ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

『バッタを倒しにアフリカへ』

前野 ウルド 浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』光文社新書 を読みました。

 

いや、非常に面白かった。いまどきファーブルに憧れて昆虫学者になるような人が本当にいるんだな、というのも驚き。

もちろん、夢や憧れだけで研究者になれるわけではなく、困難を乗り越える多大な努力も必要です。この本の中でもお金や就職の問題は常につきまといます。

 

そもそもバッタの研究なんて需要があるのか。バッタ研究者として雇ってくれるところがあるのか。

最近だとヒアリが日本に上陸したことが騒ぎになりましたが、そうした被害があるときでない限り、昆虫学者はなかなか出番がありませんから。実際日本ではバッタの被害はほとんどなく、バッタ研究の必要性は乏しい状況。

 

そこでどうしたかというと、バッタ被害が深刻なアフリカ・モーリタニアへ行くという決心をしたわけです。

簡単な道のりではないのは容易に想像つきます。無収入のリスクを背負い、現地語やフランス語をほとんどしゃべれないのに飛び込んだわけですから。

 

なんども逆境にぶつかりながらも前に進んで行くのですが、単なる成功譚とはちょっと違う印象を受ける。語り口が非常に面白い。すごいことをしている人なのに、失敗やおっちょこちょいなところとかも書かれているので、親近感がわく。自らを鼓舞させようと発する言葉は真剣なのに笑えてしまったり。

 

まだまだこれから活躍されていく方でしょうから、自伝というのとはちょっと違うでしょうが、一人の人間の生き方として、面白いし参考になる本だと思います。

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

 

沢村凛『ディーセント・ワーク・ガーディアン』

労働基準監督官を題材としたフィクションと言えば、ダンダリンが真っ先に思い浮かぶかもしれませんが、こちらも労働基準監督官を主人公とする小説です。

 

 

主人公・三村が労働基準監督官。その友人・清田は警部補。

本の紹介を読むと「お仕事小説」と書かれていたりしますが、時に殺人、時にアリバイ工作なんかも出てきて、ミステリと言ったほうが良いかと思います。

 

そうしたいくつかのエピソードを挟んだ後、三村がある人物の陰謀の対象にされてしまいます。労働基準監督官分限審議会にかけられて、罷免されそうになってしまうのです。

分限審議会というのは労働基準法97条の5項に規定されているもの。これは政治家などからの圧力や干渉から監督官を守るための規定です。国家公務員の身分を保障し、不当に辞めさせられることがないようにするための制度が設けられているのです。

しかし本来監督官の身分保障を担うはずの分限審議会が、逆に悪用されようとしてしまいます。

 

三村は周囲への迷惑を考えて、自ら辞めようとします。しかし働く者を守るべき監督官が、不当な理由で職を追われてしまってよいのか。最終的に三村は不当な圧力に闘い続ける決心をします。

 

このクライマックスの部分は、読んでいて目頭が熱くなりました。・・・・・・電車の中で読んでいたので、こんなとこで泣きたくないなと、こらえましたが。

 

この作品は監督官の仕事がどんなものか伝えるとともに、読み物としても面白い内容になっています。

監督官が書かれた仕事紹介や、あるいは監督官の小説はほかにもありますが、フィクションとしてはこの作品が屈指の面白さではないでしょうか。

もちろん、実際の業務について詳しいのは現役の、あるいは元監督官の方々でしょうが、物語の見せ方はこちらのほうが上手い。リアリティを保ちつつ、事実を超えた想像力があるためでしょうか。

 

 

アニメ聖地88を人口順に並べてみた

ただ思いついたからやってみただけです。

聖地巡礼がコンテンツツーリズムとして注目されてるけど、じゃあその舞台となっている街は、どれくらいの規模なんだろうかと。

 

shadan.animetourism88.com

本当はアニメの時代設定とかに合わせるべきなんだろうけど、めんどくさいので「平成27年国勢調査」で済ます。

えっと、アニメ聖地88となってるけど、88ヶ所じゃないんだ……

 

とりあえず上位30か所。

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このうち、『秒速5センチメートル』と『ROBOTICS ; NOTES』は西之表市の数字です。種子島だと15,967人です。

