ぽんの日記

京都に住む大学院生です。twitter:のゆたの(@noyutano) https://twitter.com/noyutano

是正勧告と指導の違い

臨検監督

労働基準監督官のメインの仕事は臨検監督に行くことです。

臨検監督は職場に立ち入り調査を行い、違反がないかチェックすることです。臨検とも呼ばれますし、その後の行政指導まで含めて監督指導と呼んだりします。

 

実際には細かい使い分けがあるのかもしれませんが、外から研究しているだけの私にはその辺のことは分かりません。ただ臨検監督の場合は「臨検」と書くのですから、監督官が現場に出向かないときには使わないのでしょう。たとえば申告事案の場合には、事業主を電話で呼び出して指導するというケースもあり、その場合は呼び出し監督などと呼ばれるようです。

 

是正勧告書と指導票

さて監督の結果如何によっては会社に対して文書による行政指導が行われます。法違反がある場合は是正勧告書、法違反ではないけれど改善したほうが良い点がある場合は指導票が交付されます。

 

これが「是正勧告」と「指導」になるわけですが、行政法的にはどちらも「行政指導」になります。すなわち行政処分のような強制力がなく、あくまで使用者側の任意の協力を前提としています。したがって仮に指導に従わなかったとしても罰則や不利益を受けることはありません。*1

 

たとえば残業代不払いの会社があったとしましょう。その場合でも監督官が最初に行なうのは「勧告」に過ぎません。監督官に賃金支払を命じる権限はなく、それができるのは裁判所です。*2

 

ちなみに監督行政の初期のころは口頭注意、是正勧告書、請書、念書という風に区分されていました。それが1964年の通達で是正勧告書(甲/乙)と指導という風に整理されました。*3

 

是正勧告の甲と乙の違いをみる前に、先に指導票がどういうものか確認しておきます。

 

指導票

指導業務については全労働[1994]が簡潔に説明しているのでそれを引用します。*4

 

監督時の指導とは①法違反を是正するためにどういう措置を講じたらよいかを明らかにするもの(例、プレス機械に使用停止措置を講じただけでは事業者はどうしたらよいか分からないので、ゲートガード式の安全囲いの取付、シートフィーダーの採用等を指導する)、②法律に規定されているものの義務規定ではなく努力義務規定であるもの、③法令に規定されていない事項であっても良好な労使関係、より良い労働条件あるいは快適な安全衛生環境実現のために指導するもの(例えば、労働福祉向上のための指導(セクハラ、THP等))がある。臨検監督時に相手の事業場でこれらの指導票を交付するには深い知識に裏打ちされた自信と確信がなければできるものではない(是正のためには相当の費用がかかることもある)。

(全労働[1994]『労働基準行政職員の職務』20頁)

 

法令の規定が努力義務に留まっている場合やそもそも規定がない場合には、是正勧告ではなく指導票になるということでしょう。

労基署が企業の生産計画にまで指導した事例があることは、以前ブログで書きました。(労基署による、生産計画への指導

 

ちなみに例として挙げられているセクハラは、1997年に事業主の配慮義務として均等法に規定されました。当時はもちろんですが、労基法ではないので労基署でなく労働局の管轄です。

 

是勧甲と是勧乙

是正勧告書には甲と乙という2つの区分がありました。是正勧告を略して、「是勧甲」「是勧乙」とも表記されました。

 

簡単に言うと、甲のほうが重い違反ということです。

すなわち、法定の基準とは別に行政の側で司法処理基準というものを設け、その基準に該当するものに対しては是勧甲を、該当しないものには是勧乙を交付していました。

是勧甲については是正がなされなかった場合は司法処分に付されますが、是勧乙については何回違反しても司法処分にはならなかったと言います。*5

 

全労働[1976]の「用語解説」では次のように説明しています。*6

勧告書甲・乙

是正勧告書甲と是正勧告書乙のこと。是正勧告書は、監督官が法違反について、行政権限(司法権とは別)にもとづいて、法違反を是正するよう事業主に勧告する書面。甲と乙の二種あり、甲は一定の重大な違反について、「指定期限までに是正しなかった場合は送検することがある」旨明記されている。乙は比較的軽微な違反に対して出される。乙については是正の確認は重視しない。

