ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

フラれた……

一途だった。一途すぎるくらい一途だった。盲目的なほどに。

その相手のために多くの時間を費やしてきたけれど、向こうは振り向いてはくれなかった。振られてしばらくは茫然自失とする。ずっと同じ相手ばかり見てきたせいか、どうしていいか分からない。

自殺しようと思うほどではない。私は自殺はしないと決めている。ただ、これからどうするかということをあまり考えられないでいるだけ。

 

 

 

監督官試験に落ちました。相当堪えているというか、ショックが大きいです。

茫然自失としたのは本当です。合格者が発表された後にいくつかブログ記事を書いているじゃないかと言われるかもしれませんが、あの原稿は予めほぼ書いていたものを投稿したものです。むしろ不合格だったのにあんな記事を投稿している自分を嗤ってやってください。

 

「一途だった」というのはその通りで、監督官試験以外は受験していなかった。受験しようという発想すらなかった(笑)。恋は盲目というけれど、ほんとに盲目的になってた。後になって、ほかの公務員試験を併願するという術があることに気づきました。

就職を恋愛に喩えることがありますよね? その点に関して言えば、私は浮気や二股はしなかったとは言えるかもしれない。試験に不安がなかったわけではなくて、面接のときとかはちゃんと緊張してたし、合格発表までの間はやっぱ色々不安になった。

しかしまあ、監督官以外の仕事に就こうとは、はっきり言って考えていなかったので、試験に落ちた後のことは落ちてから考えようと思っていました。

 それで実際落ちて落ち込んでるんですから、世話ないですよね。

 

 

監督官試験を受験しようと思った直接のきっかけは――「直接の」という言い方をさせてもらいますが、それは学振(DC1)が不採用になったことでした。私はこのとき自分の能力不足と、そしてやや大袈裟に言うならばこの資本主義社会における「カネ」の問題を考えざるを得なかった。

 

DC1の結果は、惜しいとかそういうレベルではなくて、評価C(上位50%に至らない)というもの。DC1の前にいくつかの学内・民間奨学金の類も応募してますが、それらもすべてダメでしたが、こうして半分以下と言われたらね。ここに来て、ようやく自分の客観的評価を下しているようでは遅いのでしょうけれども。

 

学部を卒業する前のタイミングで、民間に就職するか、研究者の道を歩むかというのは悩んだんですよ。就活もしました。今ほどではないにしろ、当時から売り手市場になってきたということは言われていました。でも、この就活がうまくいかなかった。今から思えば全然本気になりきれてなかったという風にしか思いませんが、当時は民間企業に就職できないんじゃないかくらいに思った。それくらい私は「シューカツ」の適性がないと感じました。もちろん、職業選択の自由を全く放棄すれば就職は叶ったでしょうが、そこまでして就職するよりは大学院に進学するという選択肢が残されていましたから。

採用面接と院試は時期的にそれほど離れてなかったと記憶してますが、院試の前になると就活は完全に止めてましたね。どうせダメなのに面接に行ってしまっては、私にとっても企業の側にとっても時間とカネの無駄だ、くらいの思考になってました。

 

こういう状況だけを見るならば、私の大学院進学は就職からの「逃げ」だったとも言えます。

就職と進学で悩んだと書きましたが、半々くらいの気持ちだったのが就職の側になびいていた、というような心理状況だったと思います。それで就活はしたけれど、うまく行きそうにないから進学を選んだ。そんなんだったので、自分の認識としては「逃げ」だとはあまり思っていませんでした。

 

もっと言えば、周りの人たちはむしろ研究者になることを勧めていた。ゼミの先生、先輩、同期のゼミ生や後輩も含めて。

学部時代に所属したゼミは毎年ゼミ論文を書かせていたので(共同研究ではなく個人研究)、私は2‐3回生のゼミ論、4回生の卒論と都合3本論文を書いたことになります。普段のゼミ活動とともにそれらも加味して研究の道を勧められたと思うわけです。

 

これが割とワナです。こういう身内評価によって、おだてられたブタになっていくのです。

今、大学院に進学する人って僅かになっているんですよ。

 

f:id:knarikazu:20180821202702p:plain

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/public/issue/ku_profile/documents/2018/15.pdf#page=2

 

これは当時のではなく最新年度のものですがデータとしてはそれほど変わらないでしょう。

文系学部でいうと、大学院進学率は3~4割ほどです。文学部、法学部は少なめですが2割は超えています。

それに対して経済学部は院進者がこの年は13人しかいないのですね。進学率は5%切っている。……言ってませんでしたけど、私は経済学部出身です。

 

院への進学者がここまで少ないと、厄介なものです。

ゼミの教授が院生を渇望してくる。「昔は何も言わなくても優秀な学生が大学院に来てたのに、今は来なくなってしまった」とかなんとか言って。

もちろん強制も強要もしてくるわけではありません。ただ「願望」としてそういうことを述べてくるのです。

 

もっと深刻な問題はロールモデルが身近にいないことです。

私が小規模な人数のゼミに所属していたというのもありますが、同じゼミの中で進学する先輩の存在というのはごく例外的なものとなってしまいます。

私の場合は進学した先輩は複数人知り合いでしたが、研究分野が違ったりすると参考にしにくい部分もあったりします。そういう先輩が全くいないと、院の情報が降りてこないので苦労するのではと思います。

 

