ぽんの日記

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澁谷智子『ヤングケアラー』

ヤングケアラーとは、家事や家族の世話を担っている、担わざるを得ない子どものこと。本書では18歳未満と定義している。

 

なぜ今ヤングケアラーなのかという部分は、もっと書いてほしい気がする。著者がこの問題を研究するようになった経緯も「終章」や「あとがき」などではなく、もっと初めに書いてほしいし、調査や支援体制の話よりも当事者の体験談を前にもってくるほうが読みやすくなると個人的には思う。

 正直な話、子どもが二人になって、私の書く論文の数は減った。研究会への参加も前より減った。限りある土日を、自分の調査と、子どもの行事と、学会・研究会に振り分けるのだから、仕方がない。月一回で集まるような研究会に誘ってもらっても、研究会の懇親会や合宿のペースが子持ちの私にはついていけず、研究会よりも自分の研究により直接関わる調査を優先させるようになってしまった。(187頁)

 

ヤングケアラーたちの体験と著者の当時の状況とは重なり合う部分も多く、それが著者の問題意識の出発点となっていた。こういう話から導入部分を描いたほうが、我が事と捉えやすく、入っていきやすいと思うのだが。

 

子どもの貧困や虐待もあるなかでなぜケアに着目するのか。

「通常ならば大人が担うと想定されているようなケアを行っている子供たちには、その子たちならではの不安やプライドや苛立ちがあり……」(198頁)という話は本の冒頭に置いてほしい。

 

 

内容的な疑問点としては、「ケア」という言葉の範囲。

著者は(というかこの界隈、あるいは世間一般でもそうかもしれないが)、介護という意味で用いているし、それ前提で本書も書かれている。

たしかにケアワークといった場合、主に想定されるのは介護であるけれど、子育てとか、大きく言えば家事についてもケアワークに含まれると私は思う。子育てはchildcareと言うわけだし。

 

もちろん育児と介護の事情はそれぞれ異なっているだろうし、別々に分けて議論すること自体は否定しない。けれどケアワーク、ケアラーと言ったときに子育て・家事を切り離していいとは思わない。

もっといえば、著者自身が紹介している調査結果*1でも、ケアの内容として「家事(料理、洗濯、掃除など)」や「きょうだいの世話」の回答が多い。

これは普通に捉えれば家事・育児と思うのだが、にもかかわらず本書で焦点が当てられているのは介護なのだ。少しばかり書き方が捻じれている。

 

介護特有の悩みももちろんあるだろうが、もっと大きく労働だとか学校教育だとかの、社会的文脈で話をしてほしい。

今では一人っ子家庭が多いけれども、かつては子どもの数も多かった。だから子どもが家事や下の子の面倒を見るというのは、結構一般的だったかと思う。

 

総務省の「社会生活基本調査」だと1991年以前は調査対象が15歳以上なので、ここではNHKの「国民生活時間調査」を示しておく。

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女性の平均家事時間の推移だ。

20代女性が大きく減少しているが、大きく減少している。社会進出が進んで外で働くようになったのが大きな理由だろう。

10代はもともと少ないけれども、傾向としても減少している。在学率や就業率で統制したらどうなるかは分からないけれども、子どもは家事をしない社会になっている。

 

子どもは多くの時間を学校で過ごすし、放課後も部活動やバイトに使って家事を手伝うというのは少数派になっているだろう。受験戦争と言われていたころの受験生なら、睡眠時間を削って勉強。そう考えると、フルタイム並みの拘束時間であって、とても家事を手伝える状況にない。

これが社会のスタンダードとなっていれば、当然、家でケアワークを担わなければならない子どもは出遅れてしまう。ほかの子が勉強に使うことのできる時間を家事や介護に費やさなければならないのだから。

 

それゆえヤングケアラーの問題は、単に個人や家族の問題ではなくて、社会問題となる。長時間の受験勉強、部活動、あるいは長時間労働が前提になっている社会では、そうなることは避けられない。

ヤングケアラーの調査や当事者の体験談はまだまだ少なく、本書はそこに焦点を当てたのかもしれないが、こういった社会性の点にはもっと踏み込むべきではなかったかと愚考する。

 

 

*1:本書44頁、表2-6「子どもがしているケアの内容」