ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

『アニメーターはどう働いているのか』

著者が以前著した『アニメーターの社会学』の次弾。

 

 

 

しかしどうだろう。前著はアニメーターの働き方について、やりがい搾取だと単純化して論じられることへの批判があった。そういうアンチテーゼを明確に意識できたからこそ読み応えを感じることができたように思う。

今回はどうかというと、仮想敵をでっち上げて自らの主張の土台固めを行っているように感じてしまった(前著と比べ相対的に)。学術的な基礎付けに腐心するあまり、むりくりな論じ方になっている気がしないでもない。

 

こんな記述があった。

つまり、X社の事例全体において示されているのは、個人の裁量を尊重するようメンバー同士が努める結果として労働時間が長くなっている可能性があるということであり、この現場に労働時間を短くせよと述べるのは相当に安直な方針を示していることになるということだ。(163頁)

アニメーターの労働問題を論じている人たちって、そんな時短を声高に叫んでたっけか。

たしかにアニメーターの長時間労働も問題視されているけれども、それって賃金や単価が低いために長く働かざるを得ない状況が論じられているのではなかったか。私はアニメーターの労働問題に関して、労働時間よりも低賃金を問題視している人が多いと思っていたのだけれど、違っただろうか。もし生活するに十分な報酬を得ていて、かつ本当に仕事への裁量があったなら、労働時間は自然と短くなるのではないか。それは著者が示したX社の職場秩序のもとでもそうなると思うし、仮に十分な待遇であれば「労働時間を短くせよ」とあえて言う必要もないと思うのだが(極端な過重労働でない限り)。

 

どうも著者とは出発点から異なっているようだ。

前著では個々のアニメーターの職業規範や論理を対象としたから、今回は組織や集団の側面に着目する。ここまでは理解できるのだが、その次の発想が異なっている。「なぜアニメーターはフリーランサーとして享受できるはずの自由を取らずにスタジオという場所で働きつづけているのだろうか」(ⅲ頁)、「定式化していえば、本書の問いはあアニメーターたちはいかにして職場における自由を担保しているのか、そして仕事上の不安定性に対処するコミュニティをいかにして維持しているのか、という二つの問いに集約することができる」(13頁)と著者は投げかける。

どうもフリーランスであることは前提とされているように思える。そもそもアニメーターの働き方は本当にフリーランスと言えるのか? 規制逃れ(社会保険料の負担や最低賃金など)のためにフリーランスと見なされているだけではないのか?

アニメーターの正社員化を訴えたら「そんなことしたら、スタジオが潰れる」なんて反論は、その是非はともかくありふれたものであるように思われる。アニメーターをフリーランス扱いしている(せざるを得ない)最大の理由は、それではないのか。これは私が印象としてそう思ってるだけで学術的裏づけのある主張ではないけれど、だからこそその「先入観」を問うてほしいのだが。

著者も触れているように、アニメの制作は本来的に集団的な営みである。イラストレーターが一枚絵を売るのとは違う。膨大な枚数を作画する必要があり、作品内で絵柄は統一されていなければならない。その人しか描けない個性的な絵ではアニメーションにならない。作画打合わせやチェックは欠かせない。その働き方は果たして典型的にイメージするようなフリーランスの働き方と言えるだろうか。むしろ「雇用」組織の働き方に近いのではなかろうか。

 

本来雇用関係として成立しているべきなのに、フリーランスを擬態しているのではないかと疑問に思うことは、さして突飛な考え方ではないように思う。もちろんアニメーターが騙されている、搾取されている、という単純な話ではなくて、フリーランスという立場を逆手にとって裁量性を確保することもあるだろうし、作品の受注(仕事の確保)という点でフリーランスのほうが都合が良いということもあるかもしれない。だからフリーランスという形態がアニメーターの働き方をめぐる論点であることはたしかだ。しかしその論点に真正面から取り組むとするなら、「アニメーション制作のプロセスは本来的に集団的・組織的な働き方を要請するにもかかわらず、なぜアニメーターはフリーランスという形態をとっているのか」がまずもって問うことではないのか。

アニメーターは「フリーランスなのに集団的に働いている」ことが特徴なのか。フリーランスが多いという前提知識を抜いて、虚心坦懐にアニメーションの制作過程についての説明を受けたら、自営業・業務請負の働き方よりも雇用組織をイメージすると思うのだが、それは私の先入観のせいだろうか。「集団的な働き方なのにフリーランス扱いされている」ことが、この業界についての素朴な疑問だと思ったのだが。

 

もちろん最終的な結論として、実態としてもフリーランスの働き方であるとか、フリーランスの形態が望ましいとか結論づけるのならいい。しかし著者は「そもそもアニメーターは本当にフリーランスなのか」という点に疑問を差し込んでいないように見える。

働き方に裁量性があるとか、副業の自由があるとか、在宅ワークが可能であるとか、そうした要素は雇用関係の下でも実現しうる。一方でフリーランスの場合は雇用関係の下であれば受けられたであろう法的保護が弱くなる。はたしてアニメーターがフリーランス扱いされることによって享受している自由や自律はどれほどのものだというのか。

アニメーターの労働問題に関心をもつ者なら、こうした疑問は一度ならず浮かぶものだと思うが、著者はこの論点に応答しようとしているだろうか。