とくに語らなくてよいかなと思っていたけれど、一言だけ。
この映画で繰り返し語られるセリフが「花の湯はだれも拒まない」*1というもの。だれに対しても開かれている、それも人間以外も含めてという意味で、極めて普遍主義的なメッセージではある。
ただ、少なくとも映画の展開を見る限り、これは温泉ではなくて、旅館の物語なのだろう。
ここの湯は分け隔てなく皆を受け入れるのだというメッセージがセリフによって印象付けられる割には、当の温泉シーンは思いのほか少ない。描かれるのは旅館のサービス、仲居の仕事だ。
サービスシーン(エロシーン)がもっと欲しいのだというのではない。この物語は温泉の物語ではなく旅館の物語であるというだけのことで、それを描きたかったのなら何の問題もない。
一方で「温泉」という点から見ると、少し引っかかるところがある。
「花の湯はだれも拒まない」と温泉の魅力が語られているように見えて、その実、温泉自体ではなくプラスアルファとしての旅館サービスで勝負せざるを得ない構造。お客の要望に応えようとする姿勢が悪いわけではないが、見ていて少し不安になるほどの「おもてなし」であると思った。
不安になると言ったのは、小経営の旅館であっても、このようにサービスに応えていかなくてはならないというのは、お話としてはともかく、現実としては大変な苦労だろうなと想像せざるを得ない。
「素朴だが素敵な温泉」という打ち出し方ではなく、「至れり尽くせりの旅館サービス」という描かれ方だと思う。やや単純化しすぎた言い方かもしれないが。
世の中の流れ的には「おもてなし」を求めているということになるのだろうか。
追記)
映画を見たとき「普遍主義」という言葉が思い浮かんだからそのまま使ってしまったが、別の表現のほうが良かったかもしれぬ。ここでいう普遍主義は、社会保障の分野などで使われる概念で、選別主義と対義の意味。別に温泉は社会保障ではないから、ちょっと変な表現になってしまった。
「だれをも受け入れる」という点はものすごくリベラル(寛容)を志向しているけれど、昨今のモンスター消費者問題、カスタマーハラスメント問題への対抗言説にはなりえないだろうな、と。
しかも主人公の勤める旅館は小さいが故にこそ、その分「おもてなし」で補わないと、という描写のされ方(に見える)。
いや、別にこの作品を落としたいわけじゃなく……。
*1:記憶で書いているので、違っていたら申し訳ない