ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

技能実習制度の理念

新たな在留資格をめぐる入管法改正に絡んで、にわかに外国人実習制度にも注目が集まっている感がある。

この制度については、当ブログでもすでに少し取り上げたことがある。

 

技能実習の監督指導状況 - ぽんの日記

技能実習生の失踪・労働災害 - ぽんの日記

 

ただ、制度そのものについて取り上げたわけではなかったので、ここに思う所を多少記しておきたいと思う。まとまった論考というよりは、雑記に近い。それを言えば過去エントリーだって、まとまった論考として書いたものばかりではないけれど。

 

 

外国人技能実習制度の廃止を求めるネット署名運動が始められた。

キャンペーン · 山下貴史 法務大臣: 外国人技能実習制度を今すぐに廃止してください · Change.org

 

外国人技能実習制度が問題含みであることは認識しているし、運動の側がこのような要求をすることは理解できる。

ただ、賛同人として大学教授の名が連なっているのは、少々複雑な気にさせた。制度に問題があるから廃止しろというのは、短絡的に感じるところもなくはない。

 

 

それが建前に過ぎないとしても、人材育成を通じた国際貢献技能実習制度の理念だ。本音と建前が、理念と現実が乖離しているのだとしても、その御旗を下してしまうことは忍びないところがある。

国際貢献」と書いたが、これは言うなれば先進国の責務、あるいは贖罪だ。先進国と途上国の格差を、技能移転を通じて解消しようという一つの試みだ。世界的な格差や貧困の存在を前にしながら、先進国の我々が豊かな生活を営むことに、多少なりとも罪悪感を抱くのならば、この理念自体には頷かざるを得ないはずだ。

 

もちろん、たとえ技能実習制度が理念通りに行われたとしても、それだけで南北問題が解決するわけではない。しかしたとえこれが偽善であっても、先進国の自己満足に過ぎないとしても、その理念に向けて一歩一歩進めていくしかないではないか。理念そのものを笑止千万だと切って捨てはしないではないか。

 

ところが、近時の技能実習生をめぐる議論の中で、どれほどこの理念が語られただろうか。

安い労働力が欲しいことを「人手不足」と言い換える経営サイドも気に食わないが、かといって、技能実習制度を一国主義的にしか捉えていない見方にも与したいとは思わない。

 

冒頭に貼ったリンクのように、「廃止せよ」と言うだけなら簡単だ。

しかしそれは、なぜ技能実習制度が国際的な建前を掲げているのか、本音が別のところにあったとしても、それ自体には頷かざるを得なかったような建前をどうして掲げているのか、ということを忘れ、一国主義的な価値観に閉じこもることにつながりかねない。

 

もういっそのこと、建前そのものも捨ててしまうか。そのほうが楽だから。

難民を受け入れるのも、技能実習を施すのも、この国の活力と余裕のなさでは夢想だと宣言してしまうか。

 

理屈で考えれば、技能実習制度など、企業側の持ち出しでしかない。

技能の無い労働者を受け入れて、仕事ができるようになった段階で元の国に持ち帰ってもらう。それが技能実習というものだ。

 

若者がすぐ会社を辞めてしまうという嘆きがあるけれど、それは会社の理屈としては分かる言い分だ。新卒で採った労働者をOJTで育てたのに、一人前になった段階で会社を辞められたら、会社が負担してきた教育コストが無駄になってしまう。

 

でも、それを目的としてやっているのが技能実習制度なのだ。普通にやったら教育コストは当然持ち出しになる。経済的には理屈に合わない。

だからこそこれは、「開発途上地域の「人づくり」の寄与」を謳っているのだ。割に合わない仕組みを、割に合うように歪めたら、そりゃ人権侵害も起こる。

 

では、理念そのものを取り下げてしまうか。

大学の知識人(というのはもう死語か)たちも賛同しているくらいだから、それをしたって排外主義とか一国主義だとかいうように、嘆かれることもないのだろう。