出版の歴史を語るのはとても手に余るが、折角だから「文庫・新書の創刊のことば」を、辿って感じたことを記しておく。
「文庫・新書の創刊のことば」が気になる人は、先に以下を
その前に
前提的なことも少し述べておいたほうがいいかなという気もする。
「文庫・新書の創刊のことば」を眺めるのに少々ハマっているのだけれど、当然ながらすべてのレーベルに目を通すなんて出来ていない。
雑誌については完全スルーしている。
日本の出版社は「雑高書低」と長らく言われてきたが、そうなったのは1976年以降のことだ。高度成長期のあと、本格的な消費社会が訪れてからということか。
ただし、「雑高書低」だからといって、書籍が伸び悩んでいたわけでは決してない。出版市場はずっと拡大している。縮小し始めるのは90年代後半である(部数だと、書籍は80年代後半から)。それまでは基本的には拡大し続けてきた。
逆に、最近は「雑低書高」だと言っても、本が売れるようになったわけではない。雑誌の落ち込みがひどいということだ。
出版も基本的には営利事業であるゆえ、ビジネス的なことも言及すべきかもしれないが、以降ではほとんどそういったことには触れないので、初めにここに書いておくことにした。
出所)難波功士『創刊の社会史』11頁および『出版指標年報』*1から作成
啓蒙、解放、大衆化
戦前~敗戦まもなくの時期は、創刊の辞に似通った傾向がある。
簡単にまとめるなら、①知の特権階級の打破を理念に、②平易に分かりやすく、③廉価で手に取りやすい形態で提供すること、を謳っていることが多い。
特権階級の打破というと時代がかって聞こえるかもしれないが、〈知〉の大衆化や民主化、普及という趣旨は言及されることが多い。
そうした①の理念を実現する手段が、内容面でいえば②であり、外形面でいえば③になる。
戦前刊行の新潮文庫、岩波文庫はもろ①を述べている。小型であることや廉価であることを謳っているのも、この時期の創刊の辞の特徴と言える。文庫・新書というのは、出版ビジネスにおける1つの革新であり、それ自体真新しかったからだろう。
薄利多売のビジネスモデルともいえるが、このころは普及・大衆化の旗印のほうが大きかったに違いない。
新潮文庫(1914年)
久しく一部專門の士の間にのみ親しまれたる泰西の名著は、斯くして完全に一般的讀物たることを得ん。『新潮文庫』の期するところ卽ちこゝに在り。
今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。
……いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し……携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。
岩波全書(1933年) 、三笠全書(1938年)は学術に関してそれを行おうとした。
「平明なる表現に圧縮し之を簡易なる形式に盛りて定価を廉にし*3」(岩波全書)とか、「平易なる表現に壓縮し、且つ簡易なる形式に盛り」(三笠全書)と、ともに②③に触れている。
有斐閣全書(1948年)も「その深奥な學識を平易な表現に凝集し、萬人に親しみ易い體裁に於て、廉價に一般向學の士に獻じて」だし、岩波少年文庫(1950年)「内容にも装釘にもできる限りの努力を注ぐと共に、価格も事情の許す限り低廉にしてゆく方針である」としている。
「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった」から始まる角川文庫(1949年)も同様。
岩波文庫が「外観を顧みざるも」と述べていたのと比べると、「美本」と宣言しているのは新しいか。
……これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。
光文社のカッパ系が、「いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価」(カッパ・ブックス1954年)、「文学を一部の愛好家だけのものから開放して」(カッパ・ノベルス1959年)と謳っている。