(全労働[1976]『これが労働行政だ』労働教育センター、4頁)

 

是勧甲の場合は指定の期日までに是正を求め、従わなければ司法処分されるということです。

 

この「是勧甲」という表現は近年の文献だと見かけないので、もう使われていないのではないかと思います。

実際、角森[2010]によれば「司法処理基準」という言葉は2006年以降通達の中から消えています。*7

「司法処理基準」の存否自体を厚労省は回答しませんが、おそらく処理基準そのものがなくなって、是勧甲・乙の区別もなくなったのだと考えられます。(あるいはもっと早くから区分は消滅しているのかもしれませんが、詳細は未確認です)

 

かつての批判

 是正勧告を甲と乙に区分することに対しては批判がありました。 それは乙事案が事実上是正の対象から切り捨てられているとも言えるからです。

 

監督制度研究会[1976]は次のように書いています。*8

 

臨検体制が「重点事項方式」に移行してからの監督の大部分が重点事項のみの監督、すなわち甲基準、使用停止等処分基準該当事項のみの違反指摘に終始することとなった。このためち密な徹底した監督が、ごく一部を除いては実施されず、是勧(乙)事案に至っては、是正報告さえも徴さず、出しっ放しに終わるケースが多くなっている。

(監督制度研究会1976『監督制度』38頁)

 

ここでは「甲基準」と書かれていますが、意味は前述したのと同じと考えて良いと思います。法令の条文とは別に司法処理基準を作ってそれに従って監督行政が運用されているのでしょう。

法定基準とは別に行政の側で基準を作ってしまうという問題点は、「是正基準方式」のところでも書いたと思います。(労基署は「中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施する」ことになるのか――是正基準方式中小企業を監督対象から外す?

 

基準を作ること自体が悪いことだとは言うつもりはありません。監督件数や送検件数が限られている現状では、なにも基準がないと恣意的に運用されてしまう余地も生じてしまいますから。

しかし基準外の法違反について、それが事実上放置されてしまうという問題点は直視すべきです。

 

とりわけこの司法処理基準は一般に公開されていません。法律の条文に刑罰の重さが規定されているのは分かりますが、非公開の基準で事実上行政が罪の軽重を決めるというのが好ましいことなのでしょうか。

 

是勧甲の頻度

是正勧告(甲)の交付件数は、全国レベルでは集計されていません。

たまたま徳島の資料に件数が記載されていたので、そちらで簡単に確認したいと思います。*9

 

下の図は徳島県の監督状況について、「違反事業場数」「是勧甲交付事業場数」「送致件数」を1966~1981年まで示したものです。この時期しか揃ったデータがなかったのでこれで勘弁してください。

「是勧甲率」とあるのは「是勧甲交付事業場数」を「違反事業場数」で除して算出した割合(%、右軸)です。

f:id:knarikazu:20180403210106p:plain

 

1975~6年に突然是勧甲の件数が増えていますが、違反事業場に対する割合は総じて低いことが読み取れると思います。

違反事業場のうち、8割方は見逃されているという計算になりますからね。そして送検に至る件数はぐっと少なくなります。もちろん、事業主が任意で是正して問題がすぐ解決してるから件数が少ないというのであれば問題はないんですけれども。

 

1975年頃になぜ急増したのかは分かりません。資料に特に言及はされていなかったので。今後の研究課題ということで。

前掲の監督制度研究会[1976]には

是勧(甲)交付事業場の増加は、主として労働安全衛生法施行に伴う就業制限(免許)と健康診断に関する規定強化(処理基準項目の増加)と不況等による賃金不遅払の増加であって、直ちに監督内容の充実による効果のみによるものとは評価しがたいものである。(37頁)

 とあるので、基準が変わったからと考えるのが最も妥当なように感じます。

 

是正勧告を認めない?

この報道は、例の東京労働局長の発言に関してのものです。

www.asahi.com

それでここの部分が理解できません。

加藤勝信厚労相は・・・中略・・・勝田氏が昨年12月の会見で野村不動産に是正勧告したと公表したことに対しては、公表していないとの認識を示して改めて説明に食い違いを見せた。ps://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344

https://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344

 

やりとりを見ても……

 

 

違反があったということは是正勧告をしていないとおかしいですよね?

