ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

大浜啓吉『「法の支配」とはなにか』

 表題の本は2016年に出た本なので、少し前のものになりますが、読みごたえあるものでした。副題が「行政法入門」となっているので、平易な解説書かなと思って手に取ったのですが、予想を超える充実っぷり。鉄の斧を探していたら金の斧が見つかったくらいの喜び。通説に見事に切り込んでいくのですから、それは面白い。

もちろん「法の支配」とは何かということがこの本の主題ではあるのですが、それを説明するにあたって国家とは何かというところから説き起こしている。それで英米独仏それぞれについて、簡単ではありますが、歴史や市民革命、憲法の成り立ちと言ったことに話題が及んでいく。

法学の分野において、世界史を視野に入れて語る意義というものも伝わってくる。こういうタイプの本だと、ともすれば海外の紹介みたいな形になっていて、「いやそうじゃなくて日本の法律をもっと説明してくれよ」と感じる本もありますが、本書にはそういう所がありません。日本の行政法の原理を説明するうえで、欠かせない視点を提供するために世界史が語られるのです。

 

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

 

 

本書は「法治主義」と「法の支配」の原理の比較、違いを述べていくのが主軸となっています。

この2つの言葉はよく似ていますが、中身は180度異なります。でも、専門外の多くの人にとっては、上手く説明できないのではないかと思います。高校の倫理や政経の授業でやったはずですが、いまいちよく分かっていない人も多いはずです。

自分も本書を読んで、これまでの理解が曖昧だったことを痛感しました。というか、教科書で習ったことはなんだったんだ? ほんとにこんなこと勉強したっけ…というのが率直な感想です。

 

明治憲法から日本国憲法に変わった際、主権もこれまでの天皇主権から国民主権へと変わりました。法治主義は君主(天皇)に主権がある時代の考え方で、その意味で「法の支配」の考え方とは全く異なります。

ところがにもかかわらず、法学研究においてそのような転換はすぐには進まなかったと著者は言います。国民主権へと変わったのに、法治主義時代につくられてきた学説が、今なお通説として影響力を持っているのだと。

この辺りの筆致は凄く興味深く読ませていただきました。

 

CLANNADは人生というか、宗教だなと思った話。

テレビアニメ「CLANNAD」の一挙放送がニコ生でありました。ニコ生一挙は初だそうですね。かくいう自分も初めて視聴しました。

 

live.nicovideo.jp

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CLANNADは人生」という文句も誕生するのも頷けるくらい。単なる学園ハーレムものの域を遥かに凌駕している。

 

ただ個人的には「人生」というよりも、「宗教」のような部分を感じました。(決してネガティブな意味ではありません)

熱心なファンのことを「信者」と喩えることがありますが、この作品はそれが余計当てはまるように思える。

アニメのストーリーとしては21話の時点で終わっていてもおかしくないわけです。むしろそのほうが、ある種の完成度は高いと言えるかもしれません。(もちろん、それでは光の玉の伏線とかが回収されませんが)

ただ、最終話に当たる22話で「救済」「奇跡」が描かれるわけです。この「奇跡」は見ている人にとっては「?」で、不要・余分な部分かもしれません。そういう世界観を受け入れにくい人もいると思います。ですがこういう世界観を受け入れられる人、信じたい人にとってはまさしく「救済」でしょう。

それは視聴者が(あるいは制作者も)見たかった、信じたかった世界。「CLANNADは人生」と言う人は、やはりこの部分も含めてこそ「人生」なのでしょう。

 

もうひとつ宗教っぽいと感じたのは、この作品が人間の可塑性を描いているように思ったからです。

私は、宗教というのは人間の可塑性を信じる世界だと思ってます。悪人正機説なんて凄い考え方ですよね。悪人こそが救済されるべきなんていう……

話を戻すと、この作品の主人公・朋也は不良的なポジションとして描かれていたわけです。それがヒロイン・渚と出会うことで変わっていく。その後も挫折に直面しますが、周りの助け、人の絆によって乗り越えていきます。最初はクソオヤジにしか見えなかった父親の存在すら、見方が変わるのです。

 

これはボーイ・ミーツ・ガールの定型かもしれませんが、そういう部分を丁寧に描いている。ダメな人間が色々な人間と交わり、生きがいを得て、立派な人間になっていく。周囲との関係性が大事で、決して努力して困難を乗り越えるみたいな話ではない。でもだからこそ、最後の「救い」を期待してしまうし、心地よく受け入れられる。

 

この作品が多くの「信者」を生み出してしまうのも、分かる気がします。

「アベノミクス」「三本の矢」は第一次安倍政権から使われている?

