ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

労災保険の適用拡大

労災保険は労働者を一人でも雇用する事業所であれば適用されます*1

とはいえ、現在のように労災保険が全面適用されるようになったのは70年代の話で、かつては非工業的業種や零細事業は、加入義務はありませんでした。

 

 

全面適用へ

労働者の災害補償について、戦前は工場法、鉱業法、労働者災害扶助法等によってそれぞれ別個に定められており、労働者一般をカバーするものではありませんでした。

 

それが変わったのが1947年の労働基準法の施行であり、すべての労働者が災害補償を受けられることとなりました。

これに併せ、労災保険法も制定されました。労基法の災害補償義務は事業主に課せられるものですから、事業主の負担能力によっては補償がしっかり果たされない恐れがあります。そこで災害補償の負担を社会保険化することにより、その問題の解決を図ったのでした。

 

当初の労災保険は、土木建築や一定規模以上の製造の事業など、災害発生の多い業種に限られていました。もともと労災保険労基法上の災害補償の給付水準が同一でしたが、労災保険の給付が充実してくると、労災に加入していない事業との補償水準の格差が問題となってきます。

 

こうした経緯もあって、1968年の労災保険施行令の改正によって、労働者5人以上のすべての事業について強制適用が実現し、その後69年の労働保険料徴収法改正、そして72年の労災保険法改正により、原則すべての事業が当然適用となりました。

72年の改正時は零細の商業、サービス業等については暫定任意適用事業として例外となっていましたが、75年の政令改正で労働者5人未満の個人経営の農林水産業を除いて全面適用が実現しました。*2

 

 

適用状況

70年代に労災保険の全面適用化が達成されたわけですが、それはあくまで制度上でのことに過ぎません。実際に加入事業場数が大きく増えたかどうかとは、あまり関係ありません。

 

そういうわけで実際の趨勢の把握のために、労災保険の加入事業場数、労基法の適用事業場数、経済センサス*3による常用雇用者1人以上の民営事業所数の推移をグラフにしてみました。(出所については後述)

 

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制度的には70年代を画期と見ることもできるでしょうが、実際の適用状況を確認する限り、大幅な変化というのは生じていません。労災保険の加入事業場数はあくまで漸進的に増加しており、それはそもそも全体の事業所数の増大とパラレルだったと言えるでしょう。

1973~76年にかけては153万事業場余りで推移していますから、全面適用が実現したタイミングでむしろ伸び悩んでます。

 

近年では2005年から費用徴収の強化を図り、「未手続事業主の一掃」が打ち出されています。

労災保険未手続事業主に対する費用徴収制度の強化について

 

「一掃」と表現しているのは勇ましいですが、では2005年前後で大きく変わったかと言われると、数字の上ではあまりそれは表れていません。

 

 

労働者の側から考えれば、たとえ事業主が労災保険の加入手続きを取っていなかったとしても、労災保険給付を受けることはできます。ですから上述したような「未手続事業主の一掃」というのは、保険料の徴収やモラルハザードの防止といった意味合いが強いと言えるかもしれません。

 

労災保険の加入が未手続となっているのは、多くの場合、零細事業だと思われます。

労災保険の適用労働者数と、雇用者(被用者)数を比べると、事業場数ほどには両者は乖離していません。

 

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ということは、多数の未加入事業がある一方で、それらの加入手続きを進めたとしても、大してカバーできる労働者の範囲が増えるわけではないということです。保険料徴収の増加という意味では、あまり経済的インセンティブは働かない、要するにコスパが悪いと言えるかもしれません。

 

人員組織的な面で言えば、1972年の全面適用に合わせて、雇用保険労災保険の徴収事務が一元化されました。だから適用事業が大幅に増えたうえに、徴収事務も変わったわけですが、その際の組織体制の問題はどうだったか。

……というのが少し気になるところですが、また別の機会に(やるかどうかわからん)。

 

 

出所についての捕捉

上記のグラフを作成するのに使った資料について、捕捉です。

 