艦隊これくしょん ‐艦これ‐』もむつ市の数字で出しています。ちなみに大湊町だと653人だそうです。

打ち上げ花火、アニメから見て、実写を見て、ノベライズを読む

どのルートを選択するか

公開中の映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を見てきた。

この作品は、ループもの、あるいはマルチエンディングとして楽しめる。もちろん、それは登場人物たちがどういうルートを選ぶかという物語なのだが、それは同時に制作者の側がどういうストーリーを選択するかということでもある。

 

この作品は実写版、アニメ版、そしてノベライズといくつかのパターンが存在しているので、作品群自体がマルチエンディングとして考察できる。

この作品に限らず、オリジナルとそのリメイクやノベライズ作品を比較するのが、個人的には結構好きだったりする。どの部分を変え、どの部分を変更しないか。そうした箇所に注目していくと、制作サイドの意図や考えがより理解しやすい。複数の視点から作品を眺められる気がする。

 

視聴・鑑賞したのは以下のもの。実写版はアニメ版を見た後に見たくなって、TSUTAYAに行って借りる*1

 

アニメ版:新房昭之総監督、シャフト制作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

実写版:岩井俊二監督『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993年)

ノベライズ:岩井俊二少年たちは花火を横から見たかった』(2017年)

 (アニメ版の脚本を担当した大根仁氏によるノベライズもあるが、そちらは未読。以下、岩井氏のノベライズは『横から見たかった』と略す)

 

各作品の位置づけ

最初に系譜的な覚え書き*2

 

まず、実写版は1993年にテレビドラマとして放映されたもの。監督・脚本は岩井俊二氏。

小学生が駆け落ちするという構想自体は、岩井氏が大学在学時に思いついていたものだという。フリーランスで仕事中をするようになった後、そのアイデアをもとにプロットを書く(タイトルは『檸檬哀歌』)。しかし企画は通らなかったため、映像化は実現していない。

 

再び映像化の機会が巡ってきたのが1993年で、『ifもしも』というシリーズドラマの1つとして依頼された。主人公が2つの選択肢を迫られるのだが、ドラマとしては両方の結末を描くという、マルチエンディング。

ただ、岩井氏自身はマルチエンディングという企画に違和感を覚えていた。肝心の分岐点を作者が決めないのは、物語を未完成で提示するような感覚だったという。そこで氏は、物語を群像劇として描くということを思いつく。群像劇なら主人公が選ばなった選択肢を主人公以外の人物に選択させて描くことができる。こうして元となる脚本を書いた(この時のタイトルが『少年たちは花火を横から見たかった』)。

ただし、そうして書き上げたものは“ifもしも”という企画から外れてしまう。タイトルも『○○○○、□□するか、△△するか』というルールがあったが、それも無視した形に。プロデューサー・石原隆氏は今回の企画としては見送って、2時間ドラマでやらないかと提案された。しかし岩井氏はその提案を断り、企画に合うように書き直した。

こうしてできたのが実写版の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?*3

 

そして、川村元気プロデューサーからアニメ化の申し込みがあったのが今から2年前*4。映画の打ち合わせが終わったころに、川村氏からノベライズを書いてくれないかと依頼されたという。岩井氏は、かつて書いた2つのプロット(『檸檬哀歌』と『少年たちは花火を横から見たかった』)を融合させる形でそれを完成させた。それが今のノベライズ版というわけである。

 

離ればなれの物語として

最初に一般論として感じていることを、少し。

男女が離ればなれになる、あるいはすれ違いが起こる。そうしたストーリーは今でもあると思うが、単純に距離が遠くなってしまうという話より、近くにいるのにすれ違ってしまうという話のほうが、現代では共感を得やすいように思われる。

 

今やケータイ、スマホで24時間つながっていることが可能な社会。高校生、中学生であれば電車や夜行バスでそれなりに遠くに行くこともできる。遠距離恋愛というものは昔よりずっと容易になっていると言えるだろう。

そうなると当然、物語としての描き方も変わってこざるを得ない。新海誠のすれ違いの描き方も、現代でも共感を得られるよう工夫していると言える。

 

『打ち上げ花火…』で言えば、実写版から今年までに実に24年経っている。

ストーリーの根幹としては、ヒロイン・なずなが引っ越してしまうという状況に、主人公・典道、あるいはその親友・祐介の様子を描くというもの。

時代が変わってしまえば、引っ越しや転校という事態に対する感じ方・考え方も変わってしまう。

 

で、24年の時を経てアニメ化したわけだが、話の幹自体は大きく変わっていない。だからと言って決して第一印象として古びたイメージを受けなかったのは、良い点だったと思う。