話を元に戻します。

研究者としての能力・適性の評価ということでしたが、院生が少ないので、そういう比較があんまりできない。教員のほうは潜在的に(時には顕在的に)進学を誘惑してくる。就職の進路をすでに選んでいるほかのゼミ生より良い論文が書けたからといって、それだけでは参考にならない。

京大大学院の入試倍率で書きましたが、大学院に進学したら進学したらで、中国人留学生がわんさかいる。彼・彼女らも大半は修士で就職していくので、研究者としての相対評価とか切磋琢磨にはあんまり資さない。

 

そういうわけで、あんまり客観的に自分の評価をすることなく、身内評価の中で「あなたは優秀だから」と言われてきたのです。いつだったか、バイトで著書の校正を手伝った後に、「この技能を活かせる仕事に就くべきです。研究者もそのひとつです」みたいなお礼のメールが送られてきたときはさすがに苦笑を禁じえませんでしたが……

 

他人の評価というのは水物というか、悪くいうと無責任。

学振に落ちた時だって「でも惜しかったんでしょ?」みたいに言われ、監督官試験を受けると伝えた時もほとんどの人が「当然受かるでしょ」と反応する。

私の修士論文を主指導教員は面白いと言って読んだ。私はすでに自分の論文を冷めた目で見ていたので、「何言ってんだろ」くらいに思ってしまった。

 

少なくとも「研究者としての能力がない」とか「向いていない。やめたほうがいい」などと言ってくれる人は一人もいなかった。それが普通なのかもしれない。誰だって他人の人生の選択肢をひとつ潰すようなことを積極的にはしたくないでしょう。結局は本人の意思、自己決定に委ねられることですから。

だから、なんでしょう。こういう無責任の褒めの体系にもうすこし自覚的であるべきであろうとは思います。

 

ここまでが研究者としての能力や適性を見極めるのが遅くなったという話。

 

 

もう一つはカネの問題。

大学院生って所詮は穀潰しですよね。でなきゃ夢追い型フリーター。

そりゃバイトすればお金は入るけれども、研究自体はカネにならない。いずれ返済しなきゃいけない奨学金を考えると、カネにならないどころかマイナスな気がするよね。というか「返済」じゃなくて「返還」とJASSOが言い換えてるのちょっとムカつくよね。

 

大学に行けない人だっているわけだから、自分は恵まれてるほうなのかもしれないけど。そういう点では親にも感謝はしている。それなのに私はまだ経済的に価値を生み出していない。もう来年には妹が大学に進学する時期。もっと年が離れているような認識でいたけれど、気づくとそうなっていたんだな。

いいかげん、家計に返す側になるべきなんだろうな。

 

研究はカネにはならない。むしろまじめにやるほど足が出る。実験科学とかそっちの世界のことは知らないけれど、それと比べれば全然カネはかからない研究ではある。そうはいっても、資料調査を全くカネをかけずにできるわけではなく、個人の持ち出しとなる。

どんなに労力や時間をかけたところで、それでお金をもらえるわけではない。

 

もちろん、カネのために研究やってるわけではないですよ。そんなことは百も承知でありながら、でも虚しいんですよ。大学院生はどんな頑張って研究を進めても、所詮はただ働きだという事実が。

 

資本主義社会なんて、要はカネで測られる社会でしょう。カネにならないということは、社会として価値が与えられていない同義に近いでしょう。

「カネだけで価値が決まるわけじゃない」という言葉はあくまでアンチテーゼであって、カネという価値体系を前提として出てくるもの。そもそも頑張ってもカネにならない虚しさを訴える人間にそんな言葉をかけたら、何か状況が変わるのか。やりがいの搾取というのは、まさにそういうものでしょう。

 

もちろん、大学院生というのは研究者ではなく見習いのようなものですから、稼げないというのはおかしな話ではないのでしょう。

私だって、学部時代のゼミ論や卒論の研究が金銭的に無報酬であることを、別に変だとは感じませんでした。

院生になってそういうことを考えるようになったのは、進学せず就職していった同年齢層が仕事で糧を稼いでいるのに、私はそうではないという、そんな理由が大きいのかもしれません。

 

でも、この「見習い」の5年間は長い。修士2年、博士3年。その5年を終えてからようやく研究者の職業としての一歩を歩むことになる。ただの個人的な感覚ですが、大学の学部を終えてからさらに5年というのは、やっぱり長いと感じる。

専門性の低いまま学者になってしまっていいわけではありません。博士号をもっと短期間で取れるようにすべきなんて言いません。ただ、個人の職業選択の問題として考えた時に、この無賃労働が5年続くというのは、敬遠したくなるなということです。

 

先に研究者の適性の話をしましたが、研究の能力と5年という期間をクリアできるか(そのあとにポスドクの問題はあるかもですが)は別の問題でしょう。

経済学・経営学というディシプリンですから、優秀な人で、学問の世界でも実業の世界でもたぶんどちらでも活躍できる、というような人材は多くが後者に行く。

研究者になろうとする人は、だからもうこの段階でちゃんと覚悟を持っておくべきなんでしょう。半々くらいの気持ちでいる人が行くにはちょっとしんどい。修士という、下手すればマイナスのプレミアムになりかねない。

研究職に就いた場合の返済免除制度も(旧育英会がJASSOに変わるくらいのタイミングだったか?)なくなってしまっているので、その点でも魅力が減じている。

 

 

ズルズルと決断を先延ばしにしていた私が多分に悪いとはいえ、ガツンと何かがないと決断が下せないでいたのでしょう。学振が不採用の結果に終わったことが、私にとって最後の決め手となった気がします。

