ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

文庫・新書の創刊のことば

文庫や新書のシリーズ・レーベルには、巻末に刊行の辞、創刊の言葉が掲載されているものがある。最近、そうした言葉を眺めるのがちょっとした個人的ブームになっている。

雑誌の創刊号マニアだという人もいるし、文庫のあとがきや解説・解題が好きだという人もいると思うのだけれど、そんなイメージか。

 

 

雑誌の数より文庫・新書のほうが数は少ないだろうと思っていたが、それでもまだ全然収集し終える気配がない。折角だからこれまで読んだことのないレーベルを読んでみようかと考えていたら、めっちゃ時間かかる。

なぜか電子書籍版だと載っていなかったり、創刊当時は載っていたのに現在は不掲載になっているものもある。

やってるうちに文庫・新書以外にも拡大しつつある。

そんなこんなで途中の段階だけれど、一旦公開して随時更新することにする。著作権的な抗議を受けなければ。

 

 

刊行の辞には、出版社がどういう狙いで新しい書籍ブランドを立ち上げたのかという熱意がこもっていたりする。雑誌の創刊事情に詳しいわけではないけれど、書籍のレーベルを創刊する際にも、いろんな経緯が詰まっていたりするのだろう。と勝手に想像したりする。

 

作家がどういう作品を書いてきたかに負けず劣らず、出版社がどう時代に向き合ってきたかを眺めてみるのも面白いと思う。

 

見出しに付けた年次は、刊行の辞に書かれている場合はそれを、そうでない場合は国会図書館検索などでレーベルがいつから発刊されているかを調べ、「?」で表示。

 

 

 

 

新潮文庫(1914年?)

新潮文庫」刊行の趣旨

 

近時譯書の刋行相踵ぐも、未だ一部の間に迎へらるゝに過ぎず、偶〻購讀に易からしめて一般的要求に應ぜんとするものは、皆是れ原著の精神を没し去れる筋書梗概の類のみ。小社こゝに見るところあり、新たに『新潮文庫』を刋す。文學・哲學・科學・宗敎・歴史等の各方面に亘れる泰西名著の邦譯にして、譯者各〻平生傾倒するところ深きものに就き其の最善を致す。梗概にあらず、筋書にあらず、藝術的創作に至りては幾千頁の長篇尚ほ一字を苟くもせざる全譯たらしむ。正確と忠實と相俟つて現代譯書の定本たる可く、且つ繙讀携帶に便なる體裁となし、頒つに出版界極度の廉價を以てす。久しく一部專門の士の間にのみ親しまれたる泰西の名著は、斯くして完全に一般的讀物たることを得ん。『新潮文庫』の期するところ卽ちこゝに在り。

 

1914年9月、新潮文庫は「責任ある全訳」「未曾有の廉価」を掲げ、東京朝日新聞紙上で創刊を謳いあげる。*1

 

第1期(1914年9月~) 書目はすべて海外文学の翻訳。3年間で43点。現在の文庫本より一回り小さな四六半裁判(135×94mm)。新潮社の創業者・佐藤義亮(1878~1951)によって企画。ドイツのレクラム文庫に範をとった小型翻訳叢書。価格は1冊25~30銭。木村屋のアンパンが2銭、うな重が40銭の時代。

 

第2期(1928年12月~) 谷崎、芥川、与謝野晶子など日本文学の名作が中心。著者近影の写真を加えるなど、愛蔵版の趣も持たせた。1年半で19点を刊行。四六判(177×118mm)とサイズは大きくなったが、「最良の書物を最低の廉価に」を標語に掲げ、円本ブームを汲んで1冊1円で販売。

 

第3期(1933年4月~) 海外名作の翻訳、国内現代作家の小説、感想・エッセイ、詩歌、紀行など文芸に関する広範な内容。年間30~50点。大戦による中断(1944)までに495点を刊行。菊半裁判(164×112mm)、後に戦時下の紙統制でA6判(146×105mm)に縮小。ペーパーバック。「万人、必ず読むべく、読まざるを恥とすべき内外文芸の精粋を選んで万人必ず購い得るの実費的廉価を以て広く世に薦めんとするにある」と謳う。

 

第4期(1947年7月~現在)

 

岩波文庫(1927年)

讀書子に寄す

         岩波文庫發刊に際して

眞理は萬人によって求められることを自ら欲し、藝術は萬人によって愛されることを自ら望む。嘗ては民を愚昧ならしめるために墨藝が最も狹き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特權階級の獨占より奪ひ返すことはつねに進取的なる民衆の切實なる要求である。岩波文庫はこの要求に應じそれに勵まされて生れた。それは生命ある不朽の書を少數者の書齋と研究室とより解放して街頭に隈なく立たしめ民衆に伍せしめるであらう。近時大量生産豫約出版の流行を見る。其廣告宣傳の狂態は姑く措くも、後代に貽すと誇稱する全集が共編輯に萬全の用意をなしたるか。千古の典籍の飜譯企圖に敬虔の態度を缺かざりしか。更に分賣を許さず讀者を薬縛して數十册を強ふるが如き、果して共揚言する學藝解放の良途なりや。吾人は天下の名士の聲に和して之を推擧するに躊躇するものである。この秋にあたつて岩波書店は自己の責務の愈重大なるを思ひ、從來の方針の徹底を期するため既に十數年以前より志して來た計畫を愼重審議この際斷然實行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西に亙つて文藝哲學社會科學自然科學等種類の如何を間はず、苟も萬人の必讀すべき眞に古典的價値ある書を極めて簡易なる形式に於て逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は豫約出版の方法を排したるが故に、讀者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自山に選擇することが出來る。携帶に便にして價格の低きを最主とするが故に、外観を顕みざるも内容に至つては嚴選最も力を盡し從來の岩波出版物の特色を益發揮せしめようとする。この計晝たるや世間の一時の投機的なるものと異り、永遠の事業として吾人は微力を傾倒しあらゆる犠牲を忍んで今後永久に繼續發展せしめ、もつて文庫の使命を遺憾なく果さしめることを期する。藝術を愛し知識を求むる士の自ら進んで此擧に參加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経濟的には最も困難多き此事業に敢て當らんとする吾人の志を諒として其逹成のため世の讀書子とのうるはしき共同を期待する。

昭和二年七月

 

現代仮名遣い

読書子に寄す                                                                                                      岩波茂雄

     ――岩波文庫発刊に際して――

 

真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宜伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は徴力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。

昭和二年七月

 

「近時大量生産予約出版の流行を見る……」として、当時の円本(全集を予約購読によって毎月届けるという仕組み)ブームが批判されている。

 

草稿は三木清氏による。それに岩波茂雄が手を入れ、円本・予約出版の下りが付け足された。最初に発表された時には署名がなかったが、発表後評判がよく、岩波茂雄の署名が入るようになった。*2

 

 

岩波全書(1933年)

 

         岩波全書発刊に際して                                                          岩 波 茂 雄

 

時艱にして朝に諍臣なく野に義人なく挙世滔々義をすて利に走りて恥ずるを知らず輦轂の下薫化の重責を負える者に縲絏の徒を出すが如きに至っては邦家の憂患之に過ぐるものはない。吾人は図書に衣食する市井の一素町人に過ぎずと雖も先憂後楽君国に微力を捧げんとする奉公の至情に於ては敢て人後に落つるを潔とせざるもの、一の図書一の雑誌を公にする場合と雖も常に出版の第一義に即し、未だ曾て学術と社会とを思わざることなかりしは自ら顧みて天地に恥じざる所である。創業二十年の記念として吾人は曩に全出版物に亙る特売を行いしが今茲に継続せる記念事業として岩波全書を刊行せんとする。岩波文庫が東西古典の普及を主眼とするに対し岩波全書は現代学術の普及を目標とする。惟うに我国学界の研究往々泰西の塁を摩するあるも学術全般に亙る社会的水準は欧米のそれに及ばざること尚遠き感なきを得ない。岩波全書は現時の日本社会に於ける此の欠陥を補わんことを志すものである。在来の普及書のややもすれば知識の正確を欠く憾あるに鑑み岩波全書は内容を絶対的に信頼し得るものたらしめん為め学術百科夫々の最高権威者に懇請してその敏感熾烈なる学者的良心に委ね、豊富なる知識を平明なる表現に圧縮し之を簡易なる形式に盛りて定価を廉にし自由分売以て普及に便せんとする。岩波書店は最高至深の研究物を公刊せんとする従来の態度に拍車を加うると共に此の際更に岩波全書に努力を傾け学術普及の新領域に進出せんことを期する。国歩艱難の秋、国防軍備固より欠く可からざるも学術の普及と相俟って始めて新日本の光輝は発揚せらるべし。吾人の此の企図も学術立国の趣旨を体し時難に課せられし吾人の責務を果さんとするの微衷に出ずるのみ。敢て同憂好学の士の支持を仰ぐ。(昭和八年十二月)

 

上記文章は岩波全書セレクションから。

 

三笠全書(1938年?)

三笠全書刊行の辞

 

未曾有の躍進の時に當り、わが國の文運には寔に前途洋々たるものがあります。文化の進展亦この機を逸して他にあり得ず、學術ここに改めて興るの慨があるのであります。

三笠書房が創業以來微力ながら、その熱と力により日本文化の向上に盡憔して今日に到りましたことは、今や漸く一般に認められたと云っても妄言ではないでありませう。併し小房は單に從來の業績を以て安んじることを欲しませぬ。更に遍く生新の學術普及に向って斷乎その全精力を集中しようとするものであります。

創業に滿五週年、その躍進を記念してに現代學術の普及の爲め、「三笠全書」の刊行を企圖いたしました。惟ふに從來この種の圖書は稍もすれば西歐のそれの直譯に墮し、また知識の正確を缺くが如き憾み無しとしませんでした。「三笠全書」の重大なる特色とするところは、かかる弊に鑑み、執筆は飽迄も實質的權威者に懇請し、すべてその俊敏熾烈なる學的良心に委ね、その豐富なる知識を平易なる表現に壓縮し、且つ簡易なる形式に盛り、頒つに至糜なる價を以てしたことであります。

茲に發表するのは、その僅少部分に過きませぬが、既にこの中にも科學・哲學・經濟・産業・文學等の凡ゆる學術分野に於ける各々の中心的テーマを包含してゐることを確信いたします。而して今後これが益々充實改發を計り、以て現代學術の完璧を期し、一大百科全書としての最高機能を遂行せんとするものであります。何卒この企圖に對して御激勵御鞭推を吝まれず、その目的の逹成に協力御援助下されんことを大方に冀ふ次第であります。

 

 

 

 

岩波新書

赤版(1938年)

岩波新書を刊行するに際して

天地の義を輔相ほしょうして人類に平和を与へ王道楽土を建設することは東洋精神の神髄にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられたる世界的義務である。日支事変の目標も亦ここにあらねばならぬ。世界は白人の跳梁に委すべく神によつて造られたるものにあらざると共に、日本の行動も亦飽くまで公明正大、東洋道義の精神に則らざるべからず。東海の君子国は白人に道義の尊きをおしふべきで、断じて彼等が世界を蹂躙せし暴虐なる跡を学ぶべきでない。

今や世界混乱、列強競争の中に立つて日本国民は果して此の大任を完うする用意ありや。吾人は社会の実情を審かにせざるも現下政党は健在なりや、官僚は独善の傾きなきか、財界は奉公の精神に欠くるところなきか、また頼みとする武人に高邁こうまいなる卓見と一糸乱れざる統制ありや。思想に生きて社会の先覚たるべき学徒が真理を慕ふこと果して鹿の渓水を慕ふが如きものありや。吾人は非常時に於ける挙国一致国民総動員の現状に少からぬ不安を抱く者である。

明治維新五ヶ条の御誓文はただに開国の指標たるに止らず、興隆日本の国是として永遠に輝く理念である。之を遵奉じゅんぽうしてこそ国体の明徴も八紘はっこう一宇いちうの理想も完きを得るのである。然るに現今の情勢は如何。批判的精神と良心的行動に乏しく、やゝともすれば世におもねり権勢に媚びる風なきか。偏狭なる思想を以て進歩的なる忠誠の士を排し、国策の線に沿はざるとなして言論の統制に民意の暢達を妨ぐる嫌ひなきか。これ実に我国文化の昂揚に微力を尽さんとする吾人のひそかに憂ふる所である。吾人は欧米功利の風潮を排して東洋道義の精神を高調する点に於て決して人後に落つる者でないが、驕慢なる態度を以て徒らに欧米の文物を排撃して忠君愛国となす者の如き徒に与することは出来ない。近代文化の欧米に学ぶべきものは寸尺と雖も謙虚のなる態度を以て之を学び、皇国の発展に資する心こそ大和魂の本質であり、日本精神の骨髄であると信ずる者である。

吾人は明治に生れ、明治に育ち来れる者である。今、空前の事変に際会し、世の風潮を顧み、新たに明治時代を追慕し、維新の志士の風格を回想するの情せつなるものがある。皇軍が今日威武を四海に輝かすことかくの如くなるを見るにつけても、武力日本と相並んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。これ文化に関与する者の銃後の実務であり、戦線に身命をさら将兵の志に報ゆる所以でもある。吾人市井の一町人に過ぎずと雖も、文化建設の一兵卒としてけんてきの誠を致して君恩の万一に報いんことを念願とする。

さきに学術振興のため岩波講座岩波全書を企図したるが、今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。これ一に御誓文の遺訓を体して、島国的根性より我が同胞を解放し、優秀なる我が民族性にあらゆる発展の機会を与へ、躍進日本の要求する新知識を提供し、岩波文庫の古典的知識と相俟って大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。古今を貫く原理と東西に通ずる道念によってのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果されるであらう。岩波新書を刊行するに際し茲に所懐の一端を述ぶ。 昭和十三年十月靖国神社大祭の日

 

「古典」の文庫、「学術」の全書に対し、「教養」を掲げたのが新書。

岩波新書の企画のアイデアは主として吉野源三郎による*3。イギリスのペンギン・ブックス(その姉妹編としてのペリカン・ブックス)にヒントを得た。

岩波文庫と異なり、新書は岩波自身が筆を執る。

発刊の辞は、1940年9月5日刊行の中野好夫アラビアのロレンス』(赤版73)までは掲げられていたが、同年9月30日刊行の大谷東平『暴風雨』(赤版74)以降は削除される。第二次世界大戦後に一旦復活するも、占領下ではふたたび削除。

 

青版(1949年)

岩波新書の再出発に際して

 

岩波新書百冊が刊行されたのは中日事変の始まった直後から太平洋戦争のたけなわな頃におよぶ、かの忘れえない不幸の時期においてであった。日々につのってゆく言論抑圧のもとにあって、偏狭にして神秘的な国粋思想の圧制に抵抗し、偽りなき現実認識、広い世界的観点、冷静なる科学的精神を大衆の間に普及し、その自主的態度の形成に資することこそ、 この叢書の使命であった。

われわれは、かの不幸な時期ののちに、 いまだかつてない崩潰を経験し、あらゆる面における荒廃のなかから、いまや新しい時代の夜明けを迎えて立ちあがりつつある。しかも、当面する危機はきわめて深く、状況はあくまで困難である。世界は大いなる転換の時期を歩んでおり、歴史の車輪は対立と闘争とを孕みながら地響きをたてて進行しつつある。平和にして自立的な民主主義日本建設の道はまことにけわしい。現実の状況を恐るることなく直視し、確信と希望と勇気とをもってこれに処する自主的な態度の必要は、今日われわれにとって一層切実である。ここに岩波新書を続刊し、新たなる装いのもとに読者諸君に贈ろうとするのも、この必要に答えて国民大衆に精神的自立の糧を提供せんとする念願にもとづく。したがって、 この叢書の果すべき課題は次のごとくであろう。

世界の民主的文化の伝統を継承し、科学的にしてかつ批判的な精神を鍛えあげること。

封建的文化のくびきを投げすてるとともに、日本の進歩的文化遺産を蘇らせて国民的誇りを取りもどすこと。

在来の独善的装飾的教養を洗いおとし、民衆の生活と結びついた新鮮な文化を建設すること。

幸いにひろく読者の支持をえて、この叢書が国民大衆の歩みとともに健康なる成長をとげることを心から切望するものである。 (一九四九年三月)

 

1970年

岩波新書について

 

岩波新書赤版百冊が刊行されたのは、日中戦争の始まった直後から太平洋戦争たけなわのころに及ぶ、忘れえないあの苦難の時期においてであった。当時の偏狭な国粋思想の横行に対抗して、偽りなき現実認識と、広い世界的観点と、冷静な科学的精神とを普及し、日日につのってゆく言論抑圧の下に、なお、ヒューマニズムの精神を保持し、国民の自主的な生き方に資したい、という念願こそ、この双書創刊の趣旨であった。

戦争は惨憺たる敗戦をもって終わり、その荒廃の中から起ちあがって、私たちは新しい時代に向かって発足した。戦時下に一時休刊の止むなきに至っていた岩波新書も、装幀を赤版から青版に改め、一九四九年、希望をもって再出発することとなった。当時なによりも必要であったのは、敗戦後の厳しい現実を臆することなく直視し、広い視野と冷静な認識とをもって、激動の時代に立ち向かう勇気であった。自主的な精神の確立は、民主主義の時代を迎えて一層欠くことのできない要件となった。「現代人の現代的教養」という創刊の標語も、この新たな現実の中で、さらに進んだ積極的意味をもつこととなった。かくて再出発以来二十余年、時代の課題を次ぎつぎ追いながら、政治・経済・社会・文化・自然科学等の分野にわたって、七百五十余点を刊行しつづけて今日に至った。

いまや一九七〇年を迎え、戦後の歴史はふたたび大きく転回しようとしている。国際的にも国内的にも未曾有の変動を経て、今日私たちは、戦争直後とは全く一変した政治的・社会的現実に当面し、かつてない深い思想的混迷をも迎えている。知らねばならぬこと、考えねばならぬ問題は山積して、日日、私たちの前に立ちはだかっている。しかし、その中にあって、知性をもってこの時代閉塞を切り拓こうと努めている人々、この困難な時代を真摯に生き抜こうとしている人々は、けっして少数ではない。私たちは、その人々を読者とし、その人々の要請にこたえる精神の糧を提供することこそが、今日この双書の果さねばならない課題であると信じ、この双書の使命を思いかえしつつ、さらにさらに前進をつづけたいと思う。読者の御支持を心から期待する。(一九七〇年三月)

 

黄版(1977年)

岩波新書新版の発足に際して

 

岩波新書の創刊は、一九三八年十一月であった。その前年、すでに日中戦争が開始され、日本軍部は中国大陸に侵攻し、国内もまた国粋主義による言論統制が日ましに厳しさを加えていた。新書創刊の志は、もとより、この時流に抗し、偽りなき現実認識、冷静な科学精神を普及し、世界的視野に立つ自主的判断の資を国民に提供することにあった。発刊の辞は、「今茲に現代的教養を目的として岩波新書を刊行する」とその意を述べている。一九四四年、苛烈な戦時下にあって、岩波新書は刊行点数九八点をもって中絶のやむなきにいたり、越えて四六年、三点を発行したのを最後に赤版新書は終結した。

一九四五年八月、戦争は終った。日本の民衆が、敗戦による厳しい現実を見据え、新たな民主主義社会を築き上げてゆくためには、自主的、精神の確立のこそ一層欠くべからざる要件であった。出版という営みを通じて学術と社会に尽すことを念願とした創業者の遺志を継承し、戦時下の岩波新書創刊の趣旨を改めて戦後社会に発展させることを意図して、一九四九年四月、岩波新書は、装を新たにして再発足した。「現代人の現代的教養」という辞は、この青版新書において、以前にもまして積極的な意味を賦与された。幸いに博く読者に迎えられ、本年四月、ついに青版新書は刊行総点数一千点を数えるに至った。創刊以来四十年の歳月を通じて、多数の執筆者が協力を吝しまれず、広汎な層に及ぶ読者の支持を得た結果である。

戦後はすでに終焉を見た。一九七〇年代も半ばを経過し、われわれを囲繞する現実社会は混迷を深め、内外にかつて見ない激しい変動が相ついでいる。科学・技術の発展は、文明の意味を根本的に問い直すことを要請し、近代を形成してきた諸々の概念は新たな検討を迫られ、世界的規模を以て、時代転換の胎動は各方面に顕在化している。しかも、今日に見る価値観は余りに多層的であり、多元的であるが故に、人類が長い歴史を通じて追究してきた共通の目標をすら見失わせようとしている。

この機において、岩波新書は、創刊以来の基本方針を堅持しつつ、ここに再び装いを改めて、新たな出発をはかる。二十世紀の残された年月に生き、さらに次の世紀への展望をきりひらく努力を惜しまぬ真摯な人々に伍して、現代に生きる文字通りの新書として、その機能を自らに課することを念願しつつ、この新たな歩みは始まる。

赤版・青版の時代を通じて、この叢書を貫いてきたものは、批判的精神の持続であり、人間性に第一義をおく視座の設定であった。いま、新版の発足に当り、今日の状況下にあってわれわれはその自覚を深め、人間の基本的権利の伸張、社会的平等と正義の実現、平和的社会の建設、国際的視野に立つ豊かな文化創造等、現代の人間が直面する諸課題に関わり、広く時代の要請に応えることを期する。読者諸賢の御支持を願ってやまない。(一九七七年五月)

 

 

新赤版(1988年)

岩波新書創刊五十年、新版の発足に際して

 

岩波新書は、一九三八年一一月に創刊された。その前年、日本軍部は日中戦争の全面化を強行し、国際社会の指弾を招いた。しかし、アジアに覇を求めた日本は、言論思想の統制をきびしくし、世界大戦への道を歩み始めていた。出版を通して学術と社会に貢献・尽力することを終始希いつづけた岩波書店創業者は、この時流に抗して、岩波新書を創刊した。

創刊の辞は、道義の精神に則らない日本の行動を深憂し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発であると謳っている。このような創刊の意は、戦時下においても時勢に迎合しない豊かな文化的教養の書を刊行し続けることによって、多数の読者に迎えられた。戦争は惨澹たる内外の犠牲を伴って終わり、戦時下に一時休刊の止むなきにいたった岩波新書も、一九四九年、装を赤版から青版に転して、刊行を開始した。新しい社会を形成する気運の中で、自立的精神の糧を提供することを願っての再出発であった。赤版は一〇一点、青版は一千点の刊行を数えた。

一九七七年、岩波新書は、青版から黄版へ再び装を改めた。右の成果の上に、より一層の課題をこの叢書に課し、閉塞を排し、時代の精神を拓こうとする人々の要請に応えたいとする新たな意欲によるものであった。即ち、時代の様相は戦争直後とは全く一変し、国際的にも国内的にも大きな発展を遂げながらも、同時に混迷の度を深めて転換の時代を迎えたことを伝え、科学技術の発展と価値観の多元化は文明の意味が根本的に問い直される状況にあることを示していた。

その根源的な問は、今日に及んで、いっそう深刻である。圧倒的な人々の希いと真摯な努力にもかかわらず、地球社会は核時代の恐怖から解放されず、各地に戦火は止まず、飢えと貧窮は放置され、差別は克服されず人権侵害はつづけられている。科学技術の発展は新しい大きな可能性を生み、一方では、人間の良心の動揺につながろうとする側面を持っている。溢れる情報によって、かえって人々の現実認識は混乱に陥り、ユートピアを喪いはじめている。わが国にあっては、いまなおアジア民衆の信を得ないばかりか、近年にいたって再び独善偏狭に傾く惧れのあることを否定できない。

豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出こそは、岩波新書が、その歩んできた同時代の現実にあって一貫して希い、目標としてきたところである。今日、その希いは最も切実である。岩波新書が創刊五十年・刊行点数一千五百点という画期を迎えて、三たび装を改めたのは、この切実な希いと、新世紀につながる時代に対応したいとするわれわれの自覚とによるものである。未来をになう若い世代の人々、現代社会に生きる男性・女性の読者、また創刊五十年の歴史を共に歩んできた経験豊かな年齢層の人々に、この叢書が一層の広がりをもって迎えられることを願って、初心に復し、飛躍を求めたいと思う。読者の皆様の御支持をねがってやまない。(一九八八年一月)

 

 

2006年

岩波新書新赤版一〇〇〇点に際して

 

ひとつの時代が終わったと言われて久しい。だが、その先にいかなる時代を展望するのか、私たちはその輪郭すら描きえていない。二〇世紀から持ち越した課題の多くは、未だ解決の緒を見つけることのできないままであり、二一世紀が新たに招きよせた問題も少なくない。グローバル資本主義の浸透、憎悪の連鎖、暴力の応酬――世界は混沌として深い不安の只中にある。

現代社会においては変化が常態となり、速さと新しさに絶対的な価値が与えられた。消費社会の深化と情報技術の革命は、種々の境界を無くし、人々の生活やコミュニケーションの様式を根底から変容させてきた。ライフスタイルは多様化し、一面では個人の生き方をそれぞれが選びとる時代が始まっている。同時に、新たな格差が生まれ、様々な次元での亀裂や分断が深まっている。社会や歴史に対する意識が揺らぎ、普遍的な理念に対する根本的な懐疑や、現実を変えることへの無力感がひそかに根を張りつつある。そして生きることに誰もが困難を覚える時代が到来している。

しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、私たち自身がそうした閉塞乗り超え、希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可能ではあるまい。そのために、いま求められていること――それは、個と個の間で、開かれた対話を積み重ねながら、人間らしく生きることの条件について一人ひとりが粘り強く思考することではないか。その営みの糧となるものが、教養に外ならないと私たちは考える。歴史とは何か、よく生きるとはいかなることか、世界そして人間はどこへ向かうべきなのか――こうした根源的な問いとの格闘が、文化と知の厚みを作り出し、個人と社会を支える基盤としての教養となった。まさにそのような教養への道案内こそ、岩波新書が創刊以来、追求してきたことである。

岩波新書は、日中戦争下の一九三八年一一月に赤版として創刊された。創刊の辞は、道義精神に則らない日本の行動を憂慮し、批判的精神と良心的行動の欠如を戒めつつ、現代人の現代的教養を刊行の目的とする、と謳っている。以後、青版、黄版、新赤版と装いを改めながら、合計二五〇〇点余りを世に問うてきた。そして、いままた新赤版が一〇〇〇点を迎えたのを機に、人間の理性と良心への信頼を再確認し、それに裏打ちされた文化を培っていく決意を込めて、新しい装丁のもとに再出発したいと思う。一冊一冊から吹き出す新風が一人でも多くの読者の許に届くこと、そして希望ある時代への想像力を豊かにかき立てることを切に願う。(2006年4月)

 


                                                    

 

有斐閣全書(1948年)

            「有斐閣全書」刊行について

 

敗戦という未曾有の冷嚴な現實に直面したわが國は、今や蹶然として起ち上り、深刻な世相の混亂を秩序に還し、速やかに文化の興隆を致し、以て新日本の建設に邁進することは、將にわれわれの重大使命であります。惟うにわが國の學界は歐米に比肩して劣らざる研究も少くはありませぬが、學術全般に亙る社會的水準は、遺憾ながら未だ低いと謂われています。その原因としては、種々のものが擧げられましようが、結局、學間の尊重とその普遍化への努力が足らなかったことに歸せられましよう。從來のわが國社會に於けるこの缺陷を補い且つ現時の時代的要請を充すがために、弊肆は昨春來「創業七十周年記念出版」として、各種の計整を實行しつつあります。曩に發表の「選書」が主として各分野に於ける權成ある特殊研究の普及を主眼とするのに對し、「全書」は現代學術各部門に於ける正確な知識を集成し、問題の體系的綜観と解明をなすことにより、學術の殿堂を廣く一般に公開して、學間の普遍化と民主化に最大の寄與をなさむとするものであります。卽ち斯學の中核を形成する最高の權威と精鋭に懇請して、その深奥な學識を平易な表現に凝集し、萬人に親しみ易い體裁に於て、廉價に一般向學の士に獻じて、最大の普及を圖りたいと思います。再建日本の將來のため、「有斐閣全書」に課せられた使命が充分に逵せられますよう、切に江湖の御支援を希んでやみませぬ。

昭和二十三年四月一日                    書肆 有 斐 閣 

 

 

アテネ文庫(1948年?)