しかし総じていえば、①について「奪い返す」とか「開放」の表現をすることは少なくなっている。価格についても、以降の時代は言及されなくなる。文庫が広がったために、低価格であることの訴求力が落ちてきたからだろうか。
②の分かりやすさがその後もしばしば言及されるのと対照的に、外形的な部分に関わる③はめっきり少なくなる。
たとえば有斐閣双書(1964年)が「表現は平易,簡潔に,内容は必要にして十分なコンパクト」、旺文社文庫(1965年)が「読むに価値あるものを、でき得るだけ楽しく、消化しやすく、読みやすく提供することは出版社の義務である」とは謳っているものの、価格にまでは触れていない。
大衆化路線の講談社は、「科学をあなたのポケットに」のブルーバックス(1963年)や、「教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません」と謳う現代新書(1964年)があり、①②を強く意識していると思われる。
とはいえ、やはり価格的な言及はない。
講談社学術文庫(1976年)
これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。学術は少年の心を養い、成年の心を満たす。その学術がポケットにはいる形で、万人のものになることは、生涯教育をうたう現代の理想である。
こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。しかし、それはいずれも学術の新しい在り方を解しないものといわざるをえない。
講談社まんが学術文庫(2018年)
哲学や宗教は何千年前から人類に必要なもの、人類の知恵だったはず。難解であるが故に我々の多くにその神髄が伝わっていないのは大変もったいない話です。またその人類の知恵が一部ディレッタントだけの所有物になっているとすれば悲しむべきことです。それを求める人々、それを必要とする人々に享受されるべきであろうと考えます。
価格について触れているのは、児童書出版だったりする。
偕成社文庫(1975年)
具体的には第一に埋もれた良書の再発掘をふくめて一定水準以上の作品を継続的に供給し、第二に印刷造本の簡素化により低廉な価格の実現をはかろうとするものである。
ポプラ社文庫(1976年)
ここに文庫の形式をとり、選ばれた名作を、更に読みやすく、廉価版として読者の座右におくることにした。
それ以降だと、ハヤカワ新書juice(2009年)が「手に取りやすいサイズと価格で」「環境にも配慮した造本」「読みやすい活字の大きさ」と広く外形面の方針を示している。
混迷、激動、さまよえる現代人
変化の激しい時代というのは、それ以前もそうだったはずだ。社会の変化の大きさで言えば、安定成長期よりも高度成長期のほうが大きかったに違いない。
けれども不透明感を感じることは以前に増すようになったかもしれない。
単純に啓蒙主義を掲げるだけではいけなくなった。良書、名著を普及させようという理念がなくなったわけではないだろう。
しかし文化的進歩主義への信頼というよりは、先行きの見通せない時代との対峙という面が強くなっているように思う。
岩波新書(1970年)
いまや一九七〇年を迎え、戦後の歴史はふたたび大きく転回しようとしている。国際的にも国内的にも未曾有の変動を経て、今日私たちは、戦争直後とは全く一変した政治的・社会的現実に当面し、かつてない深い思想的混迷をも迎えている。
岩波新書(黄版1977年)
戦後はすでに終焉を見た。一九七〇年代も半ばを経過し、われわれを囲繞する現実社会は混迷を深め、内外にかつて見ない激しい変動が相ついでいる。
岩波現代選書(1978年)
すでに一九八〇年代を目前にして、われわれは未だに来るべき世紀末の態様を予見し得ず、新世紀への積極的な展望を持ち得ていない。世紀と世紀との間に存在する谷間にあって、混迷は年を追って深まる。しかも、歴史の歩みは異常に早く、また、地球上の一隅に生じた変化は、そのまま世界的な変化と連動する。その成因も対処の方途も、かつて人類が歴史として持ち得た経験を越える。思うに、われわれは大いなる歴史的転換期としてのこの「現代」に立ち臨んでいるのであろう。
惑ってんな、岩波。
講談社文庫(1971年)