アベノミクス」や「三本の矢」は第二次安倍内閣から使われ出したとばっかり思っていましたが、 言葉自体は第一次安倍政権のときにも使用されているみたいですね。もちろん「三本の矢」は故事に由来しているので、言葉自体はもっと古くからありますが……

 

「アベノミクス」の語源は? いつ自称、肯定的呼称になった? - Togetter

 

朝日新聞2006年11月28日付の記事「どうする財政 安倍成長路線の下で:1」には中川秀直氏(当時自民党幹事長)がアベノミクスの命名者とされています。もっとも、この時は小泉路線の継承的意味合いが強いようですが。

 

減税と歳出削減、規制緩和という組み合わせには手本がある。80年代の「レーガノミクス」だ。米レーガン政権は「小さな政府」を掲げ、企業と高所得者に対する減税で景気を刺激しようとした。小泉政権もこの路線に近かったが、安倍政権はさらにその色彩を強めようとしている。それを中川秀直自民党幹事長は「アベノミクス」と名付けた。

 

「三本の矢」のほうは、2007年2月15日に出された「成長力底上げ戦略(基本構想)」で使われているのを見つけました。この構想では、戦略の柱を3つ立てていて(人材能力戦略、就労支援戦略、中小企業底上げ戦略)、それに「3本の矢」という見出しをつけています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seichou/070215honbun.pdf

 

これも第二次以降の安倍政権が使っている3本の矢とは異なる内容ですね。

ただ、ざっと新聞データベースを見てみましたが、「成長力底上げ戦略」は3本の矢としては報じられていないようなので、これをきっかけに使われるようになったなんてことはなさそう。

そもそも第一次政権は「教育再生会議」をはじめとして、「新健康フロンティア戦略賢人会議」「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」「ハローワークとILO条約に関する懇談会」など18の会議が新設されていて、急ごしらえで発表されただけの「成長力底上げ戦略」はあんまり印象に残らなかったでしょうね。

ニコニコがサーバー強化できないのは、イベントのせい?

11月28日にドワンゴの新サービス発表会が大炎上しました。

よく分からない新サービスの一方で、ユーザーが求めている速度や画質という基本性能の改善がおざなりになっていたためでした。

 

それを受けて、12月12日には意見交換会が開催。アンケートフォームやツイッターでユーザーの声を拾っていくようです。

live.nicovideo.jp

こういう場があることは凄く良いことだと思います。民主的というのとはちょっと違うかもしれませんが、ユーザーの要望が直接届けられる形でサービスが改善していくというのは、興味深い展開になる気がします。

 

さて、前述の画質等の問題解決のためには、設備投資してサーバーを強化するとか、エンジニアを増やすとかが必要になってきます。

そのなかで、リアルイベントとかでお金を使ってるせいでそっちにお金が回ってないんじゃないかという意見を時々目にします。

ちょっと気になったので、有価証券報告書で簡単に調べてみました。

 

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まずこのグラフが、webサービス部門の売上高です。ドワンゴKADOKAWAは2014年10月に経営統合しています。上記は動画関連のセグメントだけを引っ張ってきたものです。2015年の数字が低いのは、決算月が変わった影響です。

 

モバイル事業は「ドワンゴジェイピー」の音楽配信事業などです。ニコ動・ニコ生等はポータル事業に含まれます。超会議などのイベントはライブ事業です。

ポータル事業の売上高はプレミアム会員費が主なので、会員数の動きと同じような動きを示しています。

2017年の決算からは「当社は、グループの事業の柱が明確になったことに伴い」報告セグメントを変更したため、モバイル、ライブ、ポータル事業はwebサービス事業に一括され、内訳が分かりません。ただ、傾向からはプレミアム会員費が収入の柱となっているのは変わらないでしょう。

 

ここまで見てきたのは売上高の推移です。セグメントごとの営業利益でみると少し様相が異なります。

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営業利益で見ると、モバイル事業の貢献もまだまだ大きいように見えます。

ライブ事業は赤字ですが、このせいで営業利益が吹っ飛ぶというほどの数字ではありません。

ポータル事業は2010年の決算から黒字化しています。それ以前の年の赤字規模は今のライブ事業の赤字より大きいですね。目が出るまでの初期投資の時期ということになるのでしょう。

 

まあ、金額の規模という意味では、Abemaは年200億の赤字を覚悟で投資しているようですから、それと比べたら規模が小さいように思えます。それだけの規模で投資しようと思ったら、イベントをやめるどころではなくて、もっと大胆な投資の決断が必要となるでしょう。

NHKはなぜ井山7冠の特集をしてくれないのか

囲碁井山裕太棋聖が今年の名人戦でタイトルを奪取し、2度目のなる7冠を達成。2度の7冠というのは将棋界含め前例のない快挙です。(将棋は8大タイトルになってしまったけど)

 

・・・・・・で、これは勝手に期待してただけですけど、こんな偉業を成し遂げたのだからNHKがきっと特集してくれるはずだと思ってたんですが。

私の知る限り、そんな特集も組まれることなく、気づくと王座戦天元戦をストレートで防衛を果たしています。

 

あれ、もし7冠の特集するならもっと早いタイミングで放送しないとおかしいよな。氏失冠の可能性だってあるわけだし。

 

ちなみに昨年の7冠達成時は「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられています。

NHKオンデマンド | プロフェッショナル 仕事の流儀 井山7冠達成SP 「盤上の宇宙、独創の一手~囲碁棋士・井山裕太~」

 

