業規則の作成等による労働条件の明確化」という部分が「モデル就業規則」という文言に変わります。労働基準監督年報に「モデル就業規則」という語が登場するのはこれが最初と思われます*2

 

法改正による明示義務の強化

法レベルで一番の大きな変化は1999年の労基法改正だと思われます。

 

それまでの労基法15条1項は「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他労働条件を明示しなければならない。この場合において賃金に関する事項については命令で定める方法により明示しなければならない」となっていました。前述したように書面による明示義務は賃金に関する事項のみです。

 

それが改正後は「賃金及び労働時間に関する事項その他の命令で定める事項については、命令で定める方法により明示しなければならない」と改められました。

改正後の労基法施行規則では明示しなければならない事項すべて(昇給に関する事項は除く)は労働者に対する書面の交付により明示しなければならないとされています。

さらに明示しなければならない労働条件として新たに「労働契約の期間に関する事項」「所定労働時間を超える労働の有無」も追加されました。*3

 

ちなみにこの時の法改正時にも、「労働条件通知書のモデル様式」が定められ、それを利用して普及促進を図るとされました。

 

 

現在の固定残業代のような問題は正社員の求人に関するものが多いと思いますが、求人トラブルへの取り組みとしてはパートタイマー対策が先行しました*4。労働条件の明示についてはパートタイム労働者のほうが強く規制されています*5

濱口桂一郎氏の「ジョブ型」「メンバーシップ型」の区別*6も、非正規雇用は「ジョブ型」に近いとされていましたから、監督行政の面からもそれが言えるのかもしれません。

 

労働者名簿、賃金台帳

労基法107条では、各人ごとに労働者名簿を作る義務が課せられています。記入すべき内容は労働者の氏名、生年月日、履歴のほか、施行規則53条第1項によって①性別②住所③従事する業務の種類④雇い入れの年月日⑤退職年月日およびその事由⑥死亡の年月日およびその原因となっています。

このうち③は常時30人未満の事業では必要ではありません。

 

賃金台帳は労基法108条に規定があります。

記載事項は①氏名②性別③賃金計算期間④労働日数⑤労働時間数⑥時間外労働時間数、休日労働時間数、深夜労働時間数⑦基本給、手当その他賃金の種類ごとにその額⑧24条1項の規定によって賃金の一部を控除した場合にはその額、となっています。

 

労働者名簿と賃金台帳は重複する部分もあるので、あわせて作成することもできます(施行規則第55条の2)。2000年代以前は両者の違反率の推移も非常に似通っています。

しかしその後労働者名簿に比べて賃金台帳の違反率が高く推移しています。サービス残業が問題となる中で、チェックが厳しくなったのが一因かもしれません。

 

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107条と108条の違反率の散布図。2000年以降について色を変えている。

 

 

 

kynari.hatenablog.com

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*1:1981年5月、東京労働基準局に「第三次産業監督指導検討委員会」が監督指導のマニュアル作成を目的として設置された。そして翌82年3月に報告書が出されている

*2:「モデル36協定」の語は1971年が初出

*3:したがって「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」「始業及び就業の時刻、休憩時間、休日、休暇」「賃金の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項」「退職に関する事項」「労働契約の期間に関する事項」「所定労働時間を超える労働の有無」をすべて書面の交付により明示することになった。なお就業規則に記載されている事項については、当該労働者に適用する部分を明確にして就業規則を交付することとしても差し支えない(平成11年1月29日基発45号)。

*4:もちろん、それ以前の「非近代的雇用慣行」への対策はさらに早い時期だが

*5:労基法15条に加えて、パートタイム労働法では「昇給の有無」「退職手当の有無」「賞与の有無」「相談窓口」についても文書等で明示する義務がある。パートタイム労働法は労働基準監督署ではなく、厚生労働大臣または都道府県労働局長が勧告を行う

*6:『若者と労働』など参照