「基準を公開したくないから、甲事案なのか乙事案なのかを言わない」っていうのは当てはまりませんよね。多分甲・乙の区分はもう存在していないと思いますし、仮に甲乙が分けられていたとしても、是正勧告したことに変わりはないわけですから。

そうすると、なぜ是正勧告を明言しないのか理解に苦しみます。

 

それとも違反があったかどうかを明言したくないのでしょうか。「特別指導」を公表したにもかかわらず?

違反でもないのに公表したのなら、なるほどそれは「特別」な措置だったと言えますね。

 

 

//twitter.com/mu0283/status/981006235875987456

ps://twitter.com/mu0283/status/981005887283257344/twitter.com/mu0283/status/98100588728325

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*1:工場の機械等が危険な状態のまま使われている場合などには、安全のために直ちに機械の使用を命じる行政処分(使用停止等処分)を行う権限がある。こちらは強制力のある命令である。

*2:質問主意書に対する答弁でもこのことは確認されている。衆議院議員村田吉隆君提出労働基準監督機関の役割に関する質問に対する答弁書

*3:「監督業務運営要領の改善について」(昭和39・4・20)。これについては松林和夫[1977]「戦後労働基準監督行政の歴史と問題点」『日本労働法学会誌』50号、24-5頁参照

*4:全労働とは全労働省労働組合の略称で、労働行政の現場に従事する職員からなる労働組合

*5:前掲松林

*6:本書は全労働の組合員による告発書。当時の手記が集められている。

*7:森洋子[2010]『改訂 労働基準監督署への対応と職場改善』53頁

*8:監督制度研究会は労働省有志の職員よって発足した研究会

*9:資料出所は徳島労働基準局・徳島婦人少年室[1983]『35年の歩み』徳島出版株式会社。全国レベルでは是勧甲の交付件数は集計されていないし、他地域でも掲載しているものは、筆者が確認した分については見当たらなかった。昨今の政治を見ていると、資料を残すということ自体に大きな価値があるように感じる。徳島に感謝

野村不動産への「特別指導」とは何ぞや

2017年の12月25日に東京労働局が野村不動産に対して「特別指導」を行いました。その翌日に「特別指導」を行ったことが公表されたのですが、実は同じ日に野村不動産での過労自殺が労災認定されていました。そしてこの労災認定の件は朝日新聞の報道があるまで伏せられていました。

 

経緯等については上西充子教授の下記の記事を参照ください。

 

news.yahoo.co.jp

 

野村不動産裁量労働制が違法に適用されていたということですので、それを指導すること自体は当然の行動でしょう。

問題はこの「特別指導」なるものがどういうものなのか判然としない点です。

 

素直に考えれば労災申請があったことが指導の端緒だと思われます。しかし東京労働局は端緒については答えていません。特別指導を公表した際には、労災認定には触れられませんでした。

そして「特別指導」という言葉も、単に特別な指導という意味に過ぎず、法的な根拠や規定があるわけではないと言います。

 

これらの点だけでも疑問が多く湧きます。

なぜ労災認定は伏せられたのか。なぜ特別指導が行われたのか。なぜその指導は公表されたのか。どういった点が特別なのか。

 

たしかに労災認定が行われたこと自体は一般には公表されません。電通の高橋まつりさんの件も遺族が記者会見をしたことにより明らかになったものでした。そういう意味で言えば、野村不動産の件で労災が公表されなかったのも同様と考えられます。

しかしそれならばなぜ、「特別指導」については公表されたのか。そして通常の監督指導ではいけなかったのか。

 

そもそも厚労省は、企業名の公表については慎重な姿勢を見せています。すでに企業名公表の基準を定めています。ところが野村不動産の場合はこの基準に該当するわけではないのでしょう。

 

基準がもともとあるのに、その基準とは関係なく企業名を公表するのであれば、その恣意性が問題になります。もちろん迅速な対応も求められる行政にとっては、一定裁量も認められているでしょう。