もう研究者を目指すのを辞めようと思いました。もう少し正確に言えば、職業としての研究者ですね。

別に何かを探求することや、あるいは他の研究者が書いた本を読むこと自体は、自分が研究職に就いていなくてもできることです。博士号を取得しても就けるかどうかわからない仕事になっているのが現状なのに、そこまで頑張れるのか。そう考えた時に、研究者という仕事は、自分にとってそれほど強い魅力を持っているとは思わなかった。

 

研究者の方々を低く見ているわけではありませんし、全くなりたくなくなってしまったわけではありません。ただ、職業・仕事としてというか、生活の糧にしたいかと考えた時の魅力と、それが実現するまでに要する時間、労力、カネなどを勘案した際に、そこまでしてなりたいと思うほど魅力的な仕事だと思えないということです。

 

 

研究者を諦めて就職しようかと思った時、真っ先に思い浮かんだのが労働基準監督官の仕事でした。

仕事に限らず何かを選ぶときって、複数の選択肢の中から比較するというプロセスが多分一般的とみなされるんでしょう。そういう意味では、選択肢がひとつしか思い浮かばないのは視野が狭いということになるのでしょうが、私としては「これしかない」という感覚、これこそ私がやりたい仕事だという心境でした。

このブログの最初で恋愛の比喩を出しましたが、その喩えでいえば「こんなに相性が合う人は他にはいない」という感覚です。恋人とか親友の相性って、別に他者と比較してあれこれするわけではないですよね(あれ、ですよね?)。

 

一途だったと書きましたけれど、保険をかけようとは思わなかった。監督官の仕事に代替できるくらいの保険としての選択肢が、ちょっと思いつかなかった。

 

 

私は修士論文の研究テーマに労働基準監督行政を選びました。その「出会い」は図書館の書庫で「労働基準監督年報」という資料を目にしたことでした。

それまでも労基署や監督官のことはニュース等で知ってはいました。ところが、法律を具体的にエンフォースしていくという重要な役割を持ちながら、本格的な学術研究というのはほとんどない。社会学者、経済学者はいわんや、労働法学者も法律をいかに解釈するか(司法)、どんな法律を作るべきか(立法)の関心ばかりで、行政の部分、監督機関の研究は手を付けられていない状況でした。

そんななか、「監督年報」という、その実態を教えてくれるかもしれない資料がそこに存在していた。それに、最近の監督年報と違って、昔のそれは結構個性的だったりするんです。そういうのがまずワクワクした。

 

こんなことを面接で話したりしちゃうから落ちてしまうのかもしれませんけどね。

 

修士論文のテーマを指導教員と相談したとき、監督行政以外の別案も用意していたのですが、やりたいと考えていたのは監督行政でした。けど、勧められたのはもう一方のテーマのほうでした。

監督行政の研究が手を付けられていないというのはそうですけど、それは論文にならない、書けないからでは?ということで、その点を懸念されました。私がやろうとしているのは歴史研究ですので、資料が出てこないと何ともならないですし。

もっとも、自分としてはすでに内心で決めていましたし、従順(面従腹背?)にしておこうとも思わなかったので、そのまま研究テーマを決定しましたが。

 

監督行政に関する研究はあまり多くはありませんから、研究者が書いたものよりも監督官経験者や全労働*1によって書かれた資料をより多く読みました。

どちらが面白いかって言うと後者のほうが面白い。

学者の議論って、人員不足にしろ法令や権限の不備・不十分さにしろ、監督行政の問題点、限界を指摘して行政批判という形に終わる。それはもちろん必要なことですし大事なことではあるんです。でも監督官はそういうのに直面しながらも、現場に向き合ってるわけです。苦悩だとか葛藤だとかを抱えながら、ときには労働者・労働組合の側から「敵」扱いされたりもしながら、あるときは自分の仕事が本当に誰かのためになっているのかと自問したりしながら、監督官という仕事を務めている。

生々しさ、泥臭さを感じるし、私はそういう部分のほうがより惹かれてしまう。

 

研究者にとって最も重要なのは知的好奇心だと、学部時代のゼミの先生からはそう教えられた。その考えが間違っているとは思わない。

でも私は、好奇心だけで研究をやっているのではない。

「世界を知ること」と「世界を変えること」の2つに大きく分けるなら、どちらかといえば私は「変えること」のほうに重心を置きたいと思っている。

 

この辺は周囲と少し温度差を感じるところでもある気がする。

私の周りがたまたまなのかもしれないが、「世界を知ること」のほうがより重視されるきらいがある。「変えること」はともすれば冷笑の感さえあるのではないかとも思う。

 

こんなことにどんな意味があるんだろう、という方向に議論の流れが行くことが時々ある。知的有閑階級のお遊戯に思ってしまう。

「役に立つ研究をすべきか」とかそういう話じゃない。他人がどんな研究すべきかになんて口出しできるほどの資格も気持ちもない。

ただ、自分が研究をやるうえでは、社会に貢献したい、少しでもマシな社会に変えていきたいというのがあった。

 

しばらく疎遠になってしまったが、昔は京都POSSEなどの活動にも顔を出していた。完全に活動家になるほどの覚悟は持ちえなくても、社会を変えたいという気持ちはどこかあったのだと思う。

