ぽんの日記

京都に住む大学院生です。研究とは関係ないことも気ままに書いていきます。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

打ち上げ花火、アニメから見て、実写を見て、ノベライズを読む

どのルートを選択するか

公開中の映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を見てきた。

この作品は、ループもの、あるいはマルチエンディングとして楽しめる。もちろん、それは登場人物たちがどういうルートを選ぶかという物語なのだが、それは同時に制作者の側がどういうストーリーを選択するかということでもある。

 

この作品は実写版、アニメ版、そしてノベライズといくつかのパターンが存在しているので、作品群自体がマルチエンディングとして考察できる。

この作品に限らず、オリジナルとそのリメイクやノベライズ作品を比較するのが、個人的には結構好きだったりする。どの部分を変え、どの部分を変更しないか。そうした箇所に注目していくと、制作サイドの意図や考えがより理解しやすい。複数の視点から作品を眺められる気がする。

 

視聴・鑑賞したのは以下のもの。実写版はアニメ版を見た後に見たくなって、TSUTAYAに行って借りる*1

 

アニメ版:新房昭之総監督、シャフト制作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

実写版:岩井俊二監督『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993年)

ノベライズ:岩井俊二少年たちは花火を横から見たかった』(2017年)

 (アニメ版の脚本を担当した大根仁氏によるノベライズもあるが、そちらは未読。以下、岩井氏のノベライズは『横から見たかった』と略す)

 

各作品の位置づけ

最初に系譜的な覚え書き*2

 

まず、実写版は1993年にテレビドラマとして放映されたもの。監督・脚本は岩井俊二氏。

小学生が駆け落ちするという構想自体は、岩井氏が大学在学時に思いついていたものだという。フリーランスで仕事中をするようになった後、そのアイデアをもとにプロットを書く(タイトルは『檸檬哀歌』)。しかし企画は通らなかったため、映像化は実現していない。

 

再び映像化の機会が巡ってきたのが1993年で、『ifもしも』というシリーズドラマの1つとして依頼された。主人公が2つの選択肢を迫られるのだが、ドラマとしては両方の結末を描くという、マルチエンディング。

ただ、岩井氏自身はマルチエンディングという企画に違和感を覚えていた。肝心の分岐点を作者が決めないのは、物語を未完成で提示するような感覚だったという。そこで氏は、物語を群像劇として描くということを思いつく。群像劇なら主人公が選ばなった選択肢を主人公以外の人物に選択させて描くことができる。こうして元となる脚本を書いた(この時のタイトルが『少年たちは花火を横から見たかった』)。

ただし、そうして書き上げたものは“ifもしも”という企画から外れてしまう。タイトルも『○○○○、□□するか、△△するか』というルールがあったが、それも無視した形に。プロデューサー・石原隆氏は今回の企画としては見送って、2時間ドラマでやらないかと提案された。しかし岩井氏はその提案を断り、企画に合うように書き直した。

こうしてできたのが実写版の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?*3

 

そして、川村元気プロデューサーからアニメ化の申し込みがあったのが今から2年前*4。映画の打ち合わせが終わったころに、川村氏からノベライズを書いてくれないかと依頼されたという。岩井氏は、かつて書いた2つのプロット(『檸檬哀歌』と『少年たちは花火を横から見たかった』)を融合させる形でそれを完成させた。それが今のノベライズ版というわけである。

 

離ればなれの物語として

最初に一般論として感じていることを、少し。

男女が離ればなれになる、あるいはすれ違いが起こる。そうしたストーリーは今でもあると思うが、単純に距離が遠くなってしまうという話より、近くにいるのにすれ違ってしまうという話のほうが、現代では共感を得やすいように思われる。

 

今やケータイ、スマホで24時間つながっていることが可能な社会。高校生、中学生であれば電車や夜行バスでそれなりに遠くに行くこともできる。遠距離恋愛というものは昔よりずっと容易になっていると言えるだろう。

そうなると当然、物語としての描き方も変わってこざるを得ない。新海誠のすれ違いの描き方も、現代でも共感を得られるよう工夫していると言える。

 

『打ち上げ花火…』で言えば、実写版から今年までに実に24年経っている。

ストーリーの根幹としては、ヒロイン・なずなが引っ越してしまうという状況に、主人公・典道、あるいはその親友・祐介の様子を描くというもの。

時代が変わってしまえば、引っ越しや転校という事態に対する感じ方・考え方も変わってしまう。

 

で、24年の時を経てアニメ化したわけだが、話の幹自体は大きく変わっていない。だからと言って決して第一印象として古びたイメージを受けなかったのは、良い点だったと思う。

 

それぞれのルート

24年前に実写作品があり、それが今年になってシャフトによるアニメ化と、岩井氏自身によるノベライズがあった。だから比較としては、実写とアニメ・ノベライズという形が分かりやすいかもしれない。

アニメ版

アニメならでは、あるいはアニメでないとやりにくい表現が駆使されていたのは、アニメ化の良い要素。幻想的なシーンの表現とか、走る泳ぐのときの躍動感やスローモーション、水中から見たシーン。独特のカットの取り方や目による演技などは、シャフトっぽいと感じる部分でもあった。

 

ストーリーや展開としても、実写版より主人公・典道の意思が表現されているように思う。アニメを見た後に実写版のほうを見たせいもあるのかもしれないが、元の実写版だと、正直、典道の行動に主体性が感じられない。ずっとなずなに引っ張られている印象で、下手すると典道がなずなのことをどう思っているのかもよく分からない*5

アニメ版は前半は実写版にかなり忠実に沿っているが、後半部分はほとんどオリジナル要素が強い。自転車に乗って駆け出すシーン、“もしも玉”を投げるシーン、ループ要素が強くなっている分、典道がなずなのために行動する場面が目立つようになった。