   アテネ文庫刊行のことば

 

昔、アテネは方一里にみたない小國であった。しかもその中にプラトンアリストテレスの哲學を生み、フィヂアス、プラクシテレスの藝術を、またソフォクレス、ユウリピデスの悲劇を生んで、人類文化永遠の礎石を置いた。明日の日本もまた、たとい小さく且つ貧しくとも、高き藝術と深き學問とをもつて世界に誇る國たらしめねばならぬ。「暮しは低く思いは高く」のワーヅワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ。本文庫もまたかかる日本に相應しく、最も簡素なる小册の中に最も豊かなる生命を充浴せしめんことを念願するものである。切り取られた花瓶にさされた一輪の花が樹上に群る花よりも美しいごとく、また彫刻におけるトルソーが全身において見出されない肢節のみのもつ部分美を顯現するごとく。

 

発行は弘文堂書房(のち「弘文堂」)。

 

 

1948年3月25日から1960年4月10日まで発刊。総計301点。当初は60頁、後に80頁となる薄冊の文庫。内容は人文科学・自然科学から創作・評論・エッセイなど幅広い。「刊行のことば」の執筆者は鈴木成高(しげたか)とされる。*4

 

 

角川文庫(1949年)

  角川文庫発刊に際して                                                 角川源義

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層への文化の普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。

一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果すべく角川文庫を発刊する。これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。しかし私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。

  一九四九年五月三日

 

角川源義は、岩波文庫にならって、「角川文庫発刊に際して」の執筆を山本健吉に依頼したが、結局大幅に直して源義の文章になったもよう*5。当初はB6判だったが、のちにA6判に小型化。創刊宣言は、そのまま踏襲された。

 

角川文庫は新潮、岩波に次ぐ第3の文庫とも言われる。アテネ文庫(弘文堂)、世界古典文庫日本評論社)の例があるから必ずしも「第3」ではないのだが、「総合文庫」として地歩を固めた。当時の岩波文庫は古典志向が強く、現代作家の作品は限定的だった。新潮文庫は小説オンリーで評論、哲学、思想書はラインナップに入っていなかった。角川文庫は双方を収録した総合文庫となった。

 

毎月定期的に刊行していく文庫は、当時は小出版社にはできないと言われていた。創業したばかりの角川書店ならなおさらである。

しかし角川文庫のヒットを受け、市民文庫(河出書房)、創元文庫(創元社)、三笠文庫(三笠書房)等の第一次文庫ブームが起きることとなった。

 

岩波少年文庫

1950年

   岩波少年文庫発刊に際して

 

一物も残さず焼きはらわれた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向かって伸びていった。戦後、いたるところに見た草木の、あのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり、若々しい枝なのである。

この文庫は、日本のこの新しい萌芽に対する深い期待から生まれた。この萌芽に明るい陽光をさし入れ、豊かな水分を培うことが、この文庫の目的である。幸いに世界文学の宝庫には、少年たちへの温い愛情をモティーフとして生まれ、歳月を経てその価値を減ぜず、国境を越えて人に訴える、すぐれた作品が数多く収められ、また名だたる巨匠の作品で、少年たちにも理解し得る一面を備えたものも、けっして乏しくはない。私たちは、この宝庫をさぐって、かかる名作を逐次、美しい日本語に移して、彼らに贈りたいと思う。

もとより海外児童文学の名作の、わが国における紹介は、グリム、アンデルセンの作品をはじめとして、すでにおびただしい数にのぼっている。しかも、少数の例外的な出版者、翻訳者の良心的な試みを除けば、およそ出版部門のなかで、この部門ほど杜撰な翻訳が看過され、ほしいままの改刪が横行している部門はない。私たちがこの文庫の発足を決心したのも、一つには、多年にわたるこの弊害を除き、名作にふさわしい定訳を、日本に作ることの必要を痛感したからである。翻訳は、あくまで原作の真の姿を伝えることを期すると共に、訳文は平明、どこまでも少年諸君に親しみ深いものとするつもりである。

この試みが成功するためには、粗悪な読書の害が、粗悪な間食の害に劣らないことを知る、世の心ある両親と真摯な教育者との、広汎な御支持を得なければならない。私たちは、その要望にそうため、内容にも装釘にもできる限りの努力を注ぐと共に、価格も事情の許す限り低廉にしてゆく方針である。私たちの努力が、多少とも所期の成果をあげ、この文庫が都市はもちろん、農村の隅々にまで普及する日が来るならば、それは、ただ私たちだけの喜びではないであろう。(一九五〇年)

2000年

   岩波少年文庫創刊五十年――新版の発足に際して

 

心躍る辺境の冒険、海賊たちの不気味な唄、垣間みる大人の世界への不安、魔法使いの老婆が棲む深い森、無垢の少年たちの友情と別離……幼少期の読書の記憶の断片は、個個人のその後の人生のさまざまな局面で、あるときは勇気と励ましを与え、またあるときは孤独への慰めともなり、意識の深層に蔵され、原風景として消えることがない。

岩波少年文庫は、今を去る五十年前、敗戦の廃墟からたちあがろうとする子どもたちに海外の児童文学の名作を原作の香り豊かな平明正確な翻訳として提供する目的で創刊された。幸いにして、新しい文化を渇望する若い人びとをはじめ両親や教育者たちの広範な支持を得ることができ、三代にわたって読み継がれ、刊行点数も三百点を超えた。

時は移り、日本の子どもたちをとりまく環境は激変した。自然は荒廃し、物質的な豊かさを追い求めた経済の成長は子どもの精神世界を分断し、学校も家庭も変貌を余儀なくされた。いまや教育の無力さえ声高に叫ばれる風潮であり、多様な新しいメディアの出現も、かえって子どもたちを読書の楽しみから遠ざける要素となっている。

しかし、そのような時代であるからこそ、歳月を経てなおその価値を減ぜず、国境を越えて人びとの生きる糧となってきた書物に若い世代がふれることは、彼らが広い視野を獲得し、新しい時代を拓いてゆくために必須の条件であろう。ここに装いを新たに発足する岩波少年文庫は、創刊以来の方針を堅持しつつ、新しい海外の作品にも目を配るとともに、既存の翻訳を見直し、さらに、美しい現代の日本語で書かれた文学作品や科学物語、ヒューマン・ドキュメントにいたる、読みやすいすぐれた著作も幅広く収録してゆきたいと考えている。

幼いころからの読書体験の蓄積が長じて豊かな精神世界の形成をうながすとはいえ、読書は意識して習得すべき生活技術の一つでもある。岩波少年文庫は、その第一歩を発見するために、子どもとかつて子どもだったすべての人びとにひらかれた書物の宝庫となることをめざしている。                                                                          (二〇〇〇年六月)

 

OHM文庫(1952年?)

OHM文庫刊行のことば

 

現代における工学・技術の特徴は,昨日の専門が今日の常識として技術者・学生に要求され,かつ問題が底知れず細分専門化されてゆく.一方またあらゆる工学の分野が相互に働き合って渾然一体となり,それぞれの工学が非常な勢いで進歩発展する.

小社は,50年来つとに工学・技術書の出版に専念してきたが,このような日進月歩の工学技術を紹介するのに,従来の教科書や参考書のように広汎な内容を盛る書籍とはおよそ趣きを変え,テーマを極限し,他書よりも奥行きと平易さとに重点をおき,加うるに実用性を兼ね備えた“そのものズバリの内容”の廉価版を企画した.

これがOHM文庫である.読者の欲する事項に限定し,少ない頁数で無駄のない文献を提供するのがこの文庫の目的である.このようにテーマは極限しても,それそれ万人が関心をもち,しかも魅力的なもののみを選んだのがこの文庫の狙いである.

この企画を成功させるためにはそのテーマについて百般を知悉している権威者によらなければ不可能であり,著者にその道の大家が並んだのも偶然ではない.このOHM文庫が読者諸彦に最小の負担で最大の収穫をあげ得られることを確信するものである.すでに全国津々浦々より寄せられている反響から,OHM文庫は技術の宝庫であり,また技術革新の源泉であると,けだし名言である.

この企画は愛読者の世論に応えて続々刊行の予定であるから読者の希望される書名・著者名などふるって御協力を戴き度く衷心より希う次第である.

 

カッパ・ブックス(1954年?)

光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば

 

カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴(しょうちょう)である。

カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託(くったく)のない濶達(かつたつ)さ。

(はだか)一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、()くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。

この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Booksは、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価(れんか)。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。

 

1954年2月中央公論社の新書サイズの単行本『女性に関する十二章』、10月にはカッパ・ブックスが創刊。各社から相次いで新書が登場し、のちに第一次新書ブームと呼ばれた。

ただしカッパ・ブックスは「新書」という名称を使わなかった。

 

カッパ・ブックスの企画は、刊行者・神吉晴夫の後の言葉によれば「昭和29年の夏」とされる。1954年当時、光文社はB6判単行本の叢書シリーズ「考える世代とともに」を発行中であったが、このシリーズはわずか4冊で途絶。後を受ける形で創刊されたのが、「カッパ・ブックス」シリーズだった。第1弾となった伊藤整『文学入門』の企画も、「考える世代とともに」から「カッパ」に引き継がれたと考えられる。十分な準備期間がなかったため、最初に刊行された4点は、表紙のカッパのキャラクターのエンボスがないままだった。*6

 

青春新書

青春新書(1956年)

 

プレイブックス(1963年)

   人生の活動源として

 

いま要求される新しい気運は、最も現実的な生々しい時代に吐息する大衆の活力と活動源である。

文明はすべてを合理化し、自主的精神はますます衰退に瀕し、自由は奪われようとしている今日、プレイブックスに課せられた役割と必要は広く新鮮な願いとなろう。

いわゆる知識人にもとめる書物は数多く窺うまでもない。

本刊行は、在来の観念類型を打破し、謂わば現代生活の機能に即する潤滑油として、逞しい生命を吹込もうとするものである。

われわれの現状は、埃りと騒音に紛れ、雑踏に苛まれ、あくせく追われる仕事に、日々の不安は健全な精神生活を妨げる圧迫感となり、まさに現実はストレス症状を呈している。

プレイブックスは、それらすべての、うっ積を吹きとばし、自由闊達な活動力を培養し、勇気と自信を生みだす最も楽しいシリーズたらんことを、われわれは鋭意貫かんとするものである。

 

創始者のことば― 小澤和一

 

上部に横書きで「人生を自由自裁活動(プレイ)する」とコピーが掲げられている。

 

青春新書インテリジェンス(2005年)

   いまを生きる

“青春新書”は昭和三一年に――若い日に常にあなたの心の友として、その糧となり実になる多様な知恵が、生きる指標として勇気と力になり、すぐに役立つ――をモットーに創刊された。

そして昭和三八年、新しい時代の気運の中で、新書“プレイブックス”にその役目のバトンを渡した。「人生を自由自在に活動(プレイ)する」のキャッチコピーのもと――すべてのうっ積を吹きとばし、自由闊達な活動力を培養し、勇気と自信を生み出す最も楽しいシリーズ――となった。

いまや、私たちはバブル経済崩壊後の混沌とした価値観のただ中にいる。その価値観は常に未曾有の変貌を見せ、社会は少子高齢化し、地球規模の環境問題等は解決の兆しを見せない。私たちはあらゆる不安と懐疑に対峙している。

本シリーズ“青春新書インテリジェンス”はまさに、この時代の欲求によってプレイブックスから分化・刊行された。それは即ち、「心の中に自らの青春の輝きを失わない旺盛な知力、活力への欲求」に他ならない。応えるべきキャッチコピーは「こころ涌き立つ“知”の冒険」である。

予測のつかない時代にあって、一人ひとりの足元を照らし出すシリーズでありたいと願う。青春出版社は本年創業五〇周年を迎えた。これはひとえに長年に亘る多くの読者の熱いご支持の賜物である。社員一同深く感謝し、より一層世の中に希望と勇気の明るい光を放っ書籍を出版すべく、鋭意志すものである。

 

平成一七年                                                                     刊行者 小澤源太郎

 

 

 

上部に横書きで こころ涌き立つ「知」の冒険 とある。

 

人物叢書

1958年

   『人物叢書』刊行の辞

 

歴史には歴史の発展がある。それは個人の意志とはかかわりなく発展してゆく。しかし歴史をつくるものは人間である。歴史における個人の役割を無視するわけにはいかない。

個人がその一生をどう生活したか。そしてそれが社会とどんな関係にあるか。それをはっきりさせることは人生の探求であり、ことにその個人が偉大である場合には、それはまた同時に歴史の究明でもある。こういう意味で私どもは、日本人の伝記叢書ともいうべきものの出現を多年望んでいたものである。

そこでこのたび日本歴史学会の同人が協力して編集にあたり、吉川弘文館の賛助・後援をえ、学界多数の方々に依頼して、それそれ専門とされる方面で、日本歴史の上に大きな足跡を残した人々、もしくはある時代、ある階層を代表するような人物を選んで、その正確な伝記の執筆を願い、これを『人物叢書』として公刊することにしたのである。

しかしふりかえって見ると、これは決して容易な仕事ではない。すでに約三百の人物を予定しているが、これだけで十分でないことはいうまでもなく、なお多数の人々の伝記が必要である。そうなればこの仕事はなかなかの大事業である。私どもはそれを覚悟の上で、この事業の完遂のためにあくまで努力する所存である。

大方の諸賢が右の趣意を諒とされ、激励と援助とを与えてくださるよう切にこいねがう次第である。

昭和三十三年九月

日本歴史学

代表者 高柳光寿

 

発行は吉川弘文館

 

新装版(1985年)

人物叢書』(新装版)刊行のことば

 

人物叢書は、個人が埋没された歴史書が盛行した時代に、「歴史を動かすものは人間である。個人の伝記が明らかにされないで、歴史の叙述は完全であり得ない」という信念のもとに、専門学者に執筆を依頼し、日本歴史学会が編集し、吉川弘文館が刊行した一大伝記集である。

幸いに読書界の支持を得て、百冊刊行の折には菊池寛賞を授けられる栄誉に浴した。

しかし発行以来すでに四半世紀を経過し、長期品切れ本が増加し、読書界の要望にそい得ない状態にもなったので、この際既刊本の体裁を一新して再編成し、定期的に配本できるような方策をとることにした。既刊本は一八四冊であるが、まだ未刊である重要人物の伝記についても鋭意刊行を進める方針であり、その体裁も新形式をとることとした。

こうして刊行当初の精神に思いを致し、人物叢書を蘇らせようとするのが、今回の企図である。大方のご支援を得ることができれば幸せである。

昭和六十年五月

日本歴史学

代表者 坂本太郎

 

発行は吉川弘文館

 

 

 

カッパ・ノベルス(1959年)

「カッパ・ノベルス」誕生のことば

 

カッパ・ブックスKappa Booksの姉妹シリーズが生まれた。カッパ・ブックスは書下ろしのノン・フィクション(非小説)を主体としたが、カッパ・ノベルスKappa Novelsは、その名のごとく長編小説を主体として出版される。

もともとノベルとは、ニューとか、ニューズと語源を同じくしている。新しいもの、新奇なもの、はやりもの、つまりは、新しい事実の物語というところから出ている。今日われわれが生活している時代の「詩と真実」を描き出す――そういう長編小説を編集していきたい。これがカッパ・ノベルスの念願である。

したがって、小説のジャンルは、一方に片寄らず、日本的風土の上に生まれた、いろいろの傾向、さまざまな種類を包蔵したものでありたい。かくて、カッパ・ノベルスは、文学を一部の愛好家だけのものから開放して、より広く、より多くの同時代人に愛され、親しまれるものとなるように努力したい。読み終えて、人それぞれに「ああ、おもしろかった」と感じられれば、私どもの喜び、これにすぎるものはない。

 

昭和三十四年十二月二十五日

 

「ノン・フィクション(非小説)」という表現に、やや時代性を感じる。

 

「ノンフィクション」の言葉を、今、使われているのと同じ意味で使う方向に一歩踏み出したのは大宅壮一であろう。*7

というのも、70年代以前には「ノン・フィクション」と「・(中黒)」入りで表記することが多かった。

こうした表記の違いには文化的な背景があるように思う。このとき、ノンフィクションはあくまでも非フィクション、つまりフィクション以外の表現ジャンルの全体を指すものであった。非フィクションとしての「ノン」が強調されているのだ。*8

 

 

「カッパ・ノベルス」の創刊編集長は伊賀弘三良(のち祥伝社)。入社6年目、31歳のときだった。*9

当時は雑誌に連載されたものが単行本として出るという時代だったが、伊賀は松本清張に書き下ろしを依頼(ノベルス第一作に松本清張ゼロの焦点』)。

 

当時販売局長だった藤岡俊夫(その後祥伝社会長)によれば、松本清張のほか、黒岩重吾水上勉梶山季之の4人の推理作家を上手く回していくだけで「ノベルス」は安定した収益を確保。全社員の月給がこれで賄えたという。「ブックス」は賞与分となり「女性自身」は蓄積に回せることになった。

 

科学普及新書(1961年?)

科学の社会的役割は,基本的な成果があらゆる人々の共有財産とならない限りは全うされたことにはならない――このシリーズは,科学についての知識が少数の科学者だけのものでなく,これからの世代のすべての人たちの常識となっていくことを念願して,世界各国の一流科学者や,教育者がその情熱をかたむけた,すぐれた科学啓蒙書を集めたものである.科学教育の発展のために,物理・化学の教師や,学生・一般の人に多く読まれ,役立てば幸いである.

 

中公新書(1962年)

中公新書刊行のことば

一九六二年一一月

いまからちょうど五世紀まえ、グーテンベルクが近代印刷術を発明したとき、書物の大量生産は潜在的可能性を獲得し、いまからちょうど一世紀まえ、世界のおもな文明国で義務教育制度が採用されたとき、書物の大量需要の潜在性が形成された。この二つの潜在性がはげしく現実化したのが現代である。

いまや、書物によって視野を拡大し、変りゆく世界に豊かに対応しようとする強い要求を私たちは抑えることかできない。この要求にこたえる義務を、今日の書物は背負っている。だが、その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない。現代を真摯に生きようとする読者に、真に知るに価いする知識だけを選びだして提供すること、これが中公新書の最大の目標である。

私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない。中公新書が、その一貫した特色として自らに課すものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである。現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実もまた、中公新書によって数多く発掘されるであろう。

中公新書は、現代を自らの眼で見つめようとする、逞しい知的な読者の活力となることを欲している。

 

それ以前にも中央公論社から刊行された新書判はあった(第一次新書ブームの先駆けとなった1954年伊藤整『女性に関する十二章』など)が、中公新書とは名づけられてない。

 

創刊時の編集長は宮脇俊三。1959年創刊の『週刊コウロン』が休刊を迎えるなど重くなっていた社内の空気を変えたのが出版部だった。宮脇は『世界の歴史』(全16巻、別巻1)、『世界の旅』(全10巻)に続いて『中公新書』を創刊。*10

 

ブルーバックス(1963年)

科学をあなたのポケットに

 

二十世紀最大の特色は、それが科学時代であるということです。科学は日に日に進歩を続け、止まるところを知りません。ひと昔前の夢物語もどんどん現実化しており、今やわれわれの生活のすべてが、科学によってゆり動かされているといっても過言ではないでしよう。

そのような背景を考えれば、学者や学生はもちろん、産業人も、セールスマンも、ジャーナリストも、家庭の主婦も、みんなが科学を知らなければ、時代の流れに逆らうことになるでしよう。

プルーバックス発刊の意義と必然性はそこにあります。このシリーズは、読む人に科学的に物を考える習慣と、科学的に物を見る目を養っていただくことを最大の目標にしています。そのためには、単に原理や法則の解説に終始するのではなくて、政治や経済など、社会科学や人文科学にも関連させて、広い視野から間題を追究していきます。科学はむずかしいという先人観を改める表現と構成、それも類書にないプルーバックスの特色であると信じます。

一九六三年九月

 

 講談社は60年代以降、本格的に総合出版社として、その幅を広げていく。

1962年4月、野間省一社長から「本格的な科学技術の時代に備えて、新時代をリードする科学出版の企画を考えよ」との命を受けたのは、理系出身者で、学年別学習雑誌編集の経験のあった藤田実だった。*11

 

1年の研究期間を経て、1963年5月25日に「科学図書出版部」が発足。メンバーは藤田実以下、渡辺義朗・下田勇治、のちに藤井俊雄が加わり全4名という陣容。

藤田らは注目したのは光文社「カッパ・ブックス」。『頭のよくなる本』(林髞)、『記憶術』(南博)などは年間ベストセラーの上位にランクし、科学的な読み物でも、企画を工夫し、平易なものにすればマーケットは小さくないと感触だった。

新シリーズの基本コンセプトは「自然科学の知識を大衆のものとすること」とし、サイズは幅広の新書判とした。

 

ガガーリンの言葉「地球は青かった」から、「ブルーバックス」の名称、シンボルカラーが決まった。

 

藤田らは、企画編集の基本方針を次のように定めた。

1 できるだけ類書にないテーマをとりあげ、著者には新人を起用する。

2 わかりやすいだけでは不満足、読者の興味関心や問題意識をかきたてる本を目指す。

3 自然科学に限定せず、人文科学や社会科学、さらに大衆の生活との境界領域にテーマを求める。

4 著者原稿を編集部がリライトすることを原則とする。

5 依頼に関しては、必ず担当者が「独自構成案」(概要・目次)を用意する。

新シリーズの名称は、刊行の数ヵ月前までは「ポケットサイエンス」とほぼ決まっていた。しかし営業サイドから、“サイエンス”や“科学”という文字を使うことに難色が示された。そこで先に述べたガガーリンの言葉から、当時、科学を象徴する知的な色というイメージがあった“ブルー”と、米国で流行っていたペーパーバックスの“バックス”とを結びつけて、「ブルーバックス」と名づけた。キャッチフレーズのほうで「ポケット」という言葉を生かし「ポケットの中の科学シリーズ」とした。「ブルーバックス」の顔として、芦立ゆうし創案の「火星人」がシンボルマークとなった。*12

 

有斐閣双書(1964年)

有斐閣双書』の刊行に際して

わが社は,創業70周年記念出版の一として「有斐閣全書」を,次いで「教養全書」を,また80周年記念として「法律学全集」を,さらに随時各種の「講座」「演習」「辞典」などを刊行し,戦後における学術の発展と普及に大きな役割を果してきた。

しかし,近時の大学教育のめざましい進展により,学習・研究者の層が著しく拡大されてきたこと,さらに最近の社会的・経済的情勢の変化に伴ない社会人の再教育が重要性を加え,かつ実務上の問題解決に正しい指針を与える良書を求むる声の大なることを顧慮するとき,旧来の殻を破った新しい双書の必要を痛感するに至った。

有斐閣双書』は正にその要請に応えるために企画されたもので,法律・経済・社会などの社会科学を中軸とし,広く人文科学その他の関連分野にわたる従来の研究の貴重な成果をとり入れ,表現は平易,簡潔に,内容は必要にして十分なコンパクトなものであることを期している。

本双書は,次の二つを主な内容とする。まず,〈入門・基礎知識編〉では,初学者のためのやさしい教科書,既修知識を能率よく整理するための参考書,さらに,通常の教科書では初学者には理解しにくいもの,または十分に論じ及んでいない問題についての,分りやすい解説などを収め,それぞれの読者層に対応した正しい基礎知識を提供する。

次に,〈理論・実務編〉では,理論・実務上の重要なテーマについて,専門分野の枠にとらわれることなく総合的に解説し,研究者にとっては,研究の豊な糧となり,実務家にとっては,日常の執務のよき相談相手となることを期するものである。

執筆者には,それぞれの問題について,造詣の深い新鋭と権威にお願いし,読者の要望に正しく応えうるように最善の配慮をしている。この双書発刊の意義と熱意をくまれ,心からなる御支援をお願いしてやまない。

(昭和39年3月)

 

 

 

講談社現代新書(1964年)

講談社現代新書」の刊行にあたって

 

教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。

しかし、不幸にしてわが国の現状では、教養の重要な養いとなるべき書物は、ほとんど講壇からの天下りや単なる解説に終始し、知識技術を真剣に希求する青少年・学生・一般民衆の根本的な疑間や興味は、けっして十分に答えられ、解きほぐされ、手引きされることがありません。万人の内奧から発した真正の教養への芽ばえが、こうして放置され、むなしく滅びさる運命にゆだねられているのてす。

このことは、中・高校だけで教育をおわる人々の成長をはばんでいるだけでなく、大学に進んだり、インテリと目されたりする人々の精神力の健康さえもむしばみ、わが国の文化の実質をまことに脆弱なものにしています。単なる博識以上の根強い思索力・判断力、および確かな技術にささえられた教養を必要とする日本の将来にとって、これは真剣に憂慮されなければならない事態であるといわなければなりません。

わたしたちの「講談社現代新書」は、この事態の克服を意図して計画されたものです。これによってわたしたちは、講壇からの天下りでもなく、単なる解説書でもない、もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています。

わたしたちは、創業以来民衆を対象とする啓蒙の仕事に専心してきた講談社にとって、これこそもっともふさわしい課題であり、伝統ある出版社としての義務でもあると考えているのです。

一九六四年四月 野間省一 

 

当時講談社では、『たのしい一年生』などの学年別学習雑誌が、1963年3月号で休刊となっていた*13。学習編集局は「たのしい幼稚園」編集部・学習図書出版部・辞典出版部の3部署体制となり、その学習図書出版部の初代部長に就いたのが山本康雄。

山本は教育学者の村井実・慶應義塾大学教授との相談・議論し、『新書』を提案される。創刊の文章を起草は、顧問を引き受けた村井実教授による。

シリーズ名は当初「講談社新書」が有力だったが、他局でそれを使いたいという意向などがあり「講談社現代新書」に落ち着いた。

 

内容については、編集部がある程度のプロットを作り、提案して、執筆者とともに練り上げて本を作るという方法を確立した。

 

1971年、デザインが杉浦康平によるものに刷新。以後33年間「現代新書」の顔となった。

創刊40周年となる2004年に装幀が一新された(杉浦康平→中島秀樹)。*14

 

 

日本新

刊行時(1964年)

   新日本新書発刊のことば

 

新日本出版社がこれまで発行してきました世界・中国両革命文学選をはじめ、幾多の書籍は、現在、ますます多くの読者のみなさんの支持をうけるようになっています。このことは、労働者をはじめ、日本の働くすべての人たちのなかに、進歩をねがい日本の行く手について真剣に考え行動する力が大きく成長しつつあることを、はっきり示していると考えます。

このたび新日本新書を発刊することになりましたのは、このような要求にもとづいて、日本の政治・経済をはじめ、思想・文化などひろい分野にわたって、読みやすい大衆的な啓蒙書を提供しようという意図からであります。そのため、日本の進歩的学者や文化人、その他の方がたの著作、諸外国の文献、解説書、初歩の学習書をはじめ、歴史、ルポルタージュ、大衆的な読みものにいたるまで、ひろく刊行してゆきたいと考えております。

また、私たちは、このシリーズをたんなるきわものとしてではなく、また読みすてにするようなものではなく、長い生命をもつ価値あるものに育ててゆきたいとねがっています。みなさんの座右の書として、また読書サイクルやその他の集まりの伴侶となり、日本の独立・民主・平和・中立・生活向上をねがうすべての読者の方がたに、生活と思想への指針として役だてていただけるものとなれば幸いです。

一九六四年七月

 

十周年(1974年)

日本新書発刊十周年にあたって

 

日本はいま、内政・外交・教育・文化のあらゆる面で新たな転換をせまられています。国民の国政革新への期待は、日ましに高まり、平和と独立と民主主義の日本の将来をめざす力は、おしとどめることのできない歴史の流れとなりつつあります。このような時代に、歴史の歯車を、真に国民の多数の意志によって、主動的におしすすめることができるか否かは、日本の将来にとって決定的な意義をもつことになるにちがいありません。

そのためにこそ、平和で民主的な日本を展望しつつ、時代の歩みに先駆けて、広く国民の期待にこたえる科学と文化の成果を国民に提供していくこと、ここにこんにち、新日本新書に課せられている歴史的な課題があると、わたしたちは考えます。

日本新書は、 一九六四年に創刊されて以来、こんにちまで二〇〇点を数え、政治・経済はもとより、哲学・歴史・教育・文学・自然科学など、広い分野にわたる啓蒙書として、読者のみなさんとともに育ってきました。わたしたちは、これまでの礎石のうえに立って、新書の内容をより豊かなものとして発展させていきたいと思います。新日本新書が、新しい日本の夜明けをめざし、真剣に生きる人びとの期待にこたえ、その生活をはげまし、豊かにすることに役だつなら、わたしたちにとってこれにかわる喜びはありません。未来への明るい展望と確信にうらうちされた、科学と文化の豊かな発展と創造のために、つねに読者のみなさんとともにありたいと思います。

一九七四年九月

 

 

旺文社文庫(1965年?)