労災保険の適用事業場数、適用労働者数については、労災保険の事業年報に記載のものを使いました。記載は年度末の数字についてであるので、他の数字と並べるときに1年後ろにずらしたほうが正確かと後で思いましたが、そうせずにそのままにしています。ですので、2016年の数字は、2016年度末ということになります。

 

また、事業所数の推移について、ここでは経済センサス(かつての事業所統計調査、事業所・企業統計調査)を使っています。調査頻度が変わっているので、調査時点は等間隔ではありません。

 

労働者を一人でも雇っていれば労災保険が適用されるので、その数字を出せればより正確になるかもしれませんが、統計の集計では従業員規模と常用雇用者規模の区分があるのみです。なのでここでは常用雇用者0人の事業所を除外した事業所数を載せました。

後に見るように厚労省が「労働基準法適用事業場数」として出している数字も、常用雇用者1人以上の事業場の数字ですので、それに倣う意味もあります。

 

もちろん、常用雇用者がいなかったとしても、臨時雇用等の形で人を使用していれば、労災保険(あるいは労基法)が適用対象になる場合はありますし、労災保険は特別加入の制度があります。その意味では、労災の加入対象となる事業所数はもっと多いと見るべきかもしれません。

 

上記グラフでは省いた常用雇用者0人の事業所がどれくらいあるかというと、これが結構な数に上ります。

下が常用雇用者規模別の事業所数の推移となりますが、零細事業が圧倒的多数であることが分かります。

 

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常用雇用者が0人の事業所は、80年代ごろまで全事業所の半数、2016年時点でも3割を占めます。

経済センサスは家事サービス業や零細の個人経営の農林水産業を調査対象に含んでいません。そのため、0人事業所の多さは、家族経営の自営業等の多さを示していると言えます。*4

 

 

労働基準法適用事業場数に関しては、「労働基準監督年報」(以下、監督年報)の各年版の数字を用いました。これも細かく説明するとやや煩雑になります。

現在の監督年報では、労基法適用事業場数を経済センサスから算出しています。それは前述の通り、常用雇用者0人の事業所を除外するという計算方法です。

 

ただし、かつては適用事業報告によってその数を把握・推計していました。

1978年改正(施行79年1月1日)により無くなってしまいましたが、かつては労基則58条により年1回の適用事業報告が義務付けられていました。これを基に適用事業場数をはじき出していたのだと思われます。

1980年版の監督年報では、出所について「総理府統計局「事業所統計調査報告(昭和53年版)」」と記されています。その後なぜか出所表記が消え、1986年の監督年報で「(注)本表は、事業所統計調査報告(総務庁統計局 昭和61年版)より算出したものである。」という注釈が付きました。

 

それ以前の、1964~72年の監督年報では「労働省労働基準局監督課「適用事業場数及び労働者数調」」と出所に記されています。1973年から85年は、前述の80年を除いて出所の言及がなく、調査も数年おきに変わっています。

前掲グラフで、途中から線が連続していないのは、調査・算出が毎年ではなくなったためです。

 

それから、(単に作業が面倒だったという理由だけですが)監督年報の数字も調査時点ではなく、年報の記載年でグラフを作成してしまっています。例えば1956年の監督年報には翌57年1月1日時点の数字が記載されているのですが、これを56年のデータとしてグラフは作っています。1962年の年報になると、翌年4月1日の数字が掲載されています。逆に55年以前の監督年報はその年の年末時点です。

監督年報の統計表は、暦年集計だったものが年度集計になり、また暦年集計に戻るという変遷を辿っているので、「現在時点」が揺れ動いているのもその辺りの関係かもしれません。

 

ついでに付け加えると、1955年以前の監督年報では、推定数と提出数の両方の数字が載っていました。適用事業届、適用事業報告の提出率は、当然ながら100%ではないので、提出数とは別に他の統計調査に基づく推計を記載していたのです。

その後はむしろ提出数のほうが不記載になってしまいましたが。

 

適用事業報告の提出率を見ると、1948年末が68.7%、49年9月が80.3%、55年末が89.9%です。

前掲グラフの「労基法適用事業場数」では、提出数ではなく、推定数を用いています。

この推計の方法については、1948年の監督年報において「右の推定数は、昭和22年10月1日現在の臨時国勢調査の事業所統計を基礎とし、これに各都道府県の特殊事情を勘案して算出されたものである」(46頁)とされています。