世界も、日本も、激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して、未知の時代に歩み入ろうとしている。……
激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年間の出版文化のありかたへの深い反省をこめて、この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする。
なお、見出しにとった「さまよえる現代人」というのは、光文社古典新訳文庫(2006年)が使った表現である。
冒頭に書いたように、統計的には本が売れなくなるのは90年代からとなる。それまでは出版市場は雑誌も書籍も拡大を続けていた。
とはいえ「活字離れ」ということ自体は、60年代か70年代にはすでに囁かれるようになっていた。
このころの「活字離れ」というのは、カタい本が手に取られなくなったことである。
敗戦後の「本への飢え」というのは凄まじく、1947年に岩波書店が出した『西田幾多郎全集』に徹夜の長蛇の列ができたというエピソードがあるとか。
今さらだけど、私が語るよりも津野海太郎『読書と日本人』を読むほうが、よっぽど広い視野と豊富な知識で語ってくれてると思うから、そっち読んで。
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カタい本、大きな理念が訴求力を失っていって、代わりに消費に価値を見出すようになった。それが大衆消費社会ということになる。
活字離れについて触れているのは、カドカワ・ノベルス(1981年)だった。
カタい本は敬遠されるようになっている。しかし娯楽としての本の市場は、まだまだ拡大しているのだった。
雑誌がヴィジュアルになり、ヴィデオ・ディスクやカセット・ヴィデオの発達、コミック文化の普及によって、近未来は活字離れになろうと予測されてきた。しかし、小説自体が劇画的要素を取り込み、映画やテレヴィ等の映像との連動によって、かえってベストセラーを生む結果となった。活字は映像と競合するのではなく、活字それ自体の娯楽性で競合するのである。
カドカワ・ノベルスを例外とすれば、文庫・新書等の創刊の辞で、活字離れに論及しているものは、見当たらない(私の観測範囲内でだが)。
売れる、売れないというようなことをあからさまに語るのを避けているのかもしれない。
情報化
岩波新書(新赤版1988年)
溢れる情報によって、かえって人々の現実認識は混乱に陥り、ユートピアを喪いはじめている。
消費社会化や情報化は、「本」というメディアの性格を変えた。
かつて〈知の開放〉を訴えたころは、実のところ書籍という媒体自体も特権的な地位にあったということができるかもしれない。
情報化の進展はその状況を変えた。おのずと本に求められる役割も変わってくる。荒れ狂う情報の波に流されず、思索や内省を深めるという側面が強調されてくる。
60年代にその趣旨を述べた中公新書(1962年)が、このなかでは早い例か。
……だが、その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない。現代を真摯に生きようとする読者に、真に知るに価いする知識だけを選びだして提供すること、これが中公新書の最大の目標である。
歴史文化ライブラリー(1996年)
現代は、マスメディアが発達した高度情報化社会といわれますが、私どもはあくまでも活字を主体とした出版こそ、ものの本質を考える基礎と信じ、本叢書をとおして社会に訴えてまいりたいと思います。
角川選書(1968年)では「流行を追っての刊行物は、どれも類型的で、個性がない」と断じている。
これは創業者・角川源義の言だったが、その30年後には次男・歴彦も「流行のなかに不易を求め、古きを温ねて新しきを知ることは出版文化に携わる者の使命でもあります」(角川叢書1998年)と述べている。
出版と情報化の関係で、もうひとつ言及しておくなら、書き手と読み手の距離が縮まっていることかもしれない。講談社選書メチエ(1994年)は「人は書き手になることで熟練の読み手になる」と述べている。
これの一昔前だったら、ここまで述べられただろうか。