それでもやはり基準に該当しないのに公表するのであれば、なぜ公表すべき事案だと判断したのかについて、丁寧に説明を尽くさなければならないはずです。そうでなければ恣意的だとの批判のそしりを免れないでしょう。

 

特別指導

そもそも「特別指導」とはなにかを整理しておきたいところです。

最も直接的に尋ねているのは山井議員の質問主意書でしょうか。*1

 

質問主意書では次のように質問されています。

六 本件特別指導について、根拠となる法令を示すとともに、他の指導との相違点、すなわち「特別」である理由、実施する目的、根拠法令を示して下さい。なお、示すことができない場合は、その根拠となる法令を明示して下さい。

 それに対する答弁書は以下になります。

六について

 本件特別指導は、厚生労働省設置法(平成十一年法律第九十七号)第四条第一項第四十一号に掲げる厚生労働省の所掌事務に関する行政指導として行われるものである。
 なお、「他の指導との相違点、すなわち「特別」である理由、実施する目的、根拠法令」の意味するところが必ずしも明らかではないが、本件特別指導は、都道府県労働局長により行われるという点で、労働基準監督署の労働基準監督官により行われる一般的な行政指導とは異なるものである。

 

前半の「厚生労働省設置法~」の部分は単に行政指導の法的根拠について答えているだけです。通常の監督指導も行政指導として行われますので、この部分は「特別指導」の法的根拠を答えているわけではありません。

 

そして「特別」である理由としては都道府県労働局長が行った点を挙げています。

逆に言うと「それだけ?」という拍子抜けの回答です。ほかにもっと特別な点があるんじゃないのかと重ねて聞きたくなります。

 

また

七 本件特別指導に関連し、過去に「特別指導」という名称で実施した指導の件数を示すとともに、対象企業名、実施年月日、公表の方法をそれぞれ示して下さい。なお、示すことができない場合は、その根拠となる法令を明示して下さい。

ということも尋ねられていますが、それに対しても

七について

 本件特別指導を除き、お尋ねの「「特別指導」という名称で実施した指導」はない。

と答えています。

 

 

労働局長が行えば「特別」なのか

前述したように、行政指導段階での企業名公表はあります。*2

下図は「「過労死等ゼロ」緊急対策」の資料か転載したものです。

f:id:knarikazu:20180401152954p:plain

 

 この図からも分かる通り、すでに労働局長によって指導する仕組みは存在します。

この公表制度で初公表されたのは株式会社エイジスですが、この際も千葉労働局長が企業の代表に対して是正指導しています*3

 

この時の公表は「特別指導」とは呼ばれていません。

そもそも労基署が行おうが、労働局が行うが、労働基準監督官がその権限に基づいて行うことに変わりはないでしょう。

むしろ企業名の公表や全社的な指導*4のほうが「特別」だと思います。

 

その意味で、労働局長による指導が行われたことを「特別」としている答弁はあまり納得できません。

 

過去に「特別指導」はなかったのか

 もう一つ気になったのは「「特別指導」という名称で実施した指導」はないと答えた点です。

 

とりあえず「特別指導」という言葉が使われているのかだけ調べてみました。

そうすると過去に見られるのは「安全管理特別指導」や「衛生管理特別指導」という言葉です。

 

ただしこれは野村不動産への「特別指導」とは完全に別個のものでしょう。

実施に際しては実施要領を定めたうえで労働省からと都道府県労働基準局に通知をしています。特定の企業だけに対してなされたものではありません。

 

1971年には「労災特別指導事業場制度」というのが実施されています*5

これは労災保険給付の増加を受けて実施された制度のようで、労災保険の収支率について①過去3年の収支率②3年の最終年の収支率③同業種平均との比較の3つの観点から対象事業場を選定し、特別指導を行ったようです。

 

それから1991年の『労働基準監督年報』に「企業系列別週休2日制等特別指導」という言葉があるのを見つけました。

週休2日制の指導なので是正指導ではないでしょう。週休2日は法律では定められていませんから。

 

探せば他の特別指導の用例も出てくるでしょうが、今回の野村不動産の例のようなものは出てこない気がします。

野村不動産への特別指導は東京労働局のHPにも報道発表が掲載されておらず、報道等を参照するしかありません。だから仮に過去同様な特別指導があったとしても、公式な発表としては確認できないと言えます。