旺文社文庫」刊行のことば

いかなる時代においても、書物は人間の最大の喜びであり、最高の救いである。若い日読んだ書物は、人間の生涯にわたって影響をあたえ、第二の天性となり、人格となるであろう。

かかる観点から旺文社は、若き世代のための出版社としての使命感にたって、ここに旺文社文庫を刊行する。内容は、洋の東西にわたり、時代の古今をつらぬき、文学・科学・伝記・随筆・思想、万般におよび、いやしくも知識人たらんとする者が、生涯の教養の基盤として、若い日一読すべき価値のあるものを可及的に多く刊行せんとするものである。

読むに価値あるものを、でき得るだけ楽しく、消化しやすく、読みやすく提供することは出版社の義務である。出版道義を強く信奉せんとしているわが社は、この目的にひたむきに献身するものである。あえてわが社の志を理解されご支援あらんことを。

旺文社社長 赤尾好夫

 

アジアを見る眼(1966年)

「アジアを見る眼」シリーズ発刊に当たって

 

地中海から太平洋まで、この広くアジアと呼ばれる地帯には幾十かの国がある。その大部分は第二次世界大戦以後、古い植民地体制から脱して新興の独立国となったものである。世界の人口の半ば以上のものがここにある。これらの新興国はそれぞれの立場に立って、建国創業の仕事に力をつくしている。

その業は果たして障害なく着々と進んでおるか。だれもがこれに対して頭をかしげるであろう。そしてだれもがアジアは「流動的である」という。

流動的とは何であるか。また何でないか。いくたの混みいった事態のなかを、一本の金の線が生々発展的に縫っているのも流動的である。経済は着々と成長し、政治は一つの体制のなかで徐々に整備されているような場合がそれである。

アジア諸国の大部分については、事態はこのように簡単ではない。もちろん、経済の場面には大きな発展・成長の芽生えはある。しかし、他面においてそれを抑制するものが力づよい。またおよそ発展や成長を考える場合、在来流行の理解によるパターンを以ってするのが果たして正しいか、との疑問もでてくる。さらに政治体制については、イデオロギーの対立、複合民族国家における特殊なナショナリズムに伴う民族や種族間の闘争があって、政治的安定はなかなか期すべくもない。独立国家の幼年期に伴う政治的、行政的未熟もまた考えられるべき大きな原因である。

こういう次第で、アジアが流動的であるとは、一つの混沌を意味するものといいえようか。そしてその上に立っていかなる経済・社会・政治の体制が整いだされるであろうか。――この意味で二〇世紀後半のアジアは世界における「問題」、いな最もおおきな「問題」である。

アジア経済研究所は、まさにこの「問題」の理解に向かって、ひたすら前進をつづけている。われわれの期するところは、まさにそれぞれの国の現実に即した精確な知識を供しよう、そしてこの大きな「問題」について静かなサービスをいたそうとするに尽きる。設立以来すでに七カ年あまり、専らそういう道を歩んできたし、今後もそれに変わりはない。このシリーズは、多くの研究や調査の報告書、現地調査を土台として、アジアについての解説書・教養書たることを目標とするものである。

一九六六年三月

アジア経済研究所 東畑精一

 

 

日本教図・教育図書(1966年)

日本教図・教育図書発行に際して

41・5

戦後二十年、廃墟のなかから幾多の困難とたたかいながら、再びわが国がその物質文化において驚異的な発展を遂げ、ある意味では世界の奇跡とまでいわれながらも、その精神文化において、果してどれだけの進歩をもたらしたであろうか。政治も教育も宗教も、ただ対立抗争のなかにあけくれ、権力への奴れいとなって祖国精神を見失ってきているのではなかろうか。

明治百年か、戦後二十年かの論争はあるにしても、明沿以来日本の近代化がはじまり、その間幾多の曲折はあったが、短日月のうちに飛躍的発展を遂げ、アジアにおける先進国にまでその地位を高め得たことは、かつての日本民族の誇りであり、その原動の力こそ、教育立国の基本政策と、国民の一体感によるエネルギーの結集にほかならなかった。

いまや、教育も政治も宗教も、時代の大きな転換のなかに立っている。戦後二十年を迎え、明治百年の前夜に立って、いまこそ全国民が、祖国の精神にたちかえり、新しい進歩に立ちむかわなければならない。すべての国民のしあわせを実現し、平和と文化とをめざすあらたな国民集団の結集にほかならない。

わが社は、これまで教材教具の日本教図として、全国の学校その他から絶大のご支援を得て、わが国教育の前進のために微力をささげてきたが、今後もいっそう積極的に、独自の領域の開拓と使命とに力をつくすとともに、新たに出版部を設けて、現在の混乱した教育のなかに、その正しい進路を求め、教育の全面的な進歩に、いささかの役割りを果したいと願うものである。

わが社のめざすところは、今日の教育がひずみを改め、抗争と停滞とのどろ沼からぬけ出て、祖国の新たな精神を呼びおこし、教育を通して民族のエネルギーを開発し、未来に立ちむかう創造国家への道をきり開き、その繁栄とともに宇宙時代の国際社会に貢献し得る希望と活力にみちた民族の育成にある。

教育こそ、あすをつくる国民の希望であるという信念に貫かれて、出版を通じて、積極的にその行動を展開したいと願うものである。

いっそうのご支援とご協力を期待してやまない。

日本教図株式会社 登山俊彦

 

 

三省堂新書(1967年)

   刊行のことば

精神の荒野に、知性の断層に、対話を生み出してゆくこと、これが『三省堂新書』の願いである。孤立した精神に新しいいぶきを吹き込み、英知の水脈をひらき、きょうとあすとをつなぎ、主体と総体のこだまを呼び起こして、荒廃の谷間をうずめてゆきたい。なによりも、書物の受け手と送り手とが同じ鼓動に結ばれて、ともに考えていく姿勢を広げていくことが『三省堂新書』の深い願いである。

願いを満たす基盤は、民主主義の正統を受け継いで、それをさらに発展させる絶えまない歩みである。歴史を民衆の立場からつかんで、伝統の地中に創造の火を掘り起こす努力である。人々の幸福と世界の平和への希求を貫いて、内外の潮流を明らかにしていく作業である。これはもとより、新奇の着想ではない。民衆の自己教育の体系であるべき、出版文化の本来の針路である。

ふりかえれば、三省堂の歩みは一八八一年(明治十四年)の創業以来、つねに、学習する新しい世代と固く結ばれ、その出版活動は辞書・教科書・参考書に代表されてきた。この長い歩みの上に立って誕生する『三省堂新書』は、先人の思想と体験を探る人々には生きた辞書となり、歴史をどうみるかを学ぼうとする人々には生きた教科書となり、そして自らの内部に深く目を注ぎ、あすの自己のあり方を考える人々には生きた参考書となるであろう。

対話の喪失に悩むすべての人々をささえることによって、その人々にささえられることを期待し、未来への願いをこめて『三省堂新書』を世に問うものである。

一九六七年九月

 

新学社文庫(1968年)

   新学社文庫発刊のことば

 

人生の大きいよろこびの一つは、ことばと文字をもち、読み書きのすべを伝授されたことにある。これあるがゆえに人は、ひとりひとりの寿命こそ短いが、祖先から子孫に通じて文化の継承という永遠の発展性をもち、宇宙の秘められた調和と法則をも解明することができる。また個人の生涯においても、人は読書により古今の賢者を師として、はるか数千年の歴史をさかのぼり、また広く東西の知識を学ぶことができるが、読書を外にしては祖先がのこしてくれた文学上の大いなる財宝や、真実な朋友、親切な忠告者、愉快な伴侶を得ることがむすかしいであろう。良書は何をおいても読むべきである。弊社はここに新学社文庫を発刊するにあたり、多感にして吸収力に富む若き日にぜひ一読すべき良書を精選して広く若人にすすめ、愛読をこいねがう。 

昭和四十三年五月

奥 西 保

 

 

角川選書(1968年)

この書物を愛する人たちに

 

詩人科学者寺田寅彦は、銀座通りに林立する高層建築をたとえて「銀座アルプス」と呼んだ。

戦後日本の経済力は、どの都市にも「銀座アルプス」を造成した。

アルプスのなかに書店を求めて、立ち寄ると、高山植物が美しく花ひらくように、

書物が飾られている。

印刷技術の発達もあって、書物は美しく化粧され、通りすがりの人々の眼をひきつけている。

しかし、流行を追っての刊行物は、どれも類型的で、個性がない。

歴史という時間の厚みのなかで、流動する時代のすがたや、不易な生命をみつめてきた先輩たちの発言がある。

また静かに明日を語ろうとする現代人の科白がある。これらも、

銀座アルプスのお花畑のなかでは、雑草のようにまぎれ、人知れず開花するしかないのだろうか。

マス・セールの呼び声で、多量に売り出される書物群のなかにあって、

選ばれた時代の英知の書は、ささやかな「座」を占めることは不可能なのだろうか。

マス・セールの時勢に逆行する少数な刊行物であっても、この書物は耳を傾ける人々には、

飽くことなく語りつづけてくれるだろう。私はそういう書物をつぎつぎと発刊したい。

真に書物を愛する読者や、書店の人々の手で、こうした書物はどのように成育し、開花することだろうか。

私のひそかな祈りである。「一粒の麦もし死なずば」という言葉のように、

こうした書物を、銀座アルプスのお花畑のなかで、一雑草であらしめたくない。

一九六八年九月一日

 

 

有斐閣選書(1969年)

   『有斐閣選書』の刊行に際して

 

現代は今や激動と発展の時代であるといわれています。戦後二十数年、私たちをとりまく内外の情勢には、政治・経済・文化の各面で、めざましい変化が起り、時代はまさに重大な転換期にあるといえます。人類が月に足跡を印したということも、この新しい時代の到来をつげるものでありましょう。そしてこのような大きな変化、とりわけ新しい科学と技術の発展にともない、一般大衆の知的欲求は、年ごとに高まり、拡がりつつあります。したがって、学術文化の普及にも新しい創意と工夫を必要とすることを痛感いたします。

わが社は、この時代的要請に応えるため、ここに想を新たにして、この選書を発足させることを決意しました。

テーマは、広く現代の課題を選び、新時代にふさわしい専門知識の普及をはかるとともに、具体的な素材を通じて鋭い現実感覚を養う内容のものとしたいと念願します。そのため、斯界の権威と新鋭にお願いして、その貴重な研究成果を簡明平易に叙述していただき、清新な装いの普及版として、多くの人々に親しみやすいものとなるように期しております。

市民・学生をはじめ、広く現代社会人の知的要求に即応するこの選書誕生の趣旨をくまれ、切に皆様のご支援をお願いしてやみません

(昭和四十四年十一月)

 

 

筑摩総合大学(1969年?)

筑摩総合大学刊行にさいして

 

学問は今日、一つの転期にある。めざましい専門科学の発展、現実問題の多様化に伴い、かつての学問体系の有効性はゆらぎ、学問分野の地図は大きく書きかえられつつある。その最も顕著な特質は、専門科学の相互交流と総合化への趨勢であろう。本叢書は、その今日的状況と将来への展望に立って、現代学問の全分野を総合的・体系的に捉えなおし、あるべき新しい学問体系の見取り図を構築しようとするものである。更にまた、専門知識がますます重視される社会要請をふまえ、普遍的教養と専門知識の統一をはかることを目的とする。専門知識が最も力を発揮しうるのは、それをとりまく諸科学の全体的な体系の把握の上であると考えるからである。学問の場としての大学が根底から問い直されている今日、学問のあり方、大学のあり方に対して積極的な提言を試みる本叢書を、独自の総合アカデミアとして広く志ある人々に提供したい。

 

ノン・ブック(1970年?)

「ノン・ブックとは」

 

既成の価値に対する不安と疑い――これが現代の特色です。

まさに“否定(ノン)の時代”と申せましょう。

このとき私たちの「ノン・ブック」がスタートします。

これまでの考え方に、待てよ、と小首をかしげ、人間の明日をささえる新しい喜びを見いだそうとするシリーズです。

読者とともに「真に人間的な価値とはなんだろうか」を問いかけ、その答えを模索していきます。そのためにあらゆる従来の枠をとりはずして、自由な創作性で一冊一冊に取り組んでいくつもりです。

どんなことでも、あなたのご意見を歓迎します。

 

NON・BOOK編集部

 

発行は祥伝社

シリーズ1作目は松本清張『人間水域』で1970年12月15日発行で、カバーのデザインは伊藤憲治。

 

このときのカバー折り返し部分に梶山季之(としゆき)の名で以下の文が寄せられている。

大文豪が、祥伝社(はなむ)

“祥”とは、神の下す善、つまり幸いの意である。

活字による“(しあわ)せ”を、広く世の人々に伝えんとして、ある()しき事情により某出版社を辞めた四人の“サムライ”達が、集まって“祥伝社”を設立しささやかに再出発することになった。そのスタートを祝福して、天下の大文豪・松本清張先生が、(はなむ)けとされたのが、この小説である。松本先生の心意気に敬服すると共に、祥伝社のスタートに心から拍手を送りたいと思う。

前衛水墨画界の内幕を鋭く(えぐ)った、この〈人間水域〉は、当然ベストセラーになるであろうし、そうあらねばならぬと考えている。

 

 

レグルス文庫(1971年)

   レグルス文庫について

レグルス文庫〈Regulus Library〉は、星の名前にちなんている。厳しい冬も終わりを告げ、春が訪れると、力づよい足どりで東の空を駆けのぼるような形で、獅子座〈Leo〉があらわれる。その中でひときわ明るく輝くのが、このα星のレグルスである。レグルスは、アラビア名で“小さな王さま”を意味する。一等星の少ない春の空、たったひとつ黄道上に位置する星である。決して深い理由があって、レグルス文庫と名づけたわけではない。

ただ、この文庫に収蔵される一冊一冊の本が、人間精神に豊潤な英知を回復するための“希望の星”であってほしいという願いからである。

都会の夜空は、スモッグのために星もほとんど見ることができない。それは、現代文明に、希望の冴えた光が失われつつあることを象徴的に物語っているかのようだ。誤りなき航路を見定めるためには、現代人は星の光を見失ってはならない。だが、それは決して遠きかなたにあるのではない。人類の運命の星は、一人ひとりの心の中にあると信じたい。心の中のスモッグをとり払うことから、私達の作業は始められなければならない。

現代は、幾多の識者によって未曾有の転換期であることが指摘されている。しかし、その表現さえ、空虚な響きをもつ昨今である。むしろ、人類の生か死かを分かつ絶壁の上にあるといった切実感が、人々の心を支配している。この冷厳な現実には目を閉ざすべきではない。まず足元をしっかりと見定めよう。眼下にはニヒリズムの深淵が口をあけ、上には権力の壁が迫り、あたりが欲望の霧につつまれ目をおおうとも、正気をとり戻して、たしかな第一歩を踏み出さなくてはならない。レグルス文庫を世に問うゆえんもここにある。

一九七一年五月

 

 

講談社文庫(1971年)

講談社文庫刊行の辞

 

二十一世紀の到来を目睫に望みながら、われわれはいま、人類史上かつて例を見ない巨大な転換期をむかえようとしている。

世界も、日本も、激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して、未知の時代に歩み入ろうとしている。このときにあたり、創業の人野間清治の「ナショナル・エデュケイター」への志を現代に甦らせようと意図して、われわれはここに古今の文芸作品はいうまでもなく、ひろく人文・社会・自然の諸科学から東西の名著を網羅する、新しい綜合文庫の発刊を決意した。

激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年間の出版文化のありかたへの深い反省をこめて、この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする。いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく、長期にわたって良書に生命をあたえようとつとめるところにしか、今後の出版文化の真の繁栄はあり得ないと信じるからである。

同時にわれわれはこの綜合文庫の刊行を通して、人文・社会・自然の諸科学が、結局人間の学にほかならないことを立証しようと願っている。かつて知識とは、「汝自身を知る」ことにつきていた。現代社会の瑣末な情報の氾濫のなかから、力強い知識の源泉を掘り起し、技術文明のただなかに、生きた人間の姿を復活させること。それこそわれわれの切なる希求である。

われわれは権威に盲従せず、俗流に媚びることなく、渾然一体となって日本の「草の根」をかたちづくる若く新しい世代の人々に、心をこめてこの新しい綜合文庫をおくり届けたい。それは知識の泉であるとともに感受性のふるさとであり、もっとも有機的に組織され、社会に開かれた万人のための大学をめざしている。大方の支援と協力を衷心より切望してやまない。

一九七一年七月

 

 岩波にしろ、新潮にしろ、角川にしろ、新書より文庫を先に創刊するイメージが強い中で、講談社は現代新書のほうが早い。

戦前から文藝雑誌を出していた出版社では、そこに掲載したものを単行本にすることによって利益をあげていたが、その経験のない講談社では、「群像」にどんな評判作が載っても出版する意志がなく、天下を沸かせた『肉体の門』すら出版しようとはしなかった。あるグラフ雑誌に、「群像」は他社を儲けさせる雑誌と書かれるほどであった。*15

 

講談社も戦後にロマン・ブックス、ミリオン・ブックスを出していた。が、現在まで続いていない。

 

文庫の検討が始まったのは、1968年後半*16。文庫市場は当時ですら飽和状態との声があったが、野間省一社長の考えで1969年7月、文庫出版部を新設、梶包喜が部長に。国内外の古典的名作、また将来において古典的名作となりうる現代の小説とノンフィクションを収録する方針。

 

1970年6月8日、最終会議にて名称が「講談社文庫」と決定。

「生きる深さを伝え、読む楽しさを与え、人間性の郷愁を満たす感動的な一流の文学を、小説、戯曲、評論、詩歌にわたって収め、また民族の心にふれ、人間を養う永遠の大衆文学を収める」

「人文、社会、自然関係の諸科学やそれらに類する諸著作については、常に人間と事物に即し、一般へ開かれた観点に立って選ぶ」

「国際化時代に対応した新しい価値の創造に資する日本の名著を収める」

など、10項目からなる編集方針要項が決定。

 

文庫編集部は創刊時100冊の同時発売を目指しラインナップの編成にかかる。ところが、講談社の文庫参入という情報に他社がいち早く対応した結果、井上靖敦煌』『楼蘭』『風濤』、安部公房『他人の顔』、丹羽文雄『飢える魂』など親本が講談社から刊行されていても他社文庫に収められて、講談社文庫に収録できず。

 

1971年3月、亀倉雄作による装幀が完成。1971年7月1日に55点、同20日に14点の計69点で刊行スタート。

返品が予想以上で実売10万部を切る月も。単一色統一カバーが地味な印象で、新潮文庫、角川文庫がカバーを4色の装画でデザインする「色刷りの自由カバー」に変えており、72年9月からは本文庫も「色刷りの自由カバー」に切換え。

販売も注文表の不備や解説目録がないことで混乱、不満。返品において製品ごとに処理する従来型は発行点数の多い文庫では煩雑。書店、取次、版元の間が伝票1枚で処理できる「定価別方式」への転換が急務となったが、講談社にはそのような経験がなかった。

 

講談社文庫発刊後は、73年中公文庫、74年文春文庫、76年集英社文庫の発刊が続き、第三次文庫ブームを招来。

 

1979年部長が宍戸芳夫に交代。

講談社文庫はジャンルごとに通巻番号、著者の番号と刊行順を数字で表記していたが、当初A・B・C・Dの4つだったジャンルはAX・BX・AA・ATが加わって8つに増え、煩雑さが増していた。1982年春、書籍第一販売局長・金川泰彦と文庫新書販売部長・関根正之は野間惟道社長に書店の棚をめぐる現状と対策の必要性を訴えた。社長は「いくらかかってもかわなない」とその場で決断し指示。宍戸は2~4月に刊行した『匠の時代』のカバーデザインに注目。デザイナーを菊地信義に決め、根岸勲が進行係となった。

1982年11月15日、文庫棚コーナーが一新し、「一夜城」とたとえられる。背表紙がカラフルな色に変わり、作品の並べ方が「著者別あいうえお順整理番号表示」に。従来は日本文学や海外文学、古典といったジャンルごとに通巻番号を付け、その発行順に著者番号を振っている分類方式だった。のちに他社文庫でも定着したが当時は革命的だった。背表紙は著者名を上に置く画期的な考え方。

 

1983年9月28日、月間講談社文庫「IN★POCKET」が創刊。他社を含めたその月の文庫の全作品の情報を提供するPR誌。

 

少年少女講談社文庫(1972年)

少年(しょうねん)少女(しょうじょ)講談社( こうだんしゃ)文庫(ぶんこ)刊行(かんこう) のことば

みなさん少年(しょうねん)少女(しょうじょ)()(だい(ひと)(こころ )のふるさとです。このころにむちゅうになって()んだ (ほん)(おも)() は、一(しょう)() えることがありません。いくつになってもなつかしくよみがえり、(こころ)をほのぼのと()らし、()きる勇気(ゆうき) と、(ひと)(おも) いやるやさしさとをかきたててくれます。

みなさんのおとうさん、おかあさんがまだ()どものころから、講談社(こうだんしゃ)は「おもしろくて、ためになる」()どものためのよい(ほん)雑誌(ざっし)を、()にさきがけてつぎつぎと()してきました。こんどわたくしどもが「少年(しょうねん)少女(しょうじょ)講談社(こうだんしゃ)文庫(ぶんこ)」の発刊(はっかん)をきめたのも、創業(そうぎょう)いらいのこの理想(りそう)からです。父母(ふぼ)(こころ)のふるさとを()どもにつたえ、さらにくわえて、(あか)るく()(らい)(ひら)かれたその可能性(かのうせい)を、(おも)うぞんぶん発展(はってん)させたい。こういう(こころ)からの(ねが)いと(いの)りをこめて、わたくしどもはこの(あたら)しい少年(しょうねん)少女(しょうじょ)のための総合(そうごう)文庫(ぶんこ)()すことにきめたのです。

少年(しょうねん)少女(しょうじょ)のみなさん、学校(がっこう)ではよく勉強(べんきょう)して、だれにもまけないよい生徒(せいと)になってください。でも、それと同時(どうじ)に、(あたま)がよいだけではなく、(こころ)(ゆた)かな、勇気(ゆうき)があってしかもやさしく、いつも好奇心(こうきしん)にみちみちて(あたら)しい世界(せかい)(もと)めつづける()どもになってください。「少年(しょうねん)少女(しょうじょ)講談社(こうだんしゃ)文庫(ぶんこ)」は、そういうみなさんのお友だちです。

みなさんがすくすくと(そだ)っていくのといっしょに、この文庫(ぶんこ)もどんどん(そだ)っていきます。世界(せかい)(ひら)かれたこれからの日本(にっぽん)をになうみなさん、()(こころ)もすこやかにのびつづけてください。

昭和しょうわ四十七ねん(がつ

講談社(こうだんしゃ)社長(しゃちょう)()()(しょう)(いち

 

小学中・高学年を対象とする子供向け総合文庫として「少年少女講談社文庫」が創刊*17

古代ギリシアで学問と全知全能を象徴した「ふくろう」をシンボルとしたことから「ふくろう文庫」とも。

最終決定から刊行まではわずか4カ月しかなく、創刊には天童襄治率いる編集プロダクション、オメガ社の力も大きかった。編集プロダクションが出版社の編集部を補完する立場で様々な企画に参入し始めるのは1970年代からのこと。

 

四六判のハードカバー。図書館需要に耐える堅牢なつくりだが、一冊平均290円という、店頭で手に取りやすい定価が特徴だった。赤い背表紙は「名作と童話」、緑は「伝記と歴史」、青は「科学・記録となぞなぞ」。

 

定価を安くするために、「上製本は糸綴じ(かがり)」という当時の常識を破って、「無線綴じ」の一種である「あじろ綴じ」(本の背に切り込みを入れて糊を浸透しやすくした製本法)を採用。

1980年11月に創刊される「青い鳥文庫」と入れ替わるように、その年の12月で刊行終了。

)

 

ノン・ノベル(1973年)

「ノン・ノベル」創刊にあたって

 

「ノン・ブック」が生まれてから二年一カ月、ここに姉妺シリーズ「ノン・ノベル」を世に問います。

「ノン・ブック」は既成の価値に“否定(ノン)”を発し、人間の明日をささえる新しい喜びを模索するノンフィクションのシリーズです。

「ノン・ノベル」もまた、小説(フィクション)を通して、新しい価値を探っていきたい。小説の“おもしろさ”とは、世の動きにつれてつねに変化し、新しく発見されていくものだと思います。

わが「ノン・ノベル」は、この新しい“おもしろさ”発見の営みに全力を傾けます。

ぜひ、あなたのご感想、ご批判をお寄せください。

昭和四十八年一月十五日

NON・NOVEL編集部

 

 

青少年文化シリーズ(1973年)

「青少年文化シリーズ」の刊行に当って

 

本財団の初代会長であった久留島武彦は、一九〇三年七月に、わが国における子どものための文化のつどいの最初の試みとなった「お話の会」を、横浜において開き、同じ年の十月には、巖谷小波とともに、わが国最初の児童劇である、川上音二郎一座による「お伽芝居」の東京本郷座公演の事実上の推進者となって働いた。そのときから数えて、ことしは七十年目に当る。

わが国で、近代的な子どものための文化を創造し普及する事業が始められてから、七十年の歴史が刻まれたわけであるが、その間に、この事業がどれほど発展し、子どものための文化芸術の運動が、どれほどの実りをもたらしたかということになると、否定的にならざるをえない。繁栄とみえる一面には大きなゆがみがあるし、量的増大のうらには、依然として、質的低さがひろがっていることも、子ども文化や青少年文化の世界の否定しえない現実である。

この現実を直視し、過去七十年の遺産にも学びながら、子ども文化、青少年文化のあり方を探求し、新しい構想を樹立することは、私たちおとなの責任であり、わが財団に課せられた課題でもあると考える。「子どもたちには、この世の中の、もっとも良いもの、もっとも美しいものが贈られなければならない」という私たちの信条を、単なる美辞麗句におわらせないためにも、私たちは、この課題の実現にとりくまなければならない。

この「青少年文化シリーズ」を、私たちは、右の課題を実現するための一つの拠りどころにもしたいというねがいから刊行する。このシリーズを、わが国における子ども文化、青少年文化運動の道標として、根気づよく刊行しつづけていきたい。

一九七三年五月五日

財団法人日本青少年文化センター

 

「このシリーズはその費用の一部を日本自転車振興会補助金をうけて出版されたものです。」とある

 

世界思想ゼミナール(1974年?)

『世界思想ゼミナール』について

 

自然は、人間のために存するのではない。また、人間が自然にさからうことは許されない。自然は人間には関わりなく、動いているのである。この単純なことを、環境に慣れすぎてみおとしてしまったり、厳しい人間の世界の止むを得ないかも知れない必要性から、自然をみる目が狂ってしまって、恰も、人力で自然をかえうるがごとき錯覚をもったりするところに、人間の破局が訪れてくる。それは、精神的とか物質的とか問わずにやってくるのである。

「世界思想ゼミナール」は、人間が本来の姿にかえることを、眼目においている。つまり、人間という生物を中心とする生態系のそれぞれの系に相当するところの、政治・経済・社会・文化・科学などについて、深く思索し、さらに問いたずねて、その上で、自然と調和し、均衡をもった人間の世界を作りあげてゆくところの、いとなみの一助であることを切望している。このことが、はじめて「世界思想」の名にそむかぬユニークなゼミナールを可能にすると信ずる。

 

偕成社文庫(1975年)

                 偕成社文庫発刊に際して

今村 廣

 

文化は人類存在の唯一の証しであり、その根源はわたしたちひとりひとりの心の深奥に発する。本を通しての心の営みが文化を支える重要な柱であるとの認識は、児童出版をもって文化の進展に寄与しようとするわが社出版理念の原点である。

第二次大戦後三十年、わたしたちの生活はいちおうの向上を見た。テレビ、新聞、雑誌等のマスメディアは盛況をきわめ、教育の普及も世界の最先端にある。だが一歩内実に立ちいったとき、わたしたちはそこに真の精神の躍動と豊かな実りの芽を見いだすことかできるであろうか。子どもたちも、テレビ、雑誌、マンガの氾濫と、受験競争との両極にはさまれて、たくましい知的好奇心をのばし豊かな心を育てる人間形成の基本に欠けるところが大きい。わたしたちは読書万能をとなえるものではないが、いまこそ声を大にして、本を通しての知的触発と精神錬磨の重要性を強調したいと思う。

こうした見地からわたしたちは良書を入手しやすい形で常時提供するという出版社本来の義務をはたすため、偕成社文庫の発刊に踏みきった。すなわち戦後発表された日本の児童文学を主体に、ノンフィクション、外国作品にいたるまで現在および将来に読みつがるべき秀作を幅ひろく刊行することを本旨とする。具体的には第一に埋もれた良書の再発掘をふくめて一定水準以上の作品を継続的に供給し、第二に印刷造本の簡素化により低廉な価格の実現をはかろうとするものである。とくに収録作品の質を高くたもつことによって本文庫の声価を維持し読者に適書選択の手がかりを供することも本文庫の大きなねらいである。わたしたちは偕成社文庫を一時的脚光をあびる出版でなく、地味なから永遠に子どもたちとともにある事業として維持推進することをここに誓う。

一九七五年十一月

 

 

現代カメラ新書(1975年?)