これは「困ってる人を助けたい」という考えとはちょっと違う。どちらかといえば自分志向だ。不幸や不条理の現実を放置したままで、自分だけがハッピーになれるかということだ。たとえ自分自身は幸福でも、そばにそうでない人がいたり、あるいは他人を犠牲にして幸せを享受できるのかという問題だ。

私は、そのようにして幸せというものを手に入れたとしても、後ろめたさや罪悪感を感じてしまうと思う。

 

この考え方も実は気持ち悪い。自分が勝ち組になることを前提としながら、でもそうやって他者を蹴落とすのは嫌だと言っている。

だから「社会を変えたい」というのは理屈ではなくて、感覚的な気持ちだ。宗教的な義務感がむしろ近いのではと考える。

 

一方で、実際に論文を書く段になると、自分にできること・やっていることとのギャップを自問せざるを得ない。院生も論文を書くことが「仕事」となるから、自分が本当に書きたいものと違うからと言って、ズルズルと先延ばしにするわけにもいかない。期限や締め切りに追われずに書けるのなら良いのだろうけれど、それじゃ生活がままならなくなろう。

 

私が書いた修士論文を、今の主指導教員の先生は面白いと言って読んではくれました。

しかし私には何が面白いのかわからない。自分が面白いと思えないものをそういう風に評価されるのは、ある種不気味ですらあります。

「世界を変える」という点では全く面白くない論文も、「世界を知る」という知的欲求を満たすことはできたのかもしれません。(本当は面白くないのに面白いと言っているのだとしたら、そんな教育手法はやめるべきでしょう)

自分の知的好奇心を満たすだけの論文は自己満足に過ぎないと個人的には考えてきたし、しかし一方で自分の書いた修論は自己満足すらもできなかった。そのように思います。

 

監督官の人たちが関心を持ってきたことと学者が関心を持ってきたことはやはり違うでしょう。日本的雇用システムがもてはやされ、ジャパンアズナンバーワンと浮かれてた頃でも、現場では労働市場の宿痾と向き合っていた。

そういうギャップが最も激しいのは安全衛生でしょうか。

監督行政では労働災害防止を長らく最重要視してきました。しかしそのことに学者の側はどれほど気を払ってきたのか。労働安全衛生法の研究なんかほとんどない。監督行政を取り上げた言説においても、「災防重視の一方で、一般労働条件を軽視している」と批判さえしていた。私もそれくらいの神経の図太さがあったら、論文を書くのも楽だったかもしれぬ。

 

これは先ほども述べたように、理屈というよりは感情的な反発というのが近いと思います。知的有閑階級がどうとか、空理空論であるとか、そんなの私が勝手にそう感じてるだけで、そういう人たちの役割も必要なはずだと、頭では冷静に考えることだってできないわけじゃない。

ただ心情的には、実務的なことと理論的なことと大別するなら、私は前者のほうが肌に合ってるような気がするということです。*2

 

 

なぜ監督官がいいのか。そのことについて私はあまり疑問の余地を差し込むことなく考えていました。

修士論文のテーマにしたくらいですから、最も職業的レリバンスを発揮している仕事だと思うのです。大学院で学んだことを仕事に活かそうと考えるわけですから、すこぶる自然な発想ではないでしょうか。逆にこれ以上に学習した内容にマッチした仕事があるのなら教えてほしいくらいです。

 

就活の初動期って、よく「業界研究をしなさい」というようなことが言われますよね。自分が志望する業界についてちゃんと調べろってやつ。

いや、私は文字通り研究したんですけど……。まあ、業界研究ではなく行政研究という形になりますが。

だから何だって話ですが、少なくともこういった点に関して準備不足だされてしまうようないわれはないということをね。

 

余談ですが、研究に当たっている間に労働局の人に話を聞きに行ったりもしました。本格的なインタビュー調査というわけではなく、簡単なものですけどね。本省のほうは図書館を利用したことを除けば、電話のほうが多かったですね。

いや、これを会社訪問やOB訪問と同一視する気はないです。一次試験の会場や説明会の場で、その時に話を聞いた人がいらっしゃいました。軽く挨拶したのですけれど、向こう方も私の顔を覚えておいででした。

選考とは関係ない……ですよね?

 

「世界を知ること」よりも「世界を変えること」にどちらかと言えば関心があるという話をしました。

別にこれが二律背反になるとは限らないし、それこそ社会に貢献できる仕事なんて無数にあるでしょう。あらゆる職業は何らかの形で社会の役に立っていると考えることもできるでしょう。

そうであるからこそまさに、自分の能力、これまでやってきたことに照らし合わせて職業を選ぶというのは妥当な方法だろうと思います。それが私にとってはまさに労働基準監督官の仕事だと思うのですが。

 

たしかに監督行政を研究テーマに選択したこと自体は、たまたまの「出会い」と言えるかもしれません。論文のネタを探していて、運よくそれを見つけることができた。

けれど多くの人にとって、きっかけというのはそういうものではないですか。研究だけでなく恋愛とか人間関係とか、仕事とかだって。

 

論文のネタ探しであっても、どんな論文を書きたいかによってその方向性は変わるでしょう。私の場合は社会的課題の解決に結びつくような研究がしたいという考えがありましたから、そういったテーマを探していたわけです。ですので、出会いが偶然という側面もありますけれど、追い求めていた側面だってあるわけです。

 

