ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

『BLACK FOX』

なんだろう。言葉にしづらいけど、なんか良かった。

これくらいで楽しむのがいいのかもしれない、ってちょっと思った。「これくらいで」というのは、作品の出来が、ということではなく、映画を観に行くときの気の抜き方として。

 

 

project-blackfox.jp

 

 

情報なしで観に行って

この作品がどういう作品なのかという情報は、ほとんど仕入れずに観に行った。正確には今もってよく分かっていない。リンクを貼っておこうと公式サイトにアクセスしたら、実写版もあるらしい。実写?

 

とくになにか注目していたわけではない。直前まで作品の存在自体を知らなかった。

知ったのはたまたま。前売り券が主題歌CDとセットで販売されてて、fripSideだということで、とりあえず確保しとこうかと買った次第。絵柄が良さげであるなとは思ったものの、PVもなにも見ていない。かといってfripSideの熱いファンというわけでもなく、自分の購買行動でありながら、大した動機は説明できない。前売りの発売が9/30までだったが、その日に店に行く機会がなければ買ってなかったように思う。

 

そんな経緯だから作品の期待度が高かったということもなく、そんな状態で観たのがかえってよかったのかもしれない。ちょっと観ておこうくらいの感覚で出かけていって、観終わったあとに「なかなか面白かったじゃん」と一言感想を感じるくらいのスタンスで、ちょうどいい。一人で映画を観に行くときって、これくらいの気持ちで楽しむのがいいんじゃないかって勝手に思ってる。

情報収集をしてからとか、期待度を高めてからというのは、思ったほどじゃなかったときに微妙な後味が残る。話題になってたり、大ヒットしてるからといって観に行って、どこが面白いのかイマイチだったりすると、変に頭を悩ます。感動しすぎたり、入れ込みすぎたりすると、そのあと逆に空しくなる。

自分でとくに情報を仕入れるでもなく、世間で騒がれたりしていない状態で、気軽に観に行って、適度な満足感に浸りながら帰ってくるくらいが、快くていい。『HELLO WORLD』や『二ノ国』よりも、あるいは『天気の子』や『ヴァイオレット外伝』よりも満足度が高い気分でいるのはこの辺も大きいのだろう。

 

その点でいうと、前半だけでいうなら正直それほどでもなかったかもしれない。ただ、ラストへの持って行き方が良い。この畳み方の上手さが、小気味良い鑑賞後感につながっているように思う。

 

 

 

以下ネタバレあり

 

畳み方の上手さと書いてしまったが、実のところ、畳み切っていない。いわゆる俺たたエンドだ。むしろ「こんな終わらせ方でアリなのか」という印象をはじめは抱く。しかしそのままエンドロールとなっても、不完全燃焼感はとくにない。これはキレイな俺たたエンドだった。

 

それで考えてみたのだが、そもそもこの作品、俺たたエンドに持って行くのが実は一番キレイな締め方なのだと気づいた。尺の都合とかではなく、最後をこのようにぼかすことが、物語の畳み方として示せる最善だったのではないか。逆に言うと、最後の黒幕との対決を全部描くというのは、物語として提示できなかったのではないか。

 

この作品の最重要なセリフ、描かれたテーマでいえば、「相手を赦す」ことだ。ときに殺しを厭わない一族でありながら、ほんとうは殺さずに相手を赦すことこそが大切だと説かれる。

美しい正論かもしれないが、これを貫徹することは難しい。しかも戦闘シーンが大きな見せ場となるこの手の作品だと、相性がいいとはいえない。敵を倒すカタルシスや爽快感が、描くなってしまうからだ。

 

この作品でも、赦すことの難しさが描かれる。

ミアは二度にわたって父を赦そうとし、裏切られる。この裏切りはむしろ観客の期待ですらある。悪人が簡単に改心するなら、赦すことはそれほど困難ではないかもしれない。しかし現実はそんなにシンプルには行かない。それを知っているからこそ、「相手を赦す」ことが理想論にすぎないと考えてしまうのだ。

 

