ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

『君の膵臓をたべたい』(アニメ)

kimisui-anime.com

見に行ってきちゃったよ。ああ、泣いたよ、もう。

 

 

私はこの手のストーリーは、どちらかと言えば忌避している。三田誠広いちご同盟』や小坂流加『余命10年』を読んでおいて言うのはアレだけども。そういえば『余命10年』の文庫本のカバー絵と似てると思ったが、どちらもloundrawって人なのか。

 

「忌避」とまで言ってしまうのは、少し言葉が強くなってしまうけれど、この手の作品群のパターンに対して少々批判的に感じているし、斜に構えている部分がある。

難病を抱えた女子(大抵は若い女というパターンだと思う)が出てくるボーイミーツガールで、けれどヒロインのほうは気丈にふるまう。2人の関係が高まってきたところで、結局最後は死んでしまう(手術を決心したけれど、とかね)。

 

大体似通ったパターンだと思うし、私はそのたびに「殺すなよ」と心の中でツッコミを入れる。ツッコミというのは作者に対するそれである。『四月は君の嘘』とかでも、これって別に生存エンドでもええやん、なんで殺すねん、と感じてしまう。

まさか生存エンドにするとメッセージ性が弱まってしまうというようなことでも考えているのだろうか。君嘘って三角関係だったと思うが、それを死という形で解消させるってどうなんだ。

 

大切な人が死に、一方で残された側はより強く「生」を意識するようになるというパターンも大体同じ。これはまあ当然か。

いちご同盟』ってもう30年前の作品らしいな。私が読んだのはもっと最近だけども。この話のラストは「生きろよ」「ああ、生きるよ」という会話のやり取りで終わる。

 

私はその「生きろよ」というセリフをヒロイン(を殺す展開にした作者)に投げかけたい。別にフィクションなんだから生存エンドにしてくれよ、と。

この手の作品群が数少なければこうは思わなかったんだろうけど、実際には私が知ってるだけでも上記のように色々存在する。感動ポルノとまでは言わないが、薄命ヒロインのお涙頂戴ものっていう、ひとつの類型と化している。

 

 

こういう考えであったわけだから、私はキミスイを避けてきた。原作がベストセラーになってたのは知ってたし、実写映画化もされた。しかしこういう話が「感動のストーリー」みたいな形で売り出されているのを、あまりこころよくは感じていなかった。

だからアニメ映画化と聞いても、それほど見に行こうとは思っていなかった。魔が差したのかもしれん。ドラマ、実写映画、マンガ、アニメという媒体のなかで、私にとってアニメが一番心理的ハードルが低いというのはたしかにあるのだけれど。

 

そして冒頭に書いたように打ちのめされてしまった。

なぜかと言われても説明しがたい。最後のほうはニヤつきながら泣いてたし。我ながらなんでニヤついていたのか分からない。

たぶん、自分の理性が感情に敗北したのを感じてしまったから、そんな風になってしまったんだと思う。ストーリーは大きく奇をてらったものではないと思うし、独特のタイトルだからクライマックスあたりで「君の膵臓をたべたい」というセリフをもう一度持ってくるんだろう、というようなことは予想したし。だから「この手のパターンで泣いてたまるかよ」と突き放そうとしながらそれが貫徹できなかった自分の敗けを感じたのだろう。あれは敗北の笑いだ。きっと。

 

そういうことなので、私はこの作品の魅力を理屈として語らないことにする。理屈を超えてしまった部分があるので、語るとするなら自己分析したうえで出直さなきゃならないだろう。

 

 

アニメならでは、ということに関して言えば、花火のシーンが好きかな。ドローンとか使えば実写でもああいうの撮れるのかもしれないけど、でもアニメとして良い画だったと思う。去年のシャフト・新房監督の『打ち上げ花火』の花火よりもこっちのほうが良い気がする。

 

 

ストーリーに関して語るのは控えておく。行動の事実として記しておくと、結局映画を見終わった後に原作本を買ってしまった。劇場でパンフも買ってしまった。

どうせなら劇場グッズの一つとして書籍も売ってくれればいいのにと思うけれどそうではないので、原作は本屋で購入する。私は書店(古本屋含む、ネット除く)で小説ないしマンガを買うとき、それがメインの目的だと店員の人に思われたくないので、カタメの本を一緒に買うという自分ルールがある。

ちなみにその日は映画館に行く前に大学生協学術書、新書を何冊か買ってしまっていたので、もう本を買う予定はなかった。しかし自分ルールに縛られていたため、キミスイ原作のほかに3冊(労働法とかルポとか)を余分に買う羽目になってしまった。

キミスイの誘惑に負けた。*1

 

 

なお、このブログの文章は映画を見てから数日おいて書いている。見る前はブログに書こうとは思っていなかったけれど、やはり書いておきたいと気が変わった。数日空けたのは、そうしないとまとまった文章にならないと感じたから。

ちなみに原作本はまだ未読である。作中にも「まだ未読」という表現が出てきたが、原作でも出てくるのであろうか。*2

まだ未読だし、しばらく読まないでおくつもりだ。そんなすぐ読んでもぶり返してしまうのが目に見えているから。思い出しむせびとか多分してしまう。

同様に入場特典の小説もまだ未読である。パンフも『やがて海へと届く』もまだ未読である。理由は上に同じ。

 

他の住野よる作品も読んでみようかとも思う。しかし当分は手を出さない。理由はご察し。

*1:ちなみにその後帰宅してから、『やがて海へと届く』が作中に登場するということを目にしてしまったので、こちらはネットで購入。ネットなので自分ルールに縛られない。だったら原作本もネットで買えばいいという話だけれども、「衝動買い」というのはそんな話ではないのだ。

*2:「まだ未読」というのは「頭痛が痛い」と同じで冗語である。だから駄目だという気は全くなくて、むしろ「まだ未読」のほうがしっくりくる。