神林龍[2017]『正規の世界・非正規の世界』慶應義塾大学出版会の第4章「非正規の世界」について書きます。
本章での「無期非正社員」の描かれ方が気になったからです。
「無期」の用法
「無期」というのは、労働契約期間の定めがない、あるいは定年までの雇用を指すかと思いますが、本書では「常雇」を無期とみなしています。
現在頻繁に用いられているのは、期限の定めがないか期限が1年を超える「常雇」、期限が1年以内である「臨時雇」、期限が1カ月未満である「日雇」の3区分である。2005年の労基法改正まで、労働契約期間の上限は原則1年だったので、常雇にあたるのは事実上無期雇用の被用者だったとみなせる。(154頁)
昨日の「常用労働者の定義」というエントリーで書きましたが*1、世帯調査と事業所調査で常雇の定義は異なっています。なので「現在頻繁に用いられているのは……」という言い方は少し引っかかります。
あと、労働契約期間の原則の上限が3年になったのは2003年の改正(2004年施行)のはずなので「2005年の労基法改正まで」と述べているのは、著者の覚えちがいが誤植でしょう。
ともかく、法改正以後であるはずの2007年の就調の分析結果についても「無期雇用」という語を使い、グラフでも本文中でもずっとそれを用いて述べているのは、ミスリーディングであると思います。
法改正によって常雇というカテゴリーの持つ意味が変わってしまうのに、それに無自覚なまま「無期」という語を使っているように感じます。契約期間が3年の有期雇用であっても、この分析では「無期」として扱われていることになります。
本書では規制緩和と非正社員の関係についても多少言及していますが、契約期間という点については法改正の影響を論じていません。
非正社員は無期雇用が多い?
著者は非正社員の増加は無期雇用が多いということを述べています。
この減少幅は、無期非正社員の減少幅[ママ。増加幅の誤植では?]とほぼ等しい(177頁)
第4章の主張のメインは、非正社員とインフォーマル・セクター(自営その他)が負の相関関係にあるというところにあるので、私がここで書いているような有期・無期のちがいには、それほど関心がないということかもしれません。
しかしながら、増加した非正社員の多くが「無期」だという主張は危うさをはらんでいます。
昨日のエントリー(常用労働者の定義)では書き忘れていましたが、就調においても調査事項の変更がありました。
2007年までは「常雇」「臨時雇」「日雇」という聞き方をしていましたが、2012年では直接に雇用契約期間を尋ねるようになりました。
本書では、2007年の就調個票の分析結果を載せるのみです。2012年の就調を利用して分析していれば、異なる結果が出た可能性があります。
下の表は、2012年の就調のデータベースから集計表を作ってみたものです。
これによれば、非正社員のうち無期であるのは3割に過ぎず、「1年超」や「その他」「わからない」が、相当数存在します。
こういった層が本書の2007年までの分析では、「常雇」にカテゴライズされてしまっていた可能性をあります。
労働力調査でも、雇用契約期間を調査するようになったことは昨日書きました。
まだ年集計結果は出ていないので4半期の結果を載せます。
先ほどの就調と違って、こちらは正規・非正規を込みにした数字です。有期雇用の多くは非正規雇用であるので、その中の割合を見る分には問題ないでしょう。
こちらの調査でも「1年超」「期間がわからない」「雇用契約期間の定めがあるかわからない」がかなり存在していることが窺えます。
以上の結果を見るに、契約期間1年超を「無期」とみなすのにはやはり問題がありますし、「有期非正社員」よりも「無期非正社員」のほうが多いと主張は、かなり懐疑的でしょう。
雇用契約期間への関心
以上の問題は、そもそも著者が「常雇」区分を契約期間の区分と捉えていることから生じているように思います。
……[厚生労働省系の事業所調査は]常雇と臨時・日雇という2区分が用いられてきた。おおむね契約期間が有期か無期かで区分していたといってよい。/中略/
厚生労働省系の統計も……労働法規制と直接対応する無期・有期という行政的観点が採用されていたとまとめられる。(155頁)
昨日のエントリーで記したように、厚生労働省の「常雇」の定義は「1か月超」というものに過ぎないので、これを「有期か無期かで区分していたといってよい」なんていってはいけません。
「無期・有期という行政的観点」というのも違うでしょう。「常雇」の概念は、「常時使用する労働者」か否かを判断する点にあって、雇用契約期間に着目したものではないと考えるべきです。
たしかに定義的には雇用契約期間の長さが含まれてはいるのですが、これまで「従業上の地位」(自営業か被用者か、など)の調査としてなされてきたことからもわかるように、常雇と臨時・日雇の区分は、決して契約期間に主たる関心があるわけではありません。
これを契約期間による定義だと一貫して著者が扱っていることが、齟齬を生んでいるのではないでしょうか。
ここからは、ついでの話。私の研究とちょっと絡めて。
雇用契約期間に対する関心が社会的・行政的に低かったことは、労働基準監督機関による指導状況にも表れているように思います。
図は1956年以降の定期監督での違反事業場比率の推移です。それぞれ手続的違反の規定ですが、労基法15条(労働条件明示義務)による違反率が増加するのは2000年前後となっています。それ以前は是正勧告をほとんどしていなかった(できなった)のです。
労働契約期間について、書面による明示義務ができたのは、1999年に法改正が施行されて以降です。1966年から1980年にかけては、15条違反の件数は集計さえされていません。
そして、労基法14条(契約期間)の違反事業場数は、1949年が1,610件(定期監督以外の監督を含む)、65年が3件にとどまりました。現在は集計されていません。
そもそも有期雇用問題が関心を集めるようになったのは比較的最近のことで、それ以前は契約期間について把握する強い動機はなかったといえます。
なので「労働時間による定義と並んで古くから用いられているのは労働契約期間による定義である」(154頁)というのは、少々違和感を覚えます。
定義の問題に関しては、パートタイマー(短時間労働者)についても
この定義自体は、雇用保険法の変更など法律上の定義をそのまま取り入れたもので、賃金センサスへの採用のタイミングも、1968年の法改正と並行していた(152頁)
ここの記述が気になったんですけど。
1968年ということは雇用保険法ではなく失業保険法ですよね。そして当時問題となったのは、季節的労働者などの短期被用者対策ではないでしょうか。
濱口桂一郎[2018]『日本の労働法政策』から引用しておくと
1989年6月に行われた改正は……社会保険制度の中で先駆的にパートタイム労働者を適用対象に含めた改正であり……。/これにより雇用保険制度に短時間労働被保険者という概念が導入された(165-166頁)
パートタイム労働者の概念が取り入れられたのは1989年ということになりますし、このときの定義は相対水準と絶対水準の両方を使っていますので、「法律上の定義をそのまま」とも違うように思います。
正規の世界・非正規の世界 ーー現代日本労働経済学の基本問題 [ 神林 龍 ]
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*1:というかなぜ昨日これを書いたかというと、今日のこのエントリーのためでした