 

 

就業者数と雇用者数の推移は労働力調査による数値です。

作成の際には、以下のサイトのものを利用しました。

早わかり グラフでみる長期労働統計|労働政策研究・研修機構(JILPT)

 

 

 年表

法改正の経過について、労災保険事業年報に記載されている「Ⅱ労働者災害補償保険法の改正の経過」から抜き出しました。

――――

 

1949年6月1日施行 任意適用事業だった船舶による旅客又は貨物の輸送の事業を強制適用にした。(労災保険法改正)

1951年3月31日(鉱業法施行の日) 鉱業法の公布に伴い、砂鉱業が鉱業の中に含まれ、強制適用事業中の砂鉱業を削除。(労災保険法改正)

1955年9月1日施行 総トン数5トン以上の漁船による水産動植物の採捕の事業を新たに強制適用事業に加え、下請負人の請負に係る事業については、一定の条件により下請負人をこの保険の適用事業の事業主とした。(労災保険法改正)

同日施行 常時5人未満の労働者を使用する自動車による貨物の運送事業を命令で指定する強制適用事業に加えた。(労災保険法施行規則改正)

1965年8月1日施行 強制適用事業については、その事業開始の日又は強制適用事業に該当するに至った日から5日以内に保険関係成立届を提出させることにした。また有期事業の小規模建設業及び立木伐採の事業について自動一括適用の途を開くとともに、継続事業についても一定の条件のもとに一括適用の途を開くことにとした。(労災保険法改正)

同日施行 法第3条第1項第1から3号までに規定する事業以外で強制適用事業とするものについて指定。(労災保険法施行令改正)

同日施行 強制適用事業に係る危険又は有害な作業を指定。(労災保険法施行規則改正)

同年11月1日施行 中小事業に係る労災保険の事務処理の円滑化を図るため、労災保険事務組合制度を設けた。中小事業主、一人親方等で、労働者と同様な業務災害の危険にさらされている一定の者に対し、特別に労災保険への加入の途を開いた。(労災保険法改正)

同日施行 特別加入することができる事業主、自営業者の範囲を規定した。 (労災保険法施行規則改正)

1968年4月1日施行 常時5人以上の労働者を使用する事業のうち、従来任意適用事業とされていた事業をも強制適用事業としたもの。(労災保険法施行令改正)

1970年10月1日 家内労働者等について特別加入を認めた。(労災保険法施行規則改正)

1972年4月1日施行 労働者を使用する事業はすべて本法の適用事業とすることとした。ただし、政令で定めるものについては、保険技術上の要請から当分の間任意適用事業とすることとした。(労災保険法改正)

1973年10月15日施行 中小企業基本法等に規定されている中小企業者の範囲が改訂されたことに伴い、特別加入することができる事業主の範囲を拡大することとした。(労災保険法施行規則改正)

1973年12月1日施行 通勤災害を被った労働者及びその遺族に対し、業務災害の場合に準じた保護が加えられることとなった。(労災保険法改正)

1974年4月1日適用 (1)自走式田植機、(2)動力によって作動する脱穀機、カッター、草刈機、摘採機及び陽水機を使用して農作業を行う者を特別加入者の範囲に加えることとした。(農業機械に関する告示改正)

1976年10月1日施行 林業の事業又は医薬品の配置販売の事業に従事する者の特別加入を認めることとした。(労災保険法施行規則改正)

1977年4月1日施行 海外派遣者を特別加入者の範囲に加えるとともに、中小事業主等、一人親方等については、通勤災害に関する保険給付を行うこととされた。(労災保険法改正)

同日施行 一人親方等の特別加入者のうち通勤災害に係る保険給付の対象とならない範囲を定めた。(労災保険法施行規則改正)

1980年4月1日施行 再生資源取扱業の一人親方等の特別加入を認めることとした。(労災保険法施行規則改正)

1980年4月1日適用 動力剪定機、動力剪枝機、チェーンソー、単軌条式運搬機又はコンベヤーを使用して農作業を行う者を特別加入者の範囲に加えることとした。(農業機械に関する告示改正)