講談社には同じく学術を出すレーベルとして講談社学術文庫(1976年)があった。こちらも「学術をポケットに」というコンセプトではあるが、創刊の辞にはまだ権威の匂いが残っている。
メチエは文章自体も〈ですます調〉になっており、書き手・出版社と読者の距離は近づいている。
90年代から、読者とともに歩む、一人ひとりの手助けをする、寄り添う、という姿勢も目立つようになる気がする。
これも啓蒙の時代とは異なるものだろう。上から何かを指し示すのではなく、ともに考えていこうという立場。この背景としても、読み手と書き手の距離が近づいたことを言えるかもしれない。あるいは個人(主義)化が進んだか。
ちくま新書(1994年)
「ちくま新書」は、そんな読者のみなさんの必要と関心にまっすぐにはっきりと応答し、読者自身の思索を支援する、小さなしかし強力なチューター群です。
PHP新書(1996年)
それは、先達が培ってきた知恵を紡ぎ直すこと、その上で自分たち一人一人がおかれた現実と進むべき未来について丹念に考えていくこと以外にはありません。……この新たな旅を読者と共に歩んでいきたいと思っています。
岩波現代文庫(2001年)
いまや、次々に生起する大小の悲喜劇に対してわれわれは傍観者であることは許されない。一人ひとりが生活と思想を再構築すべき時である。
青春新書インテリジェンス(2005年)
予測のつかない時代にあって、一人ひとりの足元を照らし出すシリーズでありたいと願う。
岩波新書新赤版(2006年)
そのために、いま求められていること――それは、個と個の間で、開かれた対話を積み重ねながら、人間らしく生きることの条件について一人ひとりが粘り強く思考することではないか。
そういえば、竹中平蔵の言葉を見つけたぞ。
FIF叢書(2000年)
ビジョンは、一部の為政者に委ねてしまうべきものではなく、国民の1人ひとりが世の動きを自分のこととして受け止め、議論することによって形成されるべきものです。
フジタ未来経営研究所(FIF:Fujita Institute of Future Management Research)
児童書
児童向けのレーベルについても触れておこう。児童向けレーベルは、巻末に創刊の辞を載せているのが非常に多い。
小説系のレーベルで創刊の言葉があるのを並べてみると、カッパ・ノベルス(1959年)、ノン・ノベル(ノン・ブック)(1973年)、カドカワ・ノベルス(1981年)、電撃文庫(1993年)くらいのものかなと思う。
それに比べると児童向けは打率が高い。
岩波少年文庫(1950年)
少年少女講談社文庫(ふくろう文庫)(1972年)
偕成社文庫(1975年)
ポプラ社文庫(1976年)
岩波ジュニア新書(1979年)
フォア文庫(1979年)
角川つばさ文庫(2009年)
集英社みらい文庫(2011年)
小学館ジュニア文庫(2011年)
静山社ペガサス文庫(2014年)
きっと子どもには理想を語りたがるのだろう。子どもの内からレーベルや出版社のファンになってもらおうという作戦かもしれない。
ただし上記のうち、岩波ジュニア新書は、「ジュニア」とは冠されているが、オールエイジを対象としているようだ*4。
その証拠(?)というか、ジュニア新書はほかの児童向けレーベルと比べルビが少なかったはずだ。ライトノベルの電撃文庫のほうが、たぶんルビは多い。
ただし電撃文庫の創刊の辞自体にはルビはついていない。
児童向けレーベルで気づくのは、70年代から80年代にかけての創刊が多いこと。
オイルショックの紙事情で、児童書も小型化*5を求められたなんて話より、第二次ベビーブームを見据えてじゃないかとか思ったりする。
2010年代に入ってから、再び創刊が相次いだ。横並びの競争を意識しているのか。
ちなみに集英社文庫・新書や小学館文庫・新書の巻末には、創刊の辞は掲げられていない。岩波、講談社、角川、PHPが多いのに比べると、集英社・小学館は創刊を謳わないようだ。
でも児童向けレーベルにはあるという。。。
武器、実践としての知
90年代以降の情報化を述べたところで、個人(主義)化というようなことも書いた。
それと軌を一にしてか、〈知〉を武器や道具、実際に役に立つものとして捉える流れが増えてくる。