物語として、どう落としどころをつけるのかは一つの見ものだった。

ミアの父が改心して終わりなら、キレイかもしれないが理想的に過ぎると感じたかもしれない。こいつが最後までマッドサイエンティストでいてくれたことは、そういう意味で〈期待〉通りではあった。

しかし敵を敵として葬る、懲らしめるという展開にしてしまっては、「赦す」というテーマとは矛盾してしまう。物語をそのように終えてしまっては、一体この作品で描きたかったことは何だったのかということになってしまう。

トドメを刺すことも、刺さないことも、どちらの選択肢も味よく終わらせるのが難しい。

 

そこで用意されたのが、黒幕を出しつつ、その決着は見せないというものだった。

ミアの父がどうなったか、どう付き合っていくべきかは、精神病院行きにすることで保留状態に置く。それだけではモヤモヤが残ってしまうので、本当の悪役みたいな立ち位置のキャラを持ってきて、こいつに感情を転嫁させて、そのモヤモヤを解消させる。もちろんこの黒幕も突然登場したわけではなく、伏線が張られているから、ついに出てきたか、という感じを思わせる。

もうひとつ、ミアの父の狂気っぷりというか、ある種の悪役としてのスケールの小ささを、黒幕が持って行ってくれるのでそこが気にならなくなる。

 

もちろん、最初に書いた通り、これは俺たたエンドであり、裏返して言えば結論の先送りである。

すなわち、大きなテーマである「相手を赦す」ということを果たして最後まで貫徹しうるか、が描かれない。この作中で最も腹黒そうな黒幕のキャラを、主人公たちは赦すことができるのであろうか。こいつは絶対改心なんてしないであろう。それでも赦すという選択を見せることができるのか。赦しに至るとすれば、それはどのように描かれるのか。

これを描くのは、はっきりいって難しい。描けるかもしれないが、それは物語の締め方として、納得のいくものになるかは分からない。

それでいうなら、この俺たたエンドというのは、物語の畳み方として非常にキレイなものに感じられる。ここで区切りをつけてしまうことで、(描かれなかった)前向きな結末を想像しながら、上映を観終えることができる。

 

ほんというと、希望ある未来が示唆されているとは、必ずしもいえない。むしろ逆が暗示されていると見るべきではなかろうか。

 

俺たたエンドのところで、リリィら一味の名前が「BLACK FOX」であることが明かされる。映画のタイトルはこれのことかと、ここで回収される。

しかしタイトルが回収されてなるほどと思うのは観客としての感想であって、彼女らの未来とは関係ない。彼女たちがチームを組んで共闘していることはワクワクさせるものではあるが、それが本当に肯定できることなのかと聞かれれば難しい。

 

BLACK FOXという名称は、裏稼業のままであるということだろう。

律花/リリィの一族は裏世界の住人であり、その宿命は結局受け継がれることになる。ミアもメリッサもそこに加わったという形で、血生臭い世界に足を踏み入れているということだ。

そもそも一味は何のために闘うのであろうか。

律花/リリィのそもそもの動機は復讐だった。それは変わっていないのだろうか。「赦す」というメッセージを抱えたまま、目的を達成できるであろうか。黒幕との決着をつけたとき、彼女らは「赦されて」表の世界で過ごせるようになるのであろうか。

そう考えると彼女たちの将来には、少々不穏に感じる。

 

それでいながら映画の終わり方は不穏な感じではなく清々しく思えた。

前向きな形で物語に区切りを引けたは、有効な形で俺たたエンドを用意できたからと言える。だからこの終わり方で良かったし、これが最善のエンドだったと思えるのだ。

 

 

秋葉原事件』加藤智大という物語

映画そのものからは少し離れるが、個人的体験としてはここも記しておきたい。

この映画を鑑賞する前後で、中島岳志秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を読んでいた。作り手側は全く意図してはいないだろうが、しかし私は関連付けて考えてしまったので、ここに書いておくことにする。

 

 

『BLACK FOX』は物語の区切り方が良いということを書いた。

この〈物語〉をどこで区切るか、区切ったら良い結末として迎えられるか、というのを強く意識してしまったのが、上記『秋葉原事件』だった。

加藤智大という1人の人間の〈物語〉について、何度途中で〈区切り〉になっていればと感じたことか。挫折して希望を失った〈主人公〉が、最後の一歩を踏みとどまり、明日に向かって生きていく、そういう前向きな〈エンド〉となっていたのではないかと、そう何度も思わせるような〈物語〉だった。