現在の写真界は、作品も機材も多様化の傾向が顕者です。このため写真を志す人々は、新知識の吸収に戸惑っている感があり、従来からある写貞講座のように、長期間にわたり内容の変わらない指導書では、とても読者の知識欲を満たすことができません。この現状に対応するため、朝日ソノラマでは「現代カメラ新書」を発行することにいたしました。

このシリースの内容は幅広く、初心者の入門書から上級専門書まで、また撮影、メカニズム、写真理論と写真の全分野にわたり、執筆者も写真界の第一人者ばかりが担当します。本の判型はポケットに入れて常時携帯できるように新書判を採用し、廉価・大衆性を旨としました。なあ、背表紙の色マーワはつぎのような分類を示しています。

(白)撮影編 (青)写真機材編 (緑)写真化学と処理編 (黄)被写体ガイド編 (紫)その他 (桃)8ミリ編

 

版元は朝日ソノラマ

 

 

記録・都市生活史(1976年)

  刊行のことば

 

人間にとって、都市はその主要な生活の場であっただけでなく、その精神にふれる多様な課題をふくんできた。都市は人間の英知が創りだした歴史的所産であり、都市の生活は、歴史学にとっても最も基本的な対象のひとつである。

わが国の歴史研究は、ながい間、農村中心にすすめられてきた。そのために農村を広い裾野として成立つ都市の研究は、不当にとりのこされていたが、さいきん、その史料の発掘や刊行につれて、ようやく本格的な研究が期待されつつある。

このたびわれわれは、古代から現代にいたるそれぞれの時代を代表し、その時代に一定の役割をはたした都市をえらび、そのなかでいとなまれる生活の具体相を史料に即して明らかにするため、「記録・都市生活史」を企画した。あえて記録という文字を冠したのは、正確な史料に基づいて敍述し、その記録者の眼をかりて、その都市の性格をより明確にしたいと考えたからである。本叢書は、かならずや都市研究に新生面を開くであろうと信ずる。

一九七六年一月

日 本 文 化 の 会

柳 原 書 店

 

 

 

講談社学術文庫(1976年)

講談社学術文庫」の刊行に当たって

 

これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。学術は少年の心を養い、成年の心を満たす。その学術がポケットにはいる形で、万人のものになることは、生涯教育をうたう現代の理想である。

こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。しかし、それはいずれも学術の新しい在り方を解しないものといわざるをえない。

学術は、まず魔術への挑戦から始まった。やがて、いわゆる常識をつぎつぎに改めていった。学術の権威は、幾百年、幾千年にわたる、苦しい戦いの成果である。こうしてきずきあげられた城が、一見して近づきがたいものにうつるのは、そのためである。しかし、学術の権威を、その形の上だけで判断してはならない。その生成のあとをかえりみれば、その根は常に人々の生活の中にあった。学術が大きな力たりうるのはそのためであって、生活をはなれた学術は、どこにもない。

開かれた社会といわれる現代にとって、これはまったく自明である。生活と学術との間に、もし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。もしこの距離が形の上の迷信からきているとすれば、その迷信をうち破らねばならぬ。

学術文庫は、内外の迷信を打破し、学術のために新しい天地をひらく意図をもって生まれた。文庫という小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。しかし、学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。そうした社会の実現のために、文庫の世界に新しいジャンルを加えることができれば幸いである。

一九七六年六月

 

刊行の辞は中山伊知郎(日本における近代経済学の泰斗)が起草。*18

 

中山のイメージだった「大学文庫」をはじめ、「教養文庫」などの候補もあったが、学術文庫の命名を決断。

方針は①あらゆる学問の基本図書と、現代日本の学者・評論家・作家による名著②さらに歴史的な名著・好著③次に未だ出版されていない論文・報告書・資料、エッセイ、講演など、これまで書籍になりにくかったものを文庫の特徴を生かして入れること④また現代は学問の動きの激しい時代であり、それゆえ新しいものが要求される。そこで優れたオリジナルの考察、論文などを書き下ろしで加える。

 

1976年6月10日、第一回配本として同時に28作品34冊で創刊。売り場で目立たせるために一定量を揃える戦略。

 

刊行後は、心泉社の社主でもある小汀良久を急先鋒に、「出版権」を巡る大論争も生じた。当時は、著作者と書面の契約を結ぶのは少数で、多くは慣習に口頭の取り決めが普通だった。

講談社側は文庫化を承認した版元に対しては、その出版権を尊重し、原則として数%の版権料を支払い。

 

学術の大衆化ということで、現代仮名遣いにする。『古事記』などの古典は現代語訳と注釈。難読漢字のふりがな、補足説明の必要な事項には注を付けるといった工夫は、これこそが学術を読みやすく、多くの読者に提供したいというコンセプトの根幹だと基本方針を貫いた。

 

ポプラ社文庫(1976年)

ポプラ社文庫を座右におくる

 

日本の出版文化数百年の歴史からみて、今日ほど児童図書出版の世界が、あらゆる分野にわたって絢爛をきわめ、豪華を竸っている時代はない。多くの先人が、えいえいとして築きあげた児童文化の基盤に、後進の新鋭が、新しい魂の所産を孜々として積み上げてきた、その努力の結果がいま美しく開花しつつあるといってよいと思う。

反面、自由な出版市場に溢れる児童図書の洪水は、流通の分野で混乱をおこし、読者の立場からいえば、欲しい本が手に入らないという変則現象を惹きおこすことになった。

加えてオイルショックに始まった諸物価の高騰は、当然出版物の原価にハネ返り、定価の騰貴をよび、読者を本の世界から遠ざけるマイナスを招いてしまった。

ポプラ社は昭和二十二年以来、数千点に及ぶ児童図書を世におくり、この道一筋の歩みをつづけて来た。幸い流通市場の強力な支援をうけ、また製作部門のささえもあって、経済界の激動をジカに読者へ転化しない方策を講じて来たつもりである。しかし三十年の出版活動の中に生んだ、世評の高い諸作品が、ややもすれば読者の手に届かない欠陥のあることを憂い、ここに文庫の形式をとり、選ばれた名作を、更に読みやすく、廉価版として読者の座右におくることにした。

この文庫の特長は、児童図書の一分野に企画を留めず、創作文学、名作文学、実用書、少女文学等、幅の広い作品を紹介し、多くの読者に、本に親しむ楽しさを堪能してもらうところにおいた。ご批判と、変わらぬご愛顧をたまわれは幸いである。

(一九七六年十一月)

 

 

有斐閣新書(1976年)

  《有斐閣新書》の刊行に際して

 

今日ほど教育の問題が関心を集めた時代がかつてあったでしょうか。戦後の教育改革からすでに三十年、昨今の高校・大学進学率ひとつをとってみても、そのはげしい変化には驚くべきものがあります。これらの変化は高度経済成長がもたらした「消費革命」とはまったく質を異にする新しい時代の到来を感じさせます。それは一種の「意識革命」というべきものかも知れません。このような時代のなかで、きわめて多数の人びとが、主体的にあるいは創造的に「学び」かつ「知る」という欲求を強くもちはじめています。大学をはじめとするさまざまな学校、市民生活の場としての地域や職場で多種多様な講座がもたれるようになりました。現代が「開かれた大学の時代」とか「生涯教育の時代」とよばれるゆえんであります。

小社は、これまで《有斐閣双書》《有斐閣選書》をはじめとする出版活動をとおして、社会科学・人文科学の諸分野にわたる専門知識を広く社会に提供する努力をつづけてまいりましたが、このたび「専門知識を万人に」の願いをこめて、新しい時代にふさわしい出版企画《有斐閣新書》を、創業百周年記念出版のひとつとして発足させることにいたしました。

有斐閣新書》は、現代人の多様な知的欲求に応えようとするものであり、小社が永年培ってきた学術出版の伝統を生かした新しいタイプの基本図書であります。この点で、本新書は、これまでの一般教養向きの新書とはまったく性格の異なる出版企画であり、現代における学術知識の普及への新しい使命をになうものと言えましよう。

有斐閣新書》は、新書判というハンディな判型の中で最新の学問成果を平明に解説し、必要にして十分な内容を収めるとともに、古典の再発見に努めるなど、現代に生きるすべての人びとにとって、学問の扉をひらく際のよきガイドブックとなることを意図しております。読者のみなさまの一層のご支援をお願いしてやみません。

(昭和五十一年十一月)

 

 

 

 

岩波現代選書(1978年)

   刊行のことば  一九七八年五月

 

すでに一九八〇年代を目前にして、われわれは未だに来るべき世紀末の態様を予見し得ず、新世紀への積極的な展望を持ち得ていない。世紀と世紀との間に存在する谷間にあって、混迷は年を追って深まる。しかも、歴史の歩みは異常に早く、また、地球上の一隅に生じた変化は、そのまま世界的な変化と連動する。その成因も対処の方途も、かつて人類が歴史として持ち得た経験を越える。思うに、われわれは大いなる歴史的転換期としてのこの「現代」に立ち臨んでいるのであろう。

転換期にあっては、学問・芸術の分野においても、旧来の思想は問い直され、新しい方法がもとめられる。ヨーロッパを中心とする従来の史観は、今世紀後半に現出した新しい歴史状況の前に、根本的に修正を余儀なくされた。近代を形成する前提をなしたさまざまな価値もまた再検討を必要とするに至っている。学問・芸術の世界で綜合的視点と豊かな創造性の復権をはかり、状況への追随から脱して予見性を回復することが、今日の急務となっている。

これらの要請にこたえる試みは、近時、限られた範囲内にとどまってはいたが、世界の各地域で執拗に行われ、七〇年代の後半を迎えてようやく顕在化している。散見されるこの新しい動向を一望の下に収め、一本の潮流として把えることを可能とする時期に、今、われわれは立ち到ったのである。その流れの中から「現代」への鋭い視座を提供する書物を選び、読者と共に現実の世界を見直し、「現代」を識り、未来を自らのものとして把握する共通の場を形成することを願って、「岩波現代選書」はここに発足する。

局地的な現象が地球的規模の構造に連なり、個人の思惟が文明の位相をこえた普遍性の中に位置づけられるのが、「現代」の特質である。海外思潮の紹介はすでに単なる「受容」 の域を脱する。第三世界を含めて広く海外の著作を選び、併せて日本の学者・芸術家の労作を収め、この一群のシリーズを構成するのは、こうした「現代」の特質に因る。対象は、人文・社会科学から自然科学にわたり、文学作品から人間性にあふれたドキュメントに及ぶ。各世代の広汎な読者を迎えて、未来を指向する共同の広場が形成されることを願ってやまない。

 

カバーや表紙のカットはレオナルド・ダ・ヴィンチの作品。カバーの表の図柄は“マドリッド手稿”の中の、いくつかのページを合わせたもの。背のマークおよび裏のカットは“鳥の飛翔に関する手稿”から。*19

 

岩波現代選書NS版(1979年)

   岩波現代選書NS版刊行に当って

 

一九八〇年代を目前にして、われわれは未だに次の世紀への積極的展望を持ちえていない。世界的規模で顕在化している変化は、新しい時代への転換を感じさせつつも、確たる軌道を定めるには至っていない。この不透明な歴史状況の中で、現代への鋭い視座を設定し、読者と共に現実の世界を見直し、未来を自らのものとして捉える共通の場を形成することを願って、昨年五月、「岩波現代選書」は発足した。

この歴史的転換期にあって、現代文明を支える基本的な柱としての科学・技術の分野においても、既成の概念の正当性を問い直すことが求められる。現代科学は人間の自然認識を急速に進展させたが、その細分化、専門化は、研究者にさえ整合的な科学観をもつことを困難にした。同時に、自然科学は技術を通じて人類の将来に深刻な影響力を及ぼすまでに立ち到った。技術は、人類の生存の場である地球に、環境汚染という形をとって自然の復元力を越えた不可逆な変化をもたらしつつある。さらに原子エネルギーの解放、遺伝子操作がもたらす可能性に、われわれは人類の頭上に吊りさげられたダモクレスの剣を見る。

科学と社会との間には予測されなかった緊張関係が生じ、そのインパクトは新たな課題をわれわれに課している。こうして、現状への鋭い本質的な問いかけが急務となる。既成の自然観、科学観のままで展望を切りひらくことは不可能である。旧来の思考様式に対する徹底した批判と価値観の根本的な再検討なしには、新しい自然観、科学観を構築することはできない。

この作業はひとり科学者に委ねて足ることではなく、人類の将来を思うすべての人が等しく担うべきことであろう。「岩波現代選書」の自然科学シリーズであるNS版は、こうした現代の緊急課題に応えようとするものである。自然科学に携わる人々だけではなく、広汎な読者をえて、未来を指向する共同の広場が形成されることを願ってやまない。

(一九七九年二月)

 

岩波ジュニア新書(1979年)

岩波ジュニア新書の発足に際して

 

きみたち若い世代は人生の出発点に立っています。きみたちの未来は大きな可能性に満ち、陽春の日のようにひかり輝いています。勉学に体力づくりに、明るくはつらつとした日々を送っていることでしよう。

しかしながら、現代の社会は、また、さまざまな矛盾をはらんでいます。営々として築かれた人類の歴史のなかで、幾千億の先達(せんだつ)たちの英知と努力によって、未知が究明され、人類の進歩がもたらされ、大きく文化として蓄積されてきました。にもかかわらず現代は、核戦争による人類絶滅の危機、貧富の差をはじめとするさまざまな人間的不平等、社会と科学の発展が一方においてもたらした環境の破壊、エネルギーや食糧間題の不安等々、来るべき二十一世紀を前にして、解決を迫られているたくさんの大きな課題がひしめいています。現実の世界はきわめて厳しく、人類の平和と発展のためには、きみたちの新しい英知と真摯(しんし)な努力が切実に必要とされています。

きみたちの前途には、こうした人類の明日の運命が託されています。ですから、たとえば現在の学校で生じているささいな「学力」の差、あるいは家庭環境などによる条件の違いにとらわれて、自分の将来を見限ったりはしないでほしいと思います。個々人の能力とか才能は、いつどこで開花するか計り知れないものがありますし、努力と鍛練の積み重ねの上にこそ切り開かれるものですから、簡単に可能性を放棄したり、容易に「現実」と妥協したりすることのないようにと願っています。

わたしたちは、これから人生を歩むきみたちが、生きることのほんとうの意味を問い、大きく明日をひらくことを心から期待して、ここに新たに岩波ジュニア新書を創刊します。現実に立ち向かうために必要とする知性、豊かな感性と想像力を、きみたちが自らのなかに育てるのに役立ててもらえるよう、すぐれた執筆者による適切な話題を、豊富な写真や挿絵とともに書き下ろしで提供します。若い世代の良き話し相手として、このシリーズを注目してください。わたしたちもまた、きみたちの明日に刮目(かつもく)しています。

(一九七九年六月)

 

 ジュニア新書創刊時の編集長は岩崎勝海。

「母親が変われば子どもが変わる」という言葉がありますが、私はどうも現代はそうではないのではないか、若い世代が変わらなければ大人も変わらないのではないか、というふうに思っているのです。私は若い人たちに向かって大人の玉を投げるという点では今申したとおりなんですが、同時にこれは今日の社会に必要だと考えられた先生方の手による書き下ろしの本ですから、大学生もご両親も先生方も現代の本として読んでいただきたいと思っています。〈岩波ジュニア新書〉というシリーズ名で、ジュニアという言葉が入ってはいますけれど、オール・エイジの本としてお読みくださいと、その点だけは自信をもってそう広告しております。*20

 

大阪文庫(1979年?)

大阪文庫           刊行にあたって

 

大阪の政治・経済・文化の地盤沈下の声が聞かれて久しい。衰退は眼に見えないところで緩慢ながら、地滑りを起こしているのであろうか。

かつて“天下の貨七分は浪速にあり”と豪語した繁栄を夢に描きながら、時の流れに押し流され、なすすべもなく、手を拱いているのが現在の大阪の文化状況と言えるのかもしれない。

生活にそぐわなくなった文化は遠慮会釈なく切り捨てるところに大阪文化の独自性があるのだという説もある。しかし、まさにその故に、住みにくさが露呈されてきたとも言えるのではなかろうか。地盤沈下とは住みにくさ以外の何ものでもないであろう。

生活をぬきにした文化は存在しない。今、我々がしなければならないのは、大阪が直面しているのは、文化を創り出していく努力なしの生活はありえないという状況を確認することではないだろうか。

自覚的に文化を創り出していこうとする時、必要なのは文化遺産の一覧表作りといったものであってはならない。引き継ぐ努力なしに、残り続ける文化遣産など存在せず、新しい文化の創造もあり得ない。我々がなさねばならないのは、形骸化された文化遺産を、今一度、生命ある形へと取り返すことであり、生きている形の中に大阪人の生活を見いだしていくことである。

以上の趣旨から、ここに「大阪文庫」を刊行するに到った。我々は、出来る限り、具体的な事柄から着手していきたい。又、単なる歴史事象・文化遺産の平板な羅列を避けたい。様々な事柄を、自覚的に現在へ照り返しながら、その中に貫流している大阪らしさを見出していきたいと思う。

我々の目的は、現在の、又将来の大阪にある。単に地域という観点からではない。大阪の文化の普遍性を見出していきたいと思う。それが真正な文化である限り、文化は他との交流をその本質としていると思うからである。この出版の中から、現在の、又将来の大阪を考え得る手がかりを見出す時、我々のささやかな旅は本当に始まったと言えるであろう。

 

フォア文庫

刊行時(1979年)

フォア文庫》刊行のことば

 

三十年前、わが国が、いちばん苦しみ、もっとも迷っていたとき、ただひとつ、確かな希望の灯がともされました。いちばん巨きな未来をもった人間・少年少女たちに対する熱い期待です。自分の足で立ち、自分の頭で考える「新しい日本人」の誕生によせる祈りです。いわば自立的な精神の形成こそが、わが日本の第一の課題でありました。

この課題にとりくんで、子どもの本の出版にはげんできた私たちの歩みをふりかえってみますと、あたかも壮大な一つのピラミッドのように、明日の世代の心の糧が積みあげられているではありませんか。今やそれは、自立的な精神の支柱として必要な多面性と底辺のひろがりとをゆるぎなくそなえた共同作品として、ふり仰ぐことさえできましよう。

わが児童図書出版界の良心が築き上げてきたこの成果を、今こそ、名実ともに一体化した《本の宝庫》として結集し、より多くの読者に、ひろく愛読されるように選択してみました。おそらく出版史上に前例のない協力出版というこの創造的な企てが、親と子を結ぶ温かい本の環を更にひろげてくれることでしよう。

もしも今、わが少年少女たちが、親子の断絶とか、競争社会の重圧とか、さまざまな灰色の壁に直面しているとしたら、私たちは、かのゲーテにならって、「生活の樹は緑だ」と、ささやきかけすにはいられません。この《本の宝庫》には、そんなささやきにも似た心の糧や知識の実を、緑濃き森からの贈りもののように、とりそろえるつもりです。

  一九七九年十月

 

15周年(1994年)

フォア文庫》刊行のことば 1994年1月フォア文庫15周年にあたって

 

少年少女のみなさんが、これから乗りだしていく人生という大海には、さまざまの出会いが待っています。

人との出会い、事件との出会い、物との出会い、それこそ予想もつかないたくさんの出会いをかさねることによって、みなさんは人間として豊かに成長していくのです。

だからこそ、「人生は出会いだ」と、いわれるのでしよう。

本の世界に出会うことも、人が成長していく上での大きな事件です。

みなさんは、かつて本を読んで感動したことがありますか。おもしろくて、おもしろくて、読みだしたらやめられなくなったことがありませんか。たのしく一冊の本を読み終わったら、気分爽央になった、という経験はありませんか。あるいは、つらいかなしい物語にふれて、人間が生きるということは、こういうことなのか、とつくづく思ったことはありませんか。

そうです。本を読むということは、いろいろな人生に出会うことでもあります。また、未知の世界との遭遇でもあるのです。

人は、それぞれ自分の人生を一回しか生きることができません。しかし、本の世界は、間接ながら、一身にして二生、三生を経験させてくれるのです。

このフォア文庫は、その意味で、これから未知の人生を生きていくみなさんにとってのまさに《宝の山》です。

みなさんが、さまざまの本の世界にふれ、そこから自分でものを考え、創造的に、たくましく自分の人生を航海していくことを心から願っています。

 

 

30周年(2009?)

フォア文庫》刊行のことば

フォア文庫30周年を迎えて

 

『だいすきな本みつかるよ!』

 

フォア文庫は、国際児童年の一九七九年十月、四つの出版社の協力出版という形で誕生しました。四つの出版社が一つの児童文庫を創るという画期的な試みは、出版革命とまで言われ、読者の期待を集めました。

創刊四十点から始まったフォア文庫を熱心に読んでくださった皆さんの先輩は、今では社会の最前線で活躍されています。三十年間に発行された本は、七七四点、約三千万冊を超えました。あたたかい声援を送り続けてくださった読者の皆さんのおかげです。

創作文学を中心に、ノンフィクション・翻訳・推理・SFと幅広い内容でスタートしたフォア文庫に、近年は皆さんのリクエストに支えられたファンタジーなど、エンターテインメントの書き下ろし作品も加わり、一層魅力的なラインナップになりました。

私たちは『だいすきな本みつかるよ!』と、自信を持って読者の皆さんに呼びかけます。フォア文庫は皆さんの現在と未来を見つめながら、より面白く、より胸をうつ、そして、より愛される本を作る努力を重ねてまいります。

やがて、皆さんは自立の時を迎えます。さまざまな読書の体験が、社会に羽ばたく皆さんの翼になってほしい、そんな願いをこめて、フォア文庫の出版を続けていきます。

フォア文庫の会」

 

なにわ塾叢書

1981年

「なにわ塾叢書」の刊行にあたって

かつて大阪の地には、適塾をはじめとする町民主導の文化啓発の土壌があった。また改めて指摘するまでもなく、上方文化が絢爛と開花し、多くのすぐれた人材が輩出した。

しかし、明治以降の中央集権化にともない文化創造の中心も東京に移行するようになった。およそ文化、芸術の創造の営みは行政の中央集権化と無縁であるはずが、かつての上方文化の隆盛を彷彿とさせる華やかさはもはやしのぶべくもない。

だが、大阪の文化創造の灯が消えたかというと決してそうでなく、繚乱期と変わることのない活動が展開されている。ただそれらの活動や成果を発掘し、広く浸透させる場の少ないことが残念でならない。とりわけ出版状況の沈滞が指摘されている。

「なにわ塾叢書」の刊行は、まさしくこのような状況において始められたものであり、大阪の文化再生の一翼を担うものとしての責任と使命が課せられている。「なにわ塾」はかつての適塾の伝統を今に受け継ぐものとして市民、府民の場からの文化創造活動であることが高く評価されている。各界、各分野のすぐれた先達の意見、人生観をきき、対話を通じて、今後の道標を探ろうとするのが「なにわ塾」で、その主旨、その成果は、あまねく、市民、府民にわかたれるべきであろう。「なにわ塾叢書」は、そうした要請のもとに刊行された。文化創造の灯を受け継ぐとともに大阪の文化再生のために寄与したいと念願している。

一九八一年十月一日

里井達三良

 

1987年

「なにわ塾叢書」刊行に際して

 

大阪の地は、豊かな水利と広大な平野を擁する恵まれた風土を背景に、常に歴史の表舞台を歩み続けてきた。かつて懐徳堂等に代表される町人文化が華やかさを競い、幾多の人材を輩出してきた土壌がこの地に育まれてきた。

しかし、隆盛を誇った上方文化も、その地盤沈下を指摘されて久しい。はたして大阪の基層には文化創造の試みが失せてしまったのであろうか。

だが幸いにも進取、独立の精神に裏付けられた文化創出を図らんとする活動は、今も活発に数多く続けられている。ただ惜しむらくは、その活動や成果を広く公開せしめる方途の脆弱さだけは指摘されてもいたしかたあるまい。

このような状況のもとで、「なにわ塾叢書」は大阪文化創造の重要な一翼を担う責務と使命を果たすべく大きく期待されている。適塾や町人塾の伝統を受け継ぐ「なにわ塾」には、多くのすぐれた先達の知恵や才覚が満ちあふれており、対話を通して得られる含蓄に富む人生の指針は各方面より高く評価されている。この稔りは市民、府民をはじめ、あまねく人々に頒かたれるべきであり、本叢書はこの要請に応えるべく企画されたものである。

文化再生の試みは地域的狭隘を越えた普遍性を得ることにより踏みだされる。里井達三良前塾長の業績を引き継ぎながら、本叢書が今後ますますその役割に重みを加え、大阪文化の降盛に寄与するよう念願する次第である。

一九八七年三月

なにわ塾塾長 山村 雄一

 

1992年

「なにわ塾叢書」刊行に際して

 

江戸時代、大坂には泊園書院や懐徳堂適塾や心学黌社など多くの学問所が存在した。

大坂以外にも、例えば江戸には幕府か開いた昌平黌があり、また各藩には藩校が開設されていたが、これらはすべて武士の子弟のための教育機関であった。

これに対して大坂の学問所は、封建制の時代にありながら、武士と町人の区別を全くつけることなく教育か行われ、しかもそれらの学問所が大坂の商人によって設立され、またはその強力な経済的支援のもとに運営されたところに大きな特徴がある。

従って、大坂の学塾は他の官学塾とは異なり、自由かつ進取の気風がみなぎっており、例えば懐徳堂からは有名な町人の大学者の山片蟠桃をはじめ数多くの人材が生まれ、また適塾の塾生の中からは、近代日本の建設に極めて重要な役割を果たした福沢諭吉橋本左内大村益次郎等々の大勢の偉材が輩出した。

適塾における勉学のはげしさは言語に絶するものであったといわれている。たった一冊しかなかったオランダ語の辞書を塾生たちは奪い合って勉強したとも伝えられている。福沢諭吉もその著「福翁自伝」の中で自分の適塾における勉学時代を振り返り、「およそ勉強ということについては、このうえにしようも無いほど勉強した」と述懐している。そして、「江戸に教えることはあっても、江戸から学ぶことはなかった」と自信をもって述べている。適塾の存在によって、幕末の一時期、大坂は実質的に日本最高の学都となっていたのである。

「なにわ塾」は、こうした伝統を受け継ぎ、なにわの地がはぐくんできた先人の知恵を後世に伝えようとしてはじめられたものである。今日盛んにいわれるところのいわゆる生涯学習の先駆となったものであったといえよう。また、講師と十数人の塾生が膝を交えて対話形式で行う「なにわ塾」での学習は、まさに勉学の在り方の原点を示すものではないかと思う。

「なにわ塾」では、その対話録を「なにわ塾叢書」としてまとめ、刊行してきた。現在、その数はすでに約五十冊に達しており、各界・各分野の先達たちの貴重な体験に基づく血の通った英知の集積と、なにわの生きた歴史がそこに見られる。次代の人たちへの価値ある財産として残したい。

本叢書の出版にあたっては、大阪文化の活性化のために広範な活動を展開しておられる出版社ブレーンセンターにご協力をいただいている。記して感謝の意を表する次第である。

一九九二年三月

なにわ塾塾長 熊谷信昭

  

講談社 青い鳥文庫1980年)

講談社(こうだんしゃ)(あお)(とり)文庫(ぶんこ)刊行(かんこう)のことば

太陽(たいよう)(みず)(つち)のめぐみをうけて、()をしげらせ、(はな)をさかせ、()をむすんでいる(もり)小鳥(ことり)や、けものや、こん(ちゅう)たちが、(はる)(なつ)(あき)(ふゆ)生活(せいかつ)のリズムに()わせてくらしている(もり)(もり)には、かぎりない自然(しぜん)(ちから)と、いのちのかがやきがあります。

(ほん)世界(せかい)(もり)(おな)じです。そこには、人間(にんげん)理想(りそう)知恵(ちえ)(ゆめ)(たの)しさがいっばいつまっています。

(ほん)(もり)をおとずれると、チルチルとミチルが「(あお)(とり)」を()(もと)めた(たび)で、さまざまな体験(たいけん)()たように、みなさんも(おも)いがけないすばらしい世界(せかい)にめぐりあえて、(こころ)をゆたかにするにちがいありません。

講談社(こうだんしゃ)(あお)(とり)文庫(ぶんこ)」は、七十(ねん)歴史(れきし)()講談社(こうだんしゃ)が、一人(ひとり)でも(おお)くの(ひと)のために、すぐれた作品(さくひん)をよりすぐり、(やす)定価(ていか)でおおくりする(ほん)(もり)です。その一さつ一さつが、みなさんにとって、(あお)(とり)であることをいのって出版(しゅっぱん)していきます。この(もり)(うつく)しいみどりの()をしげらせ、あざやかな(はな)(ひら)き、明日(あす)をになうみなさんの(こころ)のふるさととして、(おお)きく(そだ)つよう、応援(おうえん)(ねが)っています。

