ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

業務上過失と労働安全衛生法

前回の記事で、人身事故に至るような事案では、警察は労働安全衛生法ではなく、業務上過失致死傷の容疑で捜査をすることが多いと書きました。

その続きです。

 

kynari.hatenablog.com

 

業務上過失と安衛法の違い

 

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わりとざっくり作ったので不正確なところ多々あるかもしれませんが、業務上過失と安衛法の違いをまとめると上の表のようになるかと思います。

 

労働災害事故についていえば、業務上過失は死傷の発生が要件となっているのに対して、安全衛生法はそうではない点が大きな違いと言えます。後者は、作業事故の危険性を生じさせること自体が犯罪(危険犯)です。

もっとも、安全衛生法においても実際には死亡災害ののちに送検されるケースが少なくないので(いわゆる「葬式送検」)、そうなると両者はかなりの部分重なることになります。

 

事実、同一の事案に対して、警察署と労働基準監督署のそれぞれで捜査を行い送検する、というのが珍しくないように思われます。

 

例)

王子製紙春日井工場(3人死傷):県警は作業主任者と操業長を業過容疑で書類送検。労基署は王子製紙と操業長を安衛法違反容疑で書類送検毎日新聞2018.04.26中部朝刊25頁

奈良コンベヤー死亡事故:ショベルカー運転手を業過容疑で書類送検。労基署は同社と工場責任者を安衛法違反容疑で書類送検毎日新聞2017.03.02奈良26頁

JR北海道今別変電所:現場責任者を業過容疑で書類送検。労基署は会社と取締役兼工事部長を安衛法違反容疑で書類送検毎日新聞2014.03.20青森25頁

松山・コンクリ工場生き埋め事故:社長、工場長、現場責任者を業過容疑で書類送検。労基署は同社と工場長を安衛法違反で書類送検

 

 

上で挙げたのは一例ですが、ここから窺えるのは、ひとつの事故に対して警察・労基署それぞれが書類送検する例があること、その場合被疑者は必ずしも一致していないことなどです。

 

これについては警察と監督機関の間で、捜査能力、捜査権限その他に関して、協力・調整を行うというのも一計かもしれません。

 

 

罪数問題

業務上過失致死傷罪と安全衛生法違反では重なる部分が少なくありません。

 

その場合、罪数および既判力が問題になりえます。すなわち一つの労働災害事故が、業務上過失致死傷罪と安全衛生法違反の両方で罪に問われることがありうるのかという問題です。

 

両者が別々の罪として捉えられる場合には、併合罪となり、刑法45条により刑の加重ないし併科がなされます。

そうではなく観念的競合と捉えられる場合には、刑法54条により科刑上最も重い罪で処断されることになります。

 

 

判例としては、安衛法成立以前の時代ですが、以下の例がありました。

労働基準法違反の罪を構成する……行為と……業務上過失致死の罪を構成する……過失行為とは、……当該犯罪の構成要件的行為がその重要部分において相一致し重なり合つていることが明らかであり、また、両者の間に、社会生活上前者が成立する場合後者が通常は相随伴して成立する関連性の存在することも否定できない」「犯罪を構成する義務が異質であるか否かは別個の犯罪が成立するか否かの根拠たるに止まり罪数の認定に影響を来すものではない。

(東京高判昭和48・1・18。解説は『判例タイムズ』292号363頁)

 

このように両者は観念的競合の関係(1個の犯罪)だとしています。

 

 

その後直接安全衛生法に関する判例はないようですが、1974年の最高裁判例において、道路交通法違反と業務上過失致死傷罪の罪数関係についての見解を見直したことが、安衛法と業務上過失致死傷罪の関係にも影響すると考えられます。*1

 

すなわち「一個の行為とは、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会見解上一個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである」との原則を示し、酒酔い運転と人身事故について「一個のものと見ることはできない」として、併合罪を判示しました(最判昭和49・5・29)。

その一方で、交差点の信号違反とその結果発生した業務上過失致死傷罪については「自然的観察のもとにおける社会見解上一個のものと評価すべき」として、観念的競合を判示しました(最判昭和49・10・14)。

 

酒酔い運転とそれによる人身事故については「一個のものと見ることはできない」としているのに対し、交差点の信号違反とそれによる事故については「一個のものと評価すべき」としています。

 

これは、後者においては信号違反とその結果としての人身事故が、時間的・場所的に近接しているため一個の行為だと考えられるのに対し、酒酔い運転や無免許運転はある程度の時間的継続と場所的異動を伴う行為であるため、別個の犯罪だとされたということです。

 

前述の労基法と業務上過失致死傷罪の判例は、危険防止のための措置を講じないまま午前8時ころから労働者に作業させた結果、午後4時30分ころ屋根の踏み抜き事故により死亡したという事案であり、この新しい最高裁判例の考え方に基づけば併合罪になると考えられます。

 

 

業務上過失の送検動向

警察による業務上等過失致死傷罪の検挙状況の年次推移を追ったのが下の図になります。*2業務上過失には、交通事故関係が圧倒的部分を占めるので、統計からはそれを除いています。

一時期と比べれば大きく落ち込んではいますが、近年は件数で350件前後、人員で500人前後で推移しています。

 

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規模感を掴むため参考として述べておけば、近年の監督官による安全衛生法違反の送検は人員で1千件あまり、件数(事業場数)で5、6百です。

もちろん業務上過失致死傷罪の「業務上」の範囲は安全衛生法とは異なっていますから、単純に比較するわけにはいきません。ですが、一定重なり合ってる部分はあるでしょう。

 

グラフの最盛期(最悪期)は60年代ごろになっています。これは労働監督行政でいえば安全衛生法成立前の時期です。

この時期の警察による検挙の多さは注意を引きます。いまより労働災害による死者数も多かった時代ですから、おそらくは監督機関による送検数に匹敵するかそれ以上の数を、警察が対応していたということになるのではないでしょうか。

 

*1:以下、池上政幸[1998]「24 罪数関係」藤永幸治編『刑事裁判実務体系 第7巻労働者保護』青林書院を参照

*2:『犯罪統計書』より作成