ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

『幸福路のチー』と『冴えカノ』

鑑賞したのは昨年末だったが、そういえば感想を書いてなかったな。

onhappinessroad.net

 

なんかいろいろと考えさせられるタイプの作品だった。

人生って何だろう、幸せって何だろう。そういうものこそが映画のテーマであるような気がする。それを一人の人間の半生を追いかけることによって考えさせる。最終的に示されるのは「永遠の幸福なんてない」ということなのだが、諦念ということではなく、フワリと心に落ちる感覚。

 

私は吹き替え版で鑑賞した。それがためか、脳内で化学反応が生じた。主役の声をあてたのが、『冴えカノ』のヒロイン・加藤恵役の安野希世乃さんだった。これが個人的には効果抜群だった。『冴えカノ』の劇場版公開、その内容がどんなものか織り込んだうえでこのキャスティングであったのなら、「天才かよ」と褒めたたえたいくらいだ。少なくとも私には、うってつけのキャスティングに感じたよ。『冴えカノ』映画で、見てるこっちが恥ずかしくなるようなイチャラブを見せつけられた後に本作を観るとね。結婚して夢も叶えてハッピーエンドみたいな妄想展開に冷や水を浴びせてくれる。『冴えカノ』映画のエピローグでの妄想ネタをむしろ地で行くような感覚で、だからこそ人生の意味について考えざるをえない。

『冴えカノ』の妄想ネタはむしろ現実を再認識させる作用があったように思う。あれを見せられることによって、メタ的に本筋こそが妄想だと感じさせる。夢を叶えられずうだつが上がらないがリアルではないか、と。

『幸福路のチー』の主役の女性の声が、『冴えカノ』のヒロインの声と同じであることにより、どうしても連想してしまう。この声でなかったら、こうもピタリとは感じなかったかもしれない。私の場合、安野さんの声として連想するのって、『冴えカノ』の役くらいしか思い浮かばない。『幸福路のチー』での声を聞いてると、とくにモノローグの部分なんか、加藤恵が喋ってるようにどうしても聞こえてしまう。少々の戦慄を覚えるほどだった。『冴えカノ』の主人公たちの、ありえたかもしれない可能性。むしろこちらのほうがリアルな現実なんだろうなと感じさせる可能性。それを本作で見せられたような気分だった。挿し込まれる政治のニュースは、大文字で語られる歴史の背後に生きる庶民を思い起こさせる。モノローグの語りが、別ルートを進んでしまった加藤恵にどうしても聞こえてしまう。

 

「私たち、求めるものが違いすぎたんだよ」

「やっぱり離婚しよう」

 

安野さんのこの声でこのセリフが吐かれる。そのことによって、『冴えカノ』を鑑賞したときに私の引っかかっていたモヤモヤした鬱屈が、見事に塗り替えられた気がする。私の頭のなかで、2作品で合わせ技1本となった。このセリフの場面は、思わず身を乗り出して画面に喰い入ってしまった。

逃げ出したいと思っていた場所にまた戻って来てしまって、戻りたいと思ってしまって、そこに幸福を見出そうとする。そんな姿に、私も将来自分の人生を振り返ったとき、そう考えてしまうときがくるのかなと、なんとなくそんな考えを抱いてしまう。

 

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