ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

労基署の手抜き監督――チョロ監とキョロ監

少し前になりますが、求人詐欺・求人トラブルの今昔――労働条件明示義務違反というエントリーを書きました。このときは労基法15条(労働条件の明示義務)違反の推移について書きました。

 

ところで15条違反については、原[2017]に「ノルマ達成のためだけの監督――チョロ監」として以下の説明があります*1

監督を実施したというノルマ達成を「実施率」と呼んでいるが・・・中略・・・機械的にノルマをこなせばいいというわけでは、さすがにない。

そのため、違反は勧告するが、重い違反を書かずに帰ってくるような者も、少なからず存在していた。チョロっと行って、チョロっと軽微な違反を書いて帰ってくるのを「チョロ監」と呼んでいた。

チョロ監では、「労働基準法15条違反」を勧告しているケースが多い。これは、「雇入れ通知書の未交付」というものである。・・・中略・・・この違反は非常に是正の報告が容易である。要は、今後は決まった様式を使って交付するということにすればいいわけだから、監督の翌日にでも是正が完了する。すると、監督復命書を決裁した直後に是正報告書が届き、その事案は完結ということになるのだ。

・・・中略・・・

 

雇入れ通知書だけの違反を指摘するチョロ監は、ノルマはこなせるし、違反率は下がらないし、そういう点で便利な方法なのだろう。

 

 この「チョロ監」という表現が気になりました。

ほかの文献ではどのように使われているのかまとめてみました。

 

松林[1977]*2

そして[昭和]40年からは司法処分および使用停止処分が飛躍的に増大することは確かである。しかし末尾の監督業務実施統計表をみると、39年以降定期監督率はほぼ減少一方であり申告監督・再監督の事業場もわずかしか増えていない。そこでの再処分件数の増大は人日制による件数主義の結果であるとしか考えられない。いわゆる「キョロ監」である。

ここでは人日制、件数主義(=ノルマ)の弊害が語られています。監督や指導の中身ではなく件数を追い求めるようなものを「キョロ監」と言っているようです。

 

チョロ監ではなく、キョロ監という言葉が使用されていますね。

 

同じ文献の注釈の中では、現場の監督官の声*3と行政通達*4が引用されています。

ここでは通達のほうを引用しておきます。

従来ともすれば監督件数にとらわれる余り部分監督方式の乱用がみられ、さらに計画において対象ごとに設定された重点事項についてのみ一律に実施される傾向がある 

部分監督というのはすべての事項について調査するのではなく、一部の条文について重点的に監督するやり方です。原[2017]では15条違反についてでしたが、 この当時は労働条件の明示はとくに重点事項だとは考えられていなかったと思われます(むしろ重要ではないとして見過ごされていた?)。

だとすれば一口にキョロ監、チョロ監と呼ばれても内実が違う可能性がありますね。

 

 

青木[1987]*5

この処分件数の増加は、ノルマ制的な件数主義(人日制と呼ばれる)によってつくり出されたものである。監督官たちは件数主義の監督を「キョロ監」と呼ぶ。監督は「件数をあげるためにのみ」おこなわれ、「指導面には手がまわらず」、「部分監督方式の乱用」によって総合性は失われ、「形骸化した監督行政は労使の信頼を失うばかり」となる。

 

ここでも表現は「キョロ監」となっています。

なお、青木[1987]では全労働[1976]*6を紹介する形で「キョロ監」に言及しています。こちらでは人日制についての「用語解説」もなされています。

人日(マン・デー)は1労働日(8時間)のこと。人日制は、人日を基礎として、一年間の仕事量を決める方式。例えば、定期監督1件0.5人日とすれば、1日2件となり、年間何件できるか計算できる。労働密度を高める労務管理の一方式。

 

 

 全労働[1972]*7

このなかの鳥取支部の報告(216頁~)では、標準監督日数(ノルマ制度)に触れたうえで

現在の監督実施の実態を一般監督官(署長、課長を除く)についてみると、1ヵ月の臨検監督日数は12日で、1日の標準監督件数は2件程度となっている

したがって、1事業場当りの実際の監督時間は往復所要時間を除くと小規模事業場は1時間、それ以外でも2時間程度しかかけられない。

しかも、最近の技術改革、新規則の制定等による監督範囲の拡大するなかでの監督であり、各監督官とも、予備知識、監督準備不足のまま事業場を臨検しなければならない実状から重点事項の一部を監督する『ミニカン』、『チョロカン』となっている

 

監督にかけられる時間が少なく、その結果重点事項のみの監督となってしまう事態を「ミニカン」「チョロカン」と呼んでいます。

なお全労働[1972]のほかの箇所では「ミニ監」「キョロ監」といった表現が使われています。

 

 

監督制度研究会[1976]*8

定期監督のみならず臨検監督全体が、部分監督ないしパトロール監督と称せられるような、内容の乏しい監督に終始する現状に至っている。かかる原因は一言でするならば件数主義、重点事項主義に尽きるであろう。

 

チョロ監、キョロ監に類する直接の表現は語られていませんが、件数主義、重点事項主義についての問題点が語られています。

 

 

資料の関係で1970年代のものばかりになってしまいました。

しかし原[2017]でも使われていることを考えると、この間もこの言葉は受け継がれてきた(?)と考えて良いのでしょう。

 

一方でこのころのキョロ監は重点監督、すなわち重要な事項のみの監督で済まされ、他の点への監督が行き届いていないことを表していることが多いように思います。

「軽微な違反を指摘して帰ってくる」というのとは少しニュアンスが違うのではないでしょうか。チョロ監、キョロ監の中身も変容しているのかもしれません。

 

 

 

kynari.hatenablog.com

*1:原論『労基署は見ている。』日経プレミアシリーズ2017年、154-5頁。なお原は1992年から2011年まで労働基準監督官を勤めた

*2:松林和夫[1977]「戦後労働基準監督行政の歴史と問題点」『日本労働法学会誌』50号22頁、以下太字は引用者

*3:昭和43年第8回労働行政研究集会の記録52-4頁

*4:基発227号昭和51年3月2日

*5:青木圭介[1987]「戦後日本の労働基準行政―長時間労働温存の一側面―」基礎経済科学研究所編『労働時間の経済学』青木書店、108頁

*6:労働省労働組合[1976]『これが労働行政だ』労働教育センター

*7:労働省労働組合[1972]『資料全労働』55号

*8:監督制度研究会[1976]『監督制度』。労働省の官僚有志によってまとめられた報告書