※以下、ネタバレを含みます。記述は小説版を参考にしており、とくに『言の葉の庭』はアニメ版と小説版で大きく差異があります(アニメで描かれていない部分が小説版では書かれています)。
前回、学費の話をしたので、そのついでのついでです。
kynari.hatenablog.com
『ブラック奨学金』を読みながら、本書の内容とは直接は何の関係もありませんが、ふと新海誠『小説 言の葉の庭』を思い出しました。主人公の進路選択の悩みの一つに学費の問題が多少なりとも出てくるので。
せっかくなので、同じく新海誠の『君の名は。』とちょっとだけ比較しつつも、進路問題の見てみようと思います。
両作品における恋愛の位置づけ
『言の葉の庭』も『君の名は。』も、男女の出会いというのが作品の重要なモチーフとなっていることは共通していると思います。
しかし両作品では、その位置づけが大きく異なっていると言ってよいでしょう。
『言の葉の庭』は高校生の秋月孝雄*1と高校教師の雪野百香里*2の出会いが描かれます。
簡単に書いてしまうと、この2人の出会いはそれぞれの成長のきっかけの役割を果たします。秋月孝雄にとっては、靴職人を本格的に目指す契機となりましたし、雪野先生は再び教師として歩み出すことになります。
一方で『君の名は。』の場合は、男女2人の出会いはきっかけではなく、ゴールとして描かれます。もちろん、最後のクライマックスに至るまでにはいくつか山場がありますが、やはり最後の再会こそが重要なのでしょう。
2人は入れ替わっていた記憶さえ消えています。しかしぼんやりとお互いを探し求めていて、2人の「運命の出会い」が実現したところで物語は終わります。
「運命の出会い」というのは、その2人が遠く強く引き離されているほど、劇的なものとなります。『君の名は。』の2人は、地域(都会と地方)、時間(3年前と現在)、生死(三葉は1回死んでます)、記憶(お互いの名前さえ覚えていません)と4重に2人の距離が隔てられているのです。新海監督はこれまでも男女のすれ違いを描いてきましたが、これほどの男女の隔たりは後にも先にもないでしょう。
でも逆に言ってしまえば、運命的な出会いというものがゴールになってしまっていて、出会いをきっかけに成長する、変わるという物語ではありません。
『言の葉の庭』の秋月孝雄は恋をきっかけとして、靴職人を目指すと決心します。もちろん、そこにはお金の問題が付きまといます。深く描写されるわけではありませんが、彼の家庭は母子家庭でもあり、親の援助などあまり当てにできない状況だったと言えます。
そこで目指されたのはアルバイトをしてお金を貯めるという道です。
恋によって弱くなるのではなく、恋によって俺は強くなるのだ。脳がすり切れるほど考えつくしたその果てに、孝雄はそう決心した。・・・(略)・・・
だから夏休み中、なるべく多くの時間をアルバイトに割いた。・・・(略)・・・稼いだ金の7割を貯金し、高校卒業後の学費に備えた。靴の専門学校に行くつもりだった。残りの3割は靴作りの材料費に充てた。(p.285)
小説では、専門学校にいくらかかるかという部分も記述されています。
試みに取り寄せてみただけの靴専門学校のパンフレットだったが、そこに記された2年間の総授業料220万円という数字を見て、しかる後に高校3年間のバイトで貯められるであろう金額を約200万と皮算用し、え、これ以外にイケるんじゃないか、と妙に気持ちが大きくなっていったのだ。(p.124)
自分の記憶違いかもしれませんが、アニメのほうだとパンフレットが一瞬だけ画面に映るだけで、それに対する主人公の反応ももっとネガティブだったような気がします。
2年間で220万円というのも、専門学校の授業料としては相場くらいだと思います。
専門学校の学費は安いみたいなイメージを持っている人もいますが、実際そんなに安くありません。ただ修業年限が短いので、4年間大学に行くよりも負担が軽いというくらいです。
さて、本人は強く靴職人の道を進もうとしますが、周りからは反対されます。母親は自由放任的な感じで、むしろ状況を楽しんでいるようですが、兄や担任の先生からは反対されます。また母親も積極的に応援しているいうよりは、本人任せにしているといった風ですので、学費や学校選びの問題は本人が1人努力するといったように描かれます。