学部時代のゼミは毎年ゼミ論文の執筆を課していました。学部時代には教育や生活保護を題材に選びました。

生活保護ケースワーカー(CW)というのも、現状は措いておくにしても、専門性が求められる仕事には違いないでしょう。たしかにCWという仕事も少し考えました。

今も完全に選択肢として捨て去ったわけではないのです。マンガの『健康で文化的な最低限度の生活』と『ダンダリン一〇一』だったら前者のほうが好き……というのはさておき。

 

研究にかけた時間や労力は修論のほうがより大きく、そういう点でも監督官という判断をしたと思います。

もう少し言えば、これまでは研究テーマを模索するという側面があったように思いますが、監督行政の研究に関しては深く掘り下げていきたいというのがあった。すなわち、もし博士論文の完成にむけて研究していくならという話ですが、そのときはこの研究を大きなものにしたいというのがありました。

 

単純に自分の中だけでの気持ちというのとは異なるかもしれません。もしテーマを選択した順番が違うなら、別の考え方をしていたかもしれません。生活保護の研究よりも監督行政の研究のほうが少ないので、それだけに使命感を感じていた側面もあるでしょう。

直感と理屈と、そして単純接触効果的な要因などが絡みあって、監督行政に思い入れが生まれていったとも言えるでしょう。

 

少なくとも現時点で選択するなら、CWよりも監督官の仕事に就きたいと考えることは、ほとんど迷う余地なく思い至ったことでした。

 

 

監督官の仕事は監督官にしかできません。当たり前のことを言っているだけですが、職業選択という視点で見るとき、これは重要な意味を持ちます。

 

たとえば記者という職業を考えてみましょう。もし記者になりたければ、新聞社などを志望するのが道理でしょう。

しかし別に、ジャーナリストという仕事は新聞社に勤めていなければできないというわけではありません。実際にも新聞社を辞めてフリーのジャーナリストになった記者はいっぱいいます。新聞という媒体にこだわらなくても、記者という仕事はできるのです。新聞社がいいと思っている人でも、特定の新聞じゃなきゃいけないという人でなければ、複数の新聞社の入社試験を受けるのが普通でしょう。

 

これは記者という仕事だけでなく、ほかの多くの仕事についても当てはまる話かと思います。「○○がやりたい」というのが志望動機であれば、その業界のいくつかの会社が候補に浮上するでしょう。その業界の会社を片っ端から受けていくというのもおかしくはない。

会社志向ではなく、仕事志向、業界志向の考え方を取った人ならば、そのような就活の仕方になると想像します。

 

監督官の仕事は監督官にしかできないと言ってのは、このような意味においてです。

監督業務というのは監督官にならないとできません。監督業務に携われる他の「業界」なんて存在しないのですから。監督官の仕事をしたければ、監督官の試験に合格し採用される以外には事実上道がありません。*3

 

生活保護のCWの場合には、国家公務員でなく自治体の職員です。CWもまた高度な専門性が求められるはずですが、社会福祉主事という資格は取得が容易と言われてますし、資格を持たずCW業務に従事する人もいます。

これと比較するのは筋違いなのでしょうが、監督官が「業務独占資格」なのだということを考えてしまいます。

 

 

労働条件の向上を目指す活動であれば、なにも監督官に限られない、というのは頭ではなんとなくわかりますが、職業選択の際に意味ある問いになりうるか。

労働弁護士や組合、労働NPOやボランティアなどの仕事も低く見るわけではありませんが、職業選択の候補ではない。というか弁護士のほうが監督官よりハードル高いし、組合は専従で従事している人もいるでしょうが、「就職先」にはならないでしょう。そもそも私は監督行政は勉強しましたが、組合は労働委員会マターなので別に全然詳しくないし。NPOって食えるの?

 

社労士やコンサルの仕事は……

いや社労士と監督官の関係って、税理士と国税の関係と同じやん。社労士が監督官のセカンドキャリアだとまでは言わんけれども。でも監督官を経た後だって社労士にはなれるし、実際OBでなってる人だって多いでしょう。

受験の年齢制限考えたって、まずやっぱ監督官のほうを目指すでしょう。別に現時点では社労士にそれほどなりたいとは思わないのですけれど、仮にそういう気持ちがあったとしても監督官のほうが強く惹かれるはずです。

社労士と監督官じゃ「顧客」の範囲も違うでしょうし、コンサルには臨検監督ができる権限もないですから、似たような仕事だとはちょっと考えていません。これは実際に監督官の仕事に就いて現場を経験した後なら考えも変わるかもしれませんが、それはその時の話です。

 

学者・研究者については、これは先ほどのジャーナリストの例と類似しますが、別に監督官に就いたからって研究ができなくなるわけではない。教授を辞めてからも研究を続ける人とか在野の研究者がいるように、大学に所属していなくても研究自体は別にできる。学会に所属することだって、論文を書くことだって同様です。社会政策学会や日本労働法学会に所属している監督官も実際いたはずです。

私のような者がやるタイプの研究は高額な実験設備などを必要としませんから、大学に属さなかったからといって、それほど支障が生じるわけではありません。資料へのアクセスなどは大学に籍があったほうが便利なのは違いありませんが、致命的な妨げとはならないでしょう。

監督官・国家公務員というのは守秘義務がありますからそういった制約はありますけれど、今の私だって内部事情や機密を知って書いているわけではないですから、条件は変わりません。

 

ちらりと組合の話がさきほど出ましたが、監督官にも全労働という組合があります。私が修論を執筆する際にも、全労働関係の資料というものはいくつか利用させていただき、大変ありがたかったです。