昭和(しょうわ)五十五(ねん)十一(がつ)

講談社(こうだんしゃ)

 

 

講談社では講談社文庫のなかに創作児童文学やファンタジーを収録する「AA」ジャンルがあったが、あくまで大人がターゲット。

1980年11月新書判のペーパーバックシリーズ「講談社 青い鳥文庫」が一挙に30点で刊行開始。当時30歳になったばかりの新進デザイナー久住和代の手による装幀は、明るいブルーの縁どりが中にはめ込まれた絵を生かし、高橋建次・児童第一副部長が述べた条件「現代的センスと、手にもったとき、読者が感じる暖かみとでもいうべき親しさが、その本から伝わってくることが大切な要因」を満たしていた。*21

 

講談社 火の鳥伝記文庫(1981年)

講談社(こうだんしゃ)()(とり)伝記(でんき)文庫(ぶんこ)刊行(かんこう)のことば

()(とり)は、(はい)(なか)からよみがえる(ひかり)(とり)永遠(えいえん)のいのちを()やして、きらめきはばたく神話(しんわ)不死鳥(ふしちょう)(フェニックス)です。

偉人(いじん)英雄(えいゆう)といわれる(ひと)ひとたちは、この()(とり)()ています。人類(じんるい)(なが)歴史(れきし)(なか)から、いつも(あたら)しくよみがえり、わたしたちの(むね)に、愛と勇気(ゆうき)知恵(ちえ)()をともしてくれます。

二十一世紀(せいき)()(まえ)にして、いまほど、未来(みらい)へはばたく、()()きした人間像(にんげんぞう)が、(つよ)(もと)められているときはありません。みなさんは、その出発点(しゅっぱつてん)()っているのです。

講談社(こうだんしゃ)()(とり)伝記(でんき)文庫(ぶんこ)」は、日本人(にほんじん)をふくむ科学者(かがくしゃ)芸術家(げいじゅつか)政治家(せいじか)探検家(たんけんか)など、世界(せかい)文化(ぶんか)(ひかり)をかかげた人々(ひとびと)が、それそれの時代(じだい)をどう()きたか、どんな業績(ぎょうせき)をあげたかを、少年(しょうねん)少女(しょうじょ)のころの興味(きょうみ)ぶかいエピソードとともに(えが)くものです。

みなさんは、この文庫(ぶんこ)におさめられた偉人(いじん)英雄(えいゆう)()(かた)(とお)して「どう()きるか」を(かんが)える指針(ししん)をつかむことかできるでしよう。

この伝記(でんき)文庫(ぶんこ)が、一人(ひとり)でも(おお)くの(ひと)()まれるよう、期待(きたい)してやみません。

昭和(しょうわ)五十六(ねん)十一(がつ)

(こう)(だん)(しゃ)

 

青い鳥文庫の兄弟シリーズとして、1981年11月に刊行。同じ判型で、黄緑の縁どりのなかに伝記の主人公の肖像画を入れ、シンボルマークに手塚治虫の「火の鳥」のイラスト。

取り上げる歴史上の人物に限りがあり、次第に知名度の低い人物になるという、いわば伝記シリーズの宿命のためもあってか、刊行80点を超えた後10年目くらいから売れ行きが伸び悩み、6~7年休眠状態になったことも。しかし創刊時からの編集担当者の吉田宏明や書籍第三販売部の佐藤雅伸らの努力で1998年頃に復活。こまめな重版と店頭のケアとで再び伝記コーナーの定番に。

2000年からは「講談社 火の鳥人物文庫」として『ダイアナ妃』『イチロー』『ザ・ビートルズ』『高橋尚子』など現代の著名人に財を取ったノンフィクションシリーズも始まる。*22

 

火の鳥人物文庫のほうには、創刊の辞はない。

 

カドカワ・ノベルズ(1981年)

発刊の言葉

 

一冊の小説は、読者だけの試写会を提供し、読了するまでの間、好みのキャスティングで、自由な映像を楽しませてくれる。

雑誌がヴィジュアルになり、ヴィデオ・ディスクやカセット・ヴィデオの発達、コミック文化の普及によって、近未来は活字離れになろうと予測されてきた。しかし、小説自体が劇画的要素を取り込み、映画やテレヴィ等の映像との連動によって、かえってベストセラーを生む結果となった。活字は映像と競合するのではなく、活字それ自体の娯楽性で競合するのである。

歴史ロマンの「平家物語」、恋愛小説の「源氏物語」、SFの原点「竹取物語」、そしてそのすべてを網羅した「南総里見八犬伝」。物語という文芸形態は、つねにどの時代でも、庶民の情感にフィットした最高のエンターテインメントだった。

角川文庫を創刊して三十年、小社はここに、新たに現代の物語を追求するカドカワ・ノベルズを創刊した。このシリーズによって、映像を超える小説集団を公開して行きたい。

一九八一年十一月

 

 

PHPビジネスライブラリー(1981年?)

発刊にあたって

 

厳しい経済環境・国際環境の中で生き抜く現代ピジネスマンには、幅広い視野と教養に裏打ちされた高度な“実力”が強く望まれています。

弊所は『PHPピジネスライプラリー』シリーズを、そうした実力向上の糧となり、より豊かで楽しい生活が実現できることを願って刊行いたします。仕事はもとより、趣味・実用・文化など、広く深くピジネスマンの生活全般に役立つ知識と情報を厳選し、順次お届けしてまいります。

このシリーズが、その名の通り、あなたの座右の手軽なライフラリーとしてお役に立つことを、心より念願いたします。

 

 

おはなし科学・技術シリーズ(1982年?)

科学・技術の進歩は絶えることがありません.そして,私たちは,いま,新産業革命ともいうべきハイテクノロジー時代を迎えました.

この時代の大きな特徴は,従来の専門技術と専門技術との融合によっているといっても過言ではありません.すなわち,複数の専門分野にまたがる技術の進歩がその礎となっているのです.

このことは,ある特定の分野だけを深く習得しているだけではこの時代の大きな波に対処しきれず,これからの私たちは複数の分野をよく理解していることが不可欠であることを表しています.

ところで,進歩・発展はしっかりとした土台があって初めて可能になります.このことは科学・技術についてもいえます.この土台として,わが国においては,日本工業規格(JIS)をあげることができます.

JISはわが国の工業技術水準を示しているわけてすから,技術の進歩に伴って,JISも日々進歩しており,現在,先端技術と称せられている技術もこれからどんどんJIS化されようとしています.また,国際化時代への対応として,JISの国際化が急ピッチで進められていますから,近い将来,JISはグローバルな技術水準になることが予想されます.したがって,JISを理解することによって,そのときの技術レベルを理解することができるとも言えます.

ハイテクノロジー時代の大きな変革を乗り越えるためにも,また,JISを正しく理解するためにも,科学・技術の基礎知識を正しく習得しておくことは,これからの私たちにとって必要なことと言えましよう.

当会では,科学・技術に興味を持っている人たち,また,他分野の技術を知ろうとしている人たちが容易にその知識を習得できることを願って,イラストを盛り込んだこのシリーズを刊行する次第です.

 

版元は日本規格協会

 

知的生き方文庫(1984年)

「知的生きかた文庫」の刊行にあたって

 

「人生、いかに生きるか」は、われわれにとって永遠の命題である。自分を大切にし、人間らしく生きよう、生きかいのある一生をおくろうとする者が必ず心をくだく問題である。

小社はこれまで、古今東西の人生哲学の名著を数多く発掘、出版し、幸いにして好評を博してきた。創立以来五十余年の星霜を重ねることができたのも、一に読者の私どもへの厚い支援のたまものである。

このような無量の声援に対し、いよいよ出版人としての責務と使命を痛感し、さらに多くの読者の要望と期待にこたえられるよう、ここに「知的生きかた文庫」の発刊を決意するに至った。

わが国は自由主義国第二位の大国となり、経済の繁栄を謳歌する一方で、生活・文化は安易に流れる風潮にある。いま、個人の生きかた、生きかたの質が鋭く問われ、また真の生涯教育が大きく叫ばれるゆえんである。

そしてまさに、良識ある読者に励まされて生まれた「知的生きかた文庫」こそ、この時代の要求を全うできるものと自負する。

本文庫は、読者の教養・知的成長に資するとともに、ビジネスや日常生活の現場で自己実現できるよう、手助けするものである。そして、そのためのゆたかな情報と資料を提供し、読者とともに考え、現在から未来を生きる勇気・自信を培おうとするものである。また、日々の暮らしに添える一服の清涼剤として、読書本来の楽しみを充分に味わっていただけるものも用意した。

良心的な企画・編集を第一に、本文庫を読者とともにあたたかく、また厳しく育ててゆきたいと思う。そして、これからを真剣に生きる人々の心の殿堂として発展、大成することを期したい。

一九八四年十月一日

刊行者 押鐘冨士雄 

 

 

三笠書房初の文庫となる「知的生き方文庫」。

 

1984年に起きた書店・取次による文庫正味引き下げ要請問題のさなか。各出版社が断固反対のなか、押鐘は「二分引き下げといったケチな考えではなく、書店三分、取次二分、計五分を当社は引き下げましょう」と、当時の日本書店商業組合連合会松信会長に申し出た。

『メガトレンド』『シンデレラ・コンプレックス』など20点を揃え創刊。*23

 

PQブックス(1984年?)

PQブックスとは

弊社が月刊『ペンギン・クエスチョン』を創刊したのは、一九八三年九月だったが、雑誌は八四年一一月に通巻一六号をもって休刊せざるをえなかった。雑誌の題字にあえて「クエスチョン・マーク」を付したのは、時代に対する懐疑を強く表明したかったからにほかならない。パラダイムの転換と、ことが簡単に片付けられる中で、『ペンギン・クエスチョン』は六〇年以降に自己形成した人びとの初心にこだわりつづけた編集をしてきたが、志半ばで、ひとまずはお休みになった。

「我ら再び懐疑の海に帰る」が休刊時の挨拶であったが、ここに刊行するPQブックスは『ペンギン・クエスチョン』という懐疑の営みの中から生まれた単行本である。雑誌の中で展開しきれなかったテーマや問題を、詳説するために今後もこのシリーズを編んでいく。きびしい批判の目で読んでいただければ、幸いである。

現代企画室

 

 

ノン・ポシェット(1985年)

◆「ノン・ポシェット」創刊のことば

 

ノン・ポシェットは、ノン・フック、ノン・ノベルの姉妹シリーズです。しかし、ポケットなり、ポシェットなりに楽に入る小さな判型、また既成のノン・ブック、ノン・ノベルから生み出されたという事情からいっても、むしろ両シリーズの子どもと申せましよう。

両シリーズの数ある本の中から、豊かな心、深い知恵、大きな楽しみに満ち、年月を経ても色褪(いろあ)せない「現代の古典」となるべきものばかりを厳選したつもりです。どうか親版のノン・ブック、ノン・ノベル両シリーズ同様、このノン・ポシェット・シリーズをご愛読いただき、進んでご意見、ご希望を編集部までお寄せくださるよう、お願いいたします。

昭和六〇年八月一日

NON・POCHETTE編集部

 

 

 

 

図書館員選書(1985年)

“図書館員選書”刊行にあたって

 

図書館法が発効してから35年が経過した。この間,わが国の図書館は戦後の廃墟の中から大きな発展を遂げた。この発展を支えてきたのがそれぞれの現場で仕事を積みあげてきた図書館員たちであり,われわれの先輩たちであった。これらの図書館員たちは日本図書館協会に結集し,その蓄えた知識と理論を共有し広めるため,1966年「シリーズ・図書館の仕事」を発刊した。あれから20年,「シリーズ・図書館の仕事」は25巻を発行する中で図書館の仕事の基本を示し,若い図書館員を育て,経験豊かな図書館員を励まし,そして,今,新しい時代にふさわしく「図書館員選書」として生まれかわった。

めまぐるしく変わる情報技術,求められる新しい図書館経営のあり方,そのような社会的情況の中で「利用者の要求を基本」とする図書館のあり方を探る「図書館員選書」は新しく図書館学を学ほうとする人,日常の仕事の中で手元において利用する人,研究の入門書として使用する人々のためにつくられたものである。

願わくは「シリーズ・図書館の仕事」の成果と先人の意志を受けつぎ多くの図書館員や研究者がそれぞれの現場での実践や研究の中から新たな理論を引き出し,この「図書館員選書」を常に新鮮な血液で脈打たせてくれることを希望して刊行の辞としたい。

1985年12月

日本図書館協会出版委員会

委員長 大澤正雄

 

 

スーパー・アニメファンタジー1988年?)

おかあさまがたへ

この『スーパー・アニメファンタジー』は、世界の名作を最新(さいしん)かつ最高(さいこう)技法(ぎほう)のアニメ()で絵本にしたものてす。

まず、ページをめくって、ごらんになってください。鮮明(せんめい)(りつ)体感(たいかん)があり、かつダイナミックな画面(がめん)がお目に止まることでしょう。

このファンタジックな画面は、私たちスタッフが二十年以上研究(けんきゅう)を重ねて開発(かいはつ)した、世界一のデラックス・スーパーアニメてす。

(おさな)いお子さまたちが、美しい夢の世界にあそんで、(ゆた)かな感性(かんせい)の持ち主に成長(せいちょう)されることを願いつつ、この本をつくりました。

 

ポプラ社の絵本

 

新コロナシリーズ(1989年?)

 新コロナシリーズ

  発刊のことば

 

西欧の歴史の中では、科学の伝統と技術のそれとははっきり分かれていました。それが現在では科学技術とよんで少しの不自然さもなく受け入れられています。つまり科学と技術が互いにうまく連携しあって今日の社会・経済的繁栄を築いているといえましよう。テレビや新聞でも科学や新しい技術の紹介をとり上げる機会が増え、人々の関心も大いに高まっています。

反面、私たちの豊かな生活を目的とした技術の進歩が、そのあまりの速さと激しさゆえに、時としていささかの社会的ひずみを生んでいることも事実です。

これらの問題を解決し、真に豊かな生活を送るための素地は、複合技術の時代に対応した国民全般の幅広い自然科学的知識のレベル向上にあります。

以上の点をふまえ、本シリーズは、自然科学に興味をもたれる高校生なども含めた一般の人々を対象に自然科学および科学技術の分野で関心の高い問題をとりあげ、それをわかりやすく解説する目的で企画致しました。また、本シリーズは、これによって興味を起こさせると同時に、専門分野へのアプローチにもなるものです。

 

ポプラ社教養文庫(1990年4月?)

二十一世紀を生きる若い世代に―ポプラ社教養文庫の発刊にあたって―

 

「真理がわれらを自由にする」――国立国会図書館の正面受付の上部には、こんなことばが刻まれています。このことばは、自由で幸せな社会をつくるために、学ぶことがいかにたいせつかをわたしたちに語りかけています。

いま、二十一世紀を間近にひかえ、日本も世界も大きく揺れ動いています。そして、人類は、かつて経験したことのない難問や解決すべき多くの課題に直面しています。豊かさと貧困、核の脅威、食糧問題やエネルギー問題、進行する自然破壊……これらの多くの難問を人類は、その英知と努力で解決していかなければなりません。

みなぎる力としなやかな感性をあわせ持つ若い世代が、世界のこうした現実を正しくみすえ、真理を学び、新しい世紀の主役として活躍するための力を着実にたくわえてほしいと心から願わずにはいられません。わたしたちは、そのための一助として、新たに「ポプラ社教養文庫」の刊行を決意しました。

このシリーズは、若い人たちが自然や社会にたいする科学的な認識を深め、歴史や文化をより深く理解できるように、現代のさまざまな興味あるテーマを専門研究者に執筆を依頼し、魅力ある図書群として提供していこうというものです。これらの本によって、若い人たちが学ぶこと、知ることの楽しさを味わいなから大いに英知をみがき、自由で幸せな人類の未来のために大きくはばたいてくれることを期待します。

 

文庫クセジュ(1990年)

読者に

 

一九四一年フランスに発足したコレクション《クセジュ》は、当初、一〇〇〇冊の刊行を目標としていたが、今日では二五〇〇冊に達している。その十年後の一九五一年に翻訳刊行を開始した小社の《文庫クセジュ》もすでに七〇〇冊を超えるシリーズに成長した。

《クセジュ》がこれほどまでに世に迎えられたのは、フランスの原出版社プレス・ユニヴェルシテール・ド・フランスが掲げる「人間精神のもっとも高邁なはたらきによびかける」という《クセジュ》の刊行意図が多くの人々に受け容れられたからであろう。

《クセジュ》の生みの親たちは、普遍と総合という百科全書の精神にのっとり、人々のためにつくす最上の方法は知性をたかめ文化財をゆたかにすることであると確信した。そしてこの目的を遂げるには、慎重な構想のもと細心の注意をもって《クセジュ》を作り、教育的価値が高くしかも価格の安いものとして、できるだけ多くの人々に提供することであると考えた。小社もこの趣旨に賛同して《文庫クセジュ》の精力的な紹介に努めてきた次第である。

幸いにして、古い伝統につちかわれたわが国の文化の土壤に、フランス精神の発露である《クセジュ》は着実に根付き、美しく花開いている。これには誠実な翻訳者たちのたゆまぬ努力があったことを忘れてはならない。読者は《文庫クセジュ》を通して、フランス文化の知的成果を十分に享受されることを願ってやまない。

一九九〇年六月

 

 

講談社カルチャーブックス(1991年)

発刊の言葉

 

二十世紀も終わろうとしている今日、わが国は、世界史でも例を見ない早さで先進国の仲間入りを果たして、経済大国といわれるまでの発展を遂げました。しかし、ようやくそうした状况に大転換が求められつつあります。新しい時代において、私たちがなすべきことは、「物質文明」の追求ではなくて、「精神文化」の充実を図ることであり、国際化がますます進む現代社会において必要とされるのは、ビジネスのことだけではなく、自国、他国の文化を理解することです。

ひたすら働くことか美徳であった時代は終わり、「ゆとりの時間」が増えたことを私たちは実感しています。この時間の有効な使い方が、「人生八十年時代」の私たちにとって、最も切実なテーマとなるでしよう。多くの人たちが生湃学習やボランティア活動、旅、趣味、芸術鑑賞、教養といったことに関わるようになったのは、「こころ豊かな充実した日々」を求める行動にほかなりません。

幸いにも、私たちは世界に誇れる独特の文化を持つ国民です。今こそ、私たちは先祖から受け継いできた文化や、美しい自然への一層の理解を深めるときではないでしようか。このたび発刊する「講談社カルチャーブックス」か、このような目的の有効な一助となり、あなたの自由時間におけるよき、パートナーとなることを願ってやみません。

一九九一年三月

 

 

“実用+教養”をコンセプト。

1991年3月25日、ビジュアルな教養シリーズとして刊行。

ハンディで贅沢なこのカルチャーシリーズは本としては好評だったものの、カラーページが多いため原価も定価も高くなる。競合する他社シリーズが増えたこともあって、8年後の1999年、131冊を刊行してシリーズを終えた。

原価高に苦しんだのは、コンテンツを提供できる雑誌が社内に少ないため、写真が撮り直しにならざるをえなかったことや、取材や編集作業に手間がかかり人手を要することなど。また実際の読者に中高年の女性は意外に少なく、企画のコンセプトから見直しを迫られたこともあった。*24

 

メッセージ21(1991年)

[メッセージ21]刊行のことば

 

いま、私たちは、この小さな地球に生きていますが、男と女、親と子、人と人、個人と社会、日本と世界、そして自然と人間など、どのようにしたらそれぞれのいい関係がつくりあげられるのでしようか。

[メッセージ21]は、私たちの生活のことから社会のことまて、新しいテーマ、考えてみたいテーマをとりあげ、人びとの知的関心を充たし、著者との素敵な“出会いの本”づくりをめざします。

いまという時代をみすえ、二一世紀への展望を開くために、社会のさまざまな分野で活躍している方々に、どのような考えをもって、どう行動し、どんな生き方をしているかを、大いに語り、論じてもらおうとするものてす。

豊かな社会実現のために、毎日の暮らしのなかて夢を育てるために――二一世紀に向けて、人びとに伝えたいメッセージです。

 

一九九一年四月

 

発行は労働旬報社

 

光人社NF文庫(1993年?)

刊行のことば

第二次世界大戦の戦火が()んで五〇年――その間、小社は夥しい数の戦争の記録を渉猟し、発掘し、常に公正なる立場を貫いて書誌とし、大方の絶讃を博して今日に及ぶが、その源は、散華された世代への熱き思い入れであり、同時に、その記録を誌して平和の礎とし、後世に伝えんとするにある。

小社の出版物は、戦記、伝記、文学、エッセイ、写真集、その他、すでに一、〇〇〇点を越え、加えて戦後五〇年になんなんとするを契機として、「光人社NF(ノンフィクション)文庫」を創刊して、読者諸賢の熱烈要望におこたえする次第である。人生のバイプルとして、心弱きときの活性の(かて)として、散華の世代からの感動の肉声に、あなたもぜひ、耳を傾けて下さい。

 

 

電撃文庫(1993年)

電撃文庫創刊に際して

 

文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れのなかで“小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである。

その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。

文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。

電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。

その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。しかし、〈Changing Times, Changing Publishing〉 時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。

1993年6月10日

 

角川歴彦(つぐひこ)氏は出版人生の原体験になった出来事として、次のようなエピソードを述べている。

1973年次の訪米でタイムワーナー(当時タイムインク)を視察した。

何故大手出版社がケーブルテレビへの映画供給会社HBOを設立したのか。

角川書店(当時)も映画を製作し始めたばかりだった。横溝正史原作『犬神家の一族』は日本映画界の沈滞を破り大ヒットした。しかし当時は出版社が映画を作ることが何かと厳しく非難された時代だった。

説明をタイムインクの副社長に求めたところ、

「映画も出版と同じく人に感動を与える。感動を与えるコンテンツに差はない。だからタイムは進出したのだ」

と誇らしげに語った。

長い話になったが、それからの私の出版人生の原体験になった貴重な一言である。

Changing Times, Changing Publishing.

時代が変われば出版も変わる。人を感動させる道筋は多様でいい。文化は多様性が生命なのだ。*25

 

 

テクノライフ選書(1994年)

発刊のことば

 

(社)日本機械学会は、一九九七年六月に創立一〇〇周年を迎えます。創立以来一世紀にわたり、多くの機械技術者が、わが国の機械工業の発展に貢献してまいりました。しかし最近の世界の急激な動きは、政治・社会・経済を大きく変えたばかりでなく、工学・技術の分野にも大きな影響を与え、パラダイム・シフトが求められています。

二一世紀を目前にして、人間と機械のあり方が問われています。この機にあたり、これからの技術のあり方を予測し、エンジニアのためのエンジニアによる「テクノライフ選書」の書目を提案しました。編集委員会での検討を経て、一般社会の皆様のお役にも立つよう、刊行することになりました。

これからのエンジニアは、高い視野に立った幅広い知識と教養が必要になるでしよう。アイディアを出したり、ユニークな発想のトリガーになるよう、自然科学・経済・社会・教育・心理・環境・レジャー・スポーツなど、多岐にわたって企画いたしました。

これからは、学習・努力した人が報いられるような世の中になると思います。ぜひ本選書を有効に活用されるよう、願ってやみません。

一九九四年一月

テクノライフ選書編集委員会委員長 土屋 喜一

 

発行はオーム社

 

講談社選書メチエ

刊行時(1994年)

  講談社選書メチエ 刊行の辞

 

書物からまったく離れて生きるのはむずかしいことです。百年ばかり昔、アンドレ・ジッドは自分にむかって「すべての書物を捨てるべし」と命じながら、パリからアフリカへ旅立ちました。旅の荷は軽くなかったようです。ひそかに書物をたずさえていたからでした。ジッドのように意地を張らず、書物とともに世界を旅して、いらなくなったら捨てていけばいいのではないでしょうか。

現代は、星の数ほどにも本の書き手が見あたります。読み手と書き手がこれほど近づきあっている時代はありません。きのうの読者が、一夜あければ著者となって、あらたな読者にめぐりあう。その読者のなかから、またあらたな著者が生まれるのです。この循環の過程で読書の質も変わっていきます。人は書き手になることで熟練の読み手になるものです。

選書メチエはこのような時代にふさわしい書物の刊行をめざしています。

フランス語でメチエは、経験によって身につく技術のことをいいます。道具を駆使しておこなう仕事のことでもあります。また、生活と直接に結びついた専門的な技能を指すこともあります。

いま地球の環境はますます複雑な変化を見せ、予測困難な状況が刻々あらわれています。

そのなかで、読者それぞれの「メチエ」を活かす一助として、本選書が役立つことを願っています。

一九九四年二月 野間佐和子

 

1992年3月、学術局の局長が鷲尾賢也に。*26

当時文庫出版局に所属していた「講談社学術文庫」を学術局へ移管するとともに、学術局改革のため、「講談社メチエ」シリーズの創刊が企図された。

「選書」というアイデアは鷲尾が学芸局にいた当時から「新書」よりもさらに読み応えあるシリーズとして考えていたもの。学術局でもかつての松田崇局長時代(1983年~)、小枝一夫局長時代(1989年~)の構想、企画案があったが、学術に偏りすぎて専門的だとして最初から練り直した。

 

1992年6月、鷲尾は局内に「選書出版部」を新設し自ら部長を兼務。

プラン作りに二年をかけて内容を練り直し、装幀・造本体裁をはじめ、基礎的なシリーズコンセプトを固めていく。選書のネーミングは局内公募し「講談社選書メチエ」と決まる。

執筆者も新鮮であることを重視し、20歳代の新進でも魅力があれば積極起用する方針を取った。

1994年2月に創刊。四六判ソフトカバー、各巻定価1500円。第一回配本は8冊。

 

再出発(2019年)

   講談社選書メチエの再出発に際して

 

講談社選書メチエの創刊は冷戦終結後まもない一九九四年のことである。長く続いた東西対立の終わりはついに世界に平和をもたらすかに思われたが、その期待はすぐに裏切られた。超大国による新たな戦争、吹き荒れる民族主義の嵐……世界は向かうべき道を見失った。そのような時代の中で、書物のもたらす知識が一人一人の指針となることを願って、本選書は刊行された。

それから二五年、世界はさらに大きく変わった。特に知識をめぐる環境は世界史的な変化をこうむったとすら言える。インターネットによる情報化革命は、知識の徹底的な民主化を推し進めた。誰もがどこでも自由に知識を入手でき、自由に知識を発信できる。それは、冷戦終結後に抱いた期待を裏切られた私たちのもとに差した一条の光明でもあった。

その光明は今も消え去ってはいない。しかし、私たちは同時に、知識の民主化が知識の失墜をも生み出すという逆説を生きている。堅く揺るぎない知識も消費されるだけの不確かな情報に埋もれることを余儀なくされ、不確かな情報が人々の憎悪をかき立てる時代が今、訪れている。

この不確かな時代、不確かさが憎悪を生み出す時代にあって必要なのは、一人一人が堅く揺るぎない知識を得、生きていくための道標を得ることである。

フランス語の「メチエ」という言葉は、人が生きていくために必要とする職、経験によって身につけられる技術を意味する。選書メチエは、読者が磨き上げられた経験のもとに紡ぎ出される思索に触れ、生きるための技術と知識を手に入れる機会を提供することを目指している。万人にそのような機会が提供されたとき初めて、知識は真に民主化され、憎悪を乗り越える平和への道が拓けると私たちは固く信ずる。

この宣言をもって、講談社選書メチエ再出発の辞とするものである。

二〇一九年二月  野間省伸

 

 

淡海文庫(1994年)

淡海文庫について

 

「近江」とは大和の都に近い大きな淡水の海という意味の「近(ちかつ)淡海」から転化したもので、その名称は「古事記」にみられます。今、私たちの住むこの土地の文化を語るとき、「近江」でなく、「淡海」の文化を考えようとする機運があります。

これは、まさに滋賀の熱きメッセージを自分の言葉で語りかけようとするものであると思います。

豊かな自然の中での生活、先人たちが築いてきた質の高い伝統や文化を、今の時代に生きるわたしたちの言葉で語り、新しい価値を生み出し、次の世代へ引き継いでいくことを目指し、感動を形に、そして、さらに新たな感動を創りだしていくことを目的として「淡海文庫」の刊行を企画しました。

自然の恵みに感謝し、築き上げられてきた歴史や伝統文化をみつめつつ、今日の湖国を考え、新しい明日の文化を創るための展開が生まれることを願って一冊一冊を丹念に編んでいきたいと思います。

  一九九四年四月一日

 

タチバナ教養文庫(1994年?)

