衆院選が終わりました。
投票率は戦後2番目の低さだったそうです。
投票率が低いことが問題視されるのは分かるし、投票に行ったほうが良いことは(投票していない人も含めて)百も承知なんですが、「みなさん投票に行きましょう」的な呼びかけはあんまり好きじゃない。単に上から目線のようで嫌なのかもしれないが。
「投票に行くべき」とか「投票に行かないなんて権利放棄だ」とか「不在者投票や期日前投票もできる」とか、そういう呼びかけは政治的・社会的に正しいことなのだとは思う。
しかし特に学者などのインテリ層がそう呼びかけるのは違和感を感じる。
そうした呼びかけは、投票に行くか行かないかがすべて当人の意志で決まるかのように語っているように聞こえる。実際はそんなことはなく、投票日の天気が投票率を左右するなんて話はよく聞く。
社会学などの学問では、一見個人の自由意思に基づくように見える行動が、実は社会に規定されたり、影響を受けたりすることを明らかにしてきた。人間の行動がすべて当人の自由意思で決まるはずはなく、あるいは自由意思そのものが社会的に形成されたものだったりする。だから貧困を全て自己責任に帰することはできない、みたいな話はいろんなところで語られていると思う。
投票行動もまさにそうした行動の一つのはず。それなのに「選挙に行きましょう」的な言説は、投票に行くかどうかは本人の意思次第で、行かないのはそいつが悪い、おかしいみたいなニュアンスが含まれている気がする。
今回の選挙で以下のような報道もあった。
ウーマン村本「国民が政治に関心を持てるようにしろ」にツッコミ相次ぐ 「なんでこんなに受け身なの」と疑問の声も | キャリコネニュース
投票用紙にイラストを描いてSNS投稿する人は何を考えているのか 権利を行使しないのはもったいない | キャリコネニュース
なぜこんな現象が生じるのか。それこそ「社会現象」であったり、個々人の「合理的」行動でもあるはず。そういうのを語らないと「若者の政治への無関心」という図式にすぐ帰着してしまう。
いや、ひょっとしたら政治学の分野とかではなぜ投票率が低いか、向上していくにはどうすればよいかみたいな議論がものすごく蓄積されているのかもしれない。でもそうした話はあまり流れてこないし、結局は投票に行きましょうみたいな呼びかけに終わる。
そして選挙が終わると忘れられる。
いや、くだらない駄文を書きました。ただの戯言です。