労働研究において、職場に関する資料が残されるかどうかは組合の存在に大きく依存する面があるでしょう。監督業務の実情を残したり発信していくことに関しては、私は全労働に期待するところがあります。

全労働の活動のなかで労働行政研究集会というものがあるようです。昔の資料を読んでいると、労働問題に対して鋭敏な意識で向き合っているように思います。大学のゼミで抽象的な議論を交わすよりかはそういう議論に興味があります。このような場のほうが「同志」と出会えるのではと想像で期待してはいけないかもしれません。

ですがやっぱり、大学の研究者になるよりは現場に身を投じてみたいと感じるひとつの理由ではあるのです。

 

 

監督官という存在を万能視しているのではありません。あくまでもどの仕事に就きたいかと問われたとき、今の自分の中で最高のチョイスだと感じると述べているにすぎません。

監督行政に関する研究ないし言説を探せば、批判的なそれはすぐ見つかるでしょう。それは予算や人員不足という批判もありますし、法令その他の権限、監督官個人の能力に言及するするものなど、様々あります。

そういった限界や問題点を認識していないわけではないですし、もとより監督官という存在を絶対視しているわけではありません。監督官の手記や座談会などの類を読んでも、その手の話は珍しくありません。

 

けれどその類の話は監督官の存在意義を否定するものでは全くないし、むしろだからこそ監督官個人としてできることを実直にやっていこうと考えていたのでした。

 

監督官が介入するよりも、労働組合に入って団体交渉したほうが対応できる問題も多いし、解決水準も高くなるし、外的な波及効果も大きいかもしれない。なにより労使自治が原則であるべきで、政府介入は最小限であるほうが本来望ましい。監督行政というものに期待しすぎてはいけない。

 

昔であれば、大企業は労働組合があるところも多いし、待遇もよい。監督行政としては中小企業に注力する、という考え方ももっと一般的で、そのように考えている監督官の方も少数ではなかったと思います。

労組の組織率低下もあるでしょうが、それだけでなく、長時間労働に関しては大企業だって問題を抱えていますから、中小企業の監督に重点を置くという考え方は薄れてきていると思います。むしろ少ない行政能力で効率性を考えて、「一罰百戒」を期待しているフシがあります。

大企業の労働者も組合より労基が入ることを期待してたりします。

 

この国の労働問題は明らかに監督官だけの力で解決できるものでありませんし、もし監督行政にそんな期待を抱いているのだとしたら、それは過剰な期待というものです。

あまつさえ、私一人が新たに監督官の仕事に就いたところで、マクロ的にみれば何も状況は変わっていないでしょう。

 

そんなことは百も承知なのです。そのうえで、でも自分にできることとしてこの仕事に携わりたいと思ったのです。この考えが間違ったものだとは思いません。

 

 

ユニオンを設立したり、加入者を増やしていくという労働運動側の動き、戦略に異を唱えているのではありませんし、むしろその方向性を応援しています。

ただ、それだって当然万能ということではないし、どうやって加わる人を増やしていくかという課題は常に存在しているでしょう。

 

この種のことに限ったことではなく、多くのNPOや運動団体はアウトリーチに課題を持っているでしょう。必要としている人にどうメッセージを届け、参加してもらうかという課題です。

 

生活保護のCWを取り上げたので、ここでもそれとの対比で語ります。

生活保護を含め、日本の社会保障システムは原則として申請主義を取っています。生活保護には急迫保護(職権保護)という例外もありまずが、基本的には利用者が申請をしなければ受けることができません。

生活保護の水際作戦が問題なのは言うまでもないですが、申請をためらう、敬遠してしまう人が多いのも事実でしょう。そうした状況だと、必要な人に支援が行きわたらないということになります。

 

対照的に監督行政での臨検監督は、こちらから事業場に出向いていくわけです。労働者からの申告や告訴に対応するという「駆け込み寺」的なところもありますけれども、それだけではないのです。ここに申請主義にはない、ある種の能動性があります。

監督機関としては相談処理に専念して、それ以外は例外的な扱いにするということもできなくはない。けれども定期監督を中心としてずっと監督に当たってきたわけです。

 

NPO弁護団がホットラインを作って相談を受け付けるという活動にも意義ある活動には違いありません。実際そういう場が求められているのは、行政が十分に対応してくれなかったという事実の反映であるという側面もあります。

一方でやはり、監督官が直接事務所なり工場なりに出向いてじかに指導するという行為は、監督官のみに認められたものです。弁護士でも社労士でもできませんし、そのため外部委託するということもできませんでした。

それだけこれは監督官のみに与えられた特別な権限なのであり、特別の職務なのだと思います。その権限に見合うだけの責務と自覚も必要でしょう。だから監督官に任用されたならば使命感に燃えられると思っていたのに……

 

 

ここ最近は考えない日はないというほどずっと想っていたのに、それでもダメですか。

筆記試験と面接で選抜を行うという仕組みは必要ですし、単に私がその域に達しないというだけのことですけれど、それでもこの結果にどう向き合っていいか、暗中にいる。

ここでも私は能力・適性がないと判断されるのか。

 

後悔先に立たずですけれども、監督官以外の仕事に就くことを検討していませんでした。もうそれはどうしようもない。

ただ、ほかも受験してればどうなっていたかと言われてもよくわかりません。監督官以上に思い入れあるものはありませんし、監督官になりたいという気持ち情熱も届かなかったのに、ほかの選択肢がどれほどうまく行ったかもわかりません。

 