  「タチバナ教養文庫」発刊にあたって

 

人は誰でも「宝」を持っているけれども、ただ漫然としていては開花しません。それには「宝」を開ける鍵が必要です。それは、他からの良い利激(出会い)に他なりません。

そんな良き剌激となる素晴らしい古典・現代の名著が集まった処…。

それを「タチバナ教養文庫」はめざしています。

伝教大師最澄は、道心のある人を「宝」といい、さらにそれをよく実践し人々に話すことのできる人を、「国宝」と呼び、そういう人材を育てようとされたのです。そして、比叡山では、真実の学問を吸収し実践した多くの「国宝」が輩出し、時代時代の宗教的リーダーとして人々を引っぱっていったのです。

当文庫は、できるだけ広い分野から著者の魂や生命の息吹が宿っている書物をお届けし、忙しい現代人が、手軽に何時でも何処でも真実の学問を吸収されることを願って発刊するものてす。そして、読者の皆様が、世に有為なる「国宝」となられ、豊かで輝かしい人生を送る糧となれば幸いてす。

絶版などで、手に入れにくいものでも、できる限り復刻発刊させて戴きたいので、今まで入手困難と諦めていた書物でも、どんどんリクエストして下さい。

読者の熱烈なる求道心に応え、読者とともに成長していく魅力溢れる「タチバナ教養文庫」でありたいと念願しています。

 

発行は、たちばな出版。

 

ちくま新書(1994年)

ちくま新書〇創刊のことば

 

二十世紀文明の枠組みの崩壊を目のあたりにして、わたしたちはいま一人一人が自らの経験と知恵を生かし、自らの頭で考えていくことが強くもとめられています。そのためにこそ、どういう筋道で考えればよいのか、適切なオリエンテーションが必要です。

ちくま新書」は、そんな読者のみなさんの必要と関心にまっすぐにはっきりと応答し、読者自身の思索を支援する、小さなしかし強力なチューター群です。しっかりと立脚点を見つめ、けっして背伸びをせず、どんなテーマもイチから説き起こします。そして、最後まで考えぬきます。ほんとうの入門書とはこういうものだ、という自負をもって投げこみます。だから「ちくま新書」は考える力、生きる勇気がわいてくる“元気のでる”新書です。

(一九九四年九月)

 

PHP新書(1996年)

新書刊行にあたって

 

「繁栄を通じて平和と幸福を」(PEACE and HAPPINESS through PROSPERITY)の願いのもと、PHP研究所が創設されて今年で五十周年を迎えます。その歩みは、日本人が先の戦争を乗り越え、並々ならぬ努力を続けて、今日の繁栄を築き上げてきた軌跡に重なります。

しかし、平和で豊かな生活を手にした現在、多くの日本人は、自分が何のために生きているのか、どのように生きていきたいのかを、見失いつつあるように思われます。そして、その間にも、日本国内や世界のみならず地球規模での大きな変化が日々生起し、解決すべき問題となって私たちのもとに押し寄せてきます。このような時代に人生の確かな価値を見出し、生きる喜びに満ちあふれた社会を実現するために、いま何が求められているのでしようか。それは、先達が培ってきた知恵を紡ぎ直すこと、その上で自分たち一人一人がおかれた現実と進むべき未来について丹念に考えていくこと以外にはありません。

その営みは、単なる知識に終わらない深い思索へ、そしてよく生きるための哲学への旅でもあります。弊所が創設五十周年を迎えましたのを機に、PHP新書を創刊し、この新たな旅を読者と共に歩んでいきたいと思っています。多くの読者の共感と支援を心よりお願いいたします。

 

一九九六年十月

 

 

歴史文化ライブラリー(1996年)

刊行のことば

現今の日本および国際社会は、さまざまな面で大変動の時代を迎えておりますが、近づきつつある二十一世紀は人類史の到達点として、物質的な繁栄のみならず文化や自然・社会環境を謳歌できる平和な社会でなければなりません。しかしながら高度成長・技術革新にともなう急激な変貌は「自己本位な刹那主義」の風潮を生みだし、先人が築いてきた歴史や文化に学ぶ余裕もなく、いまだ明るい人類の将来が展望できていないようにも見えます。このような状况を踏まえ、よりよい二十一世紀社会を築くために、人類誕生から現在に至る「人類の遺産・教訓」としてのあらゆる分野の歴史と文化を「歴史文化ライプラリー」として刊行することといたしました。

小社は、安政四年(一八五七)の創業以来、一貫して歴史学を中心とした専門出版社として書籍を刊行しつづけてまいりました。その経験を生かし、学問成果にもとづいた本叢書を刊行し社会的要請に応えて行きたいと考えております。

現代は、マスメディアが発達した高度情報化社会といわれますが、私どもはあくまでも活字を主体とした出版こそ、ものの本質を考える基礎と信じ、本叢書をとおして社会に訴えてまいりたいと思います。これから生まれでる一冊一冊が、それぞれの読者を知的冒険の旅へと誘い、希望に満ちた人類の未来を構築する糧となれば幸いです。

 

 

 

イギリス思想叢書(1996年12月?)

◆刊行に寄せて◆

 

ここ数年、とくに近世初期以降のイギリス思想家に関する我国の優れた研究書が少なからず刊行されてきた。けだし、近世から現代にかけて、哲学、法、政治、経済、社会思想等のあらゆる分野で西欧における先進国として、具象的で独創的な思考とともに革新的な理想を掲げて時代を先導し、啓蒙してきたイギリスの思想からは、混迷する我国の現代においても多くの学ぶべきものがある以上、この慶賀すべき状況は当然ともいえるであろう。

日本イギリス哲学会は従来も著名なイギリス思想家に対する共同執筆による論集を叢書として刊行し、識者の評価を得てきたと信ずるが、今般、代表的なイギリス思想家十二人に対する、それぞれの分野での我国第一線の研究者による思想叢書が刊行される運びとなった。

各巻が高度の研究であると同時に、平明な解説として広く世を裨益することを期待しうる本叢書に対しても本学会は全面的な支援を寄せるものである。

(日本イギリス哲学会)

 

発行は研究社。

全12巻で『トマス・モア』『ベイコン』『ホッブズ』『ロック』『ヒューム』『アダム・スミス』『ベンサム』『ジェイムズ・ミル』『ロバート・オウエン』『J・S・ミル』『ウィリアム・モリス』『ジョージ・オーウェル

 

ふたばらいふ新書(1997?)

〔ふたばらいふ新書〕発刊のことば

 

「ふたばらいふ新書」のテーマは“成長願望”です。成長を願う人は、老若男女の別なく生き生きとしています。編集部も読者と一緒に成長していきます。独りよがりな主張は避け、生活に根ざしたやさしく分かりやすい内容、人生に役立つ勇気ある内容、社会に貢献てきる有益な内容、をめざして全力投球していきます。

 

転換期を読む(1998年7月?)

未紹介の名著や読み直される古典を、ハンディな判で

新シリーズ 転換期を読む

 

[刊行に当たって]

二〇世紀も終わりつつある現在、わたしたちは大きな時代の転換点に立っています。革命と世界戦争に揺さぶられた激動の世紀にかわって、見通しがたい新たな世紀の未来に、わたしたちは何を託すのでしようか。しかしながら、時代の転換とは、過去を早々に清算し、新しい意匠に乗り換えることではないはずです。伝統と遺産を見つめなおし、再構成し、その限界を乗り越えるところからしか、来たるべき時代の活路は拓けてこないでしよう。啓蒙と進歩史観に支えられた「近代」という時代精神をいま一度検証し、その歴史的射程を捉えなおすために、未開拓のままわたしたちに遺されている知的成果は、まだまだ大きいと言えましょう。本叢書は、時代の転換期には何度でも繙かれ、読み継がれるであろう名著の数々を、選りすぐって提供いたします。

 

発行は未来社

 

角川叢書(1998年)

角川叢書 刊行のことば

 

日本が誇る俳聖松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の体験から不易流行という文芸理念を創出しました。不易とは永遠不変の真実、流行とは刻々に変化する新しみを意味します。芭蕉逝いて三百年、いま巷に氾濫する書物の多くは流行を追って類型化していることを否めません。流行のなかに不易を求め、古きを(たず)ねて新しきを知ることは出版文化に携わる者の使命でもあります。

角川書店は創業五十年の伝統をふまえて、出版理念の初心にたちかえり、新たな学術文化の場を築くべく、角川叢書を刊行します。高度化・専門化しつつある学問研究の大衆化をめざし、読書の醍醐味を提供します。中央・地方を問わず、海外もふくめた、すぐれた研究者の積年の蘊蓄を傾注した学術書の出版によって、日本人の精神史に新たな視点を提供します。

日本の新しい文化と学術はここから始まる、という自負と期待をこめて、この叢書を刊行してゆきます。読者各位の理解と支持とにより、この理念が完遂され、「知」の殿堂となることを念願してやみません。

一九九八年十二月

 

祥伝社文庫創刊15周年(2000年)

 

上質のエンターティンメントを! 珠玉のエスプリを!

 

祥伝社文庫は創刊15周年を迎える2000年を機に、ここに新たな宣言をいたします。いつの世にも変わらない価値観、つまり「豊かな心」「深い知恵」「大きな楽しみ」に満ちた作品を厳選し、次代を拓く書下ろし作品を大胆に起用し、読者の皆様の心に響く文庫を目指します。どうぞご意見、ご希望を編集部までお寄せくださるよう、お願いいたします。

 

2000年1月1日

 

 

祥伝社黄金文庫(2000年)

祥伝社黄金文庫創刊のことば

 

「小さくとも輝く知性」――祥伝社黄金文庫はいつの時代にあっても、きらりと光る個性を主張していきます。

真に人間的な価値とは何か、を求めるノン・ブックシリーズの子どもとしてスタートした祥伝社文庫ノンフィクションは、創刊15年を機に、祥伝社黄金文庫として新たな出発をいたします。「豊かで深い知恵と勇気」「大いなる人生の楽しみ」を追求するのが新シリーズの目的です。小さい身なりでも堂々と前進していきます。

黄金文庫をご愛読いただき、ご意見ご希望を編集部までお寄せくださいますよう、お願いいたします。

 

平成12年(2000年)2月1日

 

FIF叢書(2000年)

FIF叢書の刊行にあたって

 

フジタ未来経営研究所(FIF:Fujita Institute of Future Management Research)は、日本マクドナルド(株)の日本側の出資会社でもある(株)藤田商店が1997年4月に設立したシンクタンクです。

FIFは、グループ企業の末来の経営に対する提言を行なうと同時に、未来に向かって国家、企業、地域・社会、個人生活をいかに運営していくかについて研究活動を行ない、その成果を広く社会に対して政策提言・提唱することを目的として活動しています。

さて、現代日本社会を取り巻く環境はかつてなく大きく、複雑に、かつ急速に変化しています。そうしたなか、既存の社会システム、さらにはその根底にある旧来の価値観が揺らいでいます。そして、価値観の揺らぎのなかで、政府・行政も、企業も、そして個人も未来を模索するうえでの座標軸を定めきれないでいます。このような状況では、とかく問題が発生するたびにその場限りの対応を重ね、むしろ全体としての対応の方向やタイミングを誤ってしまうことになりがちです。

いま必要なのは、日本社会が進むべき方向についてグランドデザイン(全体構想)を描きながら、それに基づいて政策立案を行なうことです。そして、グランドデザインを描くには、まず、わたしたちが21世紀の日本をどのような社会にしたいと考え、どのような生活を望むのかという、ビジョン(未来像)を形成しなくてはなりません。また、ビジョンは、一部の為政者に委ねてしまうべきものではなく、国民の1人ひとりが世の動きを自分のこととして受け止め、議論することによって形成されるべきものです。

FIFは、よりよい政策の形成のために、以上のような過程を支援することが、シンクタンクとしての重要な責務であると認識しています。そこで、日本の未来社会にとって重要な課題を取り上げ、これについて1人でも多くの人々の間で議論を喚起することを目的として「FIF叢書」を刊行するにいたりました。この「FIF叢書」が、多くの人々にとって、時代の潮を捉え、日本と 自分自身の未来像について考えるきっかけとなることを願っています。

2000年11月

フジタ未来経営研究所理事長・竹中平蔵

 

 

岩波現代文庫(2001年)

岩波現代文庫の発足に際して

 

新しい世紀が目前に迫っている。しかし二〇世紀は、戦争、貧困、差別と抑圧、民族間の憎悪等に対して本質的な解決策を見いだすことができなかったばかりか、文明の名による自然破壊は人類の存続を脅かすまでに拡大した。一方、第二次大戦後より半世紀余の間、ひたすら追い求めてきた物質的豊かさが必ずしも真の幸福に直結せず、むしろ社会のありかたを歪め、人間精神の荒廃をもたらすという逆説を、われわれは人類史上はじめて痛切に体験した。

それゆえ先人たちが第二次世界大戦後の諸問題といかに取り組み、思考し、解決を模索したかの軌跡を読みとくことは、今日の緊急の課題であるにとどまらず、将来にわたって必須の知的営為となるはずである。幸いわれわれの前には、この時代の様ざまな葛藤から生まれた、人文、社会、自然諸科学をはじめ、文学作品、ヒューマン・ドキュメントにいたる広範な分野のすぐれた成果の蓄積が存在する。

岩波現代文庫は、これらの学問的、文芸的な達成を、日本人の思索に切実な影響を与えた諸外国の著作とともに、厳選して収録し、次代に手渡していこうという目的をもって発刊される。いまや、次々に生起する大小の悲喜劇に対してわれわれは傍観者であることは許されない。一人ひとりが生活と思想を再構築すべき時である。

岩波現代文庫は、戦後日本人の知的自叙伝ともいうべき書物群であり、現状に甘んずることなく困難な事態に正対して、持続的に思考し、未来を拓こうとする同時代人の糧となるであろう。

(二〇〇一年一月)

 

中公新書ラクレ(2001年)

中公新書ラクレ刊行のことば

 

世界と日本は大きな地殻変動の中で21世紀を迎えました。時代や社会はどう移り変わるのか。人はどう思索し、行動するのか。答えが容易に見つからない問いは増えるばかりです。1962年、中公新書創刊にあたって、わたしたちは「事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させること」を自らに課しました。今わたしたちは、中公新書の新しいシリーズ「中公新書ラクレ」において、この原点を再確認するとともに、時代が直面している課題に正面から答えます。「中公新書ラクレ」は小社が19世紀、20世紀という二つの世紀をまたいで培ってきた本づくりの伝統を基盤に、多様なジャーナリズムの手法と精神を触媒にして、より逞しい知を導く「(ラ・クレ)」となるべく努力します。

2001年3月

 

 

中公クラシックス(2001年)

■「終焉」からの始まり

  ――『中公クラシックス』刊行にあたって

 

二十一世紀は、いくつかのめざましい「終焉」とともに始まった。工業化が国家の最大の標語であった時代が終わり、イデオロギーの対立が人びとの考えかたを枠づけていた世紀が去った。歴史の「進歩」を謳歌し、「近代」を人類史のなかで特権的な地位に置いてきた思想風潮が、過去のものとなった。

人びとの思考は百年の呪縛から解放されたが、そのあとに得たものは必ずしも自由ではなかった。固定観念の崩壊のあとには価値観の動揺が広がり、ものごとの意味を考えようとする気力に衰えがめだつ。おりから社会は爆発的な情報の氾濫に洗われ、人びとは視野を拡散させ、その日暮らしの狂騒に追われている。株価から醜聞の報道まで、刺戟的だが移ろいやすい「情報」に埋没している。応接に疲れた現代人はそれらを脈絡づけ、体系化をめざす「知識」の作業を怠りがちになろうとしている。

だが皮肉なことに、ものごとの意味づけと新しい価値観の構築が、今ほど強く人類に迫られている時代も稀だといえる。自由と平等の関係、愛と家族の姿、教育や職業の理想、科学技術のひき起こす倫理の問題など、文明の森羅万象が歴史的な考えなおしを要求している。今をどう生きるかを知るために、あらためて問題を脈絡づけ、思考の透視図を手づくりにすることが焦眉の急なのである。

ふり返ればすべての古典は混迷の時代に、それそれの時代の価値観の考えなおしとして創造された。それは現代人に思索の模範を授けるだけでなく、かつて同様の混迷に苦しみ、それに耐えた強靭な心の先例として勇気を与えるだろう。そして幸い進歩思想の傲慢さを捨てた現代人は、すべての古典に寛く開かれた感受性を用意しているはすなのである。

(二〇〇一年四月)

 

NIRAチャレンジ・ブックス(2001年)

NIRAチャレンジ・ブックス」の刊行にあたって

 

21世紀を迎えてヒト,モノ,カネ,情報のグローバル化が一層進展し,世界的規模で政治・経済構造の大変革が迫られています.冷戦構造崩壊後の新しい世界秩序が模索されるなかで,依然として世界各地で紛争の火種がくすぶり続けています.国家主権が欧州連合のような地域統合によって変容を余儀なくされる一方で,文明,民族,宗教などをめぐる問題が顕在化しています.20世紀の基本原理であった国民国家の理念と国家の統治構造自体が大きな試練を受けています.他方,わが国は,バブル崩壊後の長期経済停滞に加えて,教育,年金,社会保障,経済・財政構造などの分野で問題が解決できないままに新世紀を迎えました.わが国のかたちと進路に関する戦略的ビジョンが求められています.

人々の価値観が多様化するなかで諸課題を解決するには,専門家によって多様な政策選択肢が示され,良識ある市民の知的でオープンな議論を通じて政策形成が行われることが必要です.総合研究開発機構(NIRA)は,産業界,学界,労働界などの代表の発起により政府に認可された政策志向型のシンクタンクとして,現代社会が直面する諸問題の解明に資するため,自主的・中立的な視点から総合的な研究開発を実施し,さまざまな政策提言を行って参りました.引き続き諸課題に果敢にチャレンジし,政策研究を蓄積することが重要な使命と考えますが,同時に,より多くの人々にその内容と問題意識を共有していただき,建設的な議論を通じて市民が政策決定プロセスに参加する道を広げることがいま何よりも必要であると痛感しております.「NIRAチャレンジ・ブックス」はそうした目的で刊行するものです.この刊行を通して,世界とわが国が直面する諸問題についての広範囲な議論が巻き起こり,政策決定プロセスに民意が反映されるよう切望してやみません.

2001年7月

総合研究開発機構理事長 塩谷隆英

 

 

岩波アクティブ新書(2002年)

  岩波アクテイプ新書の発足に際して

先行き不透明な時代です。経済の行く先を予測することはむずかしく、今の生活スタイルをいつまで続けられるのか不安です。若い人にとっては、就職し定年まで勤め上げるというイメージはもちにくくなる一方、定年を迎える人には、その後の長い人生設計が切実な間題となっています。

環境問題はさらに深刻化し、健康に不安を抱えている人も多いことでしよう。

生活スタイルが個性的になり、価値観も多様化しています。そのため人間関係が複雑になり、世代間ではもちろん、世代の内部でも、コミュニケーションがむずかしくなっています。家族との接し方もこれまでどおりにはいかないでしよう。

世の中に情報はあふれ、インターネットなどを使えば、直面している間題を解決するてがかりを探し出すことは容易です。しかしいま必要なのは断片的な情報ではなく、実際に試しながら繰り返し頼りにできる情報です。現代人の生活の知恵ともいうべき知識です。メディアは多様化していますが、そのような手応えのある知識を得るために、書物は依然として強力なメディアです。

私たちは、みなさんが毎日の生活をより充実した楽しいものにされることを期待して、ここに岩波アクティブ新書を創刊いたします。この新書によって、新しい試みに挑戦し、自らの可能性を広げてくださることを望みます。そして、この新書が、身のまわりの小さな変化を手始めに、社会を少しでも住みよくしていく力となるなら、これにまさる喜びはありません。

(二〇〇二年一月)

 

 

 

KUARO叢書(2002年)

  「叢書」刊行にあたって

 

九州大学は、地理的にも歴史的にもアジアとの関わりが深く、これまで、アジアの人々や研究者と様々なレベルでの連携が行われてきました。また、「アジア総合研究」を国際化の柱と位置付け、全学術分野でのアジア研究の活性化を目指してきました。

それらのアジアに関する興味深い研究成果を、幅広い読者にわかりやすく紹介するため、ここに「叢書」を刊行いたします。

二〇世紀までの経済・科学技術の発達がもたらした負の遺産(環境悪化、資源枯渇、経済格差など)はアジアに先鋭的に現れております。それらの複雑な問題に対して九州大学の教官は、それぞれの専門分野で責務を果たしつつ、国境や分野を超えた研究者と連携を図りなから、総合的に問題解決に挑んでいくことが期待されています。

そこで本学では、二〇〇〇年十月、九州大学アジア総合研究機構を設立し、アジア学長会議を開催、アジア研究に関するデータベースを整備するなど、アジアの研究者のネットワーク構築に取り組んでいます。二一世紀、九州大学が率先してアジアにおける知的リーダーシップを発揮し、アジア地域の持続的発展に貢献せんことを期待してやみません。

二〇〇二年三月

九州大学総長 梶山千里

 

 

PHPエル新書(2002年)

PHPエル新書刊行にあたって

 

二十一世紀は、私たちの新しいライフスタイル、新しい生き方、そして新しい社会を創造する世紀の幕開けです。

これからの時代のコンセプトは〈自分らしい生活〉――自分が本当に必要なものだけを自分のセンスで選び、気持のよい生活空間を創っていく。そして、社会のことも、生活者の視点から見直し、考えてゆく。それが、二十一世紀という新しい時代の〈大人の生活〉です。

PHPエル新書」では、生活をより豊かに、より楽しくするさまざまな方法を提案したいと願っています。

「エル」とはアルファベットの「L」であり、「生活(Living)」「自由(Liberty)」「元気な(Lively)」「美しい(Lovely)」「人生(Life)」といった英単語の頭文字からとったものです。

皆さまの温かい励ましとご支援を心よりお願いいたします。

 

二〇〇二年四月

 

心の医学新書(2003年?)

「心の医学新書」企画趣旨について

 

“心の世紀”といわれる21世紀を迎え、精神医療に対するニーズが非常に多様化してきた今日、一般診療科を受診する患者さんの不安・抑うつ・受容・依存や介護する家族の心理を思う時、精神医学は精神科の専門領域としてのみではなく一般診療においても重要なアプローチとなる。

従来精神科医を対象とした精神医学シリーズは多く出版されているが、特に一般診療科における精神医学の現状、問題点これからの展望などについて改めて纏めてみようと「心の医学新書」をシリーズで刊行することに致しました。一般診療科を取り巻く精神医学の話題を提供することにより、精神科医だけではなく、実地診療に携わる一般診療科医やコ・メディカルの方の参考に供したいと思います。ご好評を賜ることが出来れば幸甚です。

 

大阪大学大学院医学系研究科プロセシング異常疾患解析学(精神医学)教授 武田 雅俊

 

発行は診療新社。

 

JLA図書実践シリーズ(2004年)

JLA図書館実践シリーズ刊行にあたって

 

日本図書館協会出版委員会が「図書館員選書」を企画して20年あまりが経過した。図書館学研究の入門と図書館現場での実践の手引きとして,図書館関係者の座右の書を目指して刊行されてきた。

しかし,新世紀を迎え数年を経た現在,本格的な情報化社会の到来をはじめとして,大きく社会が変化するとともに,図書館に求められるサービスも新たな展開を必要としている。市民の求める新たな要求に対応していくために,従来の枠に納まらない新たな理論構築と,先進的な図書館の実践成果を踏まえた,利用者と図書館員のための出版物が待たれている。

そこで,新シリーズとして,「JLA図書館実践シリーズ」をスタートさせることとなった。図書館の発展と変化する時代に即応しつつ,図書館をより一層市民のものとしていくためのシリーズ企画であり,図書館にかかわり意欲的に研究,実践を積み重ねている人々の力が出版事業に生かされることを望みたい。

また,新世紀の図書館学への導入の書として,一般利用者の図書館利用に資する書として,図書館員の仕事の創意や疑問に答えうる書として,図書館にかかわる内外の人々に支持されていくことを切望するものである。

2004年7月20日

日本図書館協会出版委員会

委員長 松島 茂

 

 

 

NTT出版ライブラリー・レゾナント(2004年)

出版ライプラリー レゾナント  刊行の辞

 

グローバル化・情報化の波が世界中を覆い、従来の常識、発想では解けない社会問題・現象が次々に起こっています。しかしながら、それらをトータルに理解し、変化する事態の奥にあるものを射抜く知恵、教養のつながりは、いまだ鮮明ではありません。

シリーズ名の「レゾナント」には、“共鳴する、響きあう”という意味が込められています。そして、人と人とが時間や距離を超えて出会い、響きあう、時間や距離を超えるコミュニケーション環境の創造こそが、社会の様々な問題解決につながるのではないかと考えました。

二一世紀の始まりにあたり、私たちは、大きな文明的転換期に遭遇し、いま新たに拠って立つべき基点をどこに持つべきか、また、つねに「変化」の波にさらされ続ける社会の未来像をいかに描くべきかを模索しています。

私たちは、現代から未来へ続く道を読者とともに探す、確かな未来をつくるために歴史の叡智に耳をすます、そんな未来志向の新しい教養を目指したいと思います。

このシリーズを通して、そのささやかな一歩を踏み出していきます。多くの読者のかたの共感と支援を心よりお願いいたします。

 

 二〇〇四年十月

 

近代浪漫派文庫(2004年?)

◎近代浪漫派文庫刊行のことば

 

文芸の変質と近年の文芸書出版の不振は、出版界のみならず、多くの人たちの夙に認めるところであろう。そうした状況にもかかわらず、先に『保田與重郎文庫』(全三十二冊)を送り出した小社は、日木の文芸に敬意と愛情を懐き、その系譜を信じる確かな読書人の存在を確認することができた。

その結果に励まされて、専ら時代に追従し、徒らに新奇を追うごどき文芸ジャーナリズムから一歩距離をおいた新しい文芸書シリーズの刊行を小社は思い立った。即ち、狭義の文学史や文壇に捉われることなく、浪漫的心性に富んだ近代の文学者・芸術家を選んで四十二冊とし、小説、詩歌、エッセイなど、それぞれの作家精神を窺うにたる作品を文庫本という小字宙に収めるものである。

以って近代日木が生んだ文芸精神の一系譜を耘え得る、類例のない出版活動と信じる。

 

新学社

 

大阪市立大学文学研究科叢書(2005年)

大阪市立大学文学研究科叢書および編集委員会について

 

叢書編集委員会は、『大阪市立大学文学研究科叢書』刊行の企画・編集・および出版に関するもろもろの業務を実施するための委員会です。

大阪市立大学文学研究科叢書』は、2002年、文学研究科の業績を一般に公表するために企画されました。その目的は文学研究科の研究・教育の成果を日本はもちろん全世界に向けて発信し、人文・社会科学の発展に寄与するとともに、人類のよりよい未来に向けて貢献することを目指しています。

 

大阪市立大学文学研究科叢書』として刊行されるものは、

1 文学研究科教員・卒業生・大学院学生の研究業績のうち、とくに学術的価値の高いもの

2 「都市文化研究センター」(COE研究拠点)においてまとめられた研究業績

3 文学研究科が主催した国際研究会・シンポジウム等の成果

4 その他、文学研究科における研究業績のうち、広く社会に公表する意義のあるもの

となっています。

 

叢書編集委員会は、文学研究科と都市文化研究センターから選出された数名の委員で構成され、月例の会議によって、文学研究科や都市文化研究センターでの研究活動を把握しつつ、任務に従事しています。

 

2005年4月

文学研究科叢書 編集委員長 中村圭爾

 

編集委員

石田佐恵子

岸本直文

高坂史朗

小林直樹

松浦恆雄

 

 

The Editorial Committee for the OCU SLHS Books

 

The duties of the editorial committee are the planning, editing, and publishing of the OCU SLHS (Osaka City University, Graduate School of Literature & Human Sciences) Books. We have started the planning and publishing of the series of SLHS Books in 2002. The aims of the series are to make the achievements of research and education at SLHS public to Japan and the whole world, contribute to development of the humanities and social sciences, and also, to make great contributions for the better future of human beings.

 

What are published as SLHS Books:

1  Research achievements with great scientific value by the academic staff, post-doctoral graduates and graduate students of SLHS.

2  Achievements by the OCU Urban-Culture Research Center (UCRC: the 21st Century COE Program).

3  Reports of international academic meetings / symposiums by SLHS.

 4  In addition, the important achievements of SLHS, which are deemed worth publishing.

 

The editorial committee consists of several members selected from SLHS and UCRC. The committee holds general monthly meetings and engages in the research activities of SLHS and UCRC.