 

なんらかの政策目的や意図を持って監督指導がなされる例自体は頻繁に見受けられます。ただその場合も実施要領や監督計画が定められるのが一般的です。当然それは一企業のみを対象としたものではなく、同種の企業を広く対象とするものです。

 

今回の野村不動産の件も、なんらかの行政意図があったことは間違いないと見受けられますが、特定企業のみを対象にして公表するというのは解せません。

3月30日の会見で東京労働局長が「なんなら、皆さんのところ(に)行って是正勧告してあげてもいいんだけど」という威圧的な発言がありました。この発言自体も許されるものではないですが、野村不動産への「特別指導」そのものも、やはり恣意的と疑わざる得ません。

 

 

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勝手に察するより、尋ねるほうがいい

急遽シフトを代わってくれないかと電話があった。

突然の連絡だったので、本来のシフト入りの時間より30分くらい遅れて到着することになった。

 

で、その遅刻の場面をたまたま知り合いの人が目撃していた。それでその人が「遅刻?」と尋ねてきた。

 

一般的に遅刻というのは好ましいことではない。だからなぜわざわざ無粋なことを訊いてくるのかと、ちょっと煙たく思った。

 

たしかに事情を知らない第三者からみれば、私が遅れてやってきたことは遅刻に見える。しかしそれはシフト交代の電話が突然だったからで、私自身に落ち度があるわけではない。

 

私はそのことを話すと向こうはそれで納得してくれた。単純にこうした経緯があったことに思い及ばなかっただけなのだろう。

 

そう思うと尋ねてくれたほうが結果的に良かったのだなと思う。

もしその人のほうで勝手に察して、気を遣って尋ねてこなかったのなら、私が遅れて到着した経緯を知らないままだったろう。そうすると私が自分のミスで遅刻したのだと思われたままだったかもしれない。

 

最初は野暮な質問だと思ったが、訊かぬ気遣いより訊く失礼のほうがよいこともあるのだ。

 

 

トム・シート『ミッキーマウスのストライキ』

原書は2006年のようだが、邦訳は久美薫・訳で2014年に出版されている。

 

アメリカのアニメ産業の労働運動史をその黎明期からまとめた本。

しかし単に翻訳書と見るのは正しくない。巻末に「訳者解説」として40ページほど解説が付いている。これは日本のアニメ界についての労働史になっていて、取材もされて書かれており、この部分は訳者のオリジナルの成果と言ってよい。

 

訳者の久美氏の問題意識はあとがきの部分に強く表れている。

「アニメ学」「アニメ研究」を自称する本ならばすでにいくつか見受けられるが・・・略・・・アニメ研究を「学」と呼ぶことで既成利権の正当化・正統化に加担する向き(しかも当人たちにその自覚がない)には賛同できない。/また・・・略・・・自分たちにとって論じやすい部分のみを「研究」として取り揃え、若い志望者の目をほかの潜在的テーマから逸らしている(そしてそのことにはやはり自覚がない)一部の学者グループについても訳者は懐疑的である。/むしろそうした利権の力関係そのものを俎上にあげてメスを入れるような、冷徹な学問ジャンルの確立こそが今、必要だと確信するからである。 

 

 

本書は全体で600ページを超える大部なので、内容を短くまとめるのも大変。ここではざっくりとした感想を書いておく。

 

まず具体的な人物名が多く登場するのが驚いた。

個人名が出てくること自体は他の業界の労働運動史でもあることだけれど、普通は使用者や組合幹部の名前ぐらいなのではないかと思う。この本ではアニメーター等の名前が数多く挙げられており、誰が解雇したとか誰がスト破りしたとか、そんな情報まで載っている。有名アニメスタッフなのかもしれないが、無学ゆえピンとこない人のほうが多い。アニメ業界に詳しい人だとより面白く読めるのかもしれない。

 

それから原著者はもちろん、訳者の久美氏もアメリカアニメ産業の労働運動を決して理想視していない。

日本のアニメーターの待遇の悪さはニュースでも取り上げられるようになり、その実態調査もなされるようになってきた。海外のアニメーターとの比較はまだそれほどなされていないと思うから、本書はその点でも興味深い。

