ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

是正勧告と指導の違い

臨検監督

労働基準監督官のメインの仕事は臨検監督に行くことです。

臨検監督は職場に立ち入り調査を行い、違反がないかチェックすることです。臨検とも呼ばれますし、その後の行政指導まで含めて監督指導と呼んだりします。

 

実際には細かい使い分けがあるのかもしれませんが、外から研究しているだけの私にはその辺のことは分かりません。ただ臨検監督の場合は「臨検」と書くのですから、監督官が現場に出向かないときには使わないのでしょう。たとえば申告事案の場合には、事業主を電話で呼び出して指導するというケースもあり、その場合は呼び出し監督などと呼ばれるようです。

 

是正勧告書と指導票

さて監督の結果如何によっては会社に対して文書による行政指導が行われます。法違反がある場合は是正勧告書、法違反ではないけれど改善したほうが良い点がある場合は指導票が交付されます。

 

これが「是正勧告」と「指導」になるわけですが、行政法的にはどちらも「行政指導」になります。すなわち行政処分のような強制力がなく、あくまで使用者側の任意の協力を前提としています。したがって仮に指導に従わなかったとしても罰則や不利益を受けることはありません。*1

 

たとえば残業代不払いの会社があったとしましょう。その場合でも監督官が最初に行なうのは「勧告」に過ぎません。監督官に賃金支払を命じる権限はなく、それができるのは裁判所です。*2

 

ちなみに監督行政の初期のころは口頭注意、是正勧告書、請書、念書という風に区分されていました。それが1964年の通達で是正勧告書(甲/乙)と指導という風に整理されました。*3

 

是正勧告の甲と乙の違いをみる前に、先に指導票がどういうものか確認しておきます。

 

指導票

指導業務については全労働[1994]が簡潔に説明しているのでそれを引用します。*4

 

監督時の指導とは①法違反を是正するためにどういう措置を講じたらよいかを明らかにするもの(例、プレス機械に使用停止措置を講じただけでは事業者はどうしたらよいか分からないので、ゲートガード式の安全囲いの取付、シートフィーダーの採用等を指導する)、②法律に規定されているものの義務規定ではなく努力義務規定であるもの、③法令に規定されていない事項であっても良好な労使関係、より良い労働条件あるいは快適な安全衛生環境実現のために指導するもの(例えば、労働福祉向上のための指導(セクハラ、THP等))がある。臨検監督時に相手の事業場でこれらの指導票を交付するには深い知識に裏打ちされた自信と確信がなければできるものではない(是正のためには相当の費用がかかることもある)。

(全労働[1994]『労働基準行政職員の職務』20頁)

 

法令の規定が努力義務に留まっている場合やそもそも規定がない場合には、是正勧告ではなく指導票になるということでしょう。

労基署が企業の生産計画にまで指導した事例があることは、以前ブログで書きました。(労基署による、生産計画への指導

 

ちなみに例として挙げられているセクハラは、1997年に事業主の配慮義務として均等法に規定されました。当時はもちろんですが、労基法ではないので労基署でなく労働局の管轄です。

 

是勧甲と是勧乙

是正勧告書には甲と乙という2つの区分がありました。是正勧告を略して、「是勧甲」「是勧乙」とも表記されました。

 

簡単に言うと、甲のほうが重い違反ということです。

すなわち、法定の基準とは別に行政の側で司法処理基準というものを設け、その基準に該当するものに対しては是勧甲を、該当しないものには是勧乙を交付していました。

是勧甲については是正がなされなかった場合は司法処分に付されますが、是勧乙については何回違反しても司法処分にはならなかったと言います。*5

 

全労働[1976]の「用語解説」では次のように説明しています。*6

勧告書甲・乙

是正勧告書甲と是正勧告書乙のこと。是正勧告書は、監督官が法違反について、行政権限(司法権とは別)にもとづいて、法違反を是正するよう事業主に勧告する書面。甲と乙の二種あり、甲は一定の重大な違反について、「指定期限までに是正しなかった場合は送検することがある」旨明記されている。乙は比較的軽微な違反に対して出される。乙については是正の確認は重視しない。

(全労働[1976]『これが労働行政だ』労働教育センター、4頁)

 

是勧甲の場合は指定の期日までに是正を求め、従わなければ司法処分されるということです。

 

この「是勧甲」という表現は近年の文献だと見かけないので、もう使われていないのではないかと思います。

実際、角森[2010]によれば「司法処理基準」という言葉は2006年以降通達の中から消えています。*7

「司法処理基準」の存否自体を厚労省は回答しませんが、おそらく処理基準そのものがなくなって、是勧甲・乙の区別もなくなったのだと考えられます。(あるいはもっと早くから区分は消滅しているのかもしれませんが、詳細は未確認です)

 

かつての批判

 是正勧告を甲と乙に区分することに対しては批判がありました。 それは乙事案が事実上是正の対象から切り捨てられているとも言えるからです。

 

監督制度研究会[1976]は次のように書いています。*8

 

臨検体制が「重点事項方式」に移行してからの監督の大部分が重点事項のみの監督、すなわち甲基準、使用停止等処分基準該当事項のみの違反指摘に終始することとなった。このためち密な徹底した監督が、ごく一部を除いては実施されず、是勧(乙)事案に至っては、是正報告さえも徴さず、出しっ放しに終わるケースが多くなっている。

(監督制度研究会1976『監督制度』38頁)

 

ここでは「甲基準」と書かれていますが、意味は前述したのと同じと考えて良いと思います。法令の条文とは別に司法処理基準を作ってそれに従って監督行政が運用されているのでしょう。

法定基準とは別に行政の側で基準を作ってしまうという問題点は、「是正基準方式」のところでも書いたと思います。(労基署は「中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施する」ことになるのか――是正基準方式中小企業を監督対象から外す?