たとえば第2章「自殺未遂」のところで〈俺たたエンド〉になっていれば。自殺を思いとどまらせてくれる友人がいて、母親との関係が修復して、運送会社への就職も決まった。ここから好転する未来も、ありえたかもしれない可能性だ。

第3章「掲示板と旅」のところでも良かった。職場で知り合った藤川(仮名)の話を聞いて号泣し、相談をする間柄になった。あるいは掲示板での交流においても、「群馬の女性」や「兵庫の女性」、掲示板管理人の男性に彼は実際に会いに行く旅をしている。

彼が再び自殺を考えたとき、職質を受けた警察官から助言をもらい涙を流した。3万3,500円の駐車料金を返すことが当面の目標になり、しかし信頼してもらえたことが彼の生きようという決意となった。

事件の日、トラックで歩行者天国に突っ込もうと考えた彼だったが、1回目、2回目、3回目と体が拒否して失敗した。彼は秋葉原に向かう直前に、同僚の月山にも会っていた。思いとどまるか、犯行に及ぶか、その境目はそんなにはっきりしたものではなかった。

 

エピローグでは、湯浅さんという男性について言及されている。加藤に刺され入院を余儀なくされ、仕事を退職せざるをえなくなった被害者だ。この人はほとんどの公判を傍聴し、加藤が本心から心の内を語ってくれることを期待した。

しかし加藤の最後の証言は素っ気ないもので、表情も無表情だった。

 

私はこうした加藤智大という男の来し方を〈物語〉として読んでしまっていた。どこか途中でとどまることができれば、あるいは好転していたかもしれない、そういう〈物語〉になった可能性もありえたのだと思う。実際にはそうはならなかった。事件を起こしてしまった結末を知っているからこそ、「もし途中で…」という想像を止めることができなかった。

 

 

私がこの本を読んだタイミングと、『BLACK FOX』を観たタイミングが、たまたま重なっていたために、両者を自然と重ねてしまった。

リリィがミアに刃を突き付けながら、けれども赦したとき。彼女は一線を越えずに済んだ。しかしその一線を踏みとどまれるかどうかは、実はほんのわずかな差なのかもしれない。

そしてそうしたほんのわずかな差を、裏の仕事を続けるのであれば、今後なんども経験することとなろう。より大きな巨悪を相手にしていくのであればなおさらだ。

彼女はずっと一線を越えずに踏みとどまることができるだろうか。あるいは逆に、一線を越えてしまい、なおかつ対話も拒んでいるような相手を、赦すことができるだろうか。

逆に加藤智大という〈物語〉も、もしかしたらちょっといい話で終わっていたかもしれない。

なんだろう、この、「俺たたエンドって良いよね」的な感慨は。。。

 

 

パンフレット読んでからの追記

・改めて眺めてると、絵が好みだっていう要素は大きいかもしれない。

 

・キャストインタビューを読むと、続編の可能性もあるのかと思いつつ、でも出来るとしてもだいぶ先になってしまうんじゃなかろうかとか考えてしまう。今回の結末で私は十分だと思っているから、これ以上の結末を用意できる自信があるのであれば続編を作ってほしい(なんか上から目線になってるな)。

 

・上記で書いた通り、私は「赦し」こそがこの作品のテーマだと感じたのだが、とくにその点には言及されてなくて、「あれ?」って思った。プロットも二転三転したそうで、そうすると実はメインテーマということではなかったのかもしれない。

だとしたらこのような形に落ち着いて嵌ったのは、個人的にはラッキーだったかもしれない。

 

・キャッチコピーは「闇を斬り裂く“黒”になれ!」なのか。それでも、“黒”から脱して、裏稼業から足を洗う最終エンドになってほしいな。黒のままのほうが、カッコいいのかもしれないけど。

 

・リリィにジャージ着せる判断もいいと思った。そうだよね、うん(何が?)。