ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

労災保険の請求期間

労働者災害補償保険事業年報」(以下「労災保険年報」とする)に発生年度別の保険給付支払状況という表が載っている。

以前にも若干当ブログで取り上げたが、改めて検討する。ただ、決して謎が明らかになったとかではない。

 

 

さて、「発生年度」とはどういう意味か。

私はそれを、ここではあえて詳しい説明をしない。説明するのが面倒くさいからではない。労災保険年報自体に、それに関する説明が載っていないからだ。

 

もし私の見落としだったら教えてください↓

平成29年度労働者災害補償保険事業年報|厚生労働省

 

 

常識的に考えれば、「発生」とは労働災害の発生であろう。

労災保険給付を受けるには、被災労働者やその遺族が請求を行う必要がある。迅速な支給がなされるべきではあるけれど、請求手続きが遅れたり、業務上か否かの審査のために時間がかかったりということが起こりうる。そうなると労災事故が発生した時期と、労災保険の支給決定がなされる時期に、時間的なズレが生じることになる。

また、療養・休業が長期にわたっていたり、障害年金を受給している場合には、労働災害の発生時期と保険給付の支払を受ける時期の時間差は大きくなるだろう。

そういう時間的なズレの状況を把握するために、発生年度別の保険給付支払状況を集計しているのだと思われる。

 

 

本題に入る。

この発生年度別の統計を見ていて、気になることがひとつある。具体的にグラフで示そう。

 

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この図は労災保険給付のうち、葬祭料についての発生年度別の支払状況を表したものだ。葬祭料とは、労働者が業務上死亡した際、葬祭を行った者にその費用として給付されるもの。*1

 

グラフは1970~90年度は10年おき、また2003、2006~09、2011~2014年度のデータが欠けているが、これは単に私が面倒くさかっただけである。

 

しかしながら、このデータの不連続性とは別に、1996年度と97年度には明らかな断絶が見られる。

96年度に葬祭料の給付が支払われたもののうち、当年度(96年度)中に発生した災害によるものは6割あった。反対に、その5年度以前(91年度以前)の被災によるもの5.6%にすぎなかった。

それが97年度になると、当年度中のものが36%と急減し、5年度以前のものが25と急増する。

 

同様の傾向は遺族補償一時金にも見出すことができる。*2

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長期的な推移として考えるならば、労働災害の中身傾向がケガ負傷から疾病へと変わってきたことを一因と考えることはできる。工場の機械設備でケガをしたというようなケースと比べると、精神疾患であるとか腰痛・頚肩腕症候群であるとか、じん肺や職業がんというものは、業務が原因となっているのか否かの証明が難しくなるからだ。請求や労災認定までの時間が結果として長くなるだろう。

 

ただ、以上述べたことは長期的な傾向としては指摘することができても、短期的な現象を説明するものではない。96年度から97年度にかけておきた急激な変化をこれで説明することはできないだろう。

 

負傷から疾病へのシフトは他のデータを見たほうが分かりやすいかもしれない。

しかし以下のデータでは96/97年度の急激な変化は現れておらず、この現象が見られるのは死亡事案に関わるものだといえるかもしれない。(ほかの給付に比べれば、葬祭料は絶対的な件数自体が少ないので、グラフにすると変化が如実に見えるというのもあるのだろう)

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受給までの期間に影響しそうなものとして、時効が考えられる。

労災保険給付の請求権は、療養、休業、葬祭の給付は2年、障害、遺族の給付は5年の時効がある。

この時効の起算点は、休業であれば休業した1日ごとだし、葬祭・遺族の給付であれば死亡した日からとなる。

職業病のように、業務上か否かがすぐに判明しないものについては、業務上の疾病であることを覚知した時点とする判例がある*3

 

労災保険年報のデータは「年度」で集計しているため、時効とは必ずしも一致しない。当年度~翌年度中の給付が多くなっているのは時効の存在が大きな要因だろうが、一方で96年度以前の遺族補償一時金は、時効が5年にも関わらず9割以上が2年度以内の受給となっている。

 

また、時効の期間はとくに変更されていないはずなので、やはり96/97年度の変化を説明するものではない。

 

 

ここまででいったん整理しておこう。

労災保険給付の発生年度別支払状況について、96/97年度で劇的な変化が生じている。ただしその変化は、葬祭料、遺族補償一時金という死亡事案に関わるものに限定される。

この現象の背後にあるものとしては、①労災発生の状況が実際に変わった、②労災保険の制度や運用が変わった、③労災保険年報の集計方法が変わった、といった理由を考えることができる。

 

上述したとおり、変化は単年度で生じているから、①は少々考えづらい。

②については、少なくとも法令上は時効の変更などは行われていない。

③が真相だった場合はただただやるせない。それだったら年報のほうにそう書いておくべきだ。無駄に頭を悩ませた私の時間を返してほしい。

 

これらの点をもう一歩だけ考えるために、今度は件数を絶対数で示そう。上記のグラフ群は合計が100となるよう割合を示したものにすぎなかった。戻って支払件数のデータで見てみよう。

それが下の図になる。

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関心である96/97年度の変化に注目しよう。

全体の給付件数は大きく変化していない点が重要に思える。

当年度中の給付が大幅に減る一方で、5年度以前に発生した労災への給付はその分増えている。具体的数字を拾うと、96年度から97年度にかけて、「当年度」は958件減っている一方で、「5年度以前」は723件増えている(「1年度前」は横ばいで、2~4年度前はそれぞれ増加)。結果として全体の件数では微減となっている。

 

この点から見ても、(運用上の)時効が延ばされたというような変化ではないことが分かる。もし仮に時効期間が改正されて長くなったとかの変化があったとしても、それで「当年度」の件数が減少することはないので、全体の件数は増えるはずだからだ。

 

こうするとますます集計方法を変えたのではないかという気がしてくる。

たとえば、労災で傷病補償年金等を受給していてその後死亡したというようなケースで、「発生年度」をこれまで死亡時点でカウントしていたのを、傷病時点に変えた、とか。

 

 

*1:業務災害の場合には葬祭料、通勤災害の場合には葬祭給付と異なる名称が用いられているが、このグラフは両者を合算したものである

*2:遺族補償一時金は、労働者が死亡した際に遺族補償年金を受けることができる遺族がいないとき、または年金を受けていた遺族がその受給資格を失い、ほかに年金受給資格者がない場合でそれまで受給した年金額が一時金の額に達しないときに給付される

*3:昭和56・4・15名古屋高裁金沢支部 高岡労基署長事件