 

基準を作ること自体が悪いことだとは言うつもりはありません。監督件数や送検件数が限られている現状では、なにも基準がないと恣意的に運用されてしまう余地も生じてしまいますから。

しかし基準外の法違反について、それが事実上放置されてしまうという問題点は直視すべきです。

 

とりわけこの司法処理基準は一般に公開されていません。法律の条文に刑罰の重さが規定されているのは分かりますが、非公開の基準で事実上行政が罪の軽重を決めるというのが好ましいことなのでしょうか。

 

是勧甲の頻度

是正勧告(甲)の交付件数は、全国レベルでは集計されていません。

たまたま徳島の資料に件数が記載されていたので、そちらで簡単に確認したいと思います。*9

 

下の図は徳島県の監督状況について、「違反事業場数」「是勧甲交付事業場数」「送致件数」を1966~1981年まで示したものです。この時期しか揃ったデータがなかったのでこれで勘弁してください。

「是勧甲率」とあるのは「是勧甲交付事業場数」を「違反事業場数」で除して算出した割合(%、右軸)です。

f:id:knarikazu:20180403210106p:plain

 

1975~6年に突然是勧甲の件数が増えていますが、違反事業場に対する割合は総じて低いことが読み取れると思います。

違反事業場のうち、8割方は見逃されているという計算になりますからね。そして送検に至る件数はぐっと少なくなります。もちろん、事業主が任意で是正して問題がすぐ解決してるから件数が少ないというのであれば問題はないんですけれども。

 

1975年頃になぜ急増したのかは分かりません。資料に特に言及はされていなかったので。今後の研究課題ということで。

前掲の監督制度研究会[1976]には

是勧(甲)交付事業場の増加は、主として労働安全衛生法施行に伴う就業制限(免許)と健康診断に関する規定強化(処理基準項目の増加)と不況等による賃金不遅払の増加であって、直ちに監督内容の充実による効果のみによるものとは評価しがたいものである。(37頁)

 とあるので、基準が変わったからと考えるのが最も妥当なように感じます。

 

是正勧告を認めない?

この報道は、例の東京労働局長の発言に関してのものです。

www.asahi.com

それでここの部分が理解できません。

加藤勝信厚労相は・・・中略・・・勝田氏が昨年12月の会見で野村不動産に是正勧告したと公表したことに対しては、公表していないとの認識を示して改めて説明に食い違いを見せた。ps://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344

https://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344

 

やりとりを見ても……

 

 

違反があったということは是正勧告をしていないとおかしいですよね?

「基準を公開したくないから、甲事案なのか乙事案なのかを言わない」っていうのは当てはまりませんよね。多分甲・乙の区分はもう存在していないと思いますし、仮に甲乙が分けられていたとしても、是正勧告したことに変わりはないわけですから。

そうすると、なぜ是正勧告を明言しないのか理解に苦しみます。

 

それとも違反があったかどうかを明言したくないのでしょうか。「特別指導」を公表したにもかかわらず?

違反でもないのに公表したのなら、なるほどそれは「特別」な措置だったと言えますね。

 

 

//twitter.com/mu0283/status/981006235875987456

ps://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344/twitter.com/mu0283/status/98100588728325

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*1:工場の機械等が危険な状態のまま使われている場合などには、安全のために直ちに機械の使用を命じる行政処分(使用停止等処分)を行う権限がある。こちらは強制力のある命令である。

*2:質問主意書に対する答弁でもこのことは確認されている。衆議院議員村田吉隆君提出労働基準監督機関の役割に関する質問に対する答弁書

*3:「監督業務運営要領の改善について」(昭和39・4・20)。これについては松林和夫[1977]「戦後労働基準監督行政の歴史と問題点」『日本労働法学会誌』50号、24-5頁参照

*4:全労働とは全労働省労働組合の略称で、労働行政の現場に従事する職員からなる労働組合

*5:前掲松林

*6:本書は全労働の組合員による告発書。当時の手記が集められている。

*7:森洋子[2010]『改訂 労働基準監督署への対応と職場改善』53頁

*8:監督制度研究会は労働省有志の職員よって発足した研究会

*9:資料出所は徳島労働基準局・徳島婦人少年室[1983]『35年の歩み』徳島出版株式会社。全国レベルでは是勧甲の交付件数は集計されていないし、他地域でも掲載しているものは、筆者が確認した分については見当たらなかった。昨今の政治を見ていると、資料を残すということ自体に大きな価値があるように感じる。徳島に感謝