 

それぞれのルート

24年前に実写作品があり、それが今年になってシャフトによるアニメ化と、岩井氏自身によるノベライズがあった。だから比較としては、実写とアニメ・ノベライズという形が分かりやすいかもしれない。

アニメ版

アニメならでは、あるいはアニメでないとやりにくい表現が駆使されていたのは、アニメ化の良い要素。幻想的なシーンの表現とか、走る泳ぐのときの躍動感やスローモーション、水中から見たシーン。独特のカットの取り方や目による演技などは、シャフトっぽいと感じる部分でもあった。

 

ストーリーや展開としても、実写版より主人公・典道の意思が表現されているように思う。アニメを見た後に実写版のほうを見たせいもあるのかもしれないが、元の実写版だと、正直、典道の行動に主体性が感じられない。ずっとなずなに引っ張られている印象で、下手すると典道がなずなのことをどう思っているのかもよく分からない*5

アニメ版は前半は実写版にかなり忠実に沿っているが、後半部分はほとんどオリジナル要素が強い。自転車に乗って駆け出すシーン、“もしも玉”を投げるシーン、ループ要素が強くなっている分、典道がなずなのために行動する場面が目立つようになった。

 

あとは音楽や挿入歌の入る場面もすごく良い。

実写版でもラスト近くで「forever friends」が流れるが、アニメ版はもう、いろいろバージョンアップして盛り上がれる感じ。

 

以上のような演出や音楽が逆に、豪華、華美すぎる(?)と感じないでもない。

引越しのせいでしばらく会えなくなってしまうなずなが、最後にひと夏の思い出を作ろうという物語にしては、盛り上げ過ぎなのではないかと思ってしまう。

 

実写版との設定の違いとして、年齢設定がある。実写版では小学6年だが、アニメ版では中学生。実写のキャストは、下は小3、上は中3だっというから、そのほうが極端かもしれない。

中学生設定にしたのはアニメ表現上の都合もあったと聞いたが、もともと大人びていたなずながさらに大人びている。この変更は決して些細なものではない。

作中で「女の子はどこ行ったって働けると思うの。年ごまかして、16歳とか言って」というセリフが出てくるが、少なくない観客が「?」と思ったに違いない。普通に高校生くらいに見えてしまうから。

なにより実写よりなずなが色っぽい。シャフト的な演出も加わって、エロさが増している。それが儚く淡い、プラトニックな恋という印象を疎外しているとするなら、少々残念ではある。

 

ノベライズ『横から見たかった』

ドラマから24年越しとなる、岩井氏自身の手によるノベライズ。

ストーリーは実写版に比較的忠実だけれど、前日譚として花火大会より前の日のことが書かれている。正直、実写のほうは典道がなずなをどう思っているのか分かりにくい気がしたが、ノベライズはなずながどういう存在かが十分伝わってくる。

 

このノベライズ版の最大の特徴は、ループ、マルチエンディングを回避している点だ。これはドラマともアニメとも異なっている。“ifもしも” “もしも玉”というギミックを使っていない。

ドラマの企画上取り入れた要素が、あるいはアニメらしい表現となっている要素が、このノベライズ版では抜かれている。この変更は好感を持てる。ストーリーとして、より洗練された印象だ。タイムリープやループものに少々うんざりしている人でも楽しめる作品となっている。

 

もうひとつ小説の良さとして、内面の心理描写が挙げられる。

実写版だけだと、なぜそんな行動を取ったのか、すぐには分からない部分があった。ノベライズは、主人公・典道の回顧録的な体裁で書かれているので、典道の気持ちが率直に記されているし、友人たちの気持ちについても、典道が推測する形で書かれている。

あんまり気持ちを地の文で説明しすぎてしまうのは野暮ったいかもしれないが、実写版やアニメ版よりもすんなりと感情移入できたのは事実だ。

 

また回顧録のような書き方となっている点も、小説ならではの要素で面白い。いつの時点から回想しているかは明示されていない。少なくとも典道が高校生以上になっている時点から書かれている。ドラマから24年経ったことを考えると、大人になった主人公が少年時代を回想しているともとれる。

こうした回想という形式を取っていることが、この作品や岩井氏と重なってくる。ドラマから24年。着想の段階からだと32年の歳月。典道が過去を振り返る物語であると同時に、岩井氏が当時を思い出し、脚本・シナリオとしてどう決着をつけようとしたかの物語としても読むことができる。

