表題の本を読みました。新書ながらかなり詳しめに記述されていると思います。具体例・ケースも多く紹介されているので、難解でとっつきにくいという本ではありません。
体罰が虐待であること
個人的になるほどと思った箇所をメモしときます。体罰は虐待かどうかという部分です。
ケースとして紹介されているのは、親子連れで遊びに行った際に、息子が友達に悪ふざけしてしまい、それを母親がしつけのために頬を平手でたたいた、というものです。
著者は森田ゆり『しつけと体罰』を引きながら、体罰の6つの問題を指摘します。
①体罰は、それをしている大人の感情のはけ口であることが多い
②体罰は、恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする方法である
③体罰は、即効性があるので、他のしつけの方法がわからなくなる
⑤体罰は、それを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与える
⑥体罰は、ときに、取り返しのつかない事故を引き起こす
これらの観点に則して、紹介したケースの問題点が検討されていきます。そして母親がした叩くという行為は身体的虐待であると結論付けています。
興味深いと思ったのはその後です。これくらいの行為を虐待と言うのは言い過ぎじゃないか、という読者に対する、あらかじめの反論です。
親が子どもを一度たたいただけで虐待だとするのは、過激な結論ではないか。著者は、そう考える読者がいるとすれば、この程度のことで虐待だと言われ、児童相談所などが介入するのはおかしいのではないか、という「ひっかかり」にあると言います。
そうした「ひっかかり」が生じるのは、家庭の自律は尊重すべきという考えがあるからです。親は原則として自由に子育てを行うことができ、行政機関の介入は一定の深刻なケースに限るべき、ということです。
しかしだからと言って、体罰を法解釈の段階で適法だとしてしまうことはできないと著者(池田)は言います。その程度の「しつけ」がしばしば見かけるようなものであったとしても、やはり民法の考え方に照らせばそれは体罰であり、違法であると。
この記述を読んでいて想起したのは、労働基準法・労基署と企業の関係です。
企業内においても、労使自治が原則として尊重され、やはり国家機関による過度の介入は控えられるべきだという風に言われます。
しかし程度問題としてはどう考えるべきなんでしょう。大企業であってもサービス残業やセクハラは存在しています。それらが深刻でないとは思いません。自治や自律を重視するというのにも一定の線引きは必要なはずです。労基署がなかなかやってこないというのは、その人員体制が不十分であるからだと思いますが。
ただ、労基署も児相も共通しているところがあるように感じました。
親権は母親か父親か
もうひとつ、未成年の子どもがいる家庭が離婚したとき、親権がどちらに帰属するかという問題。
そもそも戦前は父親が単独の親権者となる仕組みになっており、戦後すぐも、女性が一人で子どもを育てていくことは容易ではなく、父を親権者、母を監護者とする方法も少なくなかったそうです*1。
そのあたりの事情がどのように変わっていったのかは、もう少し詳しく読みたかった部分です。
上のグラフは日本の離婚件数と離婚率の推移を示したものです。下のグラフは戦後のものですが、離婚の際の親権の帰属がどうなっているかという件数を示したいます。
徐々に低下していた離婚率が、60年代に入って以降上昇に転じます。そしてその内訳をみると、増えているのは妻が親権をおこなう場合が圧倒的に多いのです。
親権に対する考え方、あるいは子育てに関する考え方が離婚の動向とも密接に関わっているのではないかと思えます。
本書の叙述では、徐々に母親が親権者となることが定着していった、と書かれています。ただ、離婚に対する考え方そのものが大きく変わっているのではないか、離婚率が上昇していることに親権が関係している(あるいはその逆)のではないか、というところまで踏み込んで解説してほしいと個人的に感じてしまいました。(まあ、本書のテーマからはみ出ることに関して詳しく記述を求むというのがおかしいのですが)
*1:親権は子どもに対する身の回りの世話、教育、財産の管理のための権利や義務のことですが、そのうち世話・教育の部分を取り出したものを「監護」と呼んでいます。