高校2年の終わりあたりから、孝雄は自力で卒業後の進路を探りはじめた。国内の靴専門学校の説明会にいくつも参加し、実際の靴職人にも会いに行って話を聞いていた。私(注―秋月怜美。孝雄の母)も頼まれて、馴染みの靴工房を一つ紹介した。多くのプロに話を聞くほどに、留学への意志は固まっていくようだった。フィレンツェ市内の大学に入っているイタリア語学校にいくつかあたりをつけ、イタリア語で資料を請求して吟味し1校に絞り、アルバイトで貯めた入学金を送金して、既に来年からの入学許可証を手に入れていた。半年間その語学学校に通った後、アートカレッジを受験するつもりなのだという。そういう手続きすべてを、彼は高校に通い中華料理屋でアルバイトを続けラジオ講座でイタリア語を勉強しながら、1人で淡々と続けていた。(p.359‐60)
以下2つは三者面談において、担任の伊藤先生に言われた言葉です。
「失礼ですが、私には靴職人もイタリア留学も、現実的な選択肢だとはあまり思えません。わが校には前例がありませんし、留学を望むのであれば大学在学中にいくらでも機会を見つけることができるはずです」(p.356)
「秋月さん。私もすこし調べてみましたが、メーカーでの企画やデザインならともかくとして、靴職人を必要とする製造業自体が、日本では斜陽産業なんです。製造の拠点はアジアの新興国に完全に移っていますし、かといって個人を相手としたオーダーメイドの文化が日本にあるわけでもありません。それを承知でそれでも志すのだとするならば、もちろん素晴らしい覚悟です。でも孝雄くんにそれだけの気持ちがあるならばなおさら、日本で大学生活を送りながらでも道を探すことはできるでしょう。高卒直後の留学、それも非英語圏というのは、大きなリスクです。語学学校までは誰でも入学できるでしょう。でも現地の大学に合格できないこともありますし、入学できても卒業できないこともあります。卒業できたとしても、帰国後の就職は新卒者に比べてずっと困難になります。それは統計的にそうなんです」(p.356-7)
ちなみに、アニメではもっぱら放蕩なイメージとして描かれている母親ですが、実は大学の事務職員として勤めています。彼女は在学中に子どもを産み、休学してしまいますが、子育てしながらなんとか復学し卒業を果たしました。しかし就職先に困り、教授の紹介で大学に就職したとなっています。「雇均法の改正直後だったんだけど、実際は私の立場で一般企業への就職って難しかったと思うのよ」と語っているので、1997年ごろでしょうか。
そんな経緯もあるためか、大学の教育として役割・側面を語っている箇所があります。
「大学は、やっぱりお役所や銀行の窓口とは違うと思うのよ。もちろん大学だって企業ではあるけれど、その前に教育機関なんだから。つまり私たち大学の職員は、教員と同じように学生の成長を支援して、無事に社会に巣立つための業務を遂行することで報酬を得てるんだと思うのよ。経営側より学生の側に立ってあげなきゃ」(p.340)
比較しようと思ったのですけれど、こっちはあまり記述がありません。
靴職人を目指した秋月孝雄と違って、『君の名は。』の立花瀧はやりたいことがぼんやりと描かれている印象です。まあ、こちらのほうが多くの学生にとっては、より近い姿といえるかもしれません。
建設業界という志望はあるものの、「大手ゼネコンから設計事務所、下町工場まで、見境なしのラインナップ」を受けています。2人の友人がそれぞれ内定を2社と8社貰っているのに、立花瀧は内定が取れていません。
最初に2次面接にたどり着いた会社では、面接の様子が次のように描かれています。志望動機を尋ねられた場面です。
「つまり・・・・・・、東京だって、いつ消えてしまうか分からないと思うんです」
面接官たちの表情が今度こそ、はっきり曇る。首の後ろを触っていたことに気づき、慌てて両手を膝の上に戻す。
「だからたとえ消えてしまっても、いえ、消えてしまうからこそ、記憶の中でも人をあたためてくれるような街作りを――」(p.234)
こういった過程を経つつも、なんとか就職を果たします。
クライマックスの三葉との出会いのシーンは、その就職先で働き始めてからあとの出来事です。
まとめ
こうして見てみると、両作品はかなり対照的です。
『言の葉の庭』の主人公は、やりたいことを明確に持ち、それに向かって努力します。直面する困難については、個人の努力によって解決します。
奨学金のような、学生を支援する制度の話は出てきませんし、周りの大人もそれを紹介する場面は描かれません。
一方『君の名は。』の男の子のほうは、やりたいことは不明確なままです。糸守町の人々を救ったという、その記憶は曖昧になっており、それが就活にも表れているかの様子です。『言の葉の庭』が出会いをきっかけに、一歩を踏み出したのに対し、こちらはとくに人生に好影響を与えていません。2人の再会が至高のゴールのように描かれていますが、それで良いのだろうか、というのが自分の感じた後味の悪さの1つの要因だと思います*3。