さらについでの話をすると、藤井4段の場合は今年すでに2回特集が組まれています。しかも両方NHKスペシャル

NHKオンデマンド | NHKスペシャル 「天才棋士 15歳の苦闘 独占密着 藤井聡太」

NHKオンデマンド | NHKスペシャル 「徹底解剖 藤井聡太~“進化”する14歳~」

 

いえ、最年少でプロ入りし、前人未到の連勝記録をいきなり作り上げてしまうのは、もちろんすごいですし、注目されて当然だと思いますよ。

ただ、それに比べるとちょっと囲碁の扱いが軽いような……。

囲碁ファンのただのやっかみでしょうか。

『アニメーターの社会学』

松永伸太朗『アニメーターの社会学三重大学出版会を読了しました。

 

アニメーターの待遇が悪いことは色々報じられたりしていますし、実際離職率も高いようですが、それでもアニメーターを続ける人がいるのも事実。

では、そうした人たちはなぜ低い賃金を受け入れて働き続ける選択をするのか。それが本書のテーマです。

 

こういう分野を労働社会学と言うんですね。上記の問いに本書はエスノメソドロジーの手法で接近していきます。これはインタビューで語られた内容をそのまま受け取るのではなくて、どのように語られたかという手続的側面を重視する方法だそうです。具体的にどのような方法なのかは、本書を読んでもらった方が早いでしょう。

単にインタビューをしていくのであれば、別のライターなどが書かれているかもしれませんが、本書はエスノメソドロジーとして分析していく。学問的に分析するということはこういうことなのだと感心します。その結果、〈やりがい〉の搾取という概念で説明してしまうのではなく、アニメーターが持っている規範を解明し、それが低賃金を受け入れる構造を生んでいるのだとします。

 

「あとがき」に書かれた謝辞もいい。

本書はもとは修士論文なのですが、それが日本修士論文賞を受賞し、出版に至った経緯が書かれています。指導教員の先生方や大学院の同期の方への感謝が率直に記されている気がします。

 

私よりは少し年上ですが、同世代の人にこうした修士論文を書き上げ、世に問うている人がいるというのは刺激を受けます。

 

アニメーターの社会学―職業規範と労働問題

アニメーターの社会学―職業規範と労働問題

 

 

家業のために面接を蹴って駆け付けるのはイイ話なのか(陸王5話)

先日放送のドラマ『陸王』5話を見て感じたことです。

原作も未読ですので、細かい点が間違っているかもしれませんが悪しからず。

 

気になったのは、就活で大手企業の面接に向かっていたのに、電話でピンチを知って工場に戻ってくるシーン。老舗足袋メーカーの社長の息子(山崎賢人)の行動です。

彼は家業を手伝いながらも就活をしている最中。当初は足袋屋を継ぎたくないと考えていている一方、本当にやりたい仕事はなにか悩んでいる状態。

 

問題のシーンは、大手企業の面接に向かう途中で連絡を受け、面接を蹴って舞い戻ってくるというもの。機械のトラブルに対応できるのが彼ひとり(顧問についていた人が入院中のため)で、しかも納期が迫っているため、面接が終わるまで待てない状況。

それで面接に行かず、戻って対応に当たる。その結果として自分がやりたい仕事はこれなんだと気付く。

 

このシーンだけこんな風にまとめてしまうと変な感じですが、ドラマの中で盛り上がる部分でした。

ただ、個人的には少し違和感を覚えてしまう部分でもあって。

多分それは、職業選択の自由の問題と、「組織の部品になるな」という主旨の発言のところです。

 

家業を継ぎたくないと就活していたのに、そちらはあまりうまく行かず、最終的に家業の仕事をやっていこうと決める。もちろんそれは本人の納得のうえでですが、外から見ると納得させられているようにも見える。

そもそも家が足袋屋であるということは、面接の場などでも聞かれてしまいますし、そういう風に見られることは「職業選択の自由」にやはり制約として働いているでしょう。もちろん、完全に制約から自由な人間なんてそもそも存在しないでしょうから程度問題ですが。

 

それだけなら別に構わないと言えますが、より気になったのは面接に行く前夜に言われたセリフ。部品は替えが利く。本当に替えが利かないのは人。組織の部品になんかならず自分にしかできない仕事をしろ。そんな発言だったと思います。

 

で、実際自分にしかトラブルに対応できないというので戻ってくるわけですが、こういう「代えの利かない人物になれ」的なのは、どうも個人的には好きになれない。

仕事という面で見れば、圧倒的大部分の人間は代えが利くのが現実でしょう。そもそも本当に代えが利かなかったら、休むことができなくなってしまう。有休や育休なんて取れないし、辞める自由もない。

 

もともと就きたくないと思っていた仕事なのに、「この仕事はお前にしかできない」と言われ、自分が本当にやりたいのはこの仕事だと気付く。

もちろん、本人が納得している以上なんの問題もないのでしょうが、なんかちょっともやもやした気持ちが残る。