 

あとは音楽や挿入歌の入る場面もすごく良い。

実写版でもラスト近くで「forever friends」が流れるが、アニメ版はもう、いろいろバージョンアップして盛り上がれる感じ。

 

以上のような演出や音楽が逆に、豪華、華美すぎる(?)と感じないでもない。

引越しのせいでしばらく会えなくなってしまうなずなが、最後にひと夏の思い出を作ろうという物語にしては、盛り上げ過ぎなのではないかと思ってしまう。

 

実写版との設定の違いとして、年齢設定がある。実写版では小学6年だが、アニメ版では中学生。実写のキャストは、下は小3、上は中3だっというから、そのほうが極端かもしれない。

中学生設定にしたのはアニメ表現上の都合もあったと聞いたが、もともと大人びていたなずながさらに大人びている。この変更は決して些細なものではない。

作中で「女の子はどこ行ったって働けると思うの。年ごまかして、16歳とか言って」というセリフが出てくるが、少なくない観客が「?」と思ったに違いない。普通に高校生くらいに見えてしまうから。

なにより実写よりなずなが色っぽい。シャフト的な演出も加わって、エロさが増している。それが儚く淡い、プラトニックな恋という印象を疎外しているとするなら、少々残念ではある。

 

ノベライズ『横から見たかった』

ドラマから24年越しとなる、岩井氏自身の手によるノベライズ。

ストーリーは実写版に比較的忠実だけれど、前日譚として花火大会より前の日のことが書かれている。正直、実写のほうは典道がなずなをどう思っているのか分かりにくい気がしたが、ノベライズはなずながどういう存在かが十分伝わってくる。

 

このノベライズ版の最大の特徴は、ループ、マルチエンディングを回避している点だ。これはドラマともアニメとも異なっている。“ifもしも” “もしも玉”というギミックを使っていない。

ドラマの企画上取り入れた要素が、あるいはアニメらしい表現となっている要素が、このノベライズ版では抜かれている。この変更は好感を持てる。ストーリーとして、より洗練された印象だ。タイムリープやループものに少々うんざりしている人でも楽しめる作品となっている。

 

もうひとつ小説の良さとして、内面の心理描写が挙げられる。

実写版だけだと、なぜそんな行動を取ったのか、すぐには分からない部分があった。ノベライズは、主人公・典道の回顧録的な体裁で書かれているので、典道の気持ちが率直に記されているし、友人たちの気持ちについても、典道が推測する形で書かれている。

あんまり気持ちを地の文で説明しすぎてしまうのは野暮ったいかもしれないが、実写版やアニメ版よりもすんなりと感情移入できたのは事実だ。

 

また回顧録のような書き方となっている点も、小説ならではの要素で面白い。いつの時点から回想しているかは明示されていない。少なくとも典道が高校生以上になっている時点から書かれている。ドラマから24年経ったことを考えると、大人になった主人公が少年時代を回想しているともとれる。

こうした回想という形式を取っていることが、この作品や岩井氏と重なってくる。ドラマから24年。着想の段階からだと32年の歳月。典道が過去を振り返る物語であると同時に、岩井氏が当時を思い出し、脚本・シナリオとしてどう決着をつけようとしたかの物語としても読むことができる。

 

スマホのない、ある田舎の物語。現代の物語という意味で言えば、今の都会の若い子は共感しにくいかもしれない。その点、回想として書かれている小説のほうが、ジュブナイル小説として違和感なく読めるかもしれない。

 

複数の結末

ストーリー上も複数のラストを考えられるが、作品自体も実写、アニメ、ノベライズ(『横から見たかった』)と存在するので、マルチエンディングと捉えることもできる。

 

なずなが離婚や転校のことを話すか否か。そして典道(あるいは典道の親友の祐介)が転校の事実を知っているかどうかで、3パターンの展開が存在する。

①なずなは転校のことを誰にも話さない。典道たちも転校の事実を知らない。

②なずなは転校のことを話さない。しかし典道は転校してしまうことを知っている。

③なずなが転校や離婚の事情を打ち明ける。

 

実写、アニメ、ノベライズは、この3つのパターンのいずれかを取っている。

どの展開を取るかで、物語のクライマックスから受ける印象は変わっている。個人的な感想としては、アニメ版も『横から見たかった』も、実写版より良くなっていると思う。

アニメとノベライズ、どちらが良いかは人によるだろう。

アニメ版では、別れの寂しさが残る一方で、ハッピーエンド感も漂わせている。ストーリーを盛り上げるうえではこのほうが良いかもしれないが、2つの感情が共存するので、ちょっともやもやが残るかもしれない。

『横から見たかった』のほうは、より一層切なさがある。典道の回想であるため、2人のその後や典道の現在にも、必然的に想像を促されてしまう。

 

アニメから見るかノベライズから読むか?

どちらを選んでも、それぞれの物語として、マルチエンディングを楽しめるようになっている気がする。

 

 

 

*1:原作ドラマとその編集版の映画がどう違うのかはよく知らない。それから1999年にはセミドキュメンタリーとして「少年たちは花火を横から見たかった」が制作されていますが、以下のノベライズ作品とは別と思われる

*2:記述は『横から見たかった』あとがき参照

*3:タイトルを『打ち上げ花火、横から見るか?正面から見るか』としていたが、実際に子どもたちが見る角度には正面がないので、典道の見た「下」と祐介たちが見た「横」が採用されて、このタイトルになった

*4:その際、岩井氏の側から大根仁を脚本に提案。

*5:なずなが典道に対して「わたしがちゃんと養ってあげるから安心してよ」というセリフさえある