 

スマホのない、ある田舎の物語。現代の物語という意味で言えば、今の都会の若い子は共感しにくいかもしれない。その点、回想として書かれている小説のほうが、ジュブナイル小説として違和感なく読めるかもしれない。

 

複数の結末

ストーリー上も複数のラストを考えられるが、作品自体も実写、アニメ、ノベライズ(『横から見たかった』)と存在するので、マルチエンディングと捉えることもできる。

 

なずなが離婚や転校のことを話すか否か。そして典道(あるいは典道の親友の祐介)が転校の事実を知っているかどうかで、3パターンの展開が存在する。

①なずなは転校のことを誰にも話さない。典道たちも転校の事実を知らない。

②なずなは転校のことを話さない。しかし典道は転校してしまうことを知っている。

③なずなが転校や離婚の事情を打ち明ける。

 

実写、アニメ、ノベライズは、この3つのパターンのいずれかを取っている。

どの展開を取るかで、物語のクライマックスから受ける印象は変わっている。個人的な感想としては、アニメ版も『横から見たかった』も、実写版より良くなっていると思う。

アニメとノベライズ、どちらが良いかは人によるだろう。

アニメ版では、別れの寂しさが残る一方で、ハッピーエンド感も漂わせている。ストーリーを盛り上げるうえではこのほうが良いかもしれないが、2つの感情が共存するので、ちょっともやもやが残るかもしれない。

『横から見たかった』のほうは、より一層切なさがある。典道の回想であるため、2人のその後や典道の現在にも、必然的に想像を促されてしまう。

 

アニメから見るかノベライズから読むか?

どちらを選んでも、それぞれの物語として、マルチエンディングを楽しめるようになっている気がする。

 

 

 

*1:原作ドラマとその編集版の映画がどう違うのかはよく知らない。それから1999年にはセミドキュメンタリーとして「少年たちは花火を横から見たかった」が制作されていますが、以下のノベライズ作品とは別と思われる

*2:記述は『横から見たかった』あとがき参照

*3:タイトルを『打ち上げ花火、横から見るか?正面から見るか』としていたが、実際に子どもたちが見る角度には正面がないので、典道の見た「下」と祐介たちが見た「横」が採用されて、このタイトルになった

*4:その際、岩井氏の側から大根仁を脚本に提案。

*5:なずなが典道に対して「わたしがちゃんと養ってあげるから安心してよ」というセリフさえある

「Long Long Love Song」制作日誌、時々入院

 麻枝准×熊木杏里「Long Long Love Song」

初回盤を買うと麻枝さんの制作日誌がついてきます。

 

前半は闘病日記さながら。

助かる確率2割と言われながら奇跡的に助かる。人工心臓を外す9時間以上にわたる手術も経験し、入院中の体力の低下の様子なんかも綴っています。

 

作曲や曲の選定過程ももちろん記されていて、いろいろあるんだなと推し量れます。

去年入院前に用意していた13曲から、結果的に7曲も差し替わった。

最後に熊木さんの声質を生かせる曲をもう1曲書く!という執念から『きみだけがいてくれた街』も生み出した。

この13曲決まるまで、たくさんの紆余曲折や挫折や苦悩があったけど・・・・・・これでよかったですか?

よかったと言ってくれるなら、おれは満足です。

(2017年1月11日)

 

自らを「オワコン」と称するなど、自己嫌悪というか、自己肯定感の低さが全体的に漂っていて、それが闘病の様子とかとも妙にリンクして、身につまされるような気がします。

想像以上に興味深く読むことができました。

 

Long Long Love Song(初回生産限定盤)(DVD付)

Long Long Love Song(初回生産限定盤)(DVD付)

 

 

 

労基署による、生産計画への指導

労働基準監督署は、臨検監督の際、法違反を指摘する是正勧告だけでなく、指導・助言を行うこともある。

 

具体的には、

①法違反を是正するためにどういう措置を講じたらよいかを明らかにするもの(例、プレス機械に使用停止措置を講じただけでは事業者はどうしたらよいのか分からないので、ゲートガード式の安全囲いの取付、シートフィーダーの採用等を指導する)

②法律に規定されているものの義務規定ではなく、努力義務規定であるもの

③法令に規定されていない事項であっても良好な労使関係、より良い労働条件あるいは快適な安全衛生環境実現のために指導するもの(例えば、労働福祉向上のための指導(セクハラ、THP等))