当たり前だが「日本はこんなにひどい、アメリカは素晴らしい」という単純な内容ではない。当たり前と言いつつ、比較研究が未だ進展していないこの段階では、このことは重要だと思う。たとえば社会保障の分野では「北欧の制度は日本と違ってこんなに良い」的なものも見受けられる。海外に理想を求めて終わりにしてはいけない。

 

その点で、ハリウッドのアニメ産業と労働運動の問題は、現在の日本の課題と重なる部分があるのではないだろうか。

80年代にハリウッドのスタジオと組合が、アニメ制作の国外下請け問題で衝突していた。そして組合側がストライキで敗北した後に日本の東京ムービーがディズニーのテレビアニメの下請に入っている事実がある。

海外下請・逃避は、アニメに限らず労働運動全般が抱える課題である。日本の企業別組合の限界はしばしば語られるが、仮に産業別組合であってもグローバル化が進めば有効な規制が難しくなる。国内の労働条件を引き上げようとしても海外に逃げられてしまう恐れがあるためだ。

 

「訳者解説」の箇所では製作委員会がリスク分散装置として働いていたのではないかと述べられている。

製作委員会方式が広がっていく直前の1991~2年には、アニメの制作予算増額を求めるデモがあった。(そのアニメ共闘会議の議長は佐藤順一監督だった)

anirepo.exblog.jp

 

アニメスタッフの待遇を改善するために制作予算を増やすべき、というのは比較的わかりやすい。

しかし製作委員会方式だと出資者が複数になるため、要求先が不明瞭になる。テレビ局が製作して放送している場合は、テレビ局に予算増額を求めればよい。しかし製作委員会方式だとテレビ局は放送枠を提供しているだけということもある。これは労働側としてはやりにくいかもしれない。

 

一般の団体交渉とかでも、派遣労働者だと派遣元か派遣先かどちらの会社に責任があるのか曖昧になりがちな面がある。派遣会社側がそれを理由に交渉を拒んだりする。雇用責任が不明確だとこのようなことが生じやすい。

ましてアニメーターは個人事業主契約が多く、雇用関係から否定してくる。余計に不安定なのだと想像される。

 

久美氏の指摘がどこまで妥当するのか分からないが、政策委員会方式は労働運動の観点から捉えるということも必要なのかもしれない。

 

求人詐欺・求人トラブルの今昔――労働条件明示義務違反

固定残業代などによって求人票の待遇を見かけ上で良く見せようとする行為が広がりました。このような行為を「求人詐欺」として問題視する向きも強まっています。このような背景のもと職業安定法が改正されたことは以前にも書きました。(京アニの求人情報が大幅に詳しくなった件

 

求人詐欺という言葉自体は最近のものですが、「求人票の表現が曖昧」「雇用契約書を渡らされおらず労働条件が不明確」というトラブルは昔から多くありました。

こうした問題に行政がどのように取り組んできたかを、労基署のデータから把握してみます。データは以前の記事(労働時間の違反率の推移 )と同じく『労働基準監督年報』の情報を用います。

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中小企業を監督対象から外す?

裁量労働制の件があって修正されていた法案。

自民党の部会では了承が先送りされたようです。

 

www.sankei.com

 

「中小企業の実態を考慮する」という内容が盛り込まれることの懸念については以前書きました。*1

今回の産経新聞の報道では

残業時間の上限規制について、党内には中小企業が対応できないとの懸念が強い。修正案では、労働基準監督署は中小企業の人材確保や取引の実態を踏まえて指導を行うとする付則も法案に盛り込んだ

 となっています。付則に盛り込む予定であるようです。

 

しかし「実態を踏まえて指導を行う」との部分は未だによく分かりません。たしかに中小企業に対して施行を一部遅らせるというのはこれまでにもありました。たとえば週60時間超の残業に対しては割増賃金率を50%以上にするようになっているのですが、現行では中小企業は「当分の間」猶予されています。*2

 

