ぽんの日記

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スピルバーグ監督『ペンタゴン・ペーパーズ』

面白かったのは面白かったんだけど…

映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』公式サイト 大ヒット上映中

 

妙味だと思うのは、ニューヨーク・タイムズでなくて、ワシントン・ポストを中心にしているところ。原題はThe Postであるけれども。

最初にペンタゴン・ペーパーのスクープ記事を書いたのはニューヨーク・タイムズ。他の新聞はワシントン・ポストを含めて後追い記事。最初の功績がニューヨーク・タイムズにあると考えられる。

なのにこの映画だと、舞台はワシントン・ポスト。政府はニューヨーク・タイムズに対して差止命令を要求する。その最中に援護射撃的に報道したのがワシントン・ポスト。その場面に焦点を当てる。

 

援護射撃といってもそれは文字どおり会社全体を賭した決断だったことは、作品を見れば分かる。

権力とジャーナリズムの闘いだと思っていたので、記者が執念で取材を続けていくストーリーだとなんとなく予想していたのだが全然違った。もちろんそういうシーンが無いわけではないけれど、メインとなるのは掲載するか否かという決断の場面。

つまり現場の記者というよりは、デスクや経営陣、社主を描いている。

 

そもそもリークが発端だからというのはあるにせよ、記者がいかにネタを取ってくるか、走り回るかなんてのはあっさりしたものにさえ思える。差止をめぐる法廷闘争も大して描かれていない。

考えてみれば当たり前だが、この時代、表現の自由報道の自由を守れるかというのは掲載判断にかかっていたのだ。報道とは情報源に接触できるか、情報を入手できるかで終わりなのではなく、その情報に価値があるか、権力側から握りつぶされそうになっても、それを報じることができるか。その部分にも真価があるのだ。

 

 

......で、昨今の政治状況が状況だから、どうしても日本の現状と重ねて見てしまう。

モリカケ問題はもう1年以上続いているわけだけど、都合の悪い情報を隠すどころか改竄まで働いていた。ペンタゴン・ペーパーは機密文書とはされたけれども、後世の歴史家のためにと文書には残されてきたわけで。改竄したり、そもそも公文書がしっかり管理されてないなんてレベルの話ではなかった。

あるいは報道を封じ込めるのも、連邦裁判所に差止を求めるというほうがむしろ潔く感じる。そういう法廷の場で白黒つけてというのと違って、特定の新聞を贔屓にして、気に入らないものは貶めようとするというのは陰湿でセコイ気がするが、報道現場の分断を狙おうと思ったらこの方が効果的かもしれない。

なんというか、今の日本の現状も相当ひどい。そのせいでこの映画の感想も割り引かれてしまうと言ったら言い過ぎだろうか。

 

 

pentagonpapers-movie.jp