惜しむらくはというか、面接でもっとこうしておけばと後悔した箇所はいくつもありますので、その意味で「失敗」だらけだったんでしょう。

「正解」が分からないから、なにが「失敗」だったんだろうという自問が懊悩になる。

私はこの仕事以外無いという感覚でいたけれども、向こうは別に筆記試験で一定程度担保されてる分には他の誰でもいいわけですから。もっと志望動機をうまく伝えられていればとも思います。

 

いわゆるガクチカの質問はダメだったな。定番の質問だから博士課程の学生にも聞くのだろうけれど。

学生時代に一番力を入れたのは間違いなく研究で、修士論文だというのは嘘偽らざる正直な答えですよ。これでサークルとか答えるやつがいたら「なんでお前院生やってんの?」って聞くよ。大学院生ならウソでも研究と答えるべきだと思うよ。

そのうえで「研究以外で力を入れたことは?」と尋ねてくるのなら理解できます。

でも実際次に飛んできたのは「バイトはしてますか」で、RAの仕事とかしてはいたからそう答えたら、「バイトで成長できた経験」って……。誰もがバイトで成長してるとは限らんやんか。

 

これはもうワナでしょ。今振り返るならばトラップ認定しますって。

アルバイトを通じて学びを得たり、殻を破れたりという経験をする人もなかにはいるでしょう。その存在は否定しません。でもみんながみんなそうであるわけちゃうでしょ。

面接カードにもバイトのことは一言も書いてなくて、でもバイトの経験を尋ねられたから頑張って答えようとしてしまったじゃん。

ぶっちゃけバイトよりも研究のほうが、少なく見積もっても100倍は大きな経験でしょ。なのに研究の内容とか苦労した点とかどういう風に乗り越えたとかは一切聞いてこずバイトを答えさせるって。

RAのバイトって別にしんどさを感じたこともないし、とくに大きなトラブルも経験してないし、それまでの人生よっぽどボンボンでもない限り、この仕事で「成長」を感じることなんてないでしょ。それとも何か、一人で図書室に閉じ込められた体験でも話せば良かったんか?

 

 

後悔した発言のひとつは「もし不合格になっても来年また監督官試験を受けます」と言ってしまったこと。別にそこまで聞かれてもいないのに余分なことを答えてしまって。結局本当に落とされてしまったのだから、予言の自己成就だよね。

 

改めて今考えると、ほんとに来年も受験するかは微妙なところがありますよね。「適性」がなかったと思って諦めるという選択もないわけじゃない。

もう一回「告白」しようという気持ちが残っているのは、学振のときと違うけれども。

 

囲碁で「手割」という形勢判断の考え方があるけれど、もう1年勉強して試験に臨むというのは筋悪に思えてしまうんですよね。もし合格してたら残り半年あまりの間に勉強しておきたいと思ってたこともあったけど、不合格だと予定も変わるし。そして新任の監督官が研修を受け実際の現場で学ぶ間を、私は「試験対策」するわけでしょう。

合格と不合格を分けた差以上に、この1年間での勉強の意味合いの差は大きいでしょう。

どうもやる気が萎えるわ。

 

 

 

 

 

唐突だが『聲の形』の話をする。

この前NHKEテレにて放送されていた。正確な数は数えていないが、すでに繰り返し観ている作品だ。

タイミングというのは不思議なもので、不合格となってまだ気持ちが塞いでるときに、見返そうと思っていたところテレビ放送となった。

 

ラストの西宮硝子と植野直花が手話で「バ・カ」とやり取りするシーン。原作マンガにはない、アニメオリジナルの描写。

植野の「バカ」と表したつもりの指文字は実は間違っていて、「ハカ」となってしまっていた。それを西宮が正しく「バカ」と直して見せるという場面だ。

f:id:knarikazu:20180906133509p:plain

f:id:knarikazu:20180906133630p:plain

f:id:knarikazu:20180906134214p:plain

f:id:knarikazu:20180906134200p:plain

f:id:knarikazu:20180906134345p:plain

(濁音は手をスライドさせる必要があり、それができていない植野の指文字を直す場面なんだけど、静止画じゃわかりにくい。動画で見て。)

 

そうなのだけれど、多分植野は(そして指文字が分からない視聴者は)西宮が指文字を訂正してくれたのだという事実に気づかない。単に「バカ」と言ったことに対して「バカ」と言い返したのだと受け止めただろう。

だから実はあの2人の間ではすれ違いが起きているし、そのことにお互い気づいていない。しかしそういうすれ違いがあったとしても、それなりに仲を縮めることはできる。

あのシーンはそのように解釈していた。

 

しかしよく考えたら、後で植野は訂正されたのだという気づくのではないか。あの後も手話の勉強を続けたならばいずれは自分の指文字の間違いに気づき、西宮の行動の意味を理解するのではないか。

それを示唆する伏線が張られているわけではない。むしろ「ば」「か」の指文字を覚えただけで、手話を勉強する気はないと考えたほうが自然だ(小学生時代に手話を勉強することに嫌悪感を示した描写から考えても)。

 

だが私は、植野はその後ちゃんと手話を習い、事実に気づくことになるのではないかと思った。そう考えるとあの「すれ違い」は、全く根本的なすれ違いなどではない。なにより「ハカ」と言われた西宮は、正しく「バカ」と理解することに成功している。

時間をかければ人は必ず分かり合える、という題目を唱えるつもりはない。しかしあのシーンというのは、もっと未来に希望が込められたものだったのかもしれない。

私の中で解釈が変わった瞬間だった。

 