一方で今回の報道では、このような猶予措置となっているわけではありません。この辺が不透明ですし、規制強化が骨抜きになる恐れもあります。

すでに自動車運転業務、建設業、医師については5年の猶予措置が付けられると伝えられており、やはり懸念されている点です。しかしこちらもやはり「猶予」です。報道を読む限り、中小企業については「実態を踏まえて」「実態を考慮」とされており、時限的に猶予を設けるということではないようです。

 

中小企業だからこそ、対象から外してはいけないのでは

中小企業について監督指導の運用を変えるという付則は、これまでの監督行政のあり方から外れるように思います。というのも、これまでは(実態はともかく)中小企業に対して監督行政の重点を置く、というのが目指されていたように思うからです。

 

そもそも市民法の原理として、どのような労働契約を結ぶのかは当事者の自由です。ところが完全に自由に任せてしまうと、通常労働者は雇い主に対して不利な立場に立たされているので、不利な労働契約を締結されてしまう恐れが強くなってしまいます。そのため労働条件の最低基準を法律で規制し、これよりも低い条件で労働契約を結ぶことを禁止しているのです。

 

労働基準法とは労働の保護を図るための法律です。そのため労働組合があることの多い大企業よりも、中小企業の労働者こそ法律で守らなければと考えられてきました。

 

たとえば1953年の『労働基準監督年報』には「既に労使の均衡が保たれ、その自主性に委ねうる大企業については、法定の労働条件が自主的に遵守されているとみて、監督実施の対象を、自主的遵守の容易でないと認められる中小企業に集中するものとした」とあります。*3

 

1982年には申告事案の処理について

申告事案の優先的かつ迅速な処理については,更に一層その徹底を期することとするが,労働条件の問題については労使共に自主的に協議,改善しうる能力を有している大企業等については,可能な限り労使間の自主的な解決を促すこととし,労働基準監督機関としては中小零細企業,未組織労働者等に係る事案の解決に最大限の能力を投入すること

(1982年度労働基準行政の運営方針)

という風に記述されています。*4

 

ちなみに監督の実施割合で見ると大規模事業場のほうが高くなっています。これは中小零細は数が多すぎるため手が回っていないという意味で、決して中小企業だから見逃しているわけではありません。*5

f:id:knarikazu:20180328154358p:plain

 

そのほかの文献をいちいち挙げることはしませんが、監督行政の姿勢としては中小企業の労働者を保護する、保護すべきだという考え方がずっと続いていたように思います。

 

ただし近年では大企業ホワイトカラーにも重点が置かれるようになってきています。それは労働組合の組織率が下がり、しかも長時間労働などの過重労働に関して、組合による規制があまり有効に機能していないことが背景にあると考えられます。

行政指導段階での企業名公表制度も「社会的に影響力の大きい企業」を対象にして、中小企業は除外しています。*6

 

従来は中小企業は労働組合で守られていない労働者が多いから、労働法で保護しなきゃいけないとされてきたのに、中小企業は法律を守れないから監督指導を緩くしてしまおうというのでは、本末転倒でしょう。

 

 

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*1:労基署は「中小企業の実態を考慮して指導・監督を実施する」ことになるのか――是正基準方式

*2:今回の改正案ではこの猶予措置の廃止を3年後に実施するとなっています

*3:1970年代までの監督行政の方針の変遷については松林和夫[1977]「戦後労働基準監督行政の歴史と問題点」『日本労働法学会誌』50号を参照

*4:なおこの点について政府は「従来からこのような方針に即して申告事案の優先的かつ迅速な処理を行うよう指示したものであつて、申告事案の取扱方針を変更したものではない」と答弁している。(衆議院議員小沢和秋君提出労働基準行政の基本姿勢に関する質問に対する答弁書

*5:規制改革会議の議論では、土屋大臣官房審議官が「もちろん零細なところだから法違反を追及しないということではないと思っておりまして、・・・略・・・それは是正勧告ももちろんしていますし、場合によっては司法に至ることもあるということで、そこもそういうスタンスでやらせていただいているということだと思います」と発言している。

*6:ブラック企業の企業名公表制度について

一人暮らしをしてみて、予想と違っていた点

私が一人暮らしを始めたのは大学に進学したときだ。

一人暮らしについては期待と不安の双方があったし、今でもメリット・デメリットについては時々考える。一人暮らしの経験がない人であれば、初めての一人暮らしで生活が大きく変わるのは間違いない。