古典・教養としての〈知〉というよりも、常識・情報、知恵としての〈知〉といった感じか。
現代ビジネスマンを対象としたPHPビジネスライブラリーは、PHP新書より早い1981年。三笠書房初の文庫となる知的生き方文庫が1984年だ。
知的生き方文庫
本文庫は、読者の教養・知的成長に資するとともに、ビジネスや日常生活の現場で自己実現できるよう、手助けするものである。そして、そのためのゆたかな情報と資料を提供し、読者とともに考え、現在から未来を生きる勇気・自信を培おうとするものである。また、日々の暮らしに添える一服の清涼剤として、読書本来の楽しみを充分に味わっていただけるものも用意した。
メチエはすでに触れたが、中公新書ラクレや岩波アクティブ新書も、「鍵」や「知恵」という言葉を使っている。それぞれ中公新書や岩波新書と比して、〈軽量化〉しているといえるだろう。
講談社選書メチエ(1994年)
フランス語でメチエは、経験によって身につく技術のことをいいます。道具を駆使しておこなう仕事のことでもあります。また、生活と直接に結びついた専門的な技能を指すこともあります。
中公新書ラクレ(2001年)
「中公新書ラクレ」は小社が19世紀、20世紀という二つの世紀をまたいで培ってきた本づくりの伝統を基盤に、多様なジャーナリズムの手法と精神を触媒にして、より逞しい知を導く「鍵」となるべく努力します。
岩波アクティブ新書(2002年)
しかしいま必要なのは断片的な情報ではなく、実際に試しながら繰り返し頼りにできる情報です。現代人の生活の知恵ともいうべき知識です。メディアは多様化していますが、そのような手応えのある知識を得るために、書物は依然として強力なメディアです。
日経BPクラシックス(2008年)が「一般教養としての古典ではなく、現実の問題に直面し、その解決を求めるための武器としての古典」と述べ、星海社新書(2011年)がそのまま「武器としての教養」を打ち出しているのは、より顕著な例だろう。
古典、原点回帰
古典ブームも一つの流れか。
温故知新的に古典を読みなおそうという意味では、中公クラシックス(2001年)、光文社古典新訳文庫(2006年)、日経BPクラシックス(2008年)はその系譜。岩波現代文庫も、創刊の辞を読むと、これの流れに近い。
岩波現代文庫(2001年)
それゆえ先人たちが第二次世界大戦後の諸問題といかに取り組み、思考し、解決を模索したかの軌跡を読みとくことは、今日の緊急の課題であるにとどまらず、将来にわたって必須の知的営為となるはずである。
岩波現代文庫は、これらの学問的、文芸的な達成を、日本人の思索に切実な影響を与えた諸外国の著作とともに、厳選して収録し、次代に手渡していこうという目的をもって発刊される。
もうひとつは、出版の歴史そのものを振り返ったり、会社創業の理念に立ち返ったりしたもの。
たとえば電撃文庫(1993年)は、レクラム文庫やペンギンブックスを持ち出したうえで、文庫が「小さな巨人」だったと述べる。
角川叢書(1998年)は「角川書店は創業五十年の伝統をふまえて……」
中公新書ラクレ(2001年)は中公新書創刊の「原点を再確認」
岩波現代全書(2013年)は「「岩波全書」の理念を継承」
ポプラ新書(2013年)は「ポプラ社は創業の原点にもどり」
二十一世紀を迎えて十年が経過した今もなお、講談社の中興の祖・野間省一がかつて「二十一世紀の到来を目睫に望みながら」指摘した「人類史上かつて例を見ない巨大な転換期」は、さらに激しさを増しつつあります。
と述べている。
これは講談社文庫(1971年)からの引用である。
角川の新文芸宣言(2015年)は「かつて「知」と「美」は特権階級の所有物でした」との言から始まる。この言い方は新潮・岩波の文庫のところですでに触れたが、それを彷彿とさせる。
また鉄筆文庫(2014年)では、角川文庫創刊の辞(1949年)を引用している。
西洋古典の翻訳を目玉にしていたころを急進的、進歩的と呼んでよいかは分からないが、こういった古典や原点回帰の流れを見ると、〈本〉というメディアそのものが、相対的に保守的になった(ならざるをえなかった)のだろうなとは思う。