 

Editor

NAKAMURA, Keiji

 

Editorial Board

ISHITA, Saeko

KISHIMOTO, Naofumi

KOHSAKA, Shiro

KOBAYASHI, Naoki

MATSUURA, Tsuneo

 

 

ポプラポケット文庫(2005年)

   みなさんとともに明るい未来を

一九七六年、ポプラ社は日本の未来ある少年少女のみなさんのしなやかな成長を(ねが)って、「ポプラ社文庫」を刊行しました。

二十世紀から二十一世紀へ――この世紀に(わた)る激動の三十年間に、ポプラ社文庫は、みなさんの圧倒的な支持をいただき、発行された本は、八五一点。刊行された本は、何と四千万冊に及びました。このことはみなさんが一生懸命(いっしょうけんめい)本を読んでくださったという証左(あかし)でもあります。

しかしこの三十年間に世界はもとよりみなさんをとりまく状況も一変しました。地球温暖化による環境破壊、大地震、大津波、それに悲しい戦争もありました。多くの若いみなさんのかけがえのない生命も無惨(むざん)にうばわれました。そしていまだに続く、戦争や無差別テロ、病気や飢餓(きが)……、ほんとうに悲しいことばかりです。

でも決してあきらめてはいけないのです。誰もがさわやかに明るく生きられる社会を、世界をつくり得る、限りない知恵と勇気がみなさんにはあるのですから。

――若者が本を読まない国に未来はないと言います。

創立六十周年を迎えんとするこの年に、ポプラ社は新たに強力な執筆者(しっぴつしゃ)(こころざし)を同じくするすべての関係者のご支援をいただき、「ポプラボケット文庫」を創刊いたします。

  二〇〇五年十月

株式会社ポプラ社

 

 

九大アジア叢書(2006年)

「九大アジア叢書」刊行にあたって

 

九州大学は、地理的にも歴史的にもアジアとのかかわりが深く、これまでにもアジアの研究者や留学生と様々な連携を行ってきました。また、「アジア重視戦略」を国際戦略の重要な柱として位置づけ、アジア研究を推進すると共にアジアの歴史や文化、政治や経済などを学ぶ各種の学生交流プログラムを促進しています。

グローバル化が進むアジア地域は、経済格差、環境問題、人権問題や民族間の対立などの地球規模の課題が先鋭的に表れる一方、矛盾や対立を乗り越えるための様々な叡智や取り組みが存在しています。このような現代社会の課題に対して、九州大学の教員には、それぞれの専門分野での知見を深めつつ、国境や分野を越えて総合的に問題解決に挑んでいくことが期待されています。

九州大学アジア総合政策センターは、これまでのアジア総合研究センターを発展的に改組し、現代のアジアを総体的に捉え、政府、地方自治体、企業、市民社会に対して開かれた新たな知的拠点の形成を目指して二〇〇五年七月に設置されました。アジア総合政策センターでは、これまで出版されてきたKUARO叢書を受け継いで、アジアに関する研究成果を分かりやすく紹介するために「九大アジア叢書」を刊行いたします。

二十一世紀、九州大学がアジアにおける知のリーダーシップを率先して発揮し、アジアの研究者とネットワークを形成することで、日本を含めたアジア地域の平和と持続的発展に貢献することを切望してやみません。

二〇〇六年三月

九州大学総長 梶山千里

 

 

PHPビジネス新書(2006年)

PHPビジネス新書」発刊にあたって

 

わからないことがあったら「インターネット」で何でも一発で調べられる時代。本という形でビジネスの知識を提供することに何の意味があるのか……その一つの答えとして「血の通った実務書」というコンセプトを提案させていただくのが本シリーズです。

経営知識やスキルといった、誰が語っても同じに思えるものでも、ビジネス界の第一線で活躍する人の語る言葉には、独特の迫力があります。そんな、「現場を知る人が本音で語る」知識を、ビジネスのあらゆる分野においてご提供していきたいと思っております。

本シリーズのシンボルマークは、理屈よりも実用性を重んじた古代ローマ人のイメージです。彼らが残した知識のように、本書の内容が永きにわたって皆様のビジネスのお役に立ち続けることを願っております。

二〇〇六年四月

 

PHPビジネス新書ビジュアルも同じ文言。

 

光文社古典新訳文庫(2006年?)

いま、息をしている言葉で、もういちど古典を

 

長い年月をかけて世界中で読み継がれてきたのが古典です。奥の深い味わいある作品はかりがそろっており、この「古典の森」に分け入ることは人生のもっとも大きな喜びであることに異論のある人はいないはずです。しかしながら、こんなに豊饒で魅力に満ちた古典を、なぜわたしたちはこれほどまで疎んじてきたのでしようか。

ひとつには古臭い教養主義からの逃走だったのかもしれません。真面目に文学や思想を論じることは、ある種の権威化であるという思いから、その呪縛から逃れるために、教養そのものを否定しすぎてしまったのではないでしようか。

いま、時代は大きな転換期を迎えています。まれに見るスピードで歴史が動いていくのを多くの人々が実感していると思います。

こんな時わたしたちを支え、導いてくれるものが古典なのです。「いま、息をしている言葉で」――光文社の古典新訳文庫は、さまよえる現代人の心の奥底まで届くような言葉で、古典を現代に蘇らせることを意図して創刊されました。気取らず、自由に、心の赴くままに、気軽に手に取って楽しめる古典作品を、新訳という光のもとに読者に届けていくこと。それがこの文庫の使命だとわたしたちは考えています。

 

創刊は2006年9月。キャッチコピーのフレーズは社長発案とのこと。

「なんか、シリーズ全体をうまく言い表わすコピーを考えなさい」

「分かりました。どんな感じのものがいいでしょうか」

「このシリーズを一言で言い表すようなやつだよ」

イラっとした口調で答えましたが、こちらもひるまずに問い返しました。

「例えばどんなものでしょうか」

「例えばって、うーん、そうだな。つまり読者を惹きつけるようなだな。だから、うーん、例えば『いま、息をしている言葉で。』とか」

「ああ、それいいですね」

「自分でも考えなさい」*27

 

カバーの装画を描いているのは望月通陽。装画はすべて原稿を読んだうえで描いている。*28

もともと創刊は2006年6月の予定だったが、新刊ラインナップが途絶えるのを避けるため9月に延期となった。*29

 

www.youtube.com

 

BBTビジネス・セレクト(2006年?)

「BBTビジネス・セレクト」刊行にあたって

 

ビジネス・ブレークスルー(BBT)では、既存のピジネスモデルの型を破り、新しいコンセプトを構想し、世界に果敢に挑戦して成功を収めた革新的な企業や経営者にフォーカスを当てたライブ講義を提供しています。

各分野の第一人者である専門者の方々、実際の現場を知るコンサルタント、また経営者本人に直接テレピ・映像にご登場いただき、視聴者に直接語りかけていただきます。これにより、現場の温度が感じられる「生きた知識」、一流の経営ノウハウをお届けしています。

 

今回の「BBTビジネス・セレクト」は、ビジネス・ブレークスルー(BBT)のライブ講義映像から、次世代を担う若手ビジネスリーダーに向けて、テーマ、講師陣を厳選した書籍シリーズです。教科書のようなスタイルではなく“ライブ感”を活かすために、一流の講師陣の語り口や、ニュアンスなどが伝わるよう、講師陣の協力を得てできるだけ忠実に紙上に再現しました。

 

本シリーズをきっかけとして、ビジネス・ブレークスルーの知的プラットフォームに触れていただき、多くの刺激を受け、向上心を保ちながら、ご自分のビジネスでの成功に向けての行動につなげていただけることを、心より願っております。

 

そして、機会がありましたら、ぜひ一度、本シリーズの著者を含めた多数の講師陣による映像講義を直接験していただければと思います。そこから多くの学びを得て、1人でも多くの皆様が、次世代の「国際的ビジネスリーダー」として活躍するための一助となることが、私どもの願いです。

 

ビジネス・ブレークスルー出版事業局

 

 

日経BPラシックス(2008年?)

日経BPラシックス』発刊にあたって

 

グローバル化金融危機新興国の台頭など、今日の世界にはこれまで通用してきた標準的な認識を揺がす出来事が次々と起っている。しかしそもそもそうした認識はなぜ標準として確立したのか、その源流を辿れば、それは古典に行き着く。古典自体は当時の新しい認識の結晶である。著者は新しい時代が生んだ新たな問題を先鋭に捉え、その問題の解決法を模索して古典を誕生させた。解決法が発見できたかどうかは重要ではない。重要なのは彼らの問題の捉え方が卓抜であったために、それに続く伝統が生まれたことである。

 

世界が変革に直面し、わが国の知的風土が衰亡の危機にある今、古典のもつ発見の精神は、われわれにとりますます大切である。もはや標準とされてきた認識をマニュアルによって学ぶだけでは変革についていけない。ハウツーものは「思考の枠組み(パラダイム)」の転換によってすぐ時代遅れになる。自ら問題を捉え、自ら解決を模索する者。答えを暗記するのではなく、答えを自分の頭で捻り出す者。古典は彼らに貴重なヒントを与えるだろう。新たな問題と格闘した精神の軌跡に触れることこそが、現在、真に求められているのである。

 

一般教養としての古典ではなく、現実の問題に直面し、その解決を求めるための武器としての古典。それを提供することが本シリーズの目的である。原文に忠実であろうとするあまり、心に迫るものがない無国籍の文体。過去の権威にすがり、何十年にもわたり改められることのなかった翻訳。それをわれわれは一掃しようと考える。著者の精神が直接訴えかけてくる瞬間を読者がページに感じ取られたとしたら、それはわれわれにとり無上の喜びである。

 

新なにわ塾叢書(2008年?)

《新なにわ塾叢書》の刊行にあたって

 

大阪には、江戸時代以来の学塾の伝統がある。適塾懐徳堂、泊園書院など、町人の手でつくられた大阪の学塾は、他の官学塾とは異なり、自由と進取の気性に富み、すぐれた人材を数多く輩出してきた。

その町人塾の伝統を受け継ぎ、なにわの地が育んできた先人の知恵を後世に伝えようと、大阪府が昭和五十五年から始めた「なにわ塾」は平成十三年まで続き、その対話記録をまとめた「なにわ塾叢書」は計八十三冊刊行され、いまも多くの人に読み継がれている。この伝説の講座が、平成十九年に「新なにわ塾」として復活し、講座の内容を伝える「新なにわ塾叢書」が、装いも新たに刊行され、さらに平成二十三年からは、大阪府立大学関西大学との協働で展開することとなった。かつての「なにわ塾」が、「昭和の遺言書」をコンセプトに、昭和の時代を生き抜いた関西ゆかりの学者や文化人、経済人を講師に招き、その生き様を語ってもらったのに対して、「新なにわ塾」は、「大阪の足跡」をコンセプトに、大阪が輝いていた最後の時代といわれる、大正から昭和の時代に焦点を当て、文化や産業・くらしなどの変遷を通じて、大阪があゆんできた道を、「光と影」、「栄光と挫折」の両面から振り返る。

かつて、大阪は、商いのまちであると同時に、学問と文化のまちでもあった。その大阪のDNAを、現代の私たちがどのように受け継ぎ、次世代に伝えていけばいいのか。「新なにわ塾叢書」は、これまであまり知られていなかった歴史の裏面から生きた教訓を学ぶための証言集として、期待されている。

 

エル書房(2008?)

エル書房のブック・ポリシー

 

この本の著者は、プロの作家さんではありません。

 

私たちが選んだ、業界のプロです。

 

エル書房は、たくさんの情報の中に埋もれてしまっている本当に

価値ある情報“だけ”を本にして

あなたに伝えるために立ち上がった出版社です。

 

“これは!”と思ったプロの確かな情報が、

わかりやすく、あなたにちゃんと伝わるように、

誠心誠意をこめて言葉を紡ぎました。

 

著者と二人三脚でつくったこの本には、

自身の経験と知識と情熱で「あなたの人生をもっと良くしたい」

という“強い想い”が込められています。

 

ひとつの道を極めた著者が発した、魂からの言葉たちで、

あなたが励まされたり、ためになったり、涙がでてきたり……。

 

そんなふうに、この一冊が

すこしでもあなたのお役に立つことができたらうれしいです。

 

エル書房 代表取締役 網倉 博

 

 

放送大学叢書(2009年)

  創刊の辞

 

この叢書は、これまでに放送大学の授業で用いられた印刷教材つまりテキストの一部を、再録する形で作成されたものである。一旦作成されたテキストは、これを用いて同時に放映されるテレビ、ラジオ(一部インターネット)の放送教材が一般に四年間で閉講される関係で、やはり四年間でその使命を終える仕組みになっている。使命を終えたテキストは、それ以後世の中に登場することはない。これでは、あまりにもったいないという声が、近年、大学の内外で起こってきた。というのも放送大学のテキストは、関係する教員がその優れた研究業績を基に時間とエネルギーをかけ、文字通り精魂をこめ執筆したものだからである。これらのテキストの中には、世間で出版業界によって刊行されている新書、叢書の類と比較して遜色のない、否それを凌駕する内容のものが数多あると自負している。本叢書が豊かな文化的教養の書として、多数の読者に迎えられることを切望してやまない。

二〇〇九年二月

放送大学長 石 弘光

 

 

角川つばさ文庫(2009年?)

  角川つばさ文庫発刊のことば

 

角川グループでは『セーラー服と機関銃』(81)、『時をかける少女』(83・06)、『ぼくらの七日間戦争』(88)、『リング』(98)、『ブレイブ・ストーリー』(06)、『バッテリー』(07)、『DIVE‼』(08)など、角川文庫と映像とのメディアミックスによって、「読書の楽しみ」を提供してきました。

角川文庫創刊60周年を期に、十代の読書体験を調べてみたところ、角川グループの発行するさまざまなジャンルの文庫が、小・中学校でたくさん読まれていることを知りました。

そこで、文庫を読む前のさらに若いみなさんに、スポーツやマンガやゲームと同じように「本を読むこと」を体験してもらいたいと「角川つばさ文庫」をつくりました。

読書は自転車と同じように、最初は少しの練習が必要です。しかし、読んでいく楽しさを知れば、どんな遠くの世界にも自分の速度で出かけることができます。それは、想像力という「つばさ」を手に入れたことにほかなりません。

角川つばさ文庫」では、読者のみなさんといっしょに成長していける、新しい物語、新しいノンフィクション、角川グループのベストセラー、ライトノベル、ファンタジー、クラシックスなど、はば広いジャンルの物語に出会える「場」を、みなさんとっくっていきたいと考えています。

読んだ人の数だけ生まれる豊かな物語の世界。そこで体験する喜びや悲しみ、くやしさや恐ろしさは、本の世界の出来事ではありますが、みなさんの心を確実にゆさぶり、やがて知となり実となる「種」を残してくれるでしよう。

かつての角川文庫の読者がそうであったように、「角川つばさ文庫」の読者のみなさんが、その「種」から「21世紀のエンタティンメント」をつくっていってくれたなら、こんなにうれしいことはありません。

物語の世界を自分の「つばさ」で自由自在に飛び、自分で未来をきりひらいていってください。

ひらけば、どこへでも。――角川つばさ文庫の願いです。

 

 

角川書店初の児童書レーベルとして、2009年3月3日に創刊。*30

「オリジナル」「ベストセラー」「ノベライズ」「ノンフィクション」「海外の名作」「日本の名作」の6ジャンル。

 

 

SI Libretto(2009年)

創刊の辞

 

専修大学創立一三〇年を記念して、ここに「SI Libretto(エスアイ・リブレット)」を刊行いたします。専修大学の前身である「専修学校」は、明治一三年(一八八〇年)に創立されました。京橋区木挽町にあった明治会堂の別館においてその呱々の声をあげ、その後、現在の千代田区神田神保町に本拠地を移して、一三〇年の間途絶えることなく、私学の高等教育機関として、社会に有為な人材を輩出してまいりました。明治維新前後の動乱の中を生き抜いた創立者たちは、米国に留学し、帰国して直ちに「専修学校」を立ち上げましたが、その目的は、日本語によって法律学および経済学を教授することを突破口として、市民レベルから社会の骨格を支える有為な人材を育成することにありました。創立者たちのこの熱き思いを二一世紀に花開かせるために、専修大学は、二一世紀ビジョンとして「社会知性(Socio-Intelligence)の開発」を掲げました。

大学の教育力・研究力をもとにした社会への「知の発信」を積極的に行うことは、本学の二一世紀ビジョンを実現する上で重要なことであります。そこで、社会知性の開発の一端を担う本を刊行することとし、その名称としては、Socio-Intelligenceの頭文字を取り、かつ内容を分かり易く解き明かした。手軽な小冊子という意味を込めて、「SI Libretto」(エスアイ・リブレット)の名を冠することにいたしました。

「SI Libretto」が学生及び卒業生に愛読されるだけでなく、専修大学の枠組みを越えて多くの人々に広く読み継がれるものに発展して行くことを願っております。本リブレットが来るべき知識基盤社会の到来に寄与することを念じ、刊行の辞といたします。

平成二一年(二〇〇九年) 四月       第一五代学長 日髙 義博

 

学びやぶっく(2009年?)

「学びやぶっく」刊行のことば

 

「学ぶ」ということは、本能的なものだと思います。誰にでも学習の欲求があります。しかし、誰にでも得意、不得意があります。興味があったり、なかったり、学校で教育を受けていたときは、誰でも等しく受けられているはずの知識に偏りが出てきます。

社会に出ると、そういう不十分な自分か見えてくるのですが、忙しさにかまけてなかなか学びなおすことができません。なかんずく、苦手なものは近づき難いし、近づこうともしません。

一応、ひとさまから存在を認められるようになるころ、時間の余裕もできてきて、少しずつ知らないこと、若いころ避けてしまったことを学びなおそうかという気になってきます。世の中の話題になっていることも基本的な知識があれば、理解が早かったり、興味がもっと湧いたりすることが多いことにも気づかされます。身近なものごとも、先進的な科学の恩恵の賜物であったりします。

そんなものを漠然と学びたいと思ったとき、書店は便利です。現代に必要な知識はすべてそろっている。書棚に並んでいる本が自己主張していて、自分が知らない科学を囁いてくれます。著者は自分にとって新しい知識の教師であるし、その意味では、書店は自分の新しい先生を紹介してくれるところでもあります。書店は、図書館のように整然としているわけでもなく、ネットのように厖大でもない。知らない知識を漁(あさ)るのには、ちょうどよい。書店はまさしくおとなの学校、強制のない学び舎です。

書店という「学び舎」で手に取る教科書が、おとなの教科書「学びやぶっく」です。「こくご」「さんすう」「りか「しやかい」「げいじゅつ」「たいいく」「せいかつ」、どの科目から始めてもいいと思います。気楽に学びの生活を取り戻しましよう。

 

発行は明治書院

 

ハヤカワ新書juice(2009年?)

ハヤカワ新書

juice

 

すべては新書読者へのリスペクトから

 

私たちは、新書を求める読者というのは「知識への欲求」が旺盛で、「現代への意識と感覚」にあふれる人々であり、時代を担うリーダーないしはその候補者であると考えています。現在、各出版社ではそんな読者の知識欲をいち早く満たすために、1時間程度で軽く読めるものをラインナップの主流に据え、本の作り方においても「語り下ろし」などの手法をとることが多くなりました。その状況自体はひとつの帰結であり、否定することではありません。しかし、実際には著者の思考や体験は本来もっと深く、もっと複雑であるはすで、読者の中にもいまの新書のつくりを物足りなく感じている人々もいることでしよう。早川書房ではこれまで「国内外の良質なエンタテインメントをいち早く読者に届ける」ことを使命として出版活動に取り組み、ノンフィクションの分野でも時代を担う作品を刊行してきましたが、いまあらためて新書の読者に敬意を示し、その知的な渇きを癒す、新鮮で、濃厚な国内外のノンフィクション作品をセレクトし、「ハヤカワ新書 juice」として提供します。

 

まずは時代の一歩先をゆく海外作品を

 

いまでは情報網・流通網の発展により、海外で生まれたコンセプトやアイデアはすぐに日本の誰かによって解説・紹介される時代になりましたが、それが生まれた背景や文脈、そこから発する空気感や微妙なニュアンスはしばしば削ぎ落されてしまいます。早川書房では、これまでの翻訳出版のリーディングカンパニーとしての経験を生かして、ハヤカワ新書juiceでもまずは先端的な作品の翻訳出版からスタートします。とくにネットカルチャーやビジネス、サイエンス、エコなどの分野における、海外の動向をいち早くお伝えしたいと思います。

しかしいずれは、創刊のコンセプトを保ちつつ、グローバルな視点と時代性をもつ国内作家の作品も刊行していきたいと考えています。今後のラインナップにご期待ください。

 

新しいスタンダードも

手に取りやすいサイズと価格で

 

これまで早川書房が刊行してきた海外作品には、本国や日本で高い評価をえてベストセラーとなり、その分野のスタンダードとなったものがあります。これらもまた、あらためてお求めやすい価格、手に取りやすいサイズで提供します。もちろん、本国で加筆・修正されて新版が出ているものは、その新版をもとに再編集してお届けします。

 

環境にも配慮した造本

 

出版社は現状どんなに言いつくろっても、「紙の束を売る商売」であることは否めません。ハヤカワ新書juiceではその責任を重く受け止め、いまできることとして、本文紙や表紙には環境に適した紙を採用し、製本には環境にやさしいといわれる糊を使用しています。今後も、さらに環境に配慮する方法があれば積極的に試み、取り入れていきます。

 

読みやすい活字の大きさ

 

新書はサイズが小さいためにページに文字を詰め込みがちですが、ハヤカワ新書juiceでは普通の新書より左右が少し大きなサイズを採用し、大きめの活字でゆったりと組むことで、読みやすさを優先しています。これに開きやすし、ページ製本を採用したことにより、読書中のストレスは大きく軽減されています。

 

左右二段組で掲載。

本のそで、カバーの折り返し部分(表紙の裏側)には「知性の果実をぎゅっとしぼってつくりました」とある。

ハヤカワ・ライブラリも新書サイズだが、こちらは記載なし

 

経営社新書

2009年7月?

経営者新書

 

経営者だから読める時代があります。

経営者だから見える未来があります。

次の社会はどこへ向かい、どう動くのか。

混沌として大きなうねりをみせる現代で、

漂いもせず流されもせず、

まだ見ぬ価値を求めて冒険をつづける経営者。

現実をいかに捉え、社会に何をどう還元していくか。

透徹した思索のもと、静謐に決断し果敢に行動する経営者。

思いおこせば、近代以後、

次代の価値を生み出してきたのは、いつも経営者でした。

経営者たちが経営の現場にしかない

緊張感のなかで獲得した、

その視点と発想を伝える経営者新書は、

不確実な明日を照らす一筋の光となるでしよう。

 

2017年?

虚実入り混じった情報の海。

激動する社会、経済。

不確かで混沌とした現代において

ゆるぎない信念で道なき道を

切り拓いてきた経営者たち。

彼らの人生をかけた決断、

そして実行の末に導き出された解は、

他の誰にも書き得ない「実践の知」だ。

教養の枠を越え、実用性を備えた

経営者新書は、先の見えない不安や

深い絶望の淵から

人々を救い出す切り札となるだろう。

 

版元は幻冬舎メディアコンサルティング

 

PHPサイエンス・ワールド新書(2009年)

PHPサイエンス・ワールド新書」発刊にあたって

 

「なせだろう?」「どうしてだろう?」――科学する心は、子どもが持つような素朴な疑問から始まります。それは、ときには発見する喜びであり、ドキドキするような感動であり、やがて自然と他者を慈しむ心へとつながっていくのです。人の持つ類いまれな好奇心の持続こそが、生きる糧となり、社会の本質を見抜く眼となることでしよう。

そうした、内なる「私」の好奇心を、再び取り戻し、大切に育んでいきたい――。PHPサイエンス・ワールド新書は、「『私』から始まる科学の世界へ」をコンセプトに、身近な「なぜ」「なに」を大事にし、魅惑的なサイエンスの知の世界への旅立ちをお手伝いするシリーズです。「文系」「理系」という学問の壁を飛び越え、あくなき好奇心と探究心で、いざ、冒険の船出へ。

 

二〇〇九年九月 PHP研究所

 

北大文学研究科ライブラリ(2010年)

  「北大文学研究科ライプラリ」刊行にあたって

 

このたび本研究科は教員の研究成果を広く一般社会に還元すべく、「ライプラリ」を刊行いたします。これは「研究叢書」の姉妹編としての位置づけを持ちます。「研究叢書」が各学術分野において最先端の知見により学術世界に貢献をめざすのに比し、「ライプラリ」は文学研究科の多岐にわたる研究領域、学際性を生かし、十代からの広い読者層を想定しています。人間と人間を構成する諸相を分かりやすく描き、読者諸賢の教養に資することをめざします。多くの専門分野からの参画による広くかつ複眼的視野のもとに、言語と心魂と世界・社会の解明に取りくみます。時には人間そのものの探究へと誘う手引きとして、また時には社会の仕組みを鮮明に照らし出す灯りとして斬新な知見を提供いたします。本「ライプラリ」が読者諸賢におかれて「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友」(『徒然草』一三段)とするその「友」となり、座右に侍するものとなりますなら幸甚です。

二〇一〇年二月

北海道大学文学研究科

 

 

星海社(2010年)

SEIKAISHA

 

星々の輝きのように、才能の輝きは人の心を明るく満たす。

 

その才能の輝きを、より鮮烈にあなたに届けていくために全力を尽くすことをお互いに誓い合い、杉原幹之助、太田克史の両名は今ここに星海社を設立します。

出版業の原点である営業一人、編集一人のタッグからスタートする僕たちの出版人としてのDNAの源流は、星海社の母体であり、創業百一年目を迎える日本最大の出版社、講談社にあります。僕たちはその講談社百一年の歴史を承け継ぎつつ、しかし全くの真っさらな第一歩から、まだ誰も見たことのない景色を見るために走り始めたいと思います。講談社の社是である「おもしろくて、ためになる」出版を踏まえた上で、「人生のカーブを切らせる」出版。それが僕たち星海社の理想とする出版です。

二十一世紀を迎えて十年が経過した今もなお、講談社の中興の祖・野間省一がかつて「二十一世紀の到来を目睫に望みながら」指摘した「人類史上かつて例を見ない巨大な転換期」は、さらに激しさを増しつつあります。

僕たちは、だからこそ、その「人類史上かつて例を見ない巨大な転換期」を畏れるだけではなく、楽しんでいきたいと願っています。未来の明るさを信じる側の人間にとって、「巨大な転換期」でない時代の存在などありえません。新しいテクノロジーの到来がもたらす時代の変革は、結果的には、僕たちに常に新しい文化を与え続けてきたことを、僕たちは決して忘れてはいけない。星海社から放たれる才能は、紙のみならず、それら新しいテクノロジーの力を得ることによって、かつてあった古い「出版」の垣根を越えて、あなたの「人生のカープを切らせる」ために新しく飛翔する。僕たちは古い文化の重力と闘い、新しい星とともに未来の文化を立ち上げ続ける。僕たちは新しい才能が放つ新しい輝きを信じ、それら才能という名の星々が無限に広がり輝く星の海で遊び、楽しみ、闘う最前線に、あなたとともに立ち続けたい。

星海社が星の海に掲げる旗を、力の限りあなたとともに振る未来を心から願い、僕たちはたった今、「第一歩」を踏み出します。

 

二〇一〇年七月七日

星海社 代表取締役社長 杉原幹之助

代表取締役副社長 太田克史

 

星海社文庫星海社FICTIONSで同じ。

 

集英社みらい文庫(2011年)

「みらい文庫」読者のみなさんへ

 

言葉(ことば)(まな)ぶ、感性(かんせい)(みが)く、創造力(そうぞうりょく)(はぐく)む……、読書(どくしょ)は「人間力(にんげんりょく)」を(たか)めるために()かせません。たったい一枚(いちまい)のページをめくる()こう(がわ)に、未知(みち)世界(せかい)、ドキドキのみらいが無限(むげん)(ひろ)っている。これこそが「(ほん)」だけが()っているパワーです。

学校(がっこう)(あさ)読書(どくしょ)に、(やす)時間(じかん)に、放課後(ほうかご)に……。いつでも、どこでも、すぐに(つづ)きを()みたくなるような、魅力(みりょく)(あふ)れる(ほん)をたくさん(そろ)えていきたい。読書(どくしょ)がくれる、(こころ)がきらきらしたり(むね)がきゅんとする瞬間(しゅんかん)体験(たいけん)してほしい、(たの)しんでほしい。みらいの日本(にほん)、そして世界(せかい)(にな)うみなさんが、やがて大人(おとな)になった(とき)、「読書(どくしょ)魅力(みりょく)(はじ)めて()った(ほん)」「自分(じぶん)のおこづかいで(はじ)めて()った一冊(いっさつ)」と(おも)()してくれるような作品(さくひん)一所懸命(いっしょけんめい)大切(たいせつ)(つく)っていきたい。

そんないっぱいの(おも)いを()めながら、作家(さっか)先生方(せんせいがた)一緒(いっしょ)に、(わたし)たちは素敵(すてき)本作(ほんづく)りを(つづ)けていきます。「みらい文庫(ぶんこ)」は、無限(むげん)宇宙(うちゅう)()かぶ(ほし)のように、(ゆめ)をたたえ(かがや)きながら、次々(つぎつぎ)(あたら)しく()まれ(つづ)けます。

(ほん)()つ、その()(なか)に、ドキドキするみらい――

(ほん)宇宙(うちゅう)から、自分(じぶん)だけの(すこ)やかな空想力(くうそうりょく)(そだ)て、“みらいの(ほし)”をたくさん()つけてください。

そして、大切(たいせつ)なこと、大切(たいせつ)(ひと)をきちんと(まも)る、(つよ)くて、やさしい大人(おとな)になってくれることを(こころ)から(ねが)っています。

2011年春

集英社みらい文庫編集部

 

小学館ジュニア文庫(2011年?)