 

「生きるのを手伝ってほしい」というこの映画のコピーは、「生きろ。」(もののけ姫)、「生きる力を呼び覚ませ」(千と千尋)、「生きねば。」(風立ちぬ)などのコピーよりも、自分の心に今は深く突き刺さる気がする。

 

 

 

 

 

 

後日の加筆

以上は不合格の結果を受けた後に何日かかけて書いたものです。書いた時期は8月下旬ごろで、今だったらもう少し別の書き方を改めているかもしれません。「世界を変える」も「関わる」くらいのトーンで書いたかもしれないし、唐突に『聲の形』の話をしているのもおかしいし。

とはいえ、記録としてそのままにしておきたいと思います。

 

 

試験の点数の結果が本日(9月11日)より明らかになりましたので、そのことも記録しておこうと思います。

労働基準監督官の一次試験は基礎能力試験、専門試験(多肢選択式)、専門試験(記述式)となっています。二次試験で人物試験と身体検査があります。たぶんほかの公務員試験等と異なっている点ですが、労基の試験の場合、人物試験は合否判定のみを行います。国家総合職とか、専門職試験でも国税専門官などほかのものは、人物試験についてA~Eの5段階評価を行い、それを点数に換算していたと思います。労基の場合はA~Cが合格、D~Eは不合格となります。

 

私の試験成績は標準点がそれぞれ227、332、240で、人物試験が「D」で不合格となりました。

標準点というのは偏差値のようなもので、以下のように計算します。

f:id:knarikazu:20180911152819p:plain

出所)http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/sennmonnsyoku_daisotsu/rouki/kettei23.pdf

 

平均との差を標準偏差で割って、10をかけて50を足したものがいわゆる偏差値です。国家試験の標準点は10の代わりに15をかけて50を足し、その後で10×配点比率を乗じています。

もしすべての科目で平均点を取った場合は、標準点の合計は500点となります。また350~650点の間に全受験者の約68%が収まるようになるはずです。

 

私の標準点の合計は227+332+240=799点となります。ちなみに今年度の最終合格点は436点とのことです。さっき出所のところに張ったpdfにも書かれている通り、「全ての試験種目で平均的な成績であれば、標準点の合計はおよそ500点になります」とのことなのですが、なのに平均点を取れていなくても合格点に達するということなのでしょうか。誰か詳しい人がいたら解説してほしいものです。

f:id:knarikazu:20180911153705p:plain

出所)http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/heikin/shikenu7_heikin.pdf

 

「標準点」なるものよりも偏差値のほうが身近であるので、そちらに換算していました。標準偏差、平均点についてはそれぞれ上記pdfに記載があります。

私の素点はそれぞれ30、31、155でした。偏差値を計算すると70、68、73となります。

 

私の理解と計算が間違っていなければ、試験の点数自体は十分合格圏に達しているはずです。問題はあれです。人物試験ではねられたということです。これをどうしようかということです。

一次試験の点数が足りないなら、勉強したうえで来年再受験するという選択でいい気がするのですが……。

 

 

 

 

ついでに。

 

研究テーマの関連と教授の退官の関係で、私は大学院に上がるとき指導教員の先生を変更した。

学部時代にお世話になった先生にはメールで不合格の報告をした。メールだったのであまり細かいことまでは伝えていない。校正(というか誤植チェック)のバイトの話題に移り、仕事を頼まれる。

 

これくらいなら別に問題ないのだが、今の指導教員に報告した際には論文指導の話になってしまい、ちょっと戸惑った。

近況を聞かれたので試験が不合格だと伝えたのだが、どうも聞きたかったのは試験の合否よりも論文の進捗等のようであった。受験するということはもちろん前もって伝えてあったけれど、そのことについてはあまり監視を持っていないようだった。

別に慰めてほしいわけではないから、不合格のことはどちらかと言えば事務的な言い方をしたのだけれど、だからといってその場で論文指導受けたいわけじゃない。

 

「あなたは自己満足的に研究を進めてしまうところがあるが、研究をする意義というものを考えなくてはだめだ」というようなことを大意では言われた。

まったくその通りだと思う。そのうえで反論させてもらうならば(その場で面と向かって反論しろよという話なのだが)、自己満足で研究を進められるのであれば、それはまだマシな状態なのだと思う。

私は自己満足もできていない。論文を書いても自己満足すらできる気がしないから、だから研究者ではなく監督官の仕事に就きたいと思ったのだった。そんな自分がかような助言をもらっても、感情の次元が異なるようにしか感じない。

論文の報告はしても心情の報告はしていなかったのだから、それが伝わっていないのは当然ではある。ではあるけれど、その気持ちのズレが改めてはっきりさせられると空しくはなる。

 

もう一人別の人。

「京大生は勉強せずに受けちゃうところがあるから……(以下略)」

確かにダブルスクールしたわけじゃない。でもそういう事実を聞くわけでもなく、したがって私がどんな風にどれだけ勉強したかを知らないはずなのにそんな発言が飛び出す。

というかこれ、労いの言葉になっているつもりで言ったのか?

飲みの席だったからまあ、深く考えるのはやめておこう。

 

 

*1:労働省労働組合。労働行政の現場の職員で組織される労働組合

*2:実務と理論という区別もおかしいですね。実学・虚学

*3:「事実上」と書いたのは、一応政令監督官というものもありますので、試験以外にも監督官に任用されるルートがあるからです