どう生活が変わるかは人によりけりだろう。ここでは私の経験、とくに予想と違っていたことを書く。

 

家事スキルは上昇しない

一人暮らしであれば当然、家事は自分がやらねばなるまい。私は自炊もできる限りする予定でいた。・・・・・・となれば自然と家事スキルも上がっていくのだろうと思っていた。

 

もちろん、それは完全には間違いではない。しかし明らかに楽観的な考えだ。

一人暮らしをしても家事の能力なんて大して上がらないと最近は感じるようになった。上がるとすれば、家事を手抜きするテクニックである。

 

自分一人が住んでいるだけなのだから、要は自分が満足できる水準であれば良い。ちょっとぐらい部屋が散らかってようと、自分が許容できるのなら問題ない。料理も同じ。毎日は疲れるから作り置きができるメニューをもっぱら考える。同じ味が続くと飽きるから、味付けだけ変えたりする。もちろんできるだけ手間を掛けたくないから小手先の工夫だ。調味料を加えたり、半熟卵を乗っけたり、パスタと混ぜ合わせたり。

ちなみに半熟卵はレンジで40秒チンするだけだ。パスタは、前日のおかずの残り(野菜炒めなど)にケチャップとポン酢を加えてごく簡単なソース(?)を作る。それでおいしいのかと言うかもしれないが、かける手間に見合った味だと納得できれば良い。

 

自由な時間が増えたはずなのに拘束感を感じる

一人暮らしの最もよいところは自由に時間が使えることだと思う。学生であれば就寝・起床の時間はかなり自由にコントロールできる。家でなにしてても家族から文句を言われることもない。

 

しかし自由にできる時間が増えた分、なにかの都合に自分の予定を合わせることがすごく拘束的に感じられる。

卑近な例だとスーパーの特売とか。

買物なんてもちろん好きな時に行けば良いのだが、しかし同じ商品を割高な値段で買いたいとは思わない。ところがチラシを見れば曜日ごとに特売の品が違うし、タイムセールなんてのもある。一遍に済ませられれば楽なのに、2日に分けて買い物に行ったりする。

なまじ学生だと、ある程度融通が利いてしまうから困る。日中の時間がすべて埋まっていれば諦めがつくが、そうではないために時間を都合する。ATMとか再配達とか、時間指定のあるものを授業の合間などにこなそうとしたり。

 

あとテレビとか、最近だとライブ配信とかをリアルタイムに視聴したいとき。

なぜかそのスケジュールに合わせて1日の予定を組もうとしてしまう。家に一人だと、家族同士でチャンネル争いをする必要も無いし、夕飯や風呂入る時間は自由に決められる。すると不思議なことに、暇な時間にテレビを見るというより、テレビに合わせて自分の生活リズムを変えているような気分になってくる。

 

専業主婦は自由に時間を使えるのだと思っていたのだけれど、案外そうではないのかもしれない。

 

小さなトラブルにイライラする

自分はあまり怒りっぽくない性格だと思っていたが、これは大いに環境が影響するのだと感じた。

なにか困ったことやトラブルが生じたとき、はけ口がすぐ近くにいると精神的に楽だ。一人暮らしだと気軽に愚痴を言う相手がそばに居ない。

 

これは単に不満をこぼす先がいるかどうかという話で、トラブルが解決するかどうかとかは関係ない。

テレビとか洗濯機とかの家電の調子が悪くなったとき。食器を落として割ったとき。帰宅途中に雨に降られたとき。

もし家に誰かいればその事態を伝えられる。問題が解決しなくても、とりあえず悩みを共有できる。だからそんなにイライラしない。

 

ところがこれが一人暮らしだとそうはいかない。今時分ならSNS等で呟けば良いのかもしれないが、そうでなければ不満を自分の中に蓄積させるほかない。一人暮らしをする前なら何でもなかったことにイライラするようになった自分に気づく。

 

ストレスを解消する別の方法を作っておいたほうが良いかもしれない。家族に愚痴をこぼすことがその方法だった人は。