前回書いたサービス残業は送検されやすいかという記事の関連で、司法処理基準について。「重大・悪質な事案」については送検するということになっていますが、なにをもって「重大・悪質」だとするのか。
どういった事案が司法処理されるか(=送検されるか)について、基準なり相場なりがあるだろうという話。
処理基準の存在
賃金不払や安全衛生違反の送検が多いらしいというのは前回確認しましたが、実際これらの違反は送検されやすいようですね。
元労働基準監督官の曾田朋哉氏が書いた小説があるのですが、そのなかでこんな記述があったりします。
経営者に制裁が与えられるのは、モラル・ハザードを防ぐため。経営者に対する制裁がなければ、倒産した経営者は、安易に、労働債権の支払いを国におしつける悪習がうまれる。
経営者と労働者が共謀して、未払い賃金を立て替え払いする国の制度を悪用されないとも限らない。賃確法の適用に刑事罰という制裁が伴えば、経営者は、是が非でも、労働債権の支払を優先させる。
その結果、労働者の権利が護られて、国の支出もおさえられる。*2
前者は労働安全衛生法(安衛法)違反に関するものですね。「必ず」とは強い表現となっていますが、法違反が原因で死亡労働災害が発生した場合は送検を行うということらしいです。
後者は引用した部分だけだと少しわかりづらいかもしれませんが、賃金の立替払事業についての記述です。会社が倒産して賃金未払いが発生した場合に国が立替払をする制度があるのですが、それを適用する場合は労基法24条違反(賃金不払)で送検するということ。こうして刑事罰を科し前科をつけないと悪用される恐れがあるかららしい。
経営法曹会議(近畿地方本部)で行われたパネル討論でも、労基署OBの伊飼孝明氏が「送検の基準」について、次のような発言をしています。*3
伊飼 ・・・一応基準はあります。このランクは全国共通で、ここより以上は必ず送検しなさいという基準があるんです。代表的な例が死亡災害です。それから3級以上の労働災害、障害認定ですね。3級以上というと、労働不能のやつです。以上は必ず送検しなさいと。・・・
司会・勝井 労働基準法違反の事件で送検する、しないというのは、どんなところが基準になるのでしょうか。
伊飼 まず被害ですね。額が多い、それから被害の人数が多い、あと、告訴告発です。この3つが基準ですけれども。
全国共通と言っているので、監督官のなんとなくの相場観ではなくて、ちゃんと司法処理基準が定められていたことが窺えます。
ただ、かつては司法処理基準が存在していたようですが、現在ではなくなってしまっている可能性もあります。
平成17年の厚生労働省の「監督指導業務の運営にあたって注意すべき事項について」では司法処理基準について言及していますが、……平成18年以降は……「司法処理基準」という言葉はありません。*4
具体的な基準
積極的には公表されない基準ですが、資料で追えるところを確認してみたいと思います。
『昭和55年における司法処理状況』という行政文書が国立国会図書館に所蔵されています。昭和55年というと1980年ですね。
この年の処分理由を見ると
本省策定の司法処理基準(以下「基準」という。)による事件が1,371件(89.5%)、事例運用事件が76件(5.0%)、局長りん伺事件が5件(0.3%)、告訴・告発事件が79件(5.2%)となっている。
とのことです。
労働省による基準のほかに、事例運用、局長りん伺、告訴・告発のパターンがあるようです。事例運用事件はさらに「事案の性質が重大かつ悪質なもの」42件、「社会問題として無視し得ないもの」27件、「他の司法処分事案との均衡上必要とされるもの」7件となっています。
1980年段階だと司法処理基準は1~20までありました。具体的には
1 強制労働
2 中間搾取
3-(1) 賃金不払(定期賃金)(2) 賃金不払(退職金)
4 工賃不払
5 最低賃金
6 労働時間(坑内労働・有害業務)
7 労働時間(女子・年少者)
8 最低年齢
9 就業制限(年少者)
10 坑内労働(女子・年少者)
11 就業制限(免許・講習)
12 作業主任者未選任
13 健康診断(有害業務)
14 工事着手差止命令・計画変更命令違反
15 使用定置等命令違反
16 繰り返し違反
17 労働災害発生
18-(1) 特定機械等の製造許可(2) 構造規格(3) 検定
19-(1) 放射線被ばく線量測定(2) 放射線被ばく限度(3) 防塵マスクの備付(4) 酸素濃度測定
20-(1) ベンジジン等の製造等(2) ジクロルベンジジン等の製造(3) ベンゼン等の表示
表の灰色で塗りつぶした箇所は、内訳の合計と表の数字が一致していないもの。
この当時の基準は1978年7月からのもので、それ以前には「旧基準」がありました*5。上記表の「その他」は新基準になって削除されたものです。「労働時間等(自動車運転手)」は旧基準16「自動車運転者の労働時間等の改善基準関係」、「労働時間等(交通事故発生)」は旧基準17「交通事故発生」でした。
東京労働基準局(現・東京労働局)の『業務概要』が平成3(1991)年分まで確認できるのですが、司法処理基準は同様のまま変わっていないと思われます。
表は1990年の東京管内のついてのもの。かつては是正勧告が甲と乙の2種類あって、送検されるのは主に甲の場合だけでした。
これ以降の時代は表に出てきているのを知りませんが、70年代、80年代の司法処理基準はなんとなく掴めるのではないかと思います。
カネと命と女子供の保護が重要だと考えられていたというのは、それほど異論はないように感じます。一方で、今関心を持たれているような労働時間の問題は、送検するほどのものではないと考えられていたのかもしれません。
割増賃金違反の送検が増えていくのは、1991年の「所定外労働削減要綱」が出されたあたりからだと思いますが、これも労働時間問題というよりは賃金問題の側面がありますから。
32条の法定労働時間での送検が増えているのはごく最近の傾向と言ってよいかもしれません。
付言すれば、司法処理基準と罰則の重さとは別次元のことなんだろうと思います。
24条の賃金不払(法120条第1号)より32条の労働時間(法119条第1号)のほうが、重い処罰のはずですから。