(全労働省労働組合[1994]『労働基準行政職員の職務』p.20。見やすいように改行を入れた)

 

是正勧告が労基法関係法令に抵触するものに限られるのに対し、指導は法令に規定されていない事項に対しても実施されているというのが興味深い。

指導事項に関する統計資料はないようだが、過去の事例を参照できる。

 

1980年ごろ、主に共産党が主導して、「大企業黒書」運動というものが行われた。大企業の労働実態を調査・告発し、労働省労働基準監督署、県の労働部などに対処を求めたものだ。神奈川から始まり、他の県にも広がった。

注目されるのは、監督機関が企業の生産計画にまで言及する例があったことだ。

神奈川では、1981年2月神奈川労働基準局局長が「恒常的な長時間労働や年休取得を不可能とする出勤率を前提としている生産計画を、是正させる強力な指導を進めていく」と発言。「京都・西陣では劣悪な労働条件を恒常化させていた生産計画をも是正させてきた」と強調し、「生産計画には当然、出勤率や人員計画までふくむ」とし「あらゆる工夫をして生産計画の調査にあたりたい」と明言した。

静岡では、1981年に工場ごとの『黒書』運動の第一弾として鈴木自工磐田工場に対して、29項目の改善要請事項が申告された。82年2月、監督署が勧告5件、指導10件、助言3件を行ったことが公表されたが、労働時間の短縮については、国の方針に基づき生産計画の見直しを行い、その短縮に努めるよう指導されている。

同様に埼玉でも、県内23大企業の事業場に対して、25件の勧告、26件の指導がなされている。そのうちキャノン電子(秩父)に対しては、コンベヤーのスピードアップによる労働強化について是正指導をしている(ラインをスピードアップさせたことにより休憩時間が奪われているとの申告があった)。

 

労働基準監督署が企業の生産計画やコンベヤーのスピードに対してまで口出ししているというのは、不思議な気がする。しかし生産計画のあり方が労働条件に強く関係していることを踏まえてのことだろう。

そして、労働側による生産管理の規制というのは、本来労働組合が担うべきであるにもかかわらず、それが機能していないために労働基準監督署が身を乗り出さざるを得なかったことを示しているとも言える。

 

(参考)

小林豊「労基局が生産計画の是正指導も(「電機黒書」その後の闘い)」『労働運動』(194)、pp.44-50、1982

木村昭男「労働者の変化示した役選」『労働運動』(202)、pp.68-73、1982

秋元末光「憲法労基法無視の大企業を告発」『労働運動』(181)、pp.109-114、1981

――「51件にのぼる法違反勧告指導事項が……」『労働運動』(193)、pp.45-52、1982

『文庫解説ワンダーランド』

斉藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)を読了。

 

文庫解説ワンダーランド (岩波新書)
 

 

 

なかなか面白く読めた。ほとんど全編にわたって楽しく読める。

本書は文庫本の巻末についている「解説」について論じたもの。いわば解説の批評。扱っているジャンルは名作と呼ばれるものから、青春小説やミステリ、翻訳に至るまでさまざま。

同じ作品であっても、異なる文庫に収録されれば違う人物が解説することもある。あるいは新版が出版されれば、解説者が変わったり。そうすると同じ作品であっても複数の解説が存在したりするわけだけど、それを読み比べていくとこうも面白いとは。論者によって、時代によって、解説の内容が変わる。ものによっては全く正反対の観点で書かれていたりして、読者を新鮮な世界に誘う。

 

解説というのは、一応目を通すけれども、そこまで気に留めないという人も多いかもしれない。しかし本書を読むと、解説がいかに本に輝きを与えているか、あるいはその逆か、ということを考えずにはいられない。解説は単なるおまけなどではなくて、もっとも近くにある批評なのだと。

 

本書で解説されている作品は読んだことのないものが多いけれど、それでも本書は読みやすいし、もとの作品を読んでみようという興味が湧く。優れた解説がある一方、そうでない解説に対しては鋭く切り込む。

奥付を見て思い出したけれど、本書の著者は『文章読本さん江』を書いた人。この本は以前に読んだことあったけれど、やはりざっくばらんに語り口が面白かったのを覚えている。

 解説の妙を見せられたようで、満足できた1冊だった。

文章読本さん江 (ちくま文庫)

文章読本さん江 (ちくま文庫)