  ☆「小学館ジュニア文庫」を読んでいるみなさんへ☆

 

この(ほん)()にあるクローバーのマークに()がつきましたか?

オレンジ、(みどり)(あお)(あか)(いろど)られた()()のクローバー。これは、小学館(しょうがくかん)ジュニア文庫(ぶんこ)のマークです。そして、それぞれの()(いろ)には、(わたし)たちがジュニア文庫(ぶんこ)刊行(かんこう)していく(うえ)で、みなさんに(つた)えていきたいこと、(わたし)たちの大切(たいせつ)(おも)いがこめられています。

オレンジは(あい)家族(かぞく)友達(ともだち)恋人(こいびと)。みなさんの大切(たいせつ)(ひと)たちを(おも)気持(きも)ち。まるでオレンジ(いろ)太陽(たいよう)日差(ひざ)しのように(こころ)(あたた)かにする、(ひと)(あい)する気持(きも)ち。

(みどり)はやさしさ。(こま)っている(ひと)立場(たちば)(よわ)(ひと)(ちい)さな動物(どうぶつ)(いのち)()をさしのべるやさしさ。(みどり)(もり)は、(おお)くの木々(きぎ)花々(はなばな)、そこに()きる動物(どうぶつ)をやさしく(つつ)()みます。

(あお)(そう)(ぞう)(りょく)芸術(げいじゅつ)(あたら)しいものを()()していく(ちから)立場(たちば)(かんが)(かた)国籍(こくせき)自分(じぶん)とは(ちが)(ひと)たちの気持(きも)ちを(おも)い、協力(きょうりょく)しあうことも想像(そうぞう)(ちから)です。人間(にんげん)想像力(そうぞうりょく)無限(むげん)(ひろ)がりを()っています。まるで、どこまでも(つづ)く、()みきった(あお)(そら)のようです。

(あか)勇気(ゆうき)(つよ)いものに()()かい、()(ちが)ったことをただす気持(きも)ち。くじけそうな自分(じぶん)(よわ)気持(きも)ちに()()かうことも(おお)きな勇気(ゆうき)です。まさにそれは、(あか)(ほのお)のように(あつ)()()がる(こころ)

()()のクローバーは(しあわ)せの象徴(しょうちょう)です。(あい)、やさしさ、(そう)(ぞう)(りょく)勇気(ゆうき)は、みなさんが未来(みらい)()りひらき、(しあわ)せで(ゆたか)かな人生(じんせい)(おく)るためにすべて必要(ひつよう)なものです。

(からだ)成長(せいちょう)させていくために、栄養(えいよう)のある()(もの)必要(ひつよう)なように、(こころ)(そだ)てていくためには読書(どくしょ)がかかせません。みなさんの(こころ)(ゆた)かにしていく(ほん)を一(さつ)でも(おお)()したい。それが(わたし)たちジュニア(ぶん)()(へん)(しゅう)()(ねが)いです。

みなさんのこれからの人生(じんせい)には、(こま)ったこと、(かな)しいこと、自分(じぶん)(おも)うようにいかないことも()()けているかもしれません。

どうか「(ほん)」を大切(たいせつ)友達(ともだち)にしてください。どんな(とき)でも「(ほん)」はあなたの味方(みかた)です。そして困難(こんなん)()()つヒントをたくさん(あた)えてくれるでしよう。みなさんが「(ほん)」を(つう)素敵(すてき)大人(おとな)になり、(しあわ)せで(みの)(おお)人生(じんせい)(あゆ)むことを(こころ)より(ねが)っています。

 

小学館ジュニア文庫編集部

 

 

星海社新書(2011年)

次世代による次世代のための

武器としての教養

星海社新書

 

星海社新書は、困難な時代にあっても前向きに自分の人生を切り開いていこうとする次世代の人間に向けて、ここに創刊いたします。本の力を思いきり信じて、みなさんと一緒に新しい時代の新しい価値観を創っていきたい。若い力で、世界を変えていきたいのです。

本には、その力があります。読者であるあなたが、そこから何かを読み取り、それを自らの血肉にすることができれば、一冊の本の存在によって、あなたの人生は一瞬にして変わってしまうでしよう。思考が変われば行動が変わり、行動が変われば生き方が変わります。著者をはじめ、本作りに関わる多くの人の想いがそのまま形となった、文化的遺伝子としての本には、大げさではなく、それだけの力が宿っていると思うのです。

沈下していく地盤の上で、他のみんなと一緒に身動きが取れないまま、大きな穴へと落ちていくのか? それとも、重力に逆らって立ち上がり、前を向いて最前線で戦っていくことを選ぶのか?

星海社新書の目的は、戦うことを選んだ次世代の仲間たちに「武器としての教養」をくばることです。知的好奇心を満たすだけでなく、自らの力で未来を切り開いていくための“武器”としても使える知のかたちを、シリーズとしてまとめていきたいと思います。

2011年9月

星海社新書編集長 柿内芳文

 

 

 

中公選書(2011年)

中公選書刊行のことば

 

電子化と世界標準化の時代を迎えて、わたしたちはいま、価値転換のダイナミズムのなかにいます。多様で複雑な課題に囲まれており、そのどれもが、深い思索をくり返さないと、解决への道は拓けないものばかりです。しかし、わたしたちには一つの信頼があります――知はしなやかで、自在である。問題解决に向かう、着実な歩みができるものである、と。混沌とした世界で、確かな知の営みをすすめる――それが新しいシリーズ、中公選書の決意です。

2011年11月  中央公論新社

 

U25|SURVIVAL MANUAL SERIES(2012年?)

生き抜くために、

自分の仕事をつくる。

U25ーSURVIVAL MANUAL SERIES

 

困難と言われる時代にあっても、

悲観的になるのではなく前向きに

自分を、仕事を、時代をつくっていきたい。

本シリーズは、U25世代の若者に向けて、

独自の考え方、やり方、働き方で輝くための

「サバイバル・マニュアル」をつくっていきます。

私たちが創刊以来、目指しているのは、

Actionのきっかけになる遊びゴコロのある学び

を全力でお届けすること。

シリーズといえど一つの枠におさまらず、

常に新しいことに挑戦していきます。

 

For U25 by U25 0f U25

 WEB:           http://univ25.jp/

Facebook:    U25 Survival Manual Series

Twitter:       U25ちゃんねる @u25_books

 

 

 

版元は株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン

 

パール文庫(2013年)

「パール文庫」刊行のことば

 

「本」というものは、別に熟読することが約束事ではないし、ましてや感想文や批評をすることが必然なわけでもない。要は面白かったり、楽しかったりすればいいんだ。そんな思いで「本」を探していたら私が子供のころに読んだ本に出会った。

その頃の「本」は、今のように精緻でもなければ、科学的でもない。きわめていい加減だ。でも、不思議なことに、なんとなくのどかでほのぼのとして、今のものとは違うおおらかさがある。昔の本だからと言って、古臭くない。かえって、新鮮な感じさえするし、今とは違う考え方が面白い。だから、ジャンルを限定せず、勇気をもらえたり、心が温かくなるものをひろって、シリーズにしてみたいと思ったのが「パール文庫」を出そうと思った動機だ。

もし、昔の本でみんなに読んでほしいと思う作品があったら推薦してほしい。

平成二十五年五月

 

版元は真珠書院

 

岩波現代全書(2013年)

岩波現代全書発刊に際して

 

いまここに到来しつつあるのはいかなる時代なのか。新しい世界への転換が実感されながらも、情況は錯綜し多様化している。先人たちは、山積する同時代の難題に直面しつつ、解を求めて学術を頼りに知的格闘を続けてきた。その学術は、いま既存の制度や細分化した学界に安住し、社会との接点を見失ってはいないだろうか。メディアは、事実を探求し真実を伝えることよりも、時流にとらわれ通念に迎合する傾向を強めてはいないだろうか。

現在に立ち向かい、未来を生きぬくために、求められる学術の条件が三つある。第一に、現代社会の裾野と標高を見極めようとする真摯な探究心である。第二に、今日的課題に向き合い、人類が営々と蓄積してきた知的公共財を汲みとる構想力である。第三に、学術とメディアと社会の間を往還するしなやかな感性である。様々な分野で研究の最前線を行く知性を見出し、諸科学の構造解析力を出版活動に活かしていくことは、必ずや「知」の基盤強化に寄与することだろう。

岩波書店創業者の岩波茂雄は、創業二〇年目の一九三三年、「現代学術の普及」を旨に「岩波全書」を発刊した。学術は同時代の人々が投げかける生々しい問題群に向き合い、公論を交わし、積極的な提言をおこなうという任務を負っていた。人々もまた学術の成果を思考と行動の糧としていた。「岩波全書」の理念を継承し、学術の初志に立ちかえり、現代の諸問題を受けとめ、全分野の最新最良の成果を、好学の読書子に送り続けていきたい。その願いを込めて、創業百年の今年、ここに「岩波現代全書」を創刊する。 (二〇一三年六月)

 

ポプラ新書(2013年)

生きるとは共に未来を語ること 共に希望を語ること

 

昭和二十二年、ポプラ社は、戦後の荒廃した東京の焼け跡を目のあたりにし、次の世代の日本を創るべき子どもたちか、ポプラ(白楊)の樹のように、まっすぐにすくすくと成長することを願って、児童図書専門出版社として創業いたしました。

創業以来、すでに六十六年の歳月が経ち、何人たりとも予測できない不透明な世界が出現してしまいました。

この未曾有の混迷と閉塞感におおいつくされた日本の現状を鑑みるにつけ、私どもは出版人としていかなる国家像、いかなる日本人像、そしてグローバル化しボーダーレス化した世界的状況の裡で、いかなる人類像を創造しなけれはならないかという、大命題に応えるべく、強靭な志をもち、共に未来を語り共に希望を語りあえる状況を創ることこそ、私どもに課せられた最大の使命だと考えます。

ポプラ社は創業の原点にもどり、人々がすこやかにすくすくと、生きる喜びを感じられる世界を実現させることに希いと祈りをこめて、ここにポプラ新書を創刊するものです。

未来への挑戦!

平成二十五年九月吉日  株式会社ポプラ社

 

 

角川EPUB選書(2013年)

角川EPUB選書発刊に際して

 

時代には変り目というものがある。

知識人がヒエラルキーのトップにおかれるこれまでの社会は「知識社会」と呼ばれている。知識人がよき指導者として社会をよりよく導くことは、それはそれでよい。しかし昨今ツイッターなどの新しいメディアで知見を発信する人びとが大衆の支持を背景に台頭して、社会に大きな影響を与える「ソーシャル社会」が到来した。

平成生まれが社会の働き手として活躍するようになったいま、私は新しい時代に新しい出版の器を用意しなければならないと感じるようになった。デジタルネイティプといわれる新世代に、私たちが旧来の権威をおしつけ、伝統的な出版スタイルにこだわっていても、いずれそれは廃れる運命をたどるであろう。そこで、新しい時代の新しい読者にふさわしい智の出会いの場としてここに角川EPUB選書を発刊したい。

新技術とは往々にして不便なものだ。日本語は世界でもまれな感性豊かな言語であるため、電子ディスプレイ上に正しく表現することが困難であった。しかし、世界標準であるepub3.0というフォーマットの登場以降、日本の電子書籍はグローバルなレベルで紙の書籍と融合することが可能になった。こうした時代に、この新たな選書が新旧両世代の智のかけ橋になることを期待している。

インターネットは大衆のコミュニケーションの中心となり、特に関心のない人をもまきこんで新たなメディアを創出した。携帯電話がスマートフォンに進化をとげて、インターネットは文字通り万人の手の中にある。

文学も、音楽や映画も、すべてのコンテンツが小さな端末で享受でき、その芸術性に感動することが可能となった。

一方で加速化する技術革新は、時代の変り目の根幹を見えにくくもしている。本シリーズが、混迷する現実を分析し、自らの行動の指針を照らし出す役割を果たすことを願っている。

 

2013年10月

 

 

UPコレクション(2013年?)

「UPコレクション」刊行にあたって

 

学問の最先端における変化のスピードは、現代においてさらに増すばかりです。日進月歩(あるいはそれ以上)のイメージが強い物理学や化学などの自然科学だけでなく、社会科学、人文科学に至るまで、次々と新たな知見が生み出され、数か月後にはそれまでとは違う地平が広がっていることもめずらしくありません。

その一方で、学間には変わらないものも確実に存在します。それは過去の人間が積み重ねてきた膨大な地層ともいうべきもの、「古典」という姿で私たちの前に現れる成果です。

日々、めまぐるしく情報が流通するなかで、なぜ人びとは古典を大切にするのか。それは、この変わらないものが、新たに変わるためのヒントをつねに提供し、まだ見ぬ世界へ私たちを誘ってくれるからではないでしようか。このダイナミズムは、学問の場でもっとも顕著にみられるものだと思います。

このたび東京大学出版会は、「UPコレクション」と題し、学問の場から、新たなものの見方・考え方を呼び起こしてくれる、古典としての評価の高い著作を新装復刊いたします。

「UPコレクション」の一冊一冊が、読者の皆さまにとって、学問への導きの書となり、また、これまで当然のこととしていた世界への認識を揺さぶるものになるでしょう。そうした刺激的な書物を生み出しつづけること、それが大学出版の役割だと考えています。

 

一般財団法人 東京大学出版会

 

詩想社新書(2014年)

詩想社新書発刊に際して

 

詩想社は平成二十六年二月、「共感」を経営理念に据え創業しました。なぜ人は生きるのかを考えるとき、その答えは千差万別ですが、私たちはその問いに対し、「たった一人の人間が、別の誰かと共感するためである」と考えています。

人は一人であるからこそ、実は一人ではない。そこに深い共感が生まれる――これは、作家・国木田独歩の作品に通底する主題であり、作者の信条でもあります。

私たちも、そのような根源的な部分から発せられる深い共感を求めて出版活動をしてまいります。独歩の短編作品題名から、小社社名を詩想社としたのもそのような思いからです。

くしくもこの時代に生まれ、ともに生きる人々の共感を形づくっていくことを目指して、詩想社新書をここに創刊します。

 

平成二十六年

詩想社

 

静山社ペガサス文庫(2014年)

静山社(せいざんしゃ)ペガサス文庫(ぶんこ)創刊(そうかん)のことば

(ちい)さくてもきらりと(ひか)る、(ほし)のような物語(ものがたり)(とど)けたい――一九七九(ねん)創業(そうぎょう)以来(いらい)静山社(せいざんしゃ)(いだ)(つづ)けてきた(ねが)いをこめて、少年(しょうねん)少女(しょうじょ)のための文庫(ぶんこ)静山社(せいざんしゃ)ペガサス文庫(ぶんこ)」を創刊(そうかん)します。

読書(どくしょ)は、みなさんの(こころ)(ねむ)っている想像(そうぞう)(はね)(ひろ)げ、未知(みち)世界(せかい)へいざないます。読書(どくしょ)体験(たいけん)をとおしてつちかわれた想像力(そうぞうりょく)は、(たの)しいとき、(くる)くるしいとき、(かな)しいとき、どんなときにも、みなさんに勇気(ゆうき)(あた)えてくれるでしよう。

ギリシャ神話(しんわ)登場(とうじょう)する天馬(てんま)・ペガサスのように、(おお)きなつばさとたくましい(あし)、しなやかな(こころ)で、みなさんが物語(ものがたり)世界(せかい)を、自由(じゆう)にかけまわってくださることを(ねが)っています。

二〇一四(ねん)

静山社

 

鉄筆文庫(2014年)

鉄筆文庫創刊の辞

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる……この国では、戦禍も災害も、そして多くの災厄も、時と共にその「熱さ」は忘れ去られてしまうかの様相です。しかし、第二次世界大戦で「敗北」がもたらした教訓や、先の東日本大震災福島第一原発事故という現実が今なお放ちつづける「熱さ」を、おいそれと忘れるわけにはいきません。

先人たちが文庫創刊に際して記した言葉を読むと、戦前戦後の出版文化の有り様への反省が述べられていることに共感します。大切な「何か」を忘れないために、出版人としてなすべきことは何かと真剣に考え、導き出した決意がそこに表明されているからです。

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。」(角川文庫発刊に際して 角川源義

これは一例ですが、先人たちのこうした現状認識を、いまこそ改めてわれわれは噛みしめねばならないのではないでしようか。

現存する文庫レーベルのなかで最年長は「新潮文庫」で、創刊は一九一四年。それから一世紀が過ぎた現在では、80を超える出版社から200近い文庫レーベルが刊行されています。そんな状況下での「鉄筆文庫」の創刊は、小さな帆船で大海に漕ぎ出すようなもの。ですが、「鉄筆文庫」は、先人にも負けない気概をもってこの大事業に挑みます。

鉄筆の社是は、「魂に背く出版はしない」です。私にとって第二の故郷でもある福島の地で起きた原発事故という大災厄が、私を先人たちの魂に近づけたのは間違いありません。この社是は、たとえ肉体や心が消滅しても、残る魂に背くような出版は決してしないぞという覚悟から掲げました。ですから、「鉄筆文庫」の活動は、今100万部売れる本作りではなく、100年後も読まれる本の出版を目指します。前途洋洋とは言いがたい航海のスタートではありますが、読者の皆さんには、どうか末永くお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

 

二〇一四年七月

渡辺浩章

 

 

STANDARD BOOKS(2015年)

STANDARD BOOKS刊行に際して

 

STANDARD BOOKSは、百科事典の平凡社が提案する新しい随筆シリーズです。科学と文学、双方を横断する知性を持つ科学者・作家の珠玉の作品を集め、一作家を一冊で紹介します。

今の世の中に足りないもの、それは現代に渦巻く膨大な情報のただなかにあっても、確固とした基準となる上質な知ではないでしようか。自分の頭で考えるための指標、すなわち「知のスタンダード」となる文章を提案する。そんな意味を込めて、このシリーズを「STANDARD BOOKS」と名づけました。

 

寺田寅彦に始まるSTANDARD BOOKSの特長は、「科学的視点」があることです。自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにあります。

現代は知識や技術のタコツポ化が進み、ひとびとは同じ嗜好の人としか話をしなくなっています。いわば、「言葉の通じる人」としか話せなくなっているのです。しかし、そのような硬直化した世界からは、新しいしなやかな知は生まれえません。

 

境界を越えてどこでも行き来するには、自由でやわらかい、風とおしのよい心と「教養」が必要です。その基盤となるもの、それが「知のスタンダード」です。手探りで進むよりも、地図を手にしたり、導き手がいたりすることで、私たちは確信をもって一歩を踏み出すことができます。規範や基準がない「なんでもあり」の世界は、一見自由なようでいて、じつはとても不自由なのです。

このSTANDARD BOOKSが、現代の想像力に風穴をあけ、自分の頭で考える力を取り戻す一助となればと願っています。

末永くご愛顧いただければ幸いです。

2015年12月

 

 ロゴマークデザイン 重実生哉

 

銀河叢書(2015年?)

o「銀河叢書」刊行にあたって

 

敗戦から七十年が過ぎ、その時を身に沁みて知る人びとは減じ、日々生み出される膨大な言葉も、すぐに消費されています。人も言葉も、忘れ去られるスピードが加速するなか、歴史に対して素直に向き合う姿勢が、疎かにされています。そこにあるのは、より近く、より速くという他者への不寛容で、遠くから確かめるゆとりも、想像するやさしさも削がれています。

長いものに巻かれていれば、思考を停止させていても、居心地はいいことでしよう。

しかし、その儚さを見抜き、伝えようとする者は、居場所を追われることになりかねません。

自由とは、他者との関係において現実のものとなります。

いろいろな個人の、さまざまな生のあり方を、社会へひろげてゆきたい。読者が素直になれる、そんな言葉を、ささやかながら後世へ継いでゆきたい。

星が光年を超えて地上を照らすように、時を経たいまだからこそ輝く言葉たち。そんな叡智の数かずと未来の読者が出会い、見たこともない「星座」を描く――

銀河叢書は、これまで埋もれていた、文学的想像力を刺激する作品を精選、紹介してゆきます。

初書籍化となる作品、また新しい切り口による編集や、過去と現在をつなぐ媒介としての復刊を手がけ、愛蔵したくなる造本で刊行してゆきます。

  

 発行は幻戯書房

 

新文芸宣言(2015年)

新文芸宣言

 

かつて「知」と「美」は特権階級の所有物でした。

 

15世紀、グーテンベルクが発明した活版印刷技術は、特権階級から「知」と「美」を解放し、ルネサンス宗教改革を導きました。市民革命や産業革命も、大衆に「知」と「美」が広まらなければ起こりえませんでした。人間は、本を読むことにより、自由と平等を獲得していったのです。

 

21世紀、インターネット技術により、第二の「知」と「美」の解放が起こりました。一部の選ばれた才能を持つ者だけが文章や絵、映像を発表できる時代は終わり、誰もがネット上で自己表現を出来る時代がやってきました。

 

UGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)の波は、今世界を席巻しています。UGCから生まれた小説は、一般大衆からの批評を取り込みながら内容を充実させて行きます。受け手と送り手の情報の交換によって、UGCは量的な評価を獲得し、爆発的にその数を増やしているのです。

 

こうしたUGCから生まれた小説群を、私たちは「新文芸」と名付けました。

 

新文芸は、インターネットによる新しい「知」と「美」の形です。

 

 

電撃の新文芸 | 電撃文庫公式サイト

 

store.kadokawa.co.jp

 

建築・都市レビュー叢書(2017年?)

  建築・都市レビュー叢書 創刊の辞

 

21世紀の建築と都市のための議論を生む新しい知のプラットフォームを築く必要があります。そのために20世紀を生んできたこれまでの知の棚卸しを図り、新たな時代のパラダイムに対応する論考=レビューのための場づくりが求められています。本叢書の主題は、現在の建築・都市に潜む事態・事象・現象・様相等のその問題性を指摘し、新たな局面を切り開いてゆくための独創的な力を示すことにあります。そして、レビューの機会をより多くの世代間、分野間に拡げ、そこから議論と理解を深め問題の所在を明らかにしてゆきます。

本叢書が、21世紀の建築と都市にわたる論考の場を活発化することを期待しています。

 

叢書キュレーター 真壁智治

 

 

 

生存科学叢書(2018年)

「生存科学叢書」刊行にあたって

 

公益財団法人 生存科学研究所は故武見太郎の理念である「生存の理法」をモットーとして、人類の生存の形態ならびに機能に関する総合的実践的研究によって人類の健康と福祉に寄与すべく設立されました。そこでは、生命科学、医学・医療、看護学など医科学、哲学、倫理学、宗教学、史学、文学、芸術など人文学、法学、社会学、経済学など社会科学、生態学、環境科学など自然科学、それら諸科学の学際的な討論によって人間科学を新たに構築し、総合的な生存モデルの確立を図ることを目的としています。

生存科学研究所はその先端的かつ基本的研究活動と成果を広く他学問領域と共有し、また一般社会にもその理念と活動を啓発すべく、学術機関誌「生存科学」を刊行してきました。多年にわたる研究成果と啓発活動により、日本学術会議協力学術研究団体に指定され、「生存科学」誌は時代と社会の課題を発掘、先導する学術誌として高い評価を得ています。本「生存科学叢書」は「生存科学」誌を中心に展開されてきた研究所の知的かつ実践的成果を広く社会に問いかけようとするものです。

人間、人類にとって望ましい生存様態をいかに構想し、実現していくか、人類の生存の場と質が根本から問い直されている現代にあって、生存科学は基礎人間科学として、時代の状況を切り拓く先端総合学として、ますますその理念の発揚が求められています。「生存科学」誌で研鑽され、蓄積された先鋭的問題意識と成果をベースに、本叢書は、さらに公益に資するべく視野を広げたテーマ、論考を地道にかつ実践的に問いかけていきます。今後引きつづき展開される総合人間学シリーズに理解をいただくとともに、ご支援をお願いいたします。

2018年4月

           公益財団法人 生存科学研究所

           〒104-0061 東京都中央区銀座4-5-1 聖書館ビル

           http://seizon.umin.jp/index.html

 

 

 

 

講談社まんが学術文庫(2018年)

講談社まんが学術文庫 創刊の辞」

 

ソクラテス、釈迦、孔子など古今東西、あまたの偉人による古典・名著が現代に残されています。しかし多くの人類の知恵を我々は本当に理解しているでしようか? 高校・大学などを通じて触れることはあったとしても、残念ながら本当に成果を獲得できているでしようか? 何度かトライして挫折した人が多かったのではないでしようか?

哲学や宗教は何千年前から人類に必要なもの、人類の知恵だったはず。難解であるが故に我々の多くにその神髄が伝わっていないのは大変もったいない話です。またその人類の知恵が一部ディレッタントだけの所有物になっているとすれば悲しむべきことです。それを求める人々、それを必要とする人々に享受されるべきであろうと考えます。

そこで我々は世界一わかりやすい媒体、表現方法に無限の可能性のある媒体、「まんが」でその奥義にせまれないかと考え、翻訳、解説ではなくストーリー「まんが」にしました。このやり方に様々な批評はあるでしよう。しかし、人類の知恵を理解する一助になるなら、その指摘も「まんが」メディアを育ててきたというアイデンティティーを持つ我々にとっては名誉なことと考えます。

「まんが」はすばらしい媒体です。そして数々の名著は我々の血と肉にならねばなりません。弊社の創立以来の社是は「おもしろくて、ためになる」です。このシリーズは、「おもしろくて、ためになる」は当然のこととして、それに加えて「わかりやすく」が編集方針となります。これからも多くの試みを通じ人類の財産を読者に届けてまいります。

 

              2018年4月         野間省伸

 

 

*1:以下の記述は、『波』2014年9月号(通巻第537号)新潮文庫創刊100周年記念特集を参照

*2:岩波文庫略史」岩波文庫編集部編『岩波文庫の80年』403頁、初出は岩波書店『文庫』1951年

*3:以下、鹿野政直岩波新書の歴史』岩波新書、2006年

*4:清水康次[2006]「『アテネ文庫』の研究(その1)」『京都光華女子大学研究紀要』第44号

*5:以下、鎗田清太郎[1995]『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』角川書店を参照

*6:掛野剛史「初期『カッパ・ブックス』孝」日本出版学会・出版教育研究所『日本出版史料』10巻、2005年

*7:武田徹『日本ノンフィクション史』中公新書、2017年、4頁

*8:同前、6頁

*9:以下、櫻井秀勲『戦後名編集者列伝』「第十五回 生涯一編集者を望んだ祥伝社・伊賀弘三良」140頁~

*10:中央公論』124(7)、2004.7

*11:講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第五巻、2010年

*12:講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第五巻、2010年、15頁

*13:以下、講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第五巻、2010年

*14:『本』29(11)通巻340号現代新書創刊40周年記念大特集

*15:野間省一伝編纂室『野間省一伝』講談社、1996年、214-215頁

*16:以下、講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第五巻、2010年

*17:以下、講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第七巻、2010年

*18:以下、講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第6巻、2010年

*19:カバー折り返しの記述から

*20:岩崎勝海『編集長二十年―古い机の引出しの中から』高文研、1985年。38頁

*21:講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第七巻、2010年

*22:講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第七巻、2010年

*23:櫻井秀勲『戦後名編集者列伝』「第二十五回 倒産から一転、超優良に! 三笠書房・押鐘冨二雄」232頁~

*24:講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第十巻、2010年

*25:角川歴彦『グーグル、アップルに負けない著作権法』角川EPUB選書、2013年。183-184頁

*26:以下、講談社社史編纂室『物語 講談社の100年』第九巻、2010年

*27:駒井稔『いま、息をしている言葉で。「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』而立書房、2018年。114頁

*28:同前193頁

*29:同前198頁

*30:本の旅人』15(3)、2009年、28-32頁「角川つばさ文庫」創刊記念座談会