1981年4月1日施行 木工機械を使用する仏壇、木製食器等の製造、加工の作業等に従事する家内労働者の特別加入を認めることとした。(労災保険法施行規則改正)

1987年4月1日施行 労働者の通勤経路からの逸脱又は通勤の中断に関し、当該逸脱又は中断の後の往復が通勤とされる行為を日常生活上で必要な行為であって労働省令で定めたものとすることとした。(労災保険法改正)

同日施行 労働者の通勤経路からの逸脱又は通勤の中断に関し特例的に取り扱われる労働者の日常生活上必要な行為の内容について、具体的に定めた。(労災保険法施行規則改正)

1989年4月1日施行 事業主団体等に委託される職業訓練であって労働大臣が定めるものとして行われる作業を特別加入の対象に加えることとした。(労災保険法施行規則改正)

1991年4月1日施行 暫定任意適用事業となっている従業員5人未満の個人経営の農業の事業について、その事業主がその事業について特別加入している場合には、当然に労災保険が適用されることとした。(労災保険法改正)

同年4月12日施行 特定農作業従事者及び労働組合等の常勤役員として一定の作業に従事する者の特別加入を新設した。(労災保険法施行規則改正)

1995年4月1日施行 新たに就職しようとする求職者であった、事業主又は事業主の団体に委託して実施される職業訓練を受ける者の特別加入を認めることとした。(労災保険法施行規則改正)

1996年4月1日施行 国内の事業主が、国外において、労働省令で定める数以下の労働者を使用する事業に従事させるために事業主その他労働者以外の者として派遣する者を、特別加入者の範囲に加えることとした。(労災保険法改正)

1999年4月1日施行 労働基準法の一部改正に伴い、労働者災害補償保険法の適用事業の範囲の規定の整備を行った。(労災保険法改正)

1999年12月3日施行 中小企業基本法等に規定されている中小企業事業主の範囲が改訂されたことに伴い、特別加入することができる事業主の範囲の拡大を行った。(労災保険法施行規則改正)

2001年4月1日施行 介護関係業務に係る作業であって、入浴、排せつ、食事等の介護その他日常生活上の世話、機能訓練又は看護に係るものに関する特別加入制度を新設することとした。(労災保険法施行規則改正)

2006年4月1日施行 就業の場所から他の就業の場所への移動中の災害及び住居と就業の場所との往復に先行し、又は継続する住居間の移動中の災害を通勤災害保護制度の対象とすることとした。(労災保険法改正)

同日施行 (1)通勤災害保護制度の対象となる事業場間移動の起点たる就業の場所を定めた。(2)通勤災害保護制度の対象となる住居間移動の要件を定めた。(労災保険法施行規則改正)

2008年4月1日施行 通勤災害保護制度の対象とする日常生活上必要な行為として、労働者の家族の介護を加えた。(労災保険法施行規則改正)

2010年1月1日施行(日本年金機構法施行日) 従来、労災保険法の適用除外とされていた船員保険の被保険者を適用対象とすることとした。(労災保険法改正)

2012年1月1日施行 東日本大震災の復旧・復興作業に伴う特別加入している建設業の一人親方等が、工作物の原状回復事業又はその準備の事業に従事する際に被った災害を補償対象とした。(労災保険法施行規則改正)

2015年4月1日適用 回転翼航空機であって構造上人が乗ることができないもの(農薬、肥料、種子若しくは融雪剤の散布又は調査に用いるものに限る)を使用して農作業を行う者を特別加入者の範囲に加えることとした。(農業機械に関する告示改正)

*1:労働者5人未満の個人経営の農林水産業を除く

*2:以上、濱口桂一郎[2018]『日本の労働法政策』労働政策研究・研修機構、第2章第1節。山口浩一郎[2002]『労災補償の諸問題』有斐閣、8-10頁

*3:旧事業所統計調査、旧事業所・企業統計調査

*4:それが割合の面でも、絶対数の面でも減少し始めたのが80年代であるというのは